270.治癒魔法は雄弁に語る㉒傷跡
テルミお母さんの話によると、傷跡が残っているのは、娘のルミカさんだという。
ルミカさんは、小さいころに薬草採取に行った森で怪我をして、今でも額に小さな傷が残っているのだそうだ。
「男の子なら気にもしないような小さな傷だけど、年ごろの女の子にいつまでも傷跡が残っているのは可哀想で……」
初級のポーションでは傷跡は消えない。
治癒魔法をエルフに頼むと、法外な金額になる。
(傷跡って、中級治癒魔法で治るのだったかしら……?)
部位欠損は、中級治癒魔法では怪我をしてすぐ──生傷の状態でなければ治せない。
ダンジョンでのノアさんとジャックさんが、この状態だったのだ。
まだ血も止まり切らないような生傷だったからこそ、怪我の範囲が広くても、数が多くても、重ね掛けすることで対応できた。
その後、ダンジョンを進むうちに意図せずパワーレベリングをさせてもらい、上級治癒魔法が使えるようになった。
上級治癒魔法なら、指の先や、耳の先くらいの小さな部位欠損なら、古傷でも再生できる。
より広範囲の生傷も、重傷も、一度で完治させられるようになる。
あのときはまだ、上級治癒魔法は使えなかったので、シアンの火傷には中級治癒魔法の重ね掛けで対応したのだ。
シアンの耳を治したのは、上級治癒魔法が使えるようになってからである。
治ってしまった古い傷に、中級治癒魔法でどの程度の効果があるか、わからなかった。
何しろ、試したことがない。
古傷を気にしなければならないような、年長のベテラン冒険者とパーティーを組んだことはない。
回復魔法しか使えない底辺冒険者と組んでもいいと言ってくれるのは、新人か、同レベルの初級冒険者くらいのものである。戦闘経験が浅く、傷が残るほどの重傷を負う機会がなかった者たちばかりだ。
ひょっとすると、効果がないかもしれなかった。
マルコ君のおじいさんは、明確に「歩けない」という症状が出ているから、中級治癒魔法でも何らかの改善が見込めるだろう。
部位欠損なら、本来はあるべき身体の一部が失われてしまった、という明らかな異常である。その部位に治癒魔法が反応を示すのは、想像に難くない。
けれど、完治してしまった怪我の痕──それも、寒い日に痛むような酷い古傷ではなく、日常生活に全く支障がない程度の小さな傷跡──そんな小さな傷跡に、治癒魔法は反応してくれるだろうか?
言ってみれば、血が出ない程度の軽微な深爪や、前髪を切り過ぎた程度のことである。
そういうものは、魔法自身によって治癒が必要と認められないことがあるのだ。
(前髪の切り過ぎも、女の子にとっては大怪我というか、大事故だけれど……)
疲労は治癒魔法でも回復することがあるものの、その辺りは術者の力量によるところが大きい。
が、ルミカさんの例は治癒魔法の技巧とは関係なく、単純に効くか効かないかの話なのだ。
健康な者が回復ポーションを使っても効果がないのと同じように、健康な者に治癒魔法を掛けても効果がない。
小さな傷というのは意外にも、大怪我よりも治療が難しかったりするのである。
「魔法を試すのは構わないですけれど……」
効果が出ないかもしれない、と言いかけたところでテルミお母さんは、すぐに娘のルミカさんを呼びに走った。
まさに脱兎のごとく、という勢いだった。
(確かに兎の人だけど)
そして、わずか5秒ほどでテルミさんと、テルミさんに連れられた娘さんが戻ってきた。
「お母さんったら、急に何なの? あたし、まだ鍋の番をしてないといけないんだけど……」
わけもわからず連れて来られたルミカさんは、普段着にエプロンという格好で、いかにも炊き出しを抜けてきましたという感じだった。
飾り気のないブラウスとスカートに、白いエプロン。
淡い茶色の髪は、背中で束ねて凝った編み込みがしてあった。頭頂部には、白くて長い兎耳。
全体的に、白とアースカラーの配色でまとまっていて、質素でありながら可愛らしくまとまっていた。
ポトフ鍋の番をしていた兎人族の女の子だった。
「ほら、ルミカ! ここに座りなさい。こちらの魔法使いのお嬢さんが、あなたの傷跡を消してくれるかもしれないのよ」
「え、いいわよ。もう気にしてないし……」
テルミお母さんによって、無理やりわたしの前の席に座らされたルミカさんは、こちらに向かって頭を下げた。
「お母さんが無理を言ってごめんなさい。主賓のお客様を働かせようだなんて、そんなことさせられないわ。
それに……ね、前に初級ポーションを試したことがあるんだけど、傷跡には効果がなかったの。きっと治癒魔法も効かないと思うから……もういいのよ。だいたい、うちには魔法使い様に払えるようなお金はないし」
だから遠慮します、とルミカさん本人から断られてしまった。
本人が不要だと言っているのに、強要することはできない。
戦闘中ならともかく平時では、命に関わるような緊急事態でもない限り、勝手に魔法を掛ける行為は──たとえそれが治癒魔法であっても──褒められたことではない。
いわゆる“余計なお節介”であり、マナー違反なのだ。
下手をすると、詐欺や押し売りを疑われかねない。
よかれと思って行った親切が、裏目に出ることは珍しくない。
けれど、娘を気遣うテルミお母さんの気持ちを、わたしは無視することができなかった。
拙作をお読みいただき、ありがとうございます。
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