何度でも
「はあ……はあ……よくわからないけど、どうやら間に合ったみたいね」
肩で息をしながら、真理は目を細めてスコアボードを睨む。
「1-1かあ」
なにやら悔しそうでいて、納得する気分もありながら、そこはかとなく意外そうで、どことなくホッとしたような、よくわからないニュアンスの表情を浮かべる真理。
それは見間違いようもない真理本人だった。
僕は、疑り深くも本当に彼女が生きていて無事なのかどうかと慎重に見極めるために、両足が透けてやしないかと確かめる。
大丈夫。足はちゃんとついている。
少なくとも古典的なタイプの幽霊ではない。
「心配かけやがって」
嬉しそうに呟く剛士と並んで、僕は真理に歩み寄る。
「なんで試合中断してるのか知らないけど、遅れてただけにちょうど良かったわ。鷹月に陽狩、私が来たからにはもう好きにはさせないか──らっ!」
「おっと」
ぬかるんだ地面に滑って転びそうになる真理の腕を掴み、引き起こす。
そのまま腕を握って、真理の脈を診てみた。
細く白い腕の手首に親指を添わせて指先に神経を注ぐ。
そこに命がある証拠を僕は確認した。
動脈を血が通っていくのがわかる。生きている。
「えっと……鷹月、ありがとう……でも、いつまで握ってるつもり?」
真理が生きている。
僕はこの事実をただ純粋に喜んだ。
「おーい。ちょっと……」
だが、心なしか脈拍が早すぎるのではないかと気づいた。
少しずつ加速している気もする。
もしかしたら真理はあまり体調がよくないのかもしれない。
「大丈夫?」
「な、なによ……だ、大丈夫に決まってるでしょ!」
真理が腕を引くので、僕は離す。
近くで見ると顔が赤いことがわかる。熱があるのだろうか。
「あまり無理は──」
「なんだよー! 全然なんてことないじゃんか!」
「遅れただけかよー!」
僕の言葉をさえぎって、春間の選手たちが真理を囲むように集まってきた。
「真理っ!」
更に琉生が抱きつく。
「ぐへっ……お兄ちゃん……い……痛い……!」
「あーよかったー。真理が無事で……」
「……く……苦し……ギブ……ギブで……」
「うん、うん。あ、ごめんよ……愛が強すぎたね」
琉生は真理を解放すると、そのまわりを一周する。
「ああ、本物の真理だ……どこからみても全方位可愛いなあ。やっぱりいいなあ、生は」
「な……なま?」
真理は琉生がさっき幻の真理とお話しをしていた場面を見ていない。
だからビールとかチョコのように生とか言われて比較されても、なんのことやらさっぱりにちがいない。
「そーいや、雨、完全に止んだんだな」
剛士が手を天に向けてかざしながら言った。
「にしても、白鳥妹、濡れてなさすぎだな。どこかで雨宿りでもしてたのか?」
「ち、ちがうわよ。それは、タクシーに乗ってきたからよ」
「ああ、そうゆうことか」
「おかげで間に合ったわ」
なぜか自慢げに胸を張る真理。
遅れることなく試合開始に立ち会ってくれていたなら、それが最も良かったには違いないけれど、それでもこうして前半が終わらないうちに姿を見せてくれたのは何よりも僕にとって幸いだった。
これで当初から考えていた真理の命をかけた戦いを、なにひとつ失うことなしに、一直線のレールに乗せて進行させることができる。
「みんな心配してたんだぞ」
「えっ、試合が中断してるのって私のせいなの?」
濡れたユニフォーム姿の少年たちに囲まれて、登場を歓迎されている白鳥真理。
対戦する側であるはずの僕のチームメイトたちですら、その憎めない人柄の少女が現れたことを喜んでいるようでもある。
そういえば剛士もそうだけど、うちの試合に度々顔を出していたせいで、このところ随分と打ち解けていたかもしれない。
だけど、原作を知る僕ほどに彼女が今そこにいることを感激している人物はいないだろう。
そう思った。
これでまた白鳥真理の死亡フラグを叩き折るための戦いを挑むことができる。
しかも木津根のおかげで白鳥琉生に真理がいなくても戦えるという経験をさせることができた。ここから真理がいるにもかかわらず、春間が負ける展開にもっていければ、琉生の真理がいないと駄目だっていうジンクスを崩すのにはより効果的になったってことが言えるんじゃないだろうか。
真理が現れるとわかっていたなら、矢吹の得点もその後にしたら逆転の展開が演出できて、もっとよかったろうけど、それはさすがに予想できなかったから仕方ない。
それにしても、真理がいないときには本当にどうしようかと思った。
試合が終わったら、ちゃんと反省しないといけない。
優柔不断な僕、迂闊な僕、無能な僕。卑怯な僕、利己的な僕。全ての僕を召集して全鷹月脳内会議を開催せねば。
聖人になりたいわけじゃないけど、自分を誇れるくらいの自分ではありたい。
でも今は、変わった状況に感謝して、ここからの試合に集中しよう。
考えてみれば、なんて僕に都合のいい展開が戻ってきたことだろうか。
これがもしも僕を主人公にした物語だったとしたなら、読者、あるいは視聴者から、どんなご都合主義だよと罵られたに違いない。
「ちょ、ちょっと、鷹月!」
真理が僕を指差して叫ぶ。
「さっきからキラキラした妙に生暖かい眼差しで私を見るの、もうやめてよね!」
雨は止んだ。
しかし降った量が多いせいで、試合を再開させるサッカーグラウンドにはところどころに水溜まりができていた。
部分的には試合が終わるまで乾かないかもしれない。
「頑張ってー、お兄ちゃん!」
真理の声が響く。
試合開始は矢吹のゴールが決まった後から、春間のキックオフで再始動する。
鳴り響いたホイッスルの音が、やけに鮮明に聴こえた。
不思議なほど空気が澄んで見えた。
いつも以上に、ボールとチームメイト、相手選手たちの挙動が手に取るように感じられる。
瞬間ごとに幾つもの選択肢が浮かび、そのなかでも光輝く最高の手段が、まるで録画した映像を再生するかのように選び出せた。
ひとつひとつの僕の動きが、仲間をつなぎ、御覧野第二チームを優勢に傾けていく。
「剛士!」
「ナイスパス、孝一!」
左サイドを深くえぐるように走り込んだ剛士に、ピンポイントでスルーパスを届けた。
ワントラップで剛士は加速し、ペナルティエリアに侵入していく──
「前野先輩!」
「おっしゃあ!」
前野先輩と縦のパス交換でディフェンスを外し、先輩が裏に抜ける。
カバーリングに入る白鳥よりも早く、先輩はゴールキーパーの動きを見ながらシュートを──
「鷹月くん!」
「いくよ、矢吹!」
右サイドを駆け抜ける矢吹に、高速で放物線を描く強めのパスを送る。
矢吹は高く飛び上がるとバイシクルで合わせてライナー性でレーザービームのようにも思えるセンタリングを上げる。
前野先輩が頭で合わせたシュートが鋭くゴールへ飛ぶ──
次々とチャンスをつくる僕たちに、白鳥らは防戦一方になる。
彼らとしては勝たなくては今年が終わってしまうこの試合で、攻め上がりたいのはやまやまだろうけど、実際には守備のラインがズルズルと下げさせられている状況だ。
それでも、ほんのわずかな紙一重のところで、春間は更なる失点を防いでいる。
「真理がきたのに、きてくれたのに、負けるわけがないだろう!」
琉生の気迫が伝染したように守備は固い。
まるで攻撃をいくらしても、なかなか倒せないロープレのラスボスみたいだ。
それでも今の僕に焦りはなかった。
ただ心臓の奥からうち震えるように沸き上がる歓喜を全身で覚えていた。
シンプルに勝つためだけにサッカーができる。
それが嬉しかった。
迷いなく走り、迷いなくボールを蹴る。
相手選手がファール覚悟で体を当てて倒しにきても、水溜まりに転ばされて泥だらけになっても、僕の喜びはかき消されたりはしない。
自分にできる最高のサッカーをするために、何度倒されても立ち上がり、走り、足を伸ばす。
伸ばした数センチメートルが、あるいは数ミリメートルが、勝敗を分けることすらありえるのだから。
僕はもう迷わない。
すべてに後悔を残さないために、今は全力を勝利のために絞り出すのみだと、そうすれば最後には必ず勝つことができると信じられるから。




