覚醒しはじめる主人公
夏休みが終わり、二学期を迎える。
森川さんのいない教室は色褪せて見えた。
アイドルグループで絶大な人気を集めたセンターが卒業してしまった後のライブを眺めているような、そんな喪失感を覚えさせる。
しかし、僕にはサッカーがある。
恋をして、これから先、あの人に恥じない自分でありたいと願うからには、今はただ目の前にあるサッカーの試合のひとつひとつに全力で取り組むことだろう。
そして、その先には負けられない、勝たなくてはならない試合が控えている。
地域リーグは僕ら御覧野第二小サッカークラブが首位を堅持したまま佳境に突入していくのだった。
チームは順調に強くなっている。
木津根がディフェンスリーダーとして後ろを統率するようになって、それまで攻めは金棒、守りはザルと、サッカー好きの地元のおっさんに評されたこともあった守備は、見違えるくらい良くなった。
二、三点は取られてもしかたないよね、毎試合、陽狩か矢吹のどっちかがだいだいはハットトリックを達成するから──というノリだったのが、今はほとんど無失点。取られても、一失点だ。
そんな木津根の守備だが、さすがに何もかもが完璧とはいかない。
むしろ彼の言動には一定の注意を払い続けておかなければチームとして問題が起きることが判明した。
木津根は試合中に誓うことがある。
「この試合、無失点に抑えてみせる!」とかなんとか、そんな感じで。
どうも、それが良くない。
気合い入ってるなー。とか思っていたんだけど彼が守備についてそんなふうに誓うたびに、そのすぐ後で偶発的で事故のような、どうにもならない点の奪われかたをすることがたて続いた。
最初はみんな、何かの偶然だろうと甘く見ていた。
だが似たようなことが、四度、五度と続くと話は別だ。
「そんなわけねーし」と馬鹿にしていた前野先輩ですらも、ありえない超絶妙技での自責点を、味方のゴールにド派手に決めてしまうハメになってからは「ありゃ、なんかの呪いだぞ」と怯えつつ信じるようになった。
それにしても、あれはすごいシュートだった。
相手ゴールにさえ決めていれば最高だったのだけど。
木津根には、試合中に守備のことを口に出して誓わせてはいけない。
これは、チーム内で暗黙の了解となった。
当人だけは「そこに因果関係が生まれるいわれはないな!」と関与を否定して断固として認めはしないが。
彼が何かその手のことを口走ろうものなら、言い切る前に誰かが別の話を被せる。これで呪いの失点フラグは回避できた。
「ふん。なかなか、いいセンタリングがくるじゃないか。だが、この試合、僕がいる限り一点とて与えはしな──」
「あああーーあ! 木津根! よく見たらいいスパイク履いてるなあ! どこで買ったんだそれー?」
「……駅前のスポーツ用品店だが」
「へーっ! そっかー。ア◯ィダスか~。俺も、◯ズノからア◯ィダスに変えようかな~」
とまあ、そんな感じで誰かが阻止する。
スパイクシューズといえば、チームメイトのほとんどが、◯ズノか◯シックスの国産メーカーを主に使用している。
他で目立つのは、大上先輩が◯ーマで、前野先輩が◯イキ、剛士と僕は昔から好んで◯ンブロを愛用しているあたりか。
僕のスパイクはカラーリングが、原色に近い鮮やかなグリーンから明るいブルーにグラデーションがかかっているっていう、なかなかに際立って派手なデザインだ。
なんだけど、これを実際に身につけた途端にどこにでもいそうなサッカー少年の一部と溶け込み、風景にすっかり馴染んでしまうという安定の地味化現象が起きている。
これは剛士の真紅のスパイクを僕が借りたとしても同じことになるのだろうと思う。
木津根のことでは、もうひとつ個人的に残念なことがある。
デビュー戦が強敵であったせいもあり、視力を抑えるスポーツグラスをわざわざ用意していた木津根に、試合に出る前にそれを外すことを勧めたのは実は僕なのだった。
そのときはまあよかったのだが、結果として木津根は試合ではスポーツグラスを使わない慣習に自然となってしまった。
これでは原作の木津根と明らかに変わってしまったことになる。
原作では試合ごとに敵フォワードが強かったりすると、その時点で木津根がやっとスポーツグラスを外すのがお決まりの展開なんだった。
「よかろう。ここからは本気で相手をしてやる……!」
そう言って、グラスを投げ捨て(どこに消えるのかは謎)、眼光を光らせる木津根。
あのシーンが再現されるところが生で見たかったのに。
これはアニメでいうところの、何回見ても飽きない変身シーンや、ロボの発進からの合体シーンが省略されてしまったようなものだ。
これには忸怩たる思いだ。なんとかならないものだろうか。
チームが強化されたのは後方ばかりではない。
前線の選手にも、このところ目立って飛躍している人物がいる。
我らが主人公であるところの、矢吹隼少年だ。
夏から秋にかけて、矢吹はシュート技術を格段に伸ばしている。
とにかく間合いに入ってきたボールを、なんでもかんでもダイレクトボレーで撃つようになった。
矢吹の脚が届くところまでボールが入った瞬間、トラップなしで強引にシュートに持っていく。
それでいてまたシュート精度が高い。
普通は無理な、中途半端な高さで接近したボールでも、飛び上がりながら体を横倒しにしたり、バイシクル気味になったりしてシュートするので、矢吹が試合でジャンプシュートを披露すると「でた、エア・ジュンだ!」と盛り上がるようになってきた。
どうやら白鳥たちとの試合が、矢吹にとってはいい刺激になったみたいだ。
自分なりに点取り屋として目指すところを思い描いたのだろう。
実際、相手の守備にとっては少しも隙を与えられない、やっかいなフォワードに成長していっている。
結果、これまで矢吹のゴールのほとんどを僕がアシストしていたのが変わりはじめた。
最近では剛士の受け手に優しいパス技術が進歩していることもあり、矢吹のゴールを剛士が演出する場面が多い。
僕が起点になるパスを中盤の底から送り出しておくだけで、残りの仕上げは剛士と矢吹のふたりで何とかしてしまう感じになってきている。
そして更に、矢吹は────
「西ぃ、もうちょい右に立ってくれ!」
剛士は、ボールをセットすると、味方の立ち位置を修正する。
地域リーグでの公式戦。相手ゴール近くでのフリーキックのチャンスだ。
前半も終わり近くまでがスコアレスで経過したのは、相手が攻めを捨ててがっちりと守りを固める作戦に出てきたからだった。
リーグの一巡目では快勝をさせてもらった相手だ。
今回は点を奪われないことを目標にしてきているみたいだった。
それでも前半の終了間際、頑張っていた守備にも疲れがでたのだろう。
剛士の足を引っ掛けて倒してしまいファール。
こちらが直接フリーキックをもらった。
僕らにとっては絶好の得点機会になる。
ボールに向かって右側に立つ剛士と、左側に立つ僕。
剛士が左足で蹴るか、僕が右足で蹴るかで、ゴールに向かうボールの軌道はまったく別の曲線を描くことになるわけだ。
「どっちだ。右か、左か……」
相手チームの選手らが横並びに、体でシュートコースを阻む壁を築いているなかから声がする。
「ここはやはり陽狩剛士が蹴るんじゃないか?」
「うん。そんな気がする……しかし、そう見せかけて陽狩じゃないほうが蹴るっていう罠かもしれない」
「ああ。陽狩じゃないほうにも気をつけないとな」
「でも、やっぱ、普通は陽狩だよ、絶対」
剛士が、フリーキック前のルーチンの動作でボールを置いたところから三歩半、後ろに下がる。
先に、陽狩剛士じゃないほう──の僕が、セットされたボールにキックする動作で近づく。
そのままフェイントでまたいで抜けると、壁を構成する相手チームの選手がひとりだけつられて飛び上がってくれた。
「ほら、やっぱ、あっちは囮だ!」
「くるぞ! 陽狩のシュートだ!」
次いで、剛士がボールを蹴るアクションに入る。
だが彼もまた本当に蹴ることはなく、ボールの上を過ぎ去っていく。
ちょうど剛士と僕とで、ボールをクロスするように駆け抜けたかたちになる。
「な、なにっ?」
「蹴らないのかよ!」
残されたボールにむけて、僕らよりずっと後ろから走ってくるひとりのチームメイトがいる。
矢吹だ。
「たーーーっ!」
長い助走でスピードに乗った矢吹が、その勢いをボールを蹴る一点に集中させるようにしてシュートを放つ。
連続のフェイントに形を崩された相手選手たちの壁の隙間を突き抜けるようにシュートは飛び、キーパーの反応を許さない強烈な速度でゴールネットにボールは吸い込まれた。
「よしっ!」
得点を決め、蹴った後の軸足を浮き上がらせながら、矢吹は声を上げる。
シュートの破壊力とはうらはらに、その声はまだ幼げで可愛らしい。
矢吹のか細く小さな体から、どうしたらそんなパワーが生み出せるのかと目を疑うほどの一撃だ。
相手チームは全員が、その場で固まってしまっている。
原作では、終盤にかけて次第にインフレ気味になっていくスーパーシュート合戦を最後まで争っていた矢吹だ。
小学生にして、このくらいの威力を出せるのは当たり前とも言えるのだが、それを知っている僕でも信じがたい光景ではある。
「あいつが味方でよかったな~」
しみじみと呟く前野先輩。
立ち尽くす相手チームの連中のあいだを抜けるように、ゴールからボールを回収していく。
矢吹はまた、今日もツインテールが見事な佐倉さんのもとに走って、ゴールを捧げて喜ばれている。
見た目とのギャップが激しいことも効果的に、敵を震え上がらせるほどのシュートを矢吹は撃てるようになった。
さすがはマンガの主人公といったところか。
まだまだ成長していくのだろうと思うと末恐ろしくもある。
「なんだよ、あのシュート」
やっと少し立ちなおった相手チームの面々が、今見たことが夢ではないことを確かめあうように話し始めた。
「もの凄い速さだったぞ……」
「あ、あんなの……やべーって、怪我するって」
「陽狩だけじゃないんだな……すげーのがいるなー」
矢吹のシュートは、やはりかなり衝撃的だったみたいだ。
悔しい気持ちよりもむしろ、同じサッカーをする身としては尊敬に近い感情を敵にすら抱かせたらしい。
これからの戦いでもチームの武器として計算できる、ある意味では必殺技に等しいシュートだ。
セットプレーの選択肢がまた増えたとも言える。
矢吹はストライカーとして、サッカー選手として、更なる次元に向かって覚醒を始めている。
だが今はまだ、シュートはゴールネットを貫き破いてはいない。




