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前世

 

 放課後の音楽室。


 グランドピアノから流れるショパンの旋律。

 秋風を巻き込んだカーテンが、膨らんでは揺れて、まるで曲に合わせて踊っているかにも見えた。


 おだやかで、ゆっくりとした時の流れを感じる。

 ピアノの音色は優しく響く。


 弾いているのは僕だ。


 鍵盤の上を、僕の指は舞うように跳ねる。

 年月を経た今となっては、うまく弾けるかは自信がなかったけれど思ったよりも指が動いてくれている。


 鷹月孝一の、まだ少年の大きさをした手は演奏の障害にならなかった。

 おそらく前世の僕が最もピアノに触れていたのは、現在の孝一よりもまだ小さかった頃だったのだから。

 むしろ、この体の運動能力と反射神経は良いサポートになってくれている。


 音楽室にいる人物は、僕と若い女性教師が一人。


 寮さんと視聴覚室を使わせてもらった経験から、試しに音楽室でピアノが弾きたいと申し出てみたところ、少しならと引き受けてくれたんだ。

 本当は独りで気の赴くままに弾きたかったんだけど、それは我が儘というものだろう。


 先生は、そんな本格的に弾き始めるとは予想していなかったのだろう。

 口を開けて、やや茫然とした表情で僕を眺めている。


 そりゃ、そうだろうね。


 ピアノに向き合うと、自然と前世の僕のことが思い出される。

 今にして思えば、他人から見て嫌な子供だったと思う。

 臆病で、内気で、泣き虫なくせに、傲慢なところがあって、どこか人を見下しているようなやつだった。


 まわりがやたらに褒めたりするものだから、ピアノについても自分は天才なんじゃないかと自惚れていた。

 小学校に上がりたての頃は、クラスメイトの前で、アニメやゲームの音楽を弾いては注目を集めたりして、ちょっとしたヒーロー気取りで、いい気になっていた。


 自分を勘違いしていた時期だった。


 だけど、そのうちに本物の天才に会って、さらっと挫折することになる。


 本物に比べたら僕は、ちょっとだけすごい普通の人でしかなかった。

 綺麗さっぱりとピアノは諦めたんだ。


 そのかわりに僕は、オタクへの道を、より高みを目指して駆け昇っていった。

 寝る間を惜しんで、貪るようにマンガを読みふけり、潜り込むようにゲームの世界を巡った。

 自分で言うのも何だけど、ものすごいオタクにはなれたと思う。




 僕は、肩慣らしのショパンを弾き終えると、本当に弾きたかった曲に取り掛かった。


 一瞬、恐れを感じた心を落ち着けるため、静かに深呼吸をする。


 大丈夫。

 これは僕のもの。僕の曲なんだ。


 自分自身に言い聞かせながら、僕は鍵盤に乗せた指先に力を込める。


「あら……?」


 先生の独り言が聞こえる。


「……これは知らない曲ね。でも、なんだか、とても悲しい」


 そうだ。これは、とても悲しい曲だ。


 高校生になって、電子の歌姫に歌わせる曲を作る活動をするようになっていた頃、僕の大好きだった漫画家さんが亡くなるというニュースを知り、そのときにこれを作曲したんだ。


 だからこれは死者に対して、感謝と哀悼の意を捧げるために紡がれたメロディーなんだ。


 僕がこの、言わば鎮魂曲(レクイエム)を奏でることを思い立ったのは、他でもない僕自身の半身のためだ。

 かつてこの曲は、前世の僕にとっては数少ない信頼を寄せることのできていた人物からの残酷な裏切りを受け、僕の手から奪われたものだった。


 僕の曲は、僕のものではなくなってしまったのだ。


 この曲は他の誰かのものとなり、その者の名において、電子の歌姫を通じて世に拡散された。


 そのことがあって、打ちのめされた僕は、自分の心と、自室の扉とを同時に、そして完全に閉ざした。

 しばらくのあいだは、心の無いはずの電子の歌姫ですら、僕を陥れ、踏みにじり、嘲り笑っているかに思えていた。

 そんなはずが無いに決まっているのに。


 この曲が、この世界に存在しているかを確かめる勇気を持てたのは、最近になってからだった。

 心強くて前向きな『鷹月孝一』の心が、半身として支えてくれなければ、そんな勇気は永遠に持てなかったかもしれなかった。


 結果、僕が創造し、他者の手に奪われた曲は、この世界には存在しないことが判明した。


 やはり別世界なんだ。そう思った。


 曲の存在は、前世の僕がもしかすると生前に遺すことができた唯一の爪痕のようなものだったかもしれないから、少し寂しい気持ちもあったが、それよりも嬉しさが(まさ)った。


 他の誰かのものでないのなら、この世界で、僕の曲は、僕のものだからだ。


 失なった心の欠片を取り戻すことができたようだった。

 だからこれを弾きたいと望んだ。

 僕自身の手で。僕自身のために。


 そして、これは鷹月孝一としての僕が、前世の僕と向き合っていくうえでも必要な儀式なんだ。


 電子の歌姫が幻影として姿を現し、譜面台に腰掛けて微笑んでくれている。

 かつて彼女は僕の心を写す鏡だった。

 今僕は、自分が奏でる音色のなかに彼女の歌声を聴く。


 歌姫は裏切ってなどいない。

 ただ僕が目を背けてしまったのだ。


 時は戻ることはない。

 だからピアノを弾くことで、僕は僕を弔う。


 静かな余韻を残し、僕は演奏を終えた。




 先生が、遠慮がちだが、好奇心には勝てないといった様子で話しかけてきた。


「今の曲、一体、何の曲なのかしら?」

「……これは僕の知っている人が昔に作った曲です」


 さすがに僕が作ったというのは気が引けたので、嘘にならない適度に答えることにした。


「お知り合い?」

「はい。でも、その人はもうこの世にはいません」

「そうなの……。どんな人だったの?」

「……卑屈で、お調子者で、我慢ができなくて、ちょっと変態で、ファストフードをこよなく愛する人でしたよ」


 先生はクスリと笑う。


「でも、優しい人だったんでしょう?」

「……どうして、そうわかるんです?」

「わかるわよ。だって、今その人が遺した曲を聴かせてもらったところだもの。きっと繊細で優しい人に違いないわ」


 そうかもしれない。

 でも前世の僕という人間はきっと優しすぎたのだろう。


 だからいつしか閉じこもり、自分と他人の両方が、傷つかないことを望んだのだから。


 今、こんなふうに『彼』のことを認めてあげられることは、僕にとっての救いのようにも感じられる。


「最後にもう一曲、いいですか?」

「……いいわよ」


 先生の了承を貰って、僕はこの場を締めくくる曲の演奏を始めた。


 魂を鎮める曲はもう終わりだ。

 前に進むための曲を弾く。


 これは『僕タク』のエンディングテーマだ。


 ヒロインの視点で、夢に挑む少年を応援する歌詞が、前向きなメロディーに乗せて歌われる名曲である。


「あら、なにかしら、この曲? ……なんだろう、次回も……次回って、わたし何を言っているのかしら……? あ、明日からも、頑張ろうって気持ちが自然に沸き上がってくるわ……」


 先生、お気を確かに。


 やはり、この世界でアニメ版『僕タク』のテーマを演奏するのは色々とヤバかっただろうか。

 でも、もうやっちゃってるし。


 引くに引けないので、僕は続ける。

 サビのところは、泣きそうになるほど心に響く。


 熱い視線を感じる。

 先生は、こちらを見つめている。

 他に人がいないのだから、当たり前だけれど。


「……せめて、わたしがあと十歳若ければ──」


 何やら呟いているのが耳に届く。


 もしかしたら、先生にも、やりきれない過去の記憶を思い出させてしまったのかもしれない。

 今となっては取り戻せない時間を。

 だとしたら申し訳ないことをしたものだ。


 せめて、この曲に勇気を貰ってもらいたい。


 僕はあらためて鍵盤に心を込めた。


 今だから、かつて僕がこの曲を好きだった本当の理由がわかる。

 誰かに応援してもらいたったんだ。

 夢を追うことを。

 自分の道を進み続けることを。


 ピアノを弾きながら、僕は自分の筋肉の動きを、骨の軋みを、鼻孔を通る呼吸を、熱く流れる血の脈拍を感じる。


 ここはマンガの世界なのだろう。

 でも僕には肉体があり、確かな五感がある。

 ふたつの記憶がある、ひとりの少年だ。


 前世では成し遂げられなかったことを、僕は叶えようと思う。

 諦めたりせず、目を背けず、夢を追い続けよう。

 それが真の意味で、僕の半身を弔うことになるだろうから。




 僕は、この世界を生きていく。

 他の誰でもない、ただひとりの鷹月孝一として。









 第一章 少年漫画転生 ~END~


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