予想外
雨は激しさを増す。
ぬかるんだ地面に足をとられ、いつもどおりには走れない。
視界の悪さが、ときおりボールの現在地すら見失わせた。
そんなコンディションの悪条件が混迷する僕の思考を妨げる。
今は、普通にサッカーをすることですら簡単ではない。
「鷹月!」
春間の守備に囲まれたチームメイトが、ボールを奪われまいと必死になった様子でパスを出してきた。
無理矢理に蹴り出された、やや乱暴で勢いに乗ったパスを僕はマーカーを背中で抑えながら丁寧にトラップする。
トラップと同時に、剛士と矢吹がディフェンスラインの裏を狙って動き出しすのが視界の端に見える。
(孝一──!)
(鷹月くんっ──!)
本物の声は聞こえなくても、呼び掛ける意思が届く。
僕がボールを送り出し易い、最高のタイミングをふたりとも心得ている。
だがふたりとも春間の選手らにしっかり目をつけられている。
剛士たちが走り込むスペースにピンポイントで落ちるボールを送れば、インターセプトされて奪われずに彼らに届けることは可能だ。
しかしそこからのチャンスがどう展開するかを先読みすると、あまり可能性が高そうでもない。
特に剛士はいつもながら飛ばし気味だ。
彼の体力を後半まで残すことを考えると、もう少しでも春間の守備組織を崩したかたちでなければチャレンジをしてほしくない。
いったん、チームでボールをキープして落ち着かせたほうがいいだろう。
僕はトラップからのツータッチ目でのスルーパスを諦めて、足元でキープを選んだ。
マーカーが足を伸ばしてボールを強引に奪おうとするが、これは相手が触れるよりも早く足裏でボールを退くように転がしながらターンして回避する。
「こ……こいつ、地味に上手い!」
ボール奪取に失敗したマーカーは、足を滑らせてバランスを崩す。
「こっちだ!」
前野先輩が、矢吹が走り込んでそれに春間のディフェンスがついていったことによってできたスペースに流れてボールを欲しがった。
「はいっ!」
先輩に向けてパスを出す。
矢吹が、オフサイドぎりぎりの位置で相手ディフェンスと駆け引きをしている。
剛士はいったん下がってから動きなおしをするようだ。
失点はしてもまだ前半だ。
必要以上に攻め急ぐことはない。
僕は前線の三人を援護するために効果的な位置を探して、また走り出す。
心に迷いがあっても、体は自然とチームのために動いていた。
まるで仲間との信頼関係が絆という糸で僕を繋いで、あるべきところに引き寄せてくれているかのように。
試合が進むうちに、考えないようにしていた心配事の種が無視できない大きさにまで育っている。
白鳥真理はこの試合に現れずに、どこでなにをしているのだろうか。
それを思うと不安になる。
存在感のある少女だ。
だから不在は余計に、それを意識させた。
原作のアニメ版で、対春間崎高校編が放送されていたおよそワンクールほどの間、番組の序盤で毎回のように繰り返されていた真理の事故シーンが脳裏に甦る。
何度も見せられたせいで、あの場面は記憶に残っていた。
ピッ◯ロが◯飯を身を呈して守るところとか、シャン◯スが◯フィーのために片腕を失うところとかと同じくらい覚えている。
まさかあれが今にもどこかで、再現されてしまってはいないだろうかと考えてしまう。
絶対にないとは否定できない。
原作での真理は兄を二度と怒らせてはいけないという焦燥感にかられ冷静さを失って交通事故に遭った。
逆に、この試合をずっと楽しみにしていた真理が、早くこの場にたどり着きたいという一心で焦ることで、周りを見失って不注意になることで事故に遭うことだってありえるのではないか。
そんなふうに思えてしまう。
だとしても僕にそれを防ぐことなんてできるだろうか。
試合を投げ出して雨のなかを走っていった先に、たまたま事故で命をなくしそうになっている真理にばったり出くわして、それを助ける。
そんなマンガみたいなことができるわけがない。
そう自己否定する僕自身の言葉に、僕はドキリとする。
みたいなこともなにも、ここは少年マンガの世界じゃないかと。
だとしたら世界の摂理は前世とは違う法則に支配されていて、あるいは都合のいい偶然を引き起こせるように作用させられるのかもしれない。
だとしたら、僕は────
「鷹月、行っていいぞ」
誰かが僕の思考を読んだように声をかけた。
ちょうど矢吹がファールを受けて試合が中断したところだ。
「えっ?」
聞いた記憶の乏しい声だったので、春間の選手かと思ってしまったが振り向いた先にいたのは大上先輩だった。
「キャプテン……」
「鷹月、俺たちを信じろ」
強面の顔にある両目に、優しく暖かい眼差しを宿す大上先輩。
寡黙な人なので声を聞いたのはひさしぶりのことだった。
「気になるんだろう、白鳥の妹が?」
「でも……」
「俺も悪い予感がしていた」
「!」
大上先輩は野性動物かそれ以上に勘が鋭いところがある。
事実、真理のことを心配しているのは筒抜けになったように知られていた。
この人がそう言うなら、真理は本格的にヤバいのではないか。
「これまで、鷹月がいるから俺は思うがままにボールを追うことができた」
先輩は僕の肩に手を置く。
「鷹月のポジショニングはいつも大事なスペースを埋めていてくれた。一番、チームにとって危ないところを守っていてくれた。俺は鷹月を信じている」
「先輩……」
「行くべきだと思ったなら行くんだ、鷹月。たとえそこが試合の外側でも、鷹月が守らないといけないと思ったポジションに行け」
唐突に饒舌に、しかもいい声で語りかける先輩に返答をできないでいるうちにホイッスルが鳴らされ試合が再開した。
「次にプレイが途切れたら、行け! 残りはみんなで何とかする。俺たちを信じろ!」
僕の意思を確認せずに、先輩は走り出していく。
「孝一!」
剛士が、パスをまわしてきた。
ワンツーを欲しがっているとわかったので、すぐにパスをリターンする。
「オレもキャプテンと同じだ!」
「剛士?」
「あのドジのことが心配だ。なんかわからねえけど、孝一が行ったほうがいい気がする。いないのはキツくなるけど、試合はまあオレたちでなんとかするからさ!」
剛士はそう言いながら、雨に濡れた地上でドリブルをするのを避け、リフティングで巧みにフェイントを織り混ぜることで相手ディフェンスを左右に揺さぶるという芸当を披露する。
剛士にまで背中を押されては、行かないといけないだろう。
「対戦相手の妹のくせに心配かけやがって! 悪いけど、孝一に任せたら安心できる。だから頼んだぜ!」
原作の運命を剛士は知らない。
それでもこの試合に彼女がこないことには僕と同じように不安を覚えていたようだ。
ここ最近の言動を知っている者ならば、たしかに今日の欠席はあまりに不自然で不可解ではあるだろう。
意味があるのかはわからない。
僕が真理を探して試合を抜けることに。
だけど原作でも鋭い勘の良さを見せていた大上先輩や剛士が言うのなら無視することはできない。
本当に真理に何かがあってからでは遅いのだから。
難しく考えるよりも、がむしゃらに行動すればいいのかもしれない。
真理の命を救いたいと願うのなら、最初からただ走り出すべきだったのかもしれない。
そんなことを思った。
「鷹月っ!」
パスが、僕を信じてくれているチームメイトからのパスが届いた。
僕は別れを惜しむようにボールをワンタッチ、ツータッチと前に進める。
もっと前方で、矢吹が最高の動き出しをするのが見えた。
届くはずのない呼び掛けを、心のなかで呟く。
真理。少しだけ待っていて。
僕にこのワンプレイだけを、許してほしい──
「矢吹!」
軸足をしっかりと踏みしめて、ボールを蹴り上げた。
雨のなかを、僕がイメージしたままのカーブを描きながら矢吹にむかってボールが翔んでいく。
矢吹は飛来するボールに合わせて得意のジャンプボレーを放つためにステップを踏む。
「させるかよ!」
春間のディフェンスが、矢吹が跳躍のために踏みきるだろう位置を狙ってスライディングで滑り込んでくる。
こうしてタイミングを外させることで、この試合中で何度も矢吹からシュートチャンスを奪われていた。
しかし、相手の対策がわかったからには、今度はこちらが対策の対策をとる番だ。
矢吹はスライディングする選手を避けるように飛び上がった。
ちょっとでも引っかけて倒れ込めば、相手は完全にボールに競っていないのでファールがもらえるのだが矢吹は素直に接触を逃げるように避けてしまう。
春間のディフェンスは水しぶきを上げながら滑り、その上を矢吹が越えていく。
僕は、矢吹へのボールが途中から変化し、前に流れてゆっくりと落下するように蹴っていた。
だから目測よりももっと前でボールは落ちる。
矢吹が再びダイレクトでボールに合わせられる跳躍をやりなおせるように。
「なにっ──ボールが流れるだと?」
スライディングをした選手が叫ぶ。
「おおっ! いいぞ、矢吹。もっかい跳べー!」
前野先輩がボールを見上げながら声をかける。
「いつもながら面白いことするけど、そうはさせないよ!」
攻撃的な選手のはずの田貫が、最後尾まで下がってきていた。
矢吹の着地点を狙って滑り込む。
田貫は例の洞察力で危険を察知したのだろう。
春間にとって失点は天国と地獄をわける境目を越える一線にあたる。
得点よりも、守りを重視するのは当然か。
残念だが、僕の目論見は外れた。
あのままだと矢吹は田貫を避けるためにバランスを崩してしまい、もう一度ジャンプすることはできない。
「あ──れ?」
田貫が情けない声を出した。
「落ちてこない!」
信じられないといった田貫の気持ちが込められた言葉とともに、その場にいた皆が信じがたいものを目撃した。
「空中を──」
「歩いた!」
矢吹は一度目のスライディングを逃れて飛び上がったまま前進し、空中でペダルを漕いでいるかのように足を回転させていた。
走り幅跳びをするアスリートが、あんな動きをすることがあるが、矢吹がするとまるで足に羽が生えたかにも見えた。
驚いたことにそのままシュート体勢に入る。
「たあーーーーっ!」
アクロバティックなダイレクトボレーを、完璧で最高な精度でもって矢吹は放つ。
サッカーの歴史に残しておきたいくらいの伝説級のシュートはキーパーのグローブの先をかすめて、必然であったかのようにゴールマウスに吸い込まれた。
真理を探しに、無事を確かめにいかなければ。
だがその前に僕は確かめておくことにした。
お店で探しているものがどこにあるのか、人に訊くことができないシャイボーイじゃないのだから。
僕は白鳥琉生の前に立つ。
「何か?」
「今日は、妹は? もしかして風邪か何か?」
白鳥の顔が曇る。
「ちがう。くるはずなんだが……」
「予定では、ここにいるはずだった?」
「そうなんだ。うん、やはり、言われてみると心配だな。……前みたいに、川で流されたり、のら犬に追われたり、変なやつに誘拐されそうになったりしてなきゃいいんだけど」
たぶん誇張なしで以前にそんなことがあったらしい兄の言葉に、僕の不安は最高潮に達する。
もはや外出をしないようにするか、ボディボードかなにかに着いてもらうようにしないと白鳥真理はまともに成人まで生きられないのではないかという気もしないではない。
剛士が、白鳥との会話に割り込んできた。
「あー。なんか、オレも行ったほうがいい気がしてきた」
「剛士……」
「いや、わかってる、孝一。試合のほうをオレが頑張っとかないと、行くにいけないよな」
剛士と僕の会話を聞いて、白鳥が怪訝な顔をする。
「もしかして、君は真理を探しにいくつもりなのか?」
僕は頷く。
こうしている間にも何がどうなってしまっているか知れたものではない。
試合は剛士たちに託して、僕は行こう。
「待て──待ってくれ。ならば僕も行こう、ふたりのほうがいいだろう。何より、妹のことだからな。それに……」
白鳥は近くにいた田貫を見ながら話を続ける。
「そちらのキーマンが抜けるのであれば、こっちも戦力を削らないとフェアじゃない」
「うん。まあ、11番が抜けるなら、白鳥キャプテンが外れても、まあバランスがとれるのでは?」
田貫が、白鳥のもとめに応じたように意見を口にした。
周辺にいる誰もが、それを否定しない。
白鳥琉生と僕が戦力的に釣り合いがとれるとは思わないが。
春間ではなぜか僕の評価が実力より高めに設定されているようだ。
「そっちはそれでいいか?」
白鳥に訊かれて、僕は同意した。
いいも悪いも、もともとひとりでも行くつもりだった。
「じゃあ、行こ──」
「ちょっといいかな?」
同時に走り出そうとした僕らを制止したのは、審判のお兄さんだった。
「急いでいるところを悪い。でも、話はだいたいわかった。だったら何も君らが試合を抜けることはない。僕の権限でいったん中断しようじゃないか。雨も降っていることだし──でも、もう止みそうか」
「い、いいんですか!」
「ああ。この一年、審判をやってて、誰が誰を心配しているのかもわかってる。僕も、探すのを手伝うよ」
「ありがとうございます!」
白鳥が、神か仏を見るまなざしでお兄さんに感謝した。
「そうと決まれば、みんなで探しに行こうぜ!」
「うん!」
剛士と僕は頷きあう。
「じゃあ俺は思い当たるところに電話をしてみる!」
「僕はあっちを」
「そんじゃ俺はこっちかな」
両チームの面々が手分けをして動き始めた。
思わぬ展開になった。
運命の悪戯が持ち上げておいて、どん底に落とす系の作用を起こしていないことを祈ろう。
「ねえ、みんなして何を探すの──?」
剛士と並び、ふたりして走り出し白線を越えること三歩目。
とぼけた声で訊く女の子がいた。
白鳥真理だった。




