陽狩家にて
なんだかんだで剛士の家に到着するのが、試合開始間際になってしまった。
「あら、おかえり」
陽狩家の玄関で、剛士の4つ年上にあたる姉のみちるさんと顔を合わせることになった。
剛士の家族なだけに、かなりの美人さんだ。
ちょうど僕らとは逆に出かけるところだったらしい。
「剛士、お友達が来て待ってるわよ」
「おう」
玄関には几帳面に外に爪先を向けて揃えられた小学生男子のシューズがある。
木津根のものだとすぐに分かった。
「おじゃまします」
「はい、孝くん。ごゆっくり」
軽く会釈しながら陽狩家に足を踏み入れる僕に、みちるさんは天使の様に微笑む。
さすがに『僕タク』の原作者が理想の女性像を投影したと言われていた人物だけのことはある。
フルネームで呼ぶと、何やら神々しい感じにすらなる人だけど実際その姿はちょっと非現実的な気がするくらいの美しさだ。
まだ中学生のはずなのに、小学生の鷹月孝一という子供の身体を通して見ているせいか、みちるさんは僕に架純ちゃんたちからは感じられない大人の女性という印象を与える人だ。
親友の姉だから見慣れているはずなんだけど、それでもなんだか緊張してしまう相手ではある。
原作では、友達が勝手に応募してしまったアイドルグループの公開型オーディションで、視聴者投票で圧倒的な支持を集めながらも「彼女が入ったら他の子が霞んでグループとしては成り立たなくなる」などとプロデューサーが言い出したことによって、加入を拒否されてしまったことがあるなんて伝説をもっていた。
「孝一、早くしないと始まっちまうぜ」
「うん……」
急かす剛士の後ろを追って、僕はみちるさんのすぐ横を通りすぎる。
いつもと同じで良い匂いがした。
「来たか」
陽狩家のリビングで木津根はすでに観戦モードに入っていた。
視線は映像に注がれて固定されたまま、僕らのことを一顧だにしない。
両腕は胸の前でしっかりと組まれている。
テレビ画面では、両チームの選手入場が始まっていて、お馴染みの音楽が流れ選手たちがフラッグと審判団に引き続いて続々とピッチに入っていく。
見た感じ、日本代表のスタメンに意外な選手はいないようだ。
「間に合ったな」
「そうだね」
三人掛けのソファーの中央を、木津根が陣取っているので、僕らは彼を挟み込むように座る。
やがて、両国の国歌が流れたあと試合が始まった。
前半中、木津根は一言も発することがなかった。
最初のうちは、ポツポツ喋っていた剛士と僕だったけれど、間の人が沈黙しているので次第に何も言わなくなった。
試合に集中しているので退屈ではなかったけれど。
「前線にもっとボールを引き出す動きがほしいな」
スコアレスに前半が終わった瞬間から、木津根は捲し立てるように改善点を指摘しはじめた。
「守備は、裏を取られるシーンがあったが全体に引き締まってプレスもよく効いていた。このまま集中を切らさずにいってほしいな」
まるで自分が監督気分で見ている中年のおっさんみたいだ。
案の定、この後で投入すべき交代選手の話が始まった。
剛士か僕が一言意見を言うと、それに木津根が十倍の見解を披露する流れで十五分のハーフタイムはすぐに終わった。
対戦国のチームについても詳細に渡って詳しいのには感心した。
今すぐ解説者としてテレビに出演しても大丈夫なんじゃないかと思えるくらいだ。
ユーモアのなさは致命的だけれど。
後半も、木津根は沈黙していた。
これはもう確立した観戦スタイルみたいだ。
ただ選手交代の場面が来るごとに不満そうに鼻を鳴らした。
試合は終了間際に日本が待望の一点を決め、1-0で勝利した。
「勝ったなー」
「そうだね」
「ふむ。ホームゲームでこの試合内容では、次のアウェイ二連戦が思いやられるが、なんにしても勝ち点を積み上げたのは大きいな」
木津根が溜め息を吐く。
「代表戦というのは他の試合にはない熱みたいなものがあるな。やはり国を背負って戦っていると思うと勝ってほしい気持ちが強くなる。特別なものがある」
そうは見えなかったものの、彼は彼なりに興奮していたらしい。
思い返せば、なかなか手に汗握るギリギリの戦いだった。
ちょっとした運次第でどちらに転ぶか分からない内容だった。
今はとにかく歓喜より、安堵した気分が強い。
何人かの中心選手はコンディションが良くなかったのか本来のちからを発揮しきれていないように見えた。
本当ならもっとできたと思う。
木津根は、そんな代表チームの今後の戦いにとるべき対策、個々の選手が取り組むべき改善点について、しばらくのあいだ独演を続けた。
完全にサッカーマニアの俺に監督をやらせたらもっとの人みたいだ。
ただ選手の好き嫌いで、あいつを起用してあいつは要らないとかそういうのを主張するんじゃなくて、チームを強くする方策が多角的に分析されて理路整然としていて納得できる部分が多いのは凄い。
この前までサッカーを知らなかった少年とは思えないくらいだ。
「木津根がここまでサッカーを好きになってくれて嬉しいよ」
「ふむ。そうだな、ここまで楽しめるとは自分でも想定外だった」
照れ臭くなったのか自嘲気味に笑みを浮かべ、眼鏡に指を当てる木津根。
「そんな好きになったなら、自分もやったらいいのにな」
剛士が何気なく言った一言。
木津根が固まる。
「どした?」
「……今、なんと言った」
「……どした?」
「その前だ」
「……木津根もサッカー好きならやったらいいってやつ?」
驚愕に見開かれる木津根の両目。
めちゃくちゃ驚いた顔をしている。
たぶん、ゲーム◯ーイがカラーになったと驚いている1990年代の子供のところにタイムスリップして、最新の携帯ゲーム機やスマートフォンを見せたらこのくらい驚いてくれるんじゃないだろうか。
「僕が、サッカーをするだと……?」
ソファーからおもむろに立ち上がる木津根。
「今、そう言ったのか、陽狩よ」
「……ああ、言った。オレはそう言ったぜ」
「そうか……その発想は無かったな」
──?
無かった?
なんだか彼の言っていることが信じ難いのだが、木津根はいたって真面目だ。
「陽狩よ、斬新な意見をありがとう」
「どういたしまして」
木津根の拳が、強く握られるのを僕は見た。
彼の視線の先のテレビ画面では、今日の試合のハイライトシーンがスローモーションで再生されている。
やがて口の端の角度が、ほんの少しだけだけれど上がった。
「──僕はやることにしたぞ。サッカーを」




