切り札
「うぉっしゃあ!」
歓声とため息とが試合の内側と外側から一斉に響くなかで、ひときわ大きな声を発したのは前野先輩だ。
僕はそれをいつもよりも近いところで聴いた。
ゴールを決めた矢吹はというと、そのままの足で走り続けて御覧野第二小の応援に来ている父兄の皆様が固まっている集団に向かっていった。
「──や、やったよっ!」
握りしめた左手の薬指に軽く唇を当てると、その左手を突き上げてガッツポーズを決める。
矢吹がまっすぐに走っていく先には、笑顔の集団にあっても特に目立つ、飛び跳ねて歓喜を表現する可愛らしい女の子がいた。
佐倉さんだ。
ピョンピョンと跳ぶたびに、ツインテールの髪が合わせて揺れる。
二房に分かたれたキューティクルでゆるふわな髪は、今日も見事なまでに均等な左右対称を体現していた。
なんて素晴らしいことだろうか。
ツインテールの左は理性と秩序を、右は感情と混沌を表しているのだ。
つまり完全にして至高なるツインテールとは人間と宇宙のもつであろう対なる二面性の要素がそこに結ばれ調和することを意味し、真理をつかさどりながらも現世に尊くも美しく具現化させられた神の天秤ともいうべきヘアスタイルなのである。
ようするに前世の僕はツインテールを崇拝していたということだ。
佐倉さんはとてもよいツインテールをしておられるので、近頃の僕は矢吹がゴールを決めるたびにあの霊験あらたかなツインテール様が御利益を発揮されたのだと感じて心のなかで祈りを上げている。
ありがたや。ありがたや。
矢吹は、そんなツインテール様に──ではなく佐倉さんに、自らが取った価千金の得点を捧げていた。
佐倉さんも興奮ぎみで、とても喜んでいる。
「マジか……! あいつ……マジか?」
それを見て身をよじらせながら唸る前野先輩。
どうやら矢吹が見せたゴールパフォーマンスがお気に召さなかったらしい。
薬指にキスをするのは、恋人や婚約者、愛妻などにゴールを捧げるという意味を持つサッカー界隈では定番化しているパフォーマンスだ。
スペインのゴン◯レスさんが有名だと思う。
「リア充め……」
悔しげに大地を叩く前野先輩。
「爆発しやがれ……なぜだ……なぜ俺には彼女がいないんだ?」
慟哭する先輩だが、いくら今どきの子が昔とは違うとはいっても、小学生で異性と交際している連中が多数派になることはたぶんないわけで、実のところそんなに気に病むようなことではないんじゃないだろうか。
前野先輩は見た目はそこそこイケメンなんだから、将来的に年齢と彼女いない歴がイコールで結ばれ続けることもなさそうなんだけど。
ひょっとすると、モテたいんじゃなくて、モテないキャラを志向しているのかもしれない。
なんだかよくわからないけれど、自らをモテない人物だと定義付けて固定観念で縛ってしまっているとか。
どちらにしても掛けるべき言葉もわからないので、そっとしておくのが一番だということだ。
「うわーん、真理ぃ!」
もうひとつ別のところでも、騒がしい人たちがいた。
「てっ、て、点を取られちゃったよ~」
「よしよし、大丈夫よっ。まだ時間はあるから、得点を取りかえそう。ねっ?」
距離がなかったら本当に妹は兄の頭を撫でていたんだろう。
「で、できるかなぁ……」
「いける! 信じるのよ! 諦めたらあかん。諦めたら、そんときが試合終了やで!」
なぜか関西弁になる白鳥真理。
標準語で言ってしまうと都合の悪いことでもあるのだろうか。
「せやから、お兄ちゃんな──」
更に兄を畳み掛けるように励ます妹。
よく聴くとたいした深みのある言葉でもない、聴いたことがあるような応援文句の連投なのだが、それでもへたれてデフォルメキャラみたいになっていた白鳥琉生には万能回復薬を思い起こさせる効果で彼を復元させていく。
きっと真理の言葉なら何でもいいんだろう。そんな気がした。
「ふっ……ありがとう、真理。諦めないでなんとか頑張ってみるよ」
「そうよ、お兄ちゃんならできる!」
「それにしても真理が言っていたとおり、何気に危険な選手だな。あの11番は」
「そ……そう、なのよ。一見ぱっとしないような気にさせておいて意外とできるやつなの、あの鷹月は」
聴こえてしまうので、ついつい聴いてしまうが、僕は誉められているのだろうか、貶されているのだろうか。
「そうだな。気をつけるようにしよう──そういえば、真理がこんなに特定の選手を意識するのも珍しい……はっ、まさか?」
「な、なによ、いきなり、お兄ちゃん」
「まさか真理、あいつのことが……ダメだぞ! どこの馬の骨とも知れない11番に大切な妹は渡せない!」
「──なにを言い出すのよ、お兄ちゃん! たしかに鷹月は気になるやつだけど、それはサッカー選手としてであって……」
なにやら話の雲行きが変わりはじめた。
当の僕にも、だだ聞こえなんだけどな。
「あ、あいつのことを四六時中も気にしているだと?」
「言ってない、言ってない」
「食事も喉を通らないっていうのか──かわいそうな妹!」
「毎日三食、しっかり食べてるって」
どうやら兄は妄想が暴走しがちなタイプなようだ。
ちょっと親近感がわきはじめてしまう。
「おい、どうなってるんだ」
兄妹の話に、春間のディフェンダーの一人が割って入る。
「あいつシュートを蹴る前に、一度は落ちたスピードがまた速くなっていったぞ!」
矢吹の得点シーンのことを言っているみたいだ。
たしかにあの場面で、矢吹のダッシュは失速していくばかりから唐突に再加速を見せていた。
「うん。それは私も確認したわ」
「スピードは落ちるんじゃなかったのかよ……」
「どうやら、必要に応じてここぞというときには底力を発揮しちゃう系の選手みたいね。マンガの主人公みたいな」
「なんだよそれ」
みたいなも何も、矢吹隼は実際に主人公だ。
生まれながらに選ばれちゃってる系なのだ。
憤りを顔に浮かべるディフェンダーの肩を、白鳥琉生が叩く。
「今の失点に、君の責任がないのはわかっているさ。悪いのは11番にしてやられた僕のほうだからな」
「キャプテン……」
「だけどあの小柄なフォワードには自由にさせないようにするのが、これ以上の失点を防ぐためには大事なことだ。頼んだぞ。限界まで追いかける。できるって信じてるからな!」
「は、はい──! 任せてください!」
妹に向けるキャラと、チームメイトへのそれがどうにも違いすぎていて多重人格っぽいものだから、はたで見ていてちょっと怖いんだけど、それでも仲間からは慕われているらしい。
サッカー選手としての能力が尊敬に値するレベルにあるのは間違いないけれど。
「一点取られても、まだ終わらないさ! 逆襲だ!」
「はい、キャプテン!」
「そうよ、お兄ちゃん! がんばって! 倍返しやで!」
気合いを入れなおした逆襲の白鳥が試合再開に向けて戻ってくる。
リスタートから両チームのポジションが再び交差するように混ざり合うと、必然的に僕は白鳥琉生と再接近することになる。
白鳥が、僕を警戒し注意から外さないように心がけているのが目には見えない重圧でひしひしと伝わってきた。
この監視から逃れるのは容易くはないだろう。
蜘蛛の糸に絡めとられたような感覚もある。
やがて、怒れるまなざしで彼は言い放ってきた。
「君に妹をゆずる気はない!」
僕にも妹さんをくださいという気持ちは毛頭ないし、そもそも白鳥真理という女の子については、やっと今日になって実像に近づいたばかりでどういう子なのか計りかねているくらいの段階なのだが、相手が本気すぎて下手に茶化すような返事もできない。
なんと応えるべきか逡巡する僕に白鳥は更なる宣言をする。
「どうしてもというなら、この僕を倒してからにしてもらうぞっ!」
愛娘を嫁がせることを拒む親父のように立ち塞がる白鳥琉生。
いたって真面目な様子だが、その流れだとこのまま僕らが春間に勝利をおさめた場合、真理を鷹月家に迎える方向に進んでしまうということだろうか。
まさかとは思うが、あらゆる可能性を想定しておくに越したことはないだろう。
我が家にはすでに美少女が二人同居しているわけだが、更に真理が僕の許嫁になったとしたならば、花嫁修業だとかいって一緒に暮らしてしまうのが、この少年マンガ世界のパターンなのではあるまいか。
ありそうな話だ。
これはサッカーマンガなんだとばかり思っていたが、実は各少年マンガ誌にひとつは連載されがちな、思春期ボーイにはたまらないサービスシーン満載のハーレム系ラブコメマンガの世界でもあったというのか?
だとしたなら、この際どうせなら女ド◯えもん的ポジションの枠を埋めるキャラにも登場してもらいたいものだ。
日常のなかに非日常の要素が紛れ込む世界はなんだか楽しそうだから。
あと、アニマル柄のビキニを装備した鬼娘とかも捨てがたいな。
更に現実的な方面で考えると、僕がラブコメワールドに巻き込まれるのだとすれば、とりあえず気になる女子のひとりである森川さんにも参加しておいてもらいたいような気持ちはある。
だけど、一方ではあの人にはそんな迷惑を掛けたくはないっていう思いも強いかもしれない。
しかし、あの手のマンガは読んでいるぶんには楽しいのだが、ラブコメの当事者ともなると日々がドキドキワクワクのウフフでムフフな展開だろうから心身への負担が思いやられる。
鍛えておかねば。
そのためにも今はサッカーを頑張ろう。
万が一、バトル展開に発展したとしても生き残れるように鍛えておかねば。
「孝一!」
剛士から、パスが僕に届く。
ボールを受けながらのターンひとつで、マークにつく二人をうまく引き離すことに成功できた。
「よしっ!」
「な、なにっ?」
「またやられただと!」
だが、すぐに僕のことを意識下に置いていた白鳥が詰め寄る。
「そこまでだ! ゴールも、妹も、与えることはないぞ!」
「くっ……どこにも隙がない」
白鳥の集中力が、世界最高水準のセキュリティシステムであるかのように僕を監視しているのがわかる。
もう一度、自分へのパスなどという奇策が通じるはずもなかった。
「孝一っ!」
剛士が、僕を後ろから追い抜いて前線に走り込んでいく。
「剛士!」
ワンツーパスで、リターンを返すのに近いかたちで僕は剛士にボールを出す。
それは完璧に近いパスだった。
「そこから先には行かせない!」
「なんだと!」
白鳥が、僕らの挙動をすべて読み取っていたかのように鮮やかにインターセプトを決め、ボールを奪う。
無駄のない動きだ。
強引さや、荒々しさを含まない本当に綺麗なディフェンスをする。
一度でも彼を欺けたのが不思議なくらいだ。
「攻めるぞ!」
キャプテンである白鳥が叫ぶのに合わせて、春間の攻守の意識が入れ替わる。
幸いにして、カウンターで攻め上がった春間の攻撃は、木津根が的確に対処しスルーパスが流れ気味になったところを逃さずに外に蹴り出したことで防ぐことができた。
「サンキュ、木津根!」
「ありがとう、助かったよ!」
パスを奪われて反撃を許すことになった剛士と僕は、木津根に感謝の言葉を掛ける。
「なすべきことを、なしたまでさ。僕たちのチームは引いて守りを固めるのには適していない。恐れずに攻め続けることだな」
「木津根……」
彼の言うとおりだ。
こっちは先制しているとはいえ、これを守りきるサッカーは僕らのチームには向いていないし、これまでさんざんとにかく敵よりもたくさん点を奪うサッカーで勝ってきたのだ。
いくら白鳥の守りが厚くても、まだまだ攻めることをやめるべきではない。
「後ろは任せておけ。この僕がいる限り、やすやすと相手に得点を許したりはしないさ」
「うん、頼んだよ!」
「木津根、頼もしいやつだぜ!」
──だがその二分後、コーナーキックからのこぼれ球を田貫に押し込まれて、木津根としては防ぎようもないかたちで僕らは失点した。
同点になり試合は再び膠着した。
僕らはパスはまわせるが、どうしても白鳥を越えて前に進むことができない。
奪われてのカウンターも意識してしまうと、なかなかリスクの高い攻撃を選ぶのも限られてしまう。
だから主に僕らがパスをまわしているような、まわさせられているような、どちらともつかない展開で試合は終盤に近づいていくのだった。
剛士と矢吹の、体力ないコンビに限界が見えはじめていた。
この二人が動けなくなると、途端にゴールが遠くなってしまうのは避けられない。
このまま試合が引き分けに終わることを、その場にいた人々のすべてが意識しはじめただろう。
状況からいって、そして『命をかけた戦い』の面からみたとしても、この一戦目の試合を引き分けるのは、そんなには悪い結果とも言えない。
まずは負けないこと。
その上で、最後のチャンスになるだろう二戦目に賭ける。
それも受け入れられなくはない。
だが、僕にはまだこの試合に勝つための秘策があった。
勝つことを諦めるにはまだ早い。
運命の分岐点をつくりだすための策を、試すべきときが来たのだろう。
セットプレーからの攻め上がりのタイミングを利用して、僕はなるべく敵に気づかれないよう、木津根にそっと話しかけた。
「木津根」
「なんだ、鷹月。安心しろ。さっきはああなったが、これ以上の失点は僕がいる限り──」
「いや、そうじゃなくて」
僕は、木津根の言葉を止めて、この試合で最後の切り札となるだろう一手を投げかける。
見たものを再現できる彼の目は、この試合中で何度もそれを見たはずだ。
「木津根、ドリブルで仕掛けて、どこまでボールを運べる?」




