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その目の先にうつすものは

 

「見えにくくなる眼鏡って何だよ。なんでそんなものをかけているんだ?」


 矢吹の手にある木津根の眼鏡を覗きこむ前野先輩。


 一見するとありふれた普通の黒縁眼鏡に見えるそれは、僕にはよく分からないマンガ世界ならではの不思議科学テクノロジーによって、全く度が入っていないにも関わらず視覚に入る情報量を抑制する効果があるんだ。


 もしかしたらキテ◯ツの眼鏡とかに原理は近いのかもしれない。大百科が見えるようになるやつ。

 でもあれは一応、近眼用に度が入っているんだったか。

 やっぱりなんか、ちがうかも。


 とにかく不思議眼鏡ってことだ。


 木津根は、今はそんな眼鏡を外していて何もない眉間のあたりを指で押さえる動作をした。

 かけていなくても癖でやってしまうんだろう。


「僕は生まれつき視力が良すぎる体質なんだ。学校では黒板に貼り付いたチョークの粉ひとつひとつまで見分けても意味はないし、気が散るからそれを着けている」

「……粉? マジかよ、そんなの見えるわけないだろ」

「疑り深い人だな」


 木津根は、チームメイトに自分の特性を理解させておいたほうが後々のためになると判断したのだろう、離れたところにいる監督の鼻毛が右から四本と左は二本ばかりが外出している(左の一本が特に長い)ことや、もっと離れたところにいるチームメイトの手相を見たりして視力がいかにすごいかを証明した。


 木津根が見たところ、矢吹の運命線はなんかすごいらしい。

 さすがは原作の主人公だ。


 フルハイビジョンとか8Kとかの超高画質な映像は、もしかすると木津根のためにあるのかもしれないな。


「しかし……これがサッカーボールか。実際に触れてみると存外に大きいものだな」


 先輩から奪ってキープしたままのボールで、リフティングを試しながら木津根が呟く。


 最初の数回は怪しかったリフティングだけど、次第に修正されてブレのないボールの扱いに整っていく。

 シンプルで無駄のない蹴り上げかたをするので面白味はないけど、すぐさま完成してしまうのがすごい。


 原作の『僕タク』で、動体視力もエグいくらいすごいって描写があったから、ボールの回転が彼には手に取るように見えているんだろう。


 木津根の言葉に、前野先輩の顔が青ざめる。


「まさかそれで、ボールを蹴るのが初めてだっていうのか?」

「いや……体育の授業で何度かは、向かってきたボールを蹴り返した経験がある。正確には六回か」

「そ、それだけかよ……」


 愕然とする先輩。

 そんな初心者に、これまで何年もサッカーに情熱を注いできた先輩は負かされたのだ。

 自信を喪失しないでくれたらいいんだけど。


 前野先輩は、フォワードとしての総合力が高い良い選手だ。


 シュート力はそこそこあって両足が使えるし、ヘディングもそこそこ強い。

 体を張ったポストプレーもこなすし、スピードや持久力だってそこそこある。


 なんか、そこそこが多い気がしてきた。


 まさか先輩に、全体的にあなたはそこそこですから落ち込まなくても大丈夫ですよ、なんて励ますわけにはいかないけど。


 でもたぶん、木津根が変わり者だけどすごいやつなのは間違いないから、先輩も自分が弱いわけじゃないことはわかるだろうしそこは心配ないと思う。


「おし! 木津根、ボールをこっちにくれ。適当に蹴ってよこせばいいぞ」


 監督が言うと、木津根は素直に初めてとは思えないきれいなインサイドキックでボールをパスする。


「よし、木津根の目がやたらいいのは分かった。だが、前野に勝ったのは偶然かもしれんからな。あれだ、ビギナーズラックってやつだ。誰か他のやつがチャレンジしてみようか?」


 監督がチームの面々を見渡す。


「そんじゃ……西! 行こうか!」

「お、俺?」


 ボールを渡されて、果敢にも木津根に挑んだ西。


 しかし、前野先輩との勝負を再生したような流れで木津根を抜ききらないうちに動きのパターンを読まれてボールを奪われてしまった。


「す……すげえな、木津根。テストで満点取りまくってるのは知ってて勉強ばっかやってるやつだと思ってたけど、こんなに動けるなんてすげえわ」

「学業で常に最高のパフォーマンスを維持するためには、コンディションを日頃から高い水準に保持させることが肝要なんだ。そのためにも日々のトレーニングは欠かせん」

「なんか難しいことを言ってるけど、つまり運動もやってたってことだな」

「然り」


 西に続いて、更にチームメイトたちが立て続けに二人、木津根のディフェンスに立ち向かったけど勝てなかった。


 むしろ木津根の動きに切れが増しているくらいだ。


 僕の知るサッカーマンガキャラとしての木津根には『見る』ということの重要度が高かった。

 彼には『見た』ことを運動能力の限界を越えない範囲で、自分の身体を使い再現できるセンスがあるからだ。


 だから、ここしばらくサッカーの試合を『見て』きたことは間違いなく木津根の養分になっている。

 ドリブルで向かってくる相手への姿勢の取り方、体を反転させるタイミングなんかは、すでにサッカー選手のそれを再現できている。


 最初のうちからレベルの高い試合を観戦してきたのもよかった。

 それがあっての今日のプレーだ。


 リフティングやパスキックの基礎ができているのも、すべては予習があってのことだと言える。


 そんな木津根の前に、五人目の挑戦者が立つ。


「そろそろオレの番だな……」


 満を持して木津根の前に立ったのは剛士だ。

 不敵に木津根の口角が少しだけ上がる。


「くるか、陽狩よ」

「ああ」


 誰かが息を飲む音を、僕は耳にした。

 剛士と木津根を中心に緊張感があたりを支配する。


 チームのみんなにしてみれば剛士には絶対に負けてほしくないのが本音だろう。

 ド素人のはずの新人に全員が負かされるチームというのも情けない話だ。


 だが剛士という矛の強さをみんなは知っていても、木津根という盾の堅さは未知数な段階にある。

 誰にも勝負の行方はわからない。


 足元にボールを置いた剛士に、するすると監督が側に寄る。

 そしてコソコソ感を出しながら耳打ちしはじめた。


 内緒話のつもりらしいんだけど残念なことに、ヒソヒソしきれていない声は僕の耳にまで届いてきた。


(頼むから勝てよ……入っていきなり天狗になるのはマズイからな。どんな魔法を使ってもいいからとりあえず勝てよ!)


 苦笑いで応じる剛士。

 もとより負ける気なんてないという顔だ。


「木津根、オレの動きが見きれるかな!」

「陽狩、僕の目を越える動きが……できるものなら見せてくれ!」


 ファーストタッチから『舞踏』を始める剛士。

 完全に本気で戦うつもりだ。


「……見える!」


 剛士の、不規則なリズムで人を幻惑する独特のドリブルに木津根は合わせてきている。

 これならもうすでに木津根は普通に試合で通用するディフェンダーだと確信できるレベルだ。


 そして木津根は今──笑っていた。


「いいぞ、陽狩! こんなに楽しいのは久しぶりだ!」

「なら──これはどうだ!」


 反復横跳び計測不能の男が、残像を置いてしまうほどの強烈な切り返しで右への動きから弾かれたように左にへと振り切れて動く。


「速い──だが!」


 それでもまだ、木津根は剛士が前に抜けることを防いでみせた。


 剛士のスピードに着いていけるほどの足の早さは木津根にはない。

 にも関わらずディフェンスで着いてこられるのは剛士の動きが見えている目と、それに対応して最善の判断を即座にくだせる知能があるからだ。


 木津根にはボールにかかる回転から、対峙する選手の筋肉の動きまでが手に取るように見えていて、それに呼応して相対することができてしまう。


 だけど彼が完璧なディフェンダーかというと、そうじゃない。


 木津根の弱点は、鍛えてはいても純粋なアスリートとしての身体能力が平均的な選手とそう変わらないことにある。

 剛士や矢吹のスピードや、力石のパワーのような普通じゃない相手には知能を使い果たして対応しきっても勝ちきれない場面ができてしまうんだ。


 今でも、直線的に長い距離でスピード対決を剛士に挑まれれば最後には置いていかれるのは間違いない。


 だけど今はそういう勝負ではない。

 剛士はあくまで技で、木津根に勝とうとするだろう。


「陽狩、君のパターンはまるで無限にあるみたいだな」

「動きを見て読んでくるのはもうわかってたからな……なるほど、木津根は目が良いみたいだ」


 スッと、剛士は間合いを半歩ほど後ろに下がり空ける。

 何か仕掛けるつもりだと、僕にはわかった。


「ならこれはどうだ?」


 剛士が、そう言った次の瞬間、周りのチームメイトにはただ木津根だけが剛士にまるで道を譲るように真横に移動したように見えただろう。


「は?」


 前野先輩から、なんじゃそりゃといった感じの声が出た。

 剛士の超絶な挙動に見慣れた僕にも、今のは何かをどうやらやったらしいことしかわからなかった。


 難なく、といった風に剛士はただ前進して木津根をドリブルで抜き去った。


「木津根、見えることに頼りすぎると危ないぜ」

「今のは何だ……陽狩」


 顎に手を当てる剛士。

 彼には自分でも言葉では説明できないことを身体で表現してしまうことがしばしば見受けられる。


「うん……まあ……幻ってやつかな」

「幻だと?」

「目が見えすぎると逆にそれを利用される場合もあるってことだよ」


 言いながらキックフェイントを見せる剛士。

 なぜかそれに合わせて何もない上空を見上げる木津根。


 目が良すぎると、あれでどうやら何かが見えるみたいだ。


「──なるほど、覚えておこう」


 木津根は負けて悔しいというよりは、なにやら嬉しそうにしている。

 テストで毎回、学年一番の彼には上手くいかないことを見つけたことが喜びになるのかもしれない。


 チームメイトたちのあいだには、剛士が勝ってくれたことでホッとした空気が漂う。


「陽狩」

「おう」

「僕はこれから上達する。よければまた勝負を受けてくれ」

「いつでも、オレはいいぜ」

「君に勝てる日が楽しみだ。なるべく早く、試合にも出場させてもらえるようになりたいものだな」

「……おう」




 その後、木津根も参加したが無難な感じで、いつもどおりの練習メニューを僕らは消化した。


 ちょっとした波瀾があったのは練習の最後にミニゲームを終えて片付けをしているときのことだった。




「ひととおり見てわかったが」


 唐突に話し出す木津根。


「このなかでサッカーが一番うまいのは、鷹月だな」


 何を言い出すのかと、僕はリアクションに困ってしまった。

 困惑したようなチームメイトからの視線を感じる。


 誰がどう見ても、我らがチームでうまい人といえば陽狩剛士で決まっているんだけどな。

 それはもう、赤がリーダーっていうくらいに決まっていることなのに。


 対戦チームが警戒するのは陽狩剛士。

 一番人気があるのは陽狩剛士。


 僕はまれにサッカー通のおっさんに、いぶし銀なプレーぶりを気に入られたりすることがあるくらいなんだけど。


 ──って、そういうことか。


 木津根のサッカー観は小学生らしからぬサッカーマニアなおっさんのそれなんだった。

 つまり、おっさん的な感覚でプレースタイルを気に入られてしまったってことか。


「木津根、お前な……」


 うつむき加減に少し身体を震わせながら木津根に歩み寄るのは剛士だ。


 やがて剛士の両手が、がっしりと木津根の両肩を掴む。

 掴んだ手に力が込められるのがわかる。


「──わかってるじゃないか!」


 破顔する剛士。


「ふん、僕の目は欺けないさ」

「そうだろうとも!」


 そういえば親友も勝手に僕をチームで一番うまいやつに位置づけているんだったか。

 周囲のなんとも言えない雰囲気をよそに朗らかに笑いあう剛士と木津根。


 まさかそこで意見の一致をするとは思わなかったよ。


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