君に会いに
皆川さんから、森川さんの現住所を教えてもらった。
もう一度、連絡をしてアポもとっておいてくれるというので、今からもう向かうだけだ。
外出するからといって、着替える必要も感じない。
このまま行っても、特には恥ずかしくない格好をしていた。
僕の最近の服装全般は、義母の明美さんが選んだものばかりだ。
爽やかで小綺麗な感じのするもので占められていて、鏡のむこうに立つ自分の姿に何やら見覚えがある気がする雰囲気だと思っていたら、どうも少女マンガの男性キャラの着ている服の感じに似ているってことに気づいた。
自分で選んでいたら、こういうセレクトにはならない。
もっとグレートーンというか、明度と彩度が落ちて地味キャラに相応しいたたずまいになっていることだろう。
このあいだ、前野先輩から「王子かよ!」ってつっこまれてしまった。
まあ、そんな感じなのかもしれない。
だから僕は、いわば着の身着ままで我が家を出ることにした。
「孝一くん」
「うん?」
せわしなく玄関で靴を履く僕に、架純ちゃんが声をかけてきた。
「……行くんだね」
「うん」
「そう……外は暑いから、気をつけてね」
「ん……うん」
なぜか「うん」以外に返す言葉が見つからない。
試合で外出するときにも、絶対的インドア派の架純ちゃんから「がんばってね」とか「気をつけてね」の声をかけてもらうことは多いのだが、今日だけはいつもと雰囲気が違う。
「いってらっしゃい」
「うん」
なんとなく行きづらいが、森川さんに会いたいという気持ちはもう止められはしない。
今はとにかく、引っ越しをしてしまう森川さんのことで頭が一杯になっているのだから。
そこに早優奈ちゃんが、階段の上からバタバタと降りてきた。
「おっ! こーちゃん、外いくのー? だったらセブン・トゥエルブで売ってる新作スイーツを買ってきてよー。えっとねー、フローズン・フルーツソーダっていうのの──」
「ダメよ、早優奈」
「──もも味を……って、お姉ちゃん、な、なぜにシリアスモード?」
フローズン・フルーツソーダというと、炭酸入りフルーツゼリーと果肉入りジェラートとが容器のなかで絶妙なバランスで折り重ねられた新食感が売りの今夏新作スイーツだ。
たしかにあれはいいものだ。
だが、今の僕は頭のなかが森川さんのことで一杯だ。
甘いもののことだからといって、別腹があるかのように、別脳で思考するというわけにはいかない。
だから絶品スイーツのことは、そのイメージを右から左に軽く受け流しておく。
「コンビニだったら、私が後で私が行ってあげるから。もも味がないときは、ぶどう味でいい?」
架純ちゃんが、助け船を出してくれた。
「えー。もも味じゃなきゃ、やだー……って、お姉ちゃんが行くの? 学校以外で外に!」
「そんなに驚くようなことじゃないでしょ。日が沈んだ後でね」
「それじゃ、おーそーいー」
妹の早優奈ちゃんが少し日焼けをしているのに比べて、架純ちゃんは夏だというのにもかかわらずな色白美白少女だ。
ほとんど太陽の光を怖れているくらいの印象がある。
いつもならここで架純ちゃんに吸血鬼属性疑惑の嫌疑をかけてみたりする辺りから色々と妄想を繰り広げて、長い物語をシーズン3くらいまで頭のなかで展開してしまうところだが、今は違う。
頭のなかは、森川さんのことで一杯なのだから。
そうだ。あの人に早く会いに行こう。
「ごめんね。じゃあ、行ってきます!」
僕は、玄関を開け放つと、家から飛び出すように駆け出した。
真夏の太陽の下を走った。
すぐに汗が吹き出すが、走ることに慣れた身体が心強い。
森川さんに会うためなら、フルマラソンくらい走りきれると思った。
実際はそんな距離はないけれど。
僕は、先走る気持ちのうしろを追いかけるようにして、ただ走り続けた。
教えられた住所にたどり着くと、僕は自分が迷ったり怖じ気づいたりするのより前に、とにかくインターホンを押した。
こういうときは躊躇してしまうと不味いことになる。
一度、ためらうと意を決して押すまでに右往左往したりして、心を整える時間がかかってしまう。
だったら勢いでやってしまうのが早い。
伊達に二度目の人生をやっていない。
自分の行動パターンくらいお見通しなのだ。
少し待つと森川さんのお母さんが出てきてくれて、娘の由希は外出中のために不在だと教えてくれた。
「お友達から連絡があってね、それから鷹月君っていう男の子に会いに行くって、ついさっき飛び出していったんだけど……入れ違いになったみたいねえ」
僕は顔には出さず心のなかで「皆川さーん!」と叫ぶ。
ここですれ違わされるとか、昔のドラマとか、昔のRPGの二人目の王子とかじゃないんだから。
森川家で待っていたらどうかとすすめられたけど、僕は丁寧に断って彼女のあとを追ってみることにした。
例え走っていたのだとしても追いつけるだろう。
森川さんの足の速さは、クラスで後ろから二番目だ。
それに入れ違ったとしたら、選んだ別の道の候補はかなり限られている。
どこかで出会える可能性が高いだろうし、出会えなくとも鷹月家に先回りすることになるだけではある。
森川さんがこの炎天下を往復して帰還してくるまでのあいだ、僕だけがのんびり彼女の家で待っているなんてこともしたくない。
どんな顔で、帰って来たところをお迎えしたらいいのだろうか。
「すいません。僕、追いかけてみます」
「わかったわ。あなたが鷹月君なのねえ。なるほどねえ」
何がなるほどなのかは解りかねたが、森川さんのお母さんは何かを勝手に納得しているようだった。
授業参観などで見た機会があったのかもしれないが、森川さんのお母さんだと意識して会ったのは、これが初めてだった。
優しそうで柔らかい雰囲気の人だった。
成績優秀で真面目な委員長キャラの娘を育成した母親なのだから、躾とかに厳しいタイプの人なのかもしれないと、ロッ◯ンマイアーさんみたいな人物像を想像していたのだが違った。
ひそかに期待していた「~ざます」も不使用だ。
髪型も普通だった。
来たのとは別の道を選びながら、僕は引き返した。
どこまでも走る覚悟があったが、思ったよりも早く、僕は視界に走る森川さんの背中を捉えた。
無駄の多いフォームで一心不乱に走るあの後ろ姿は、小さく見えてもすぐに彼女だと確信できた。
しかし、おかしなことに森川さんはまったく別方向にむかう登り坂を駆け上がっていた。
そっちに行くと、鷹月家は遠ざかるばかりなのだが。
とにかく後を追って斜面を走りながら、やっと思い出す。
森川さんは方向音痴なのだった。
色々と危ないところだった。
奇跡的にも、偶然見つけることができてよかった。
青空を背景に近づく背中に、僕は叫ぶ。
「森川さん!」
ピタリと、立ち止まった彼女が振り向く。
驚いた顔がまたとても可愛らしく見えた。
「た、鷹月君……?」
日光と、吹き上げる風に後押しされるように登り詰めていく。
やがて僕の影が彼女の足元に掛かるまで接近し、ふたりの影が重なった。
彼女が、息切れしながらも呼吸する音が耳に届き、僕自身の吸っては吐く息のリズムと同調する。
森川さんも僕も、とても汗をかいていた。
坂を上がりきったところにあった自販機で、スポーツドリンクを一本だけ買うと、僕らはそれをふたりで分けあった。
冷たい液体が心地よく喉を潤した。
熱中症には気をつけないといけない。
汗をかいて失った水分とミネラルを補給しておくことは重要だ。
「……暑いね」
「うん、暑いね」
「……」
「……とりあえず、坂を下りてあっちの流琵子川まで行こうか。そこで話をしよう?」
僕の提案に、森川さんは頷いて同意した。
直射日光を激しく浴びる坂を下って、僕らは涼しい風の吹く川岸にロケーションを移す。
移動中、無言だったが、川の流れを眺めならも、僕らはしばらく無言だった。
でも不思議と、何かを急いで話さないといけないという焦りはなかった。
となりに森川さんがいるっていうだけで、なぜか言葉を交わさなくても満足してしまう自分がいる。
走った疲労なんて、すぐに癒された気がした。
そっと顔を見ると、柔らかく微笑みを返してくれた。
だから同じような気持ちを共有できているのだとわかった。
おだやかな時の流れにいた。
このまま時間が止まってしまえばいいと、本気で考えた。
話をしないといけないことは理解している。
引っ越しのこと。
学校からいなくなるってことを。
だけど、それは今までの僕らに終わりを告げる合図に他ならない。
だからふたりで黙ることで、いつのまにかできていた安心感や信頼なんかの関係の余韻に浸っていたんだろう。
そして、続くとばかり思っていた二学期からの、変わらないはずだった関係に思いを馳せた。
そこに彼女がいないことなんて、今になっても実感がわかない。
妄想力を鍛えているはずの僕なのに、思い描くことができないんだ。
先に、勇気を出して未来に踏み出したのは彼女のほうだった。
「私ね、お引っ越しを、することになったの」
「……うん。聞いたよ」
少し苦笑を浮かべる森川さん。
皆川さんのことを考えたのだとわかる。
苦笑なんだけど、とても暖かい感じの表情だ。
「お手紙を書こうと思っていたんだけど……やっぱり、ちゃんと会ってお話をしなくちゃって……迷惑かもしれないけど、聞いてほしいの」
「そんな、迷惑なんてことが、あるはずないよ」
「……ありがとう。私ね、クラスのみんなから委員長って、呼ばれてるでしょう?」
それは全く異論をはさむ余地のない事実だ。
「うん……そうだね」
彼女は語った。
この夏に引っ越しをした後でも、クラスメイトたちは森川さんのことを委員長として、真面目な責任感の強いひとりの女子がクラスにいたっていう風に思い出すことになるのだろうと。
そんなことを、森川さんらしい控えめで他者を気づかった表現を使いながら語った。
まず間違いのない予測だろう。
「それはね、いいの。でもね……鷹月君にだけは、違う覚え方をしていてもらいたいって……そう思ったの」
「違う、覚え方?」
彼女は揺るぎない視線を真正面から注ぐ。
その瞳に映る僕自身を、僕はたしかに見た。
「私ね、鷹月君のことが好きです。だから、あなたにだけは私のことを委員長としてじゃなくて、あなたのことが好きなひとりの女の子がいたって、そう覚えていてほしかったの」
それは、僕が前世から通して二度目の人生ではじめて、女の子から告白されるという経験をした瞬間だった。




