キャプテン矢吹
「ハーッハッハー! この程度で僕の守りを崩そうなんて不可能なこと、無理、無茶、無謀さァ!」
白鳥琉生の高笑いが響く。
矢吹たちは攻めあぐんでいた。
どうしても、最後の白鳥のところで防がれてしまう。
まるでディフェンスラインに目視できない蜘蛛の巣が張り巡らされているようだ。
サッカーボールは獲物で、憐れな蝶のように逃れられない糸に絡めとられ捕獲されてしまうかにも感じられた。
「おい、そこ! 何をしている。僕が指示したポジショニングよりも左に30センチもずれているじゃないか!」
「す、すみません、キャプテン!」
「そっちは体の向きがアウトに開きすぎだ! 15度戻る! 何やってんの!」
「わ、わかりました!」
白鳥琉生の叱責を受けて、彼のチームメイトらは素早く指摘どおりに修正する。
キャプテンである白鳥が統率することで、彼らは自分では思考しない機械のように動き操られていた。
「これが……春間崎高校の守備組織……!」
思わず矢吹の声が震える。
白鳥に対し従順なまでに言いなりに動く春間崎の選手たち。
恐怖という鎖に繋がれた虜囚のようでもあり、心を主に預けてしまった傀儡のようでもあった。
「せめて、森熊キャプテンの負傷がなければ!」
矢吹の仲間の誰かが言った。
森熊は前半の早いうちに左の足首を負傷して退場していた。
屈強な体格をもつセンターフォワードである森熊が健在なら、身体を張って前線でボールをキープし攻撃に多大な貢献をしてくれるのだが。
それを失ったダメージは大きかった。
「あんなの、絶対にレッドカードなのに!」
「よせよ。今さら判定は覆らない」
森熊は怪我をしたというよりは、させられたのだった。
悪どいプレイをすることで噂にも聞いていた白鳥琉生によって。
矢吹たちはサッカーにおいて、あんなに残虐な行為が現実に繰り出されるのを見たことがなかった。
毎晩夢に見てトラウマになりかねないほどの卑劣で人間味のない悪事だった。
悪魔だ。悪魔の所業であると表現してしまって差し支えない。
そしてもっと卑怯なことに、白鳥はチームメイトをブラインドになるように動かすことで、退場確実の森熊襲撃シーンを主審、副審の目から隠し欺いたのである。
審判員らは犯行を見逃してしまった。
結果、白鳥流生はレッドどころかイエローすら提示されず、のうのうとなに食わぬ顔で試合を続けているのだ。
矢吹は、そんなサッカーで勝つためには良心ですら捨ててしまう白鳥流生のありかたに身の毛もよだつほどの戦慄を覚えるのであった。
「こ、これが、あの狂気の哀しきリベロ、白鳥琉生なのか──!」
殺気だろうか。
矢吹は、サッカーでも人生でも、今までには感じたことのないであろう凍てつくような敵からの負の感情におののいていた。
初めて戦地に立った新兵のような気分だった。
硝煙の臭いの立ちこめる瓦礫の大地。常に危険と隣り合わせに生きねばならぬ戦場。
油断していれば次にやられるのは自分かもしれない。
矢吹は今、スポーツではない別の何かを戦っているのかもしれない。
「あいつだけは許せねえ……!」
矢吹のチームメイト、陽狩剛士の顔に普段の爽やかさからは想像しがたい怒りがあった。
その震える肩に手を添える者がいる。
「駄目だ、剛士。憎しみでサッカーをしてはいけない……白鳥琉生の暗黒面に取り込まれてしまうぞ!」
「うっ──そうだった。あぶねえ……いつも笑顔だった刈有高校の里須山ですら憎しみの渦に飲み込んでしまった白鳥の暗黒サッカー……気をつけないとな」
「うん……」
陽狩をなだめたのは鷹月孝一だったが、彼にしても白鳥に対する怒りを完全に抑えきれているわけではなさそうだった。
信頼と尊敬を寄せるキャプテンに怪我を負わせただけではない。
敬意を払い対戦する相手であるべきだった白鳥琉生が、彼らの愛するサッカーを汚し、貶めているのが何よりも許せないのだ。
「森熊キャプテン……」
矢吹は腕に通した腕章に手を添える。
キャプテンマークを森熊から預かったのだ。
それが矢吹にはひどく重たく感じられた。
どうして自分が選ばれたのかと、矢吹は不思議に思う。
1年生で、初心者で、小心者の自分に。
およそチームでもキャプテンには最も不向きなのが矢吹であるはずだった。
「でも……逃げちゃ……駄目ですよね」
矢吹は呟く。
瞳に決意の輝きが宿る。
「きっと……キャプテンは僕にゴールを決めて勝てって、そう思いを込めてこれを渡したんだ……だから!」
腕章の意味を自ら理解し、受け止める矢吹。
本当のところ森熊的には怪我が痛くて意識が朦朧としていたりした関係上、とりあえず近くにいた矢吹に渡しちゃっただけなのだが、そんなことは実際のところ知るよしもないのであった。
とにかく矢吹は恐怖に立ち向かい迷いを消した。
そんな矢吹の意志に共鳴するかのように、御覧ノ坂高校の攻撃がゴール前を強襲する。
「行くぜ! 白鳥!」
陽狩が、中盤から誰かが出してきた気の利いたパスを前線で受けた。
前を向き、ゴールに迫る。
「陽狩か。愚かなやつだ!」
白鳥の全身から沸き上がる紫色をした炎に見えるオーラが、ゴールマウスを覆い隠すように燃え上がる。
ペナルティーエリア手前、真正面で対峙する陽狩と白鳥。
「仲間を──チームメイトを、からくり仕掛けの人形みたいに使うやつに、オレは負けはしない!」
シュート体勢に入る陽狩。
「学ばんやつめ! この距離、この間合いでのシュートは完全に僕の守備範囲だ。99パーセント、シュートはそこからでは入らない! そして残りの1パーセントは────キーパーァ!」
「──はいっ、キャプテン! ループシュートは俺がすべて防ぎます!」
春間崎のゴールキーパーは飛び出さずにゴールライン近くで待ち構えている。
それは白鳥の命じるままの動きだった。
「どうする、どうする! 陽狩剛士!」
「オレのシュートは入らないだろう──それはわかってるぜ!」
そうは言いながらも陽狩は左足を振り抜いた。
ボールはシュート性の威力になるよう力強く蹴られたが、軌道は大きく右に逸れていく。
「奪われるくらいなら、外したか? フン──カウンターがそんなに怖いか御覧ノ坂……んっ? ……な、なんだと!」
白鳥は陽狩の放ったシュートが飛ぶ先を見て驚いた。
サイドバックの田貫が攻め上がっていて、そこまで走り込んでいたからだ。
絶妙に、まるで磁力に吸い寄せられるようにボールと田貫は衝突するポイントに加速する。
「このタイミングを、ずっと狙っていた!」
田貫が、陽狩のシュートに足を伸ばす。
ゴール前、向かって右側の斜め45度の位置からダイレクトで合わせて狙う構えだ。
「チイッ! コソコソと攻め上がるやつめ! だがまだ、僕の守備範囲から外れてはいないぞ!」
信じられないほど俊敏な動きで、白鳥は田貫からのシュートコースをカバーする。
絶対にゴールを割らせないという執念が彼を突き動かしていた。
「ふーん、すごいよね──僕のシュートでは決まらないか……仕方ないな、矢吹君!」
田貫が、陽狩から届いたボールを強烈に右足でインパクトさせて打つ。
完全にシュートの蹴りかただった。
「な、なんだとォ!」
白鳥の顔が驚愕に歪む。
田貫からボールは、ゴールの枠に向かってほぼ真横に、ペナルティーエリア内を横断するように飛翔していく。
白鳥が防ごうと構えた範囲の、わずかではあるが外側を抜けていった。
そこに、矢吹がいた。
白鳥が配置した春間崎高校のディフェンスの網をかい潜り、そこに待っていた。
「これはッ──シュートを……わざと逸らしたなァ!」
「ふふっ……1本や2本のシュートだったなら簡単に止められるかもしれない……だけど、3本のシュートなら止めることは難しいでしょ?」
田貫が不敵に微笑む。
だが白鳥琉生は田貫の言葉よりも矢吹から放たれるだろうシュートに意識を移していた。
陽狩から田貫へ、ボールがまわされたのに合わせて白鳥はゴールを守りきるために動く。
さすがの白鳥もシュートの速度で飛ぶボールよりも速く動くことはできない。
左右に大きく振り切られた結果、ゴールマウスの約半分が、矢吹からのシュートに対して白鳥の守りきれる範囲をはみ出していた。
「キーパーァ! ニアを埋めろッ! ファーサイドは僕が見る!」
「は……はいっ!」
やむなくキーパーに指示を出す白鳥。
だがそれは手後れだった。
白鳥はゴールキーパーに、白鳥の頭を越して飛んでくるループシュートにだけ意識をするよう命令していた。
キーパーもそれを忠実に守っていた。
どんなシュートでも、それで防げる。その驕りが紙一重の隙を生み出したのだ。
「陽狩君、田貫君がつないだシュート……僕が必ず決めて見せる! 行くよ! トライサンダーシュートーーーッ!」
矢吹のシュートが、ゴールキーパーの脇下を襲った。
ついさっきまで上方に集中していたキーパーは反応が遅れる。
「トライサンダーシュートだとォ? 3人でシュートをつなぎディフェンスを揺さぶるジグザグの軌道を描くボールの動きを……稲妻に見立てたというのかァァ!」
絶叫する白鳥。
そしてボールはゴールネットを────
矢吹の決めた得点が、原作での僕らと白鳥のチームとの戦いを決めたんだったか。
僕は『僕タク』での御覧ノ坂高校と春間崎高校の対戦を思い出していた。
あれも激しい戦いだった。
原作での白鳥はとにかく悪そうなやつだったのが印象的だったな。
あと今にして考えると、ものの数秒間のはずのあいだに、とにかくよく話すマンガだった。
白鳥も、技の名前を聞いただけで由来を察して解説できる間があるなら、そのシュートは防げるんじゃないかって気がしないでもない。
それはまあいい。
なぜに僕が原作の試合を思い出したかというと、それはあの試合と同じように僕らのチームのセンターフォワードが足首を負傷してしまったからだった。
「くっ……い……痛え……!」
無理に立ち上がろうとして、あまりの痛さに倒れる前野先輩。
これ以上は試合を続けられないのが明らかだ。
前線でボールをキープできる選手の離脱。
チームにとっては厳しいことになる。
原作と同じことが起きてしまった。
ただ、原作のように負傷をさせられたのではない。
前野先輩は高く上がったボールにヘディングに合わせようとして単独で飛び上がった。
その結果、着地を失敗して怪我をしたのだった。




