ある夏の報せ
「はははっ! 悪ぃ、悪ぃ」
反省している気配は皆無で謝罪する皆川さん。
「もう、なにするのよ……」
抗議する森川さんも本気で咎めようという感じではない。
森川さんが怒らないのであれば、僕にも強く皆川さんを責めようとする気持ちはなかった。
もつれ合って倒れこんだ僕ら三人は、色んなことになりながらもどうにかこうにか立ち上がったのだった。
まあとにもかくにも、誰にも怪我がなくて良かった。
女の子とぶつかって倒れこむ系展開となると、一般的にはムフフでエヘヘなラッキースケベ的イベントになりそうなものでもあるけど、残念ながらまだ我らは皆小学生。五年は早かった感じだ。
五年後に同じようなことがあったら、その時には「ちょっと、どこ触ってるのよ!」からの「待ってくれ、今のは不可抗力だ!」みたいなことを言うようになるのだろう。
不可抗力。
とっさのときにもすぐ言えるように、この言葉を忘れないようにしておかなければ。
分離して一息ついたところで、白鳥真理は「よくもやったわね、鷹月~!」と叫びながら、顔を真っ赤にして走り去っていった。
恨むなら相手は皆川さんだと思うけど。
走りながらまた真理は、そのへんで転けたりぶつかったりを繰り返しながら派手な退場をしていった。
なので、僕としては二人に真理に抱きつかれていた理由を説明しやすくなって助かった。
たぶん日頃の行いが良かったせいもあるだろう、森川さんは僕の話を信じてくれたようだ。
だが森川さんがずっと顔を赤くしたまま、口許を手で抑えているのはなぜだろうか。
白鳥真理も、必要以上に顔が赤かったりなんかしちゃっていたような気もするし。
皆川さんが妙にニヤニヤしているのも気になる。
けど、まあいいか。
「悪かったなー、鷹月、お疲れだろうまあ座れよ」
皆川さんが僕の肩をつかんで強引に近くにあったベンチに着席させる。
「さあ、さ、お嬢さんもこちらにどうぞ」
続いて森川さんを僕のとなりに無理矢理に座らせる皆川さん。
森川さんは「もう……」とは言いながらも、さしたる抵抗もせずにベンチにおさまった。
こうして学校や課外授業なんか以外で、森川さんに会うというのも新鮮だ。
服装も、普段とはどことなく違ってやや可愛らしい印象がある。
「おーいいねえ」
皆川さんは僕らを眺めながら満足げに首を何度も縦に振る。
そこに僕が待っていた人物が現れた。
「おーなんだ、皆川だけじゃなくて委員長も来てたのか、めずらしーな!」
ファンサービスを終えた剛士だ。
断り切れなかったプレゼントを紙袋に下げて持っている。
本格的な夏を迎えるこの時期、メッセージ入りのタオルなんかの贈り物が多い頃だ。
ただ外で使用するには実用に耐えるデザインが滅多にないのが特徴でもある。
陽狩家の洗面所にはよく巨大なハートマークに『TSUYOSHI LOVE』みたいな文字の入ったタオルが掛けられている。
「陽狩、あんたも大変だな……」
「そうか?」
「……あー。まあ、いつもそうならそれが普通にもなるか」
剛士と皆川さんがそんなやりとりをしているうちに、森川さんはすっと立ち上がって僕の左側から右側に座る位置を変えた。
剛士は彼女があけた左側に当たり前のように座る。
僕はいつもながら森川さんの気づかいに感心した。
剛士が左で僕が右に座るのは親友どうしでの自然な決まりごとみたいになっている。
鷹月孝一としては、いつのまにだか決まっていたことというだけではあるけど、前世の僕が考察をするに左利きの剛士と右利きの僕とでものを食べたり、書き物をしたりするときに肘とか腕とかが干渉するのを避けるために今のかたちに落ち着いたのだろうと推察している。
すごいのは森川さんがそれを心得ていることだ。
なかなかできることではない。
「そういえば、木津根君は?」
「ああ、言われてみればそんなやつもいたなあ」
「木津根だったら、あっちに帰ろうとしてたぞ」
剛士が指し示す先に、木津根がいた。
向こう側の出口にむけて進んでいる。
ちょうど解散したばかりの春間サッカークラブの面々の横を堂々と闊歩しながら僕らから離れていく。
「あいつ……でも、意外にまともにサッカーやってたな」
「木津根君は昔からなんでも器用にこなす子だったわ」
「だなー。そこがまた腹立つんだよな。アタシらがせっかく誉めてやっても「ふん。僕にしてみれば当然のことだ」とか言い出すに決まってんだ。もう、ほっとこう」
ふたりの幼馴染になんと言われているかも知らず木津根はすべてのことに無関心なように歩いていく。
試合後に再装着したメガネが、心を見せることを拒む仮面のようでもある。
やがて田貫とすれ違う。
試合中、拮抗した能力をぶつけ合って激しい戦いを繰り広げた二名だ。
お互いに視線を交わらせることすらなかったが、僕には木津根と田貫がすれ違うその瞬間に、世界が劇画調に変わって静止したかのように見えた。
派手な効果音も鳴ったように思えた。
「そういや、今日のポジションチェンジだけどさ」
「うん?」
「オレと孝一でもっと入れ替わるのもありだなって思った」
剛士が、試合の話を振ってくるので僕は応じる。
「そうだね、剛士へのマークが激しいときも有効かもしれない」
「鷹月もボールキープしたりラストパスは出せるんだから、いいんじゃんもっとやれば?」
サッカー少女である皆川さんも話に乗ってくる。
森川さんにはつまらない話題かなと思ったけど、話には加わらないもののニコニコしながら聞いているので、ものすごく退屈というわけでもなさそうだ。
「最後のほうの木津根のドリブルには、アタシは驚いたなー」
「それはオレもびっくりしたな! なんつーか、すげー動きが遅かったけどな」
「そうそう。でも取られないのあいつ。意味不明だよな……」
サッカーの話を続ける剛士たち。
ふと急激な眠気が僕を襲う。
「あれ……?」
思った以上のプレッシャーを自分自身に掛けていたのかもしれない。
人の生死をかけているのを意識しての試合だった。
原作マンガのストーリーを知っているからこそ、それを再現させまいと僕は心に決めた。
言ってしまえば、ワ◯ピースでベ◯メールさんを助けたいとか、そういう気分で始めたのがスタート地点ではあった。
それが今は、運命の兄妹と言葉を交わし、試合でひとつのボールを追って競い合ううちに彼らが僕にとって二次元ではなく三次元の存在なのだということを思い知らされた。
真理の命はより重いものとして感じるようになっている。
疲労感が僕の全身を満たす。
剛士や、森川さんに囲まれて、試合の緊張感からも解き放たれたことで、一気にちからが抜けてしまったらしい。
剛士たちが話している声が、どこか遠くに聞こえる。
頭の上に、森川さんの顔が僕を覗き込んでいるのが、重たくなったまぶたの先に見た最後の景色だった。
僕は小一時間、森川さんの膝枕の上で寝ていたらしい。
それから夏休みが訪れるまでのしばらくのあいだ、ひたすらそれをネタに皆川さんに冷やかされることになってしまった。
夏休み。
といっても学校の授業がないだけで、僕の生活はサッカーをしたりゲームをしたり、サッカーをしたりマンガを読んだりで、サッカーを強く比重におきながらも貪欲に濃厚なオタクライフを営んでいた。
ただ学校がないと森川さんとの接点がなくなってしまう。
二学期になればまた会えるとは理解できていても、ついつい今頃は何をしているのだろうかなんてことを考えることがある。
もしかしたら、森川さんもそんな風に僕のことを思ってくれているかもしれない。
そう考えると、嬉しくもあり少し気恥ずかしくもあった。
「ねぇ、孝一くん」
サッカーマンガを読んでいる僕に、架純ちゃんが声をかける。
サッカーマンガの世界のなかでサッカーマンガを読む僕。
よくわからない背徳感みたいなものがあってたまらない。
ワールドユース編が終わって、オリン◯ック編が始まったところだ。オーバーエイジ枠の話題に差し掛かったあたり。
「なんだい?」
架純ちゃんはタブレット型の端末を手にしている。
「えっとね、女子の皆川さんってひとからメッセージが来てて、孝一くんに話があるんだって」
「皆川さんから?」
連絡先がわからないので、女子どうしの人脈をたどって架純ちゃんに話をまわしてきたらしい。
僕は、僕の携帯に皆川が連絡をとれるように、アドレスや番号を伝えるよう架純ちゃんに頼んだ。
しばらくして皆川さんからのコールが入り、僕らは通話を始めた。
「よお、鷹月。暑いな」
「暑いね」
「……」
「……」
夏だから暑いのは当たり前だ。
僕は空調の効いた部屋にいるので実際はそうでもないのだが、とりあえず合わせておくことにはしてみた。
だがしかし、そんなことが言いたくて連絡をよこしてきたはずはないと思うのだが。
「それで、どうしたの?」
何か言いにくい話なのかもしれない。
僕は皆川さんを促した。
「鷹月……夏休みに入ってからさ、由希と何か話したか?」
「いいや何も」
「やっぱり……あいつ、このまま何も言わないつもりなんだ」
皆川さんの溜め息が音声化し耳に伝わる。
「まあ、二学期まで会えないのはちょっとさびしいけどさ。話があるなら夏休みが終わってからでもいいわけだし」
「それじゃ遅いんだよ」
「ええと、ああ、そうなんだ?」
皆川さんがゆっくりと息を吸う音が聞こえた。
しっかり肺に空気を取り入れなければ、次の言葉を吐き出せなかったんだろう。
「あいつ……この夏休みのあいだに引っ越して、学校からはいなくなっちまうんだよ!」




