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ゼロの提案

 

 ヘディングを空振ったことでバランスを崩したのか、見るからに駄目な感じの角度で足首の外側から大地に着地してしまった前野先輩。


 その瞬間がマンガのコマ割りで描かれていたなら、人体からは発されてはいけない痛そうな擬音が書き込まれていたに違いない。


 近くにいた春間の選手が「うわぁ」と言わんばかりに顔をしかめていたし、剛士のファンクラブの集団からも「キャー」っていう悲鳴が聞こえた。

 怪我をした本人は前々から女子にキャーキャー言われるようなことを望んで止まなかったはずだが、少なくともこのような事態で遂げられるのは希望とは違っただろう。


 何事も、そうそううまくはいかないものだ。


 スポーツに怪我はつきものだが、可能であれば回避したい。

 もしかすると前野先輩は骨をやってしまっているかもしれない。

 負傷の程度は不明で骨や筋がどうなっているかはわからないが、とりあえず心のほうはまだ折れていないようだ。


「まだだ! まだ俺は……!」


 再び立ち上がろうと試みる前野先輩。

 足を庇いながらもヨロヨロと起き上がる。


「こっから俺が……ビシッと決めるところだったんだからなぁ!」

「いけない! 無理をしては!」


 自然な動作で駆け寄って、また倒れそうになった先輩の体を支えたのは白鳥琉生だ。


「やめておくんだ。今より悪くするとサッカーができない時間が長くなるぞ」

「うっ……!」

「続けたい気持ちはわかるけど今は我慢しないと」


 白鳥の言葉に悔しげな顔をする前野先輩だが、言われていることが正しいのは自分でもよくわかるのだろう。白鳥に体重を預けたまま抵抗しようとはしなかった。


 僕は大上先輩とともに駆け寄ると、白鳥と代わって左右から前野先輩に肩を貸す。

 気遣わしげな白鳥と目が合った。

 そんな表情からは、対戦相手のチームに負傷者が出てラッキー的な要素は微塵も見つけられない。


「ありがとう」

「いや、当たり前のことだから」


 礼を言うと、白鳥は爽やかに返してくる。


 それにしても目の前にいる白鳥琉生と、原作で読んだおぼえのある白鳥琉生の、この差はなんなのだろうと思ってしまう。


 真理に「キャー! お兄ちゃん、グッド紳士プレイよ!」とか言われて、エヘヘ顔をしてしまっているのはちょっと格好よくないが、これまでに対戦してきたどのディフェンダーよりもクリーンでファウルの少ない守備をする選手なのも事実だ。


 これがあの残虐リベロに成長するとは、どうにも信じがたい。


 まるで天使と悪魔。光と闇。真逆の人格だ。

 だけど清らかで純粋な心の持ち主ほど、悪に染まるときには見事なまでに汚れが浸透するかのように隅々に行き渡るように変わってしまうものなのかもしれない。


 普段はおとなしいやつに限って、キレると滅茶苦茶にヤバかったりするみたいなのと似ているのかも。……違うか?


「大上、鷹月……負けんなよ……絶対に、負けんなよ……」


 前野先輩は震えた声を絞り出しながら、僕の肩にまわした手でユニフォームをギユッと掴む。


「俺はまだこのチームでサッカーをするんだからな……。ぜってえ……負けんじゃねえぞ……」


 先輩は「勝て」とは言わず「負けるな」と口にした。


 この試合、引き分け以上でうちのチームは全国大会にむけた次のステージへと進める。

 逆に、敗北した場合は本年度の公式戦スケジュールがすべて今日をもって終了することを意味していた。だからこその「負けるな」だ。

 前野先輩は6年生だ。御覧野第二小での最後の試合が、こんなかたちで終わってしまうのは嫌なのだろう。


「ぜってえだからな……」


 相当に痛いはずなのだが先輩はそれを辛そうにすることはなく、涙を流すわけでも悲しむでもなく、ただただ何かに怒っていた。おそらくは自分自身に。


 剛士や矢吹、木津根たちチームメイトが次第に集まってくる。


 先輩はひとりひとりに「いいか、負けんなよ」と声を掛ける。

 それぞれが「はい」とか「後は任せてください」などと応じるなかで、木津根だけが特殊な返事をする。


「フム。確約は困難ですが……現状だと、敗北するよりは敗北しない確率が高いとは予測できます」

「んだよ、それ。いつもの自信はどこいった?」

「僕が健在でいるからには負けるはずはないのですが、僕自身も不慮の事故で負傷する可能性は皆無ではなく除外できないですからね。それを考慮しました」


 肩を貸しているせいで、前野先輩がほんのわずかにフッと鼻で笑うのが聞こえた。


「ああ。まあ、気いつけろよ。……けっこう痛てえから」

「お大事に」


 たぶん、言い回しは独特なんだけど木津根は自分なりに気をつかっているんだとは思う。

 前野先輩もそう感じたのか、表情が少し柔らかくなった。


「頼んだぜ、みんな……」


 僕と大上先輩とでフィールド外に連れ出すよりも早く、監督が医療スタッフがわりにやって来て前野先輩をおんぶをして連れていった。

 入れかわりに、交代選手として西が入ってくる。


 西の出場は予定内だが、いつものパターンだと剛士か矢吹のどちらかと代わるのが定番になっていた。

 これで体力無い二人には最後まで頑張ってもらわないと困ることになる。


「鷹月ぃ!」


 前野先輩を背負った監督が、何かを思い出したように振り向いて僕を呼んだ。


「なんですかー?」

「俺ぁ、こんまま医者に行ってくるから、いない間のこと頼むわあ! 試合が終わるくらいには戻るつもりだから、それまでの交代とか作戦とかは全部、任せるからなー!」

「わ……わかりました!」


 なぜにキャプテンのはずの大上先輩を差し置いて僕に託すのかはよくわからないが、断るわけにもいかず引き受ける。


「負けんなよ!」


 監督の背に乗った前野先輩が遠ざかりながらも叫ぶ。

 患部を診るために脱がされた片足のスパイクとソックスが、監督の左手でぶら下がり揺れている。


「……勝ちますよ!」


 僕は叫び返した。

 最初から僕には選択肢はひとつしかなかったから。


 もう一度、前野先輩が何かを叫んできたが、もうはっきりとは聞き取れなかった。

 だが言葉は届いてこなくとも、気持ちはちゃんと届いたと思う。


 前野先輩が僕たちに望んでいることは、チームメイトの全員が理解しているはずだから。




 西が、前野先輩が抜けたセンターフォワードの位置に入って試合が再開する。


 前線のフォーメーションは矢吹と西のツートップ。

 ゴールに近い中央に陣取る西。矢吹がそのまわりを自由に動いて相手の守備をかきまわす。

 彼らの後ろにいわゆるトップ下、攻撃的な中盤として剛士がいる。


 すぐに、春間が相手ではこの攻撃陣が機能しないのが判明した。


 5年生の西では、6年生で、しかも体の大きくて強いディフェンダーたちに太刀打ちできない。

 ボールをキープしようとして背中で相手を押さえても、簡単に押し返されてそれが敵わなかったのだ。


 西にも来年の今頃にまでなれば、前野先輩のように押し負けないことができるようになるだろうとは思える。

 だがこの365日ぶんの成長は、今現在の僕らには手の届きようのない無いものねだりでしかない。


 今ある戦力でのやりかたに変更をしなくてはならない。


 それを意識し始めたとき、前半が終了した。




「前線のフォーメーションを変えたいと思うんだ」


 監督不在のハーフタイム。

 僕は仲間たちが集まったのを見計らって話を持ちかけた。


「だな。それは、オレも考えてた」


 剛士が同意する。

 矢吹はコクコクと2回頷き、大上先輩がゆっくりとどうやら頷いたらしい動作をした。


「僕も、その必要性を認める。鷹月に考えがあるなら聞かせてもらおうか」


 木津根も賛同してくれるらしい。

 僕の案に問題点があれば、子供らしからぬ頭脳で彼が修正すべきところを指摘してくれるだろう。


「悪い……俺のせいだよな」


 西が、悔しそうに言った。


「俺が先輩みたいにボールをおさめて次につなぐことができれば、今のままでよかったのに……」

「西……」


 前野先輩が負傷退場するまでは、スコアに変動はなくてもうちのチームに流れがきていたのは事実だった。

 それが断ち切られたのも本当のことではある。


 だがそのことで西が責任を感じることはないのだが。


「前野先輩と同じことができなくても西が悪いとはみんな思っていないよ」

「鷹月……」


 こんなときにまっさきに励ましか何かの声を掛けるだろう人が、今はいない。

 それも含めて、監督は僕に託したんだろうとも思う。

 キャラが違うから先輩と同じようなことはできないけれど、僕は僕なりに役割を果たそう。


「僕たちの誰も、剛士のようなドリブルはできないし、大上先輩みたいにボールを奪うこともできない。矢吹がやったみたいに空中を歩くのだって、矢吹にしかできない」


 西に語りかけながら自問する。

 自分にしかできない武器は、僕にあるだろうか?

 それで僕は本当に貢献しているだろうか?


 これから先でも僕はチームにとって代えの効かない選手で居続けられるのだろうか?


「前野先輩のポストプレーは今年のリーグを戦ううちにものすごく磨かれていたから、それをすぐに西が真似できるなら、ある意味じゃ先輩の立場がないよ」

「うん……まあ、そうだけど」

「西には西で、できることがある。それをしてもらうための作戦だ。勝つためには西のちからが要る。やってくれるよね」

「お、おう……そりゃ、俺にできることなら何でもやるぜ……でもさ、俺にも陽狩とか矢吹みたいな武器ってなんかあんのかな……」


 さすがに空中を歩いたりはできねーし、と首を捻る西。

 そこに木津根が口を挟んだ。


「西のサッカー選手としての特徴は、豊富な運動量とそれなりに保つスタミナ、そして基礎的な技術にこれといった弱点が少なくキーパー以外のすべてのポジションをこなせるユーティリティ性だな」


 チームメイトらは、まあだいたい合ってるよな、という反応だ


 西本人は、口にいれた食べ物が美味しくもないが不味くもない、といった感じの渋い顔をする。


「……それってつまりさ、よく働く便利なやつってことじゃねえの?」

「フム。どことなく不必要に自己を貶めた表現にも聞こえるが、的確だな」

「まあ、そんな感じだとは薄々わかってはいたけどよ……で、鷹月は俺に何をさせたいんだ?」


 西が話をまわしてきたことで、全員の注目が僕に集まる。


「右ウイングに、入ってもらいたい」

「うん。右、ね。で、他のやつはどうする?」

「左ウイングに剛士、真ん中に矢吹だ」

「ふうん。3トップか……中は矢吹ひとりなのか?」


 僕は頷きながら、3人の役割を説明し始める。


「点を取らないと先がない春間サッカークラブは、キャプテンの白鳥をリーダーにディフェンスラインを押し上げて来はじめている。これは後半になると、もっと上げてくるんじゃないかと思う」


 剛士と目が合うと「裏を狙うんだな」と話も合わせてくれた。


「そうだ。剛士と、西とで、左右のオフサイドギリギリのところで駆け引きをやってほしい」

「駆け引きねえ」


 わかりやく、難しそうという表情をする西。


「西はただ僕がボールを持った瞬間にラインの裏に向かって走り出せばいいよ。タイミングが合えばパスを出すから」

「なるほど。鷹月が持ったら走るんだな。そんなら難しくない」

「春間のディフェンスをひとり引き付けるだけでも意味はあるから、あとは裏のスペースでボールを持てたら、持ち込んでシュートなりセンタリングなりで得点を狙ってくれればいいよ」


 西は安心した様子で「わかった」と頷く。


「剛士には左サイドでボールをキープして、状況に応じて落ち着かせる役もやってもらいたいんだ」

「春間の攻撃のあとで、カウンターができなかった場合だな」

「うん。攻めの組み立てをやりなおすときも剛士に預けるから」

「おう、任せろ」


 剛士が頼もしく微笑む。

 白鳥さえ避ければ、剛士なら足元の技術でボールを奪われずにキープし続けられるだろう。

 もしも白鳥が剛士からボールを奪うためにサイドに出てきてくれたら────こちらの思う壺だ。


「そして、矢吹」

「うん」

「矢吹は前半から自由に動いてもらってたけど、後半はもっと広範囲に動いてほしい」

「えっと……それは……」

「どちらかというと、中盤にいるくらいでいい。基本的には白鳥を余らせるのが作戦の大事なところだ」


 春間のディフェンダーは総じてレベルが高い。

 なかでも白鳥琉生は特別だ。


 白鳥がゴールの前にいる限りは得点を決めるのはなかなか難しい。

 だがどんなに優れた選手でも体はひとつしかない。

 ひとつの場所にしかいられないのが人間の限界だ。


 仮に人間の限界を越えて、質量のある分身を発生させられる選手が出てきたとしても、それはサッカーとしては反則になると思う。


 つまり白鳥を攻略するには、原作のトライサンダーシュートがいいヒントになる。

 あっちやこっちに振り回されれば、さすがの白鳥も隙ができてしまうに決まっている。

 左右から剛士や西が攻めて、どちらかのサイドに白鳥を引き付けることができれば中央が開くことになるわけだ。


 矢吹の動きに引っ張られてゴールから離れてくれれば、それでもチャンスがつくれるだろう。

 白鳥がポジションをとっているディフェンスラインの中央には、こっちの選手をあえて置かずに、白鳥がいなくなってはじめて飛び込んでいくのが僕の考えた得点ゲットの作戦なのだった。


「フム。つまり矢吹には偽の9番をやらせるわけか」


 この年のうちにサッカーにやたら詳しくなった木津根が呟く。


「1トップに適性を持つ人材を欠いた今では、最適な案かもしれないな」

「まあ、なんかいいんじゃねえの?」

「うん……僕もいいと思うよ」


 反対意見を言い出す者はいない。

 普段ならここで監督が「うぉっし、じゃあ、それでいこうか!」と承認してくれるところなのだが今はいない。


 キャプテンの大上先輩を見ると、コクリと、いつもよりわかりやすく頷いてくれた。


「偽の9番か……つまりさ、3トップっていうよりは、0トップってことだな。いいじゃんか、格好いい作戦で。さすがは孝一だぜ!」


 剛士が持ち上げてくる。

 格好良さを重視したわけじゃなくて、勝てるかどうかが大事なんだけどな。


「うぉっし、いくぜ!」

「「「おう!」」」


 だがムードメーカーを欠いたチームにしては、雰囲気は前向きだ。


 僕自身、必ずこの試合を勝利で終わらせるという決意を新たにする。

 そして、すべてが決まる後半戦が始まろうとしていた。


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