種子
「そんなことが、できるんでしょうか……?」
「できる。少なくとも、私はそう信じているんだ。だが、それには類い稀な資質と、たゆまぬ研鑽によって得られる感性が要求される」
寮さんの、表情、口調、態度、眼光。どれをとっても、冗談を並べている気配は皆無だ。
今、この人は本気で、少なくとも外見上は子供の僕に、相対しているんだ。
資質と感性と、寮さんは言った。
「それが、僕にはあると?」
「ああ、そうだ。君には可能性がある。私自身、理論上は可能だと思っていたが、多くの選手にそれができそうな資質を感じることができないでいた。もしかすると、フィールドプレーヤーには難しいのではないかという結論に傾きつつあった」
寮さんは、映像を停止し、自前の記録ディスクを片付ける。
視聴覚室の黒いカーテンの隙間からは、夕陽の紅い光が射し込んでいる。
時刻はとっくに夕方を迎えていた。
「しかし、君を見て考えを変えたんだ。君なら、将来的にフィールドという空間軸を越えて、ゲーム全体の時間軸でサッカーの試合まるごとを支配下におきコントロールすることができる、つまり試合の支配者として君臨することができるかもしれない」
買いかぶり過ぎではないか。
そうは思うが、その表現はさすがに小学生らしくないので口には出せず、うまく言葉には出来ない。
「何も言わなくても、君の目を見ていれば、私の期待が間違いではないことがわかるよ。君は、私の話を全く理解できないほど子供でもなければ、絵空事だと笑い飛ばして相手にしないほどの大人でもない」
「でも、それで、僕は何をすればいいんですか?」
「試合を読めるようになればいい。結局、サッカーは限られた空間と、限られた人数の人間で争われる競技だ。一人一人の選手には、それぞれのクセや、この場合はこうするという、ある程度の思考パターンがあるとしよう。だとすれば、試合開始の笛が吹かれた瞬間から、ある程度、試合の運命は決まっていると思わないか?」
「……たしかに、ある程度は」
「ならば、その運命を正しく読み解くことができれば、敗北の運命を勝利に変わるよう誘導することができるかもしれない。優れた、チェスや将棋、囲碁のプレーヤーが、はるか先の一手を予測しゲームを支配するように」
つまり僕は、普通にサッカー選手として試合に参加しながらも、ゲーム全体を見ながら、選手全員の思考と行動を読み取って、そこから最後には自分のチームが勝てるように、例のパスのようなプレイを試合中に使って、勝てるように結果を誘導することができるようになればいいわけか。
ゲーマー風に言うなら、負けるフラグを折り尽くして、勝てるフラグを立てまくるって感じかな。
かなり難しいだろうけど、絶対に不可能とまでは言えないかもしれない。
でも、それって、天才というか、ほとんど神に近いよね。
サッカーの神様。
そんな、ブラジルの有名な人いたなあ。
習得できたなら凄いのは間違いない。
でも、僕にとっては大きな欠点を抱えた技だ。
なぜならば、それは──
絵的に地味!
ってことだ。
ある意味、鷹月孝一らしいってことは言えるんだろうけど、実際にやることは、相手選手や味方選手の思考を誘導するようなプレイをやって心理的に影響を与えていくってことになる。
だからたぶん、そんな派手なことはしない。
影から試合を支配する黒幕のようなことをするんだ。
寮さんは、どうやら鷹月孝一というキャラを見抜いてるんだろうな。僕だからできると言われても、妙に納得できるところがあってしまう。
でも、地味だからという理由で拒否するには、もったいないほどの技だ。
「それで、試合を読めるようになるためには、どんなことをすればいいんでしょうか」
「なるべくたくさんの試合を経験することだな。その点、君はまだ小学生だ。今のうちから、そのつもりでサッカーを見ていれば、成熟し選手としてのピークをむかえる頃には、かなりの経験値を蓄積できるだろう」
「なるほど」
「私は、そう長くは日本にいられないんだが、出発までの何日かは君に付き合うことができる。今日のような映像をいくつか持っているので、どんなケースで運命を変える分岐点が試合中にあらわれるのか、いくつかの例を教えてあげられる。どうだい?」
「それは、はい、お願いします」
ふと、寮さんの言葉のなかに、引っ掛かるワードを覚えた。
それは『運命を変える分岐点』というところだ。
誰か、他の人物が、同じ言葉を使っているのを知っている。
とても重要な誰かという気がしてならないんだけど、はっきりとは思い出せない。
寮さんは、話を続ける。
「たとえどういう結果になろうと、サッカー選手でいる限りは、この挑戦自体は無駄にはならないだろう。私ができるのは君に種子を植えることだけだ。少しの間、水をまくこともしよう。しかし、芽を出して育てることは君自身で続けていくんだ」
「はい……でも、あなたは一体──?」
思い出せない誰かのことを考えるうちに、そもそも、目の前にいる、寮さんという人物のことをよく知らないことに思い当たったのだ。
チームの監督と知り合いで、尊敬されている人としか情報の持ち合わせがない。
僕に種子を届けに来たこの人とは、一体、何者なんだろうか。
「私か? 私は、サッカーに取りつかれた、ただの男さ。名を、菱井寮という。今は、ヨーロッパで指導者としての勉強をしている」
菱井寮?
それは、フルネームを知るだけで氷解する謎だった。
寮さんこと、菱井寮さんは『僕と女神のタクティクス』のヒロイン菱井麻衣の父親であり、サッカーの指導者として、幼少時よりその姿を目に焼き付けて育ったことにより、彼女に最大の影響を与えた張本人なのだ。
あの言葉『運命の分岐点』は菱井麻衣が原作で多用する表現だ。
彼女は、それを見極めることで、チームを勝利に導くのだから。
菱井寮さんのことを、原作に出てこない人物だと思ったのは、彼がビジュアル的には作中に現れなかったせいだ。
出てきたとしても、菱井麻衣と電話中で声だけの出演だったり、彼女の回想シーンで背中とか、影だけが出てくる場面しかなかった。
そうして、姿を見せない寮さんなのだが、作中において何ら特別な役割をもたずに存在感が薄いままで終わるわけではない。
むしろ逆だ。
彼は原作の終盤においてストーリーに重要な影響を及ぼすかたちで、その名が登場することになる。
高校サッカーの選手権において快進撃を続ける観覧ノ坂イレブンに、突如としてヨーロッパからもたらされた訃報として。




