懸念
外は相変わらず雨。
天気予報では、終日降り続くようなことになっていたはずだ。
早優奈ちゃんが加わって、三人でサッカーゲームを遊ぶ。
架純ちゃんが交代して、僕は、早優奈ちゃんと対戦をした。
今度も手加減どころの話ではなかった。
妹は、姉の遥か高みにいたのだ。
目茶苦茶強い。
「きゃははははは! こーちゃん、しゅぎょーが足りませんなー!」
「さっき、始めたばかりだよ……」
なぜに、スペイン代表が、アジアでもそれほど強くはない某国の代表に対して、意図も容易くパスカットされ、あげく守備組織をズタズタにされて得点を許してしまうんだろうか。
現実で起きたら、サッカー会を揺るがす大事件じゃないだろうか。
個人技に執着しがちな架純ちゃんと違い、早優奈ちゃんは、フィールドをワイドに使い、僕を揺さぶってくる。
パスを効果的に使う、組織的な攻撃を持ち味にしている。守備は粘り強く、ほころびを見せることはない。
完敗した。
僕は、少し汗ばんだコントローラをシャツの裾で拭ってから、架純ちゃんにそれを差し出した。
「架純ちゃん、代わろうか?」
「いいよ、あたしたちは散々ふたりでやってるから」
だろうね。
そうだろうとは思っていた。
ここまで熟練のプレイを見せるところからは、姉妹で、相当の回数の対戦をこなしたんだろうなということが察せられる。
でも、たしかに負けると悔しいし、何度でも対戦したくなるのは分かる。
僕も、出遅れて実力差が今はまだあるとはいえ、このまま負けて引き下がる気はない。
「あーあ、コントローラがもういっこ有れば三人で遊べるのにねー」
「無いものは無いんだから、しょうがないでしょ」
姉妹のやり取りを聞いて、僕は、サッカーゲームのパッケージの裏を見た。
確かに、最大四人まで同時対戦、または協力プレイが可能という表記がある。
「コントローラがあれば、四人まで遊べるんだ」
「そうだよ、でも家には二つしかないの」
「うん、でも、すぐそこに有る気がする」
「?」
僕には、コントローラの在りかに心当たりがある。
同じ町内にある剛士の家のことだ。
鷹月家にはかつてゲーム機はなかったのだが、陽狩家にはここにあるものと同じ機種が有る。
確か、リズムゲームの何かを、剛士の姉さんと、その友人が遊んでいるところを見た記憶が、ぼんやり残っているので、コントローラもおそらくは二つあるはずだ。
剛士に頼んで持ってきてもらったら、コントローラが四つになる。
剛士も交ぜて、四人対戦ができるんだ。
せっかくだから、剛士にも、姉妹に敗北する屈辱を味わせてやりたい。
人は、負けることを知って大きくなるんだ。
だからこの気持ちは剛士への揺るがない友情と連帯から生まれてくる感情だ。うん、そうだ。
「剛士の家にあるはずだから、もしよかったら、持ってきてもらおうか?」
「剛士って、陽狩剛士くん? でも、外はすごい雨だよ」
「大丈夫だよ、剛士の家はすぐそこだし」
たぶん、本気で走ったら、鷹月家の玄関から陽狩家の玄関まで、30秒くらいで移動できる。
そのくらいは近所なのだ。
この雨だから、剛士も家で暇をもて余していそうな気がする。
呼んだら、すぐにくるんじゃないだろうか?
だけど架純ちゃんの顔があまり乗り気じゃなさそうなのが気になった。
男子の友達を呼ぶのが問題ありなんだろうか。
それとも、同じ学校の同級生を、僕らが暮らしているこの家に招くこと自体が心配なのか。
学校側には、僕らが同居していることは伝わっているものの、あまり大っぴらにされているわけではない。
秘密というほどじゃないけど、言い触らしてまわるようなことでもないという扱いになっている。
架純ちゃんは、情報の拡散を懸念してるんだろうか。
でも、剛士の家はもともと家族ぐるみの付き合いだったので、父の再婚のことなどは下手な親戚なんかより経緯に詳しいくらいだ。
剛士も、架純ちゃんたちが引っ越してくるまではよく泊まりでこの家に遊びに来ていた。
今でも僕は、陽狩家の方にはよく泊まっている。
サッカー日本代表の試合がある日や、話題性の高い海外サッカーの試合中継のときに泊まりがけで二人で観戦するのだ。
架純ちゃんたちさえ、つごうが悪くなければ、また剛士を家に呼びたいなとは思っていたんだけど。
「嫌かな?」
「ん、ああ、ちがうの。私はいいんだけど、今日はお母さんがね……」
「明美さん?」
話題にのぼったタイミングを見計らったかのように、明美さんが、リビングに現れた。
臙脂色のジャージ上下に、キャラクタもののモコモコしたタオルを肩に掛けている。
髪は、前髪からすべて頭の後ろでまとめて縛っている。
これは、漫画家としての戦闘服を装備した状態なのだという。
確かに、ジャージの腕の裾は、インクやホワイトで汚れていて、ところどころ、スクリーントーンの細かい切れ端が貼り付いている。
明美さんが着ているジャージの胸には、御覧ノ坂高校の刺繍が見えた。母校なんだということだけど、御覧ノ坂は『僕タク』の舞台でもある学校だ。
つまり、僕や剛士、矢吹が通うはずの高校なんだ。
ちなみに明美さんは、高校のときから同じジャージをずっと着ているわけではなく、色々なスポーツメーカーのジャージを試してみた結果、一周回って高校時代のジャージが一番漫画が描きやすい装備であることで結論が出たので、学校に卸している業者から買ったり、卒業生から譲ってもらったりしたのだという。
こだわりの仕事服ってことだね。
一緒に住むようになって、最初の頃は、明美さんは僕に、この姿の自分を見せないよう、極力隠れていたのだが、一度見つかったあとでは諦めたのか、今では堂々としたものである。
架純ちゃんの心配は、明美さんが他所の子にはさすがに、この格好を見せたくないだろうということか。
それは、まあ、分かる。
「架純、冷蔵庫のプリン知らない?」
明美さんは、生気のなくやつれて、どことなくアンデット感を漂わせている。
締め切りが近いとは聞いていたけど、なかなか大変みたいだ。
「それなら、お母さん、さっきブツブツ呟きながら食べ尽くしてたでしょ」
「ええっ? そうなの、完全に記憶から飛んでいるわ。どうしよう、あれがないと、私、頑張れない……」
「そんなことだろうと思って、帰りにドーナツを買ってあるよ。キッチンのところに、置いてあるから」
「まあ、なんて素晴らしい。愛しき我が娘。あなたがいて良かったわー」
フワフワした足取りで、明美さんはキッチンに向かった。
「お母さん、締め切りと戦うときには甘いものの補給が欠かせないのよ」
「ふとるけどねー」
早優奈ちゃんは、基本姿勢として余計なことを言いがちだ。
バッと、明美さんが舞い戻ってきた。
口にはすでにドーナツを挟んでいる。
「そこ、太るとか言わない!」
明美さんは、何気に地獄耳なのだ。
「そうそう、陽狩君って、いつも孝一君がお世話になっているお家の子でしょ? 私は今から、たぶん明日の朝まで仕事場にこもるから呼んでも大丈夫よ。悪いけど、ご挨拶は勘弁して。また改めて出会うことにさせてね。夕飯は、出前になっちゃうけど、それでも良かったら御馳走してあげて。あとは、架純、よろしくね」
「う、うん、わかった」
剛士のことまで、聞こえていたらしい。
甘いものの補給が入ったせいか、さっきより明美さんはシャキッとしている。
仕事に燃えるプロフェッショナルの顔だ。
ドーナツの食べかすが、口の端からポロポロしてるけどね。




