雨の日に手をさしのべて
試合終了の笛が吹かれたとき、私は思わず天を仰いだ。
どうしても勝って欲しかった対戦が、惜しくも引き分けに終わってしまったからだ。
終盤で、鷹月孝一が放ったシュートが田貫からの横槍を受けてコースを逸らされ、得点を阻止されしてしまった場面では頭を抱えた。
田貫を危ないところに気づきがちでピンチを救うことが多い設定にしていたのを自分で後悔したくらいだ。
だが今さら前世で決めた設定に文句を言っても仕方がない。
よく考えてみれば原作者としては田貫君に都合よく活躍してもらった記憶がある。
危なくなったピーンチ! と見せかけて、大丈夫、まだ田貫がいたよ的なシーンは何回も使わせてもらった。
ポジションもサイドバックだし自然な感じがあるから便利だった。
いずれにしても、この試合は残念なことになった。
しかしリーグ戦ではもう一試合、同じ組み合わせでの対戦が本年度中に行われるはずだからまだチャンスは残っている。
そのあたりのスケジュールは調べておいてあるのだ。
おかげで焦らなくてすんだ。
鷹月少年も、それはわかっているように見えた。
次には、必ず勝つという手応えをつかんだようだ。
確かに勝ててもおかしくない試合ができていた。
もどかしさはあるが、きっと次回にはやってくれる。私はそう信じることにした。
私は試合を見届けると、急いで仕事場に戻らなければならなかった。
原稿の締め切りが迫っていたのだ。
それから私は、私にも白鳥真理を生き延びさせるために何かできはしないだろうかと思案した。
サッカーマンガのストーリーを変えるには、やはりサッカーが効果的ではないかと思う。
料理マンガが、どんな話の回でも結局は料理で物事を解決するようなものである。
だが私にはサッカーの試合に出場するほどの体力はないし、ましてや鷹月孝一と同じ小学生でもない。
ならば私には何ができるだろうか。
鷹月孝一が持っていなくて、彼には不可能なちからを私が持っているとしたらそれはなんだろうか。
そう考えて思い至った。
それは金だ。
私にはそこそこの、いや、それなりの金がある。
いい年して独身なので、けっこう溜め込んだりしているのだ。
私立探偵を雇って白鳥真理を尾行、監視させ、危険な場面では助けるようにしてもらおう。
締切に追われ、野外での活動力に乏しい漫画家の自分にはとてもできない仕事だから、その道のプロに依頼した方がいい。
白鳥真理という少女を見ているうちに心配になってもいた。
この世界の本来の主人公である矢吹隼が、サッカーを始める運命が早められているのだ。
その影響ですべてのストーリーが前倒しに変化し、白鳥真理の死期が早まる可能性もある。
誰かを今のうちからつけておいた方が安心だ。
そう考えた私は、探偵を雇ったのだった。
探偵の雇用は正解だった。
白鳥真理が川に落ちたり、野犬に追われたり、不審者に誘拐されそうになったりと、とにかく色々あったからだ。
その日も、探偵からの電話のコールが鳴った。
何かあると彼はすぐに報せてくれる。
「はい。私だ、何かあったかね」
私は通話に出ると、相手が探偵ということもあり、ちょっと格好つけて話してみた。
昔から言ってみたかったのだ。「私だ」って。
探偵は気にせず、普通に話を始めた。
『ああ先生、お世話になります。実は、真理ちゃんなんですが、学校からまだ出てこないんですよ』
「んん……それだと、お兄ちゃんの試合に間に合わないね……」
『ええ。別のクラスはもう下校しはじめているんですが、どうやら真理ちゃんのクラスだけ終るのが遅れてるみたいで』
「うん……」
困ったことになったと私は思った。
何しろ真理が遅れようとしているのは、白鳥琉生のチームと鷹月孝一のチームが対戦する試合なのだから。
鷹月孝一は、妹が応援する限り兄は絶対に負けないというジンクスを否定するために戦う気なのに、肝心の妹がその場にいないとあっては、さぞかし困ってしまうことだろう。
こんな日に限って、土曜日だというのにもかかわらず何かの振り替えだか何かで真理の学年だけが学校に登校しているのだ。
しかも、予定のとおりのスケジュールなら、なんとか間に合うはずなのに、真理のクラスに限って遅れてしまっているらしい。
「わかった。とりあえず、私もそちらに向かうよ」
『わかりました。こっちは真理ちゃんが出てくるまでは校門が見えるところで待機しています。動きがあれば、また連絡します』
通話を終えると私は、試合を観戦しに向かっていた足を方向転換し、タクシーを呼び止めてそれに乗り込んだ。
なぜだか不思議なくらい嫌な予感がしてならなかった。
私は、真理の通う校門前につくとタクシーをその場で待ってもらうよう運転手に頼んだ。
周囲を見回すと、探偵の車がすぐに目に入った。
赤のボディーに白屋根のミ◯◯ーパー。
尾行用にしては目立ちすぎなのではないかと問うと、小回りが利くからいいんだと応えたが、ただシ◯ィーハ◯ターに憧れてるだけじゃないのかと指摘すると、照れながらそれを認めた。
私は小走りで探偵の車に駆け寄る。
向こうも依頼者に気がついて、車を降りて出てきた。
スラリとした長身の男。
私立探偵というよりは、男性向けファッション誌のモデルといったほうがしっくりくるほどの美丈夫。
「星野君!」
「先生、早かったですね」
「わりと近くまで出てきていたからね……あの子はまだ?」
「ええ、まだです」
校舎を見上げて時計を確認すると、もうすぐ試合が始まる時刻だった。
「そうか。星野君は車で待っていてくれ」
私は探偵にそう告げると、校門の前に立ち白鳥真理か姿を見せるのを待った。
少しずつ、雨が降り始めていた。
それからあの子が出てくるまでは、そんなに時間はかからなかったのだろう。
だがそのときの私には一秒一秒があまりにも永く感じられた。
学校に踏み込んで、何とかしてあの子を連れ出そうかとも考えた。
「やばい! やばい! やばい! 遅れてるー!」
聞き覚えのある声が、まず前触れとして校門の先、校舎の上履き置き場から聴こえた。
そして、飛び出すようにして白鳥真理が現れた。
ちょくちょく転けそうになりながら。
雨が降りだしているのに傘を用意しようとさえしないで。
「待ちなさい、君!」
「ええっ?」
呼び止めると、真理は哀しそうに困った顔で私を見た。
気持ちはものすごく先に行きたがっているのがわかる。
「急いでいるのは知っている。でも君の足で今から走っても、お兄ちゃんのサッカーの試合にはほとんど間に合わないよ」
「で、でも……って、おじいさん、お兄ちゃんを知ってるの?」
知ってるも何も、そもそもが私の考えたキャラのはずだ。
もちろん、そんなことは口に出して言わないが。
「ああ、今日が大事なサッカーの試合の日だってこと、おじさんはよく知っているよ。お兄ちゃんはサッカーがとても上手だから、おじさんはたまに観戦して楽しませてもらっているんだ。ほんとにお兄ちゃんは上手いよね。控えめに言って最高だね」
真理の大きな瞳がキラキラと輝く。
わかりやすい反応だ。
「おじい……じゃなくて、おじさん、さてはいい人ね!」
「うん。いつもいいサッカーを見せてもらっているお礼に、そこのタクシーに私がお金を払っておくから君は試合に急ぎなさい」
「わあ。やったね! ありがとう、おじさん!」
チョロい。
真理は嬉々として、待っておいてもらったタクシーに乗り込んだ。
私は足りるだろう代金を運転手に渡し、真理を行かせた。
後部座席から手を振る真理に、私は笑顔で手を振り返す。
もう少し知らない人の持ちかける、うまい話には疑ってかかってもらわないと心配な気がするが、今回はすんなりと私の申し出を受けてくれて助かった。
サッカーに関することだけは賢い子なのだが、こういうことではまだまだ子供といったところだろうか。
ともかくも、これで試合開始のタイミングには間に合わなかったものの、前半途中には到着できるはずだ。
そうなればあとは、鷹月孝一に任せよう。
彼に、あの兄妹のジンクスを今日こそは打ち砕いてもらうのだ。
私は探偵の車に同乗させてもらい、後を追うことにした。
真理を乗せたタクシーと、探偵の車が走り抜けたあとの道路で、ある大型車両が単独事故を起こしたと知るのは数日を経過してからのことだった。
幸いなことに、その車両の運転手は軽傷で済んだということだ。
しかし、その事故の時刻と現場を考えると、私は寒気を覚えるのだった。
ちょうど、真理がタクシーに乗らず雨のなかを走り続けていれば巻き込まれていたのかも知れなかったから。
しばらく探偵には仕事を続けてもらおうと思う。
もしかしたら『僕タク』での真理の死亡事故は回避できてしまったのかもしれない。
だが、ことがことだけに楽観視はできない。
事故のことがなくても、真理は心配なのもある。
探偵はいたほうがいいに違いない。
そういえば始めて星野君に会ったとき、探偵事務所で彼が担当すると紹介されたときには、なんだか頼りない感じがする優男が出てきたと感想をもった。
それに目立つくらいの男前なので、尾行に向いているとも思えなかった。
だが働いてもらうと、真理のことを心配して一生懸命にやってくれるので、彼で本当に良かったと考えを改めた。
なんでも彼にも真理と同じくらいの年齢の娘がいるのだとか。
そして私はこれからも鷹月孝一のことを見守ろう。
彼が、私の物語をこれからどのように書き換えていくのかが楽しみだ。
ただ知っているストーリーをたどるだけのことを、私のキャラクターたちが繰り広げているだけであれば、途中で関心を失っていたかもしれない。
しかし、彼らの未来は予測不可能だ。
私にはそれが楽しみでならない。
鷹月孝一に乗り移っている誰かが、私の物語に対してしようとしたこと。
悲劇を回避しようと動いたこと。
それを考えれば、きっと彼は優しい人物だろう。彼女、という可能性も捨てきれないが。
今はそっと見守ろう。
どうも私が作者ですと名乗ったら、彼がどんなリアクションをするのかが面白そうではあるが、私の目を意識しては彼は物語への干渉を躊躇してしまうかもしれなかった。
だから思うがままに、やってもらいたい。
私はそれを、新しい可能性を眺めて楽しませてもらうのだ。
いつかもしも、鷹月孝一と話をする機会ができたなら、こう言いたい。
原作を、変えてくれてありがとうと。
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