出会いと再会と
僕と女神のタクティクス。
原作のタイトルにある女神とは、御覧ノ坂高校サッカー部に女子高生監督として君臨しチームを勝利に導く作戦を授けてくれる存在である彼女のことだ。
サッカー最先端の地、欧州で指導者の道を歩む父のもとで育ち、一流の選手らの活躍を幼い頃より目に焼き付けながら、戦術、技術の面でも父に学びつつ独自に研究研鑽を重ねて天才的ともいえる超絶サッカー理論を築き上げたひとりの少女。それが菱井麻衣だ。
押しが強く、変わり者だが魅力的なツンデレの女神様。
一目でそこに現れた少女が菱井麻衣本人だとすぐにわかった。
剛士や矢吹で、原作との年齢差を引き算して見ることに慣れていたからかもしれないけれど。
ただ今の彼女は、女神に例えるにはまだまだ幼い印象が強い。
大人になれば絶世の美女になるだろうことは想像に難くないところではあるが。
そんな人物がいきなり降臨したかと思えば、僕に会えて嬉しがっている。
単純に対応に苦慮してしまった。
昔よくあったモノマネ歌番組でご本人登場されたときのモノマネしてた側の気分がこんな感じだったのかもしれない。
「そっちは誰だよ? それに孝一のことをシード?とか言わなかったか……なんだよそれ」
言葉を返せないでいる僕に代わって剛士が前に出た。助かる。
たしかにたった今、目の前の原作ヒロインは「シード──いえ、コーイチ・タカツキ」と口にしていた。
言いかけて途中で止めたのか、あるいは言い間違えたのかは不明だが、僕には自分の名前以外で人から呼ばれる心当たりはない。
菱井麻衣は悪戯っぽい笑みを浮かべながら剛士に顔を向けつつも僕を流し見ている。
意思の強そうな目だ。
「コーイチの呼び名のこと? 私が勝手にそう決めただけよ。パパがね、日本の御覧野に種を預けた少年がいるって……そう教えてくれたから、私ずっとコーイチのことをシードって呼んでたの」
「パパ?」
剛士は意味がわからないと首を捻る。
彼女が寮さんの娘だってことを知らないのだから剛士には意味が通じないのは仕方がない。
たしかに2年前の出会いで僕は寮さんから、空間と時間を支配するサッカー選手になるためのヒント──種、とあの人は言っていた──を受け取った。
とはいえその前提を知る僕からしても、そこからシード呼ばわりされるのはちょっと意味不明かなとは思うけど。
「会えて嬉しいわ、シード! ……でも、口に出してみるとシードって呼びづらいわね。いいわ、シードじゃなくて、シドって呼ぶことにするね!」
しかもいきなり変更された。
握手を求めて出された手を、僕は条件反射的に握り返す。
ついさっきの力石の手とはあまりに違う手触りに、これは同じ哺乳類に分類される人間の手とは思えないなって感想を抱いた。この比較を言い表すなら、石と絹とでも言うべきだろうか。
しかしこうして握手をしたってことは、自ら謎のシド呼び扱いを認めてしまったことになるかもしれない。
失敗したかな。
「シド、あなたが種をどう育て上げたのか……楽しみにしてるからね」
期待のこもる眼差しに僕を映す菱井麻衣。
ダメだ。もう完全にシド認定されてしまった。
「あっ……! そして君だね、カオリの彼氏は!」
「えっ、か、彼氏っ?」
変わり身早く麻衣は握手を解くと、次は矢吹をターゲットを絞った。
近寄るとふたりの身長は同じくらいか、やや麻衣が高いか。
おお。原作のメインキャラ同士の出会いだ。
なんか思ってもいない展開だけど、これはこの世界では結構な一大事じゃないだろうか。
過去に、歴史的な人物同士の会合というのはたくさんあっただろうけど、これはそれらに勝るとも劣らない出来事だろう。
なんというか立ち会えて光栄な感じがした。
「なるほど、なるほど……」
「えっ、あの……これは……?」
麻衣は矢吹の周囲をグルグルとまわりながら多角的に観察しだした。
二の腕やふくらはぎの筋肉を触って確かめたりと、やりたい放題だ。
矢吹は矢吹で、なすがままにされている。
「なかなかのものね」
「は、はあ……」
「君がカオリに本当にふさわしい相手なのかをチェックするのも日本行きの大事な目的だったからね」
「佐倉さんの……お知り合いですか?」
耳の裏を調べられながらも矢吹は麻衣に訊ねる。
「親友だよ……親戚でもあるわ」
「へえ」
「興味深いボディーバランスだわ。まるでサッカーのために生まれてきたサッカーの申し子みたいな……。君……名前は?」
指の長さを計られながら、矢吹は麻衣に自身のフルネームを伝え、どんな漢字を書くのかまで問われるままに教えた。
血液型から誕生日、好きな食べ物、座右の銘まで訊かれたら全部答えている。
矢吹には個人情報を保護しようという概念はないのだろうか。
この流れで大事な暗証番号とかを質問されても答えてしまいそうだ。
「そっか、名前はジュン……隼だから……ファルコンね!」
「えっ?」
「ねえ、ファルコンはポジションはフォワードなんだって?」
どうやら矢吹はファルコンで認証されたらしい。シドと、どっちがマシかは難しいところだ。
「そうそう、私はマイ・ヒシイよ。よろしくね──」
ようやく名乗った菱井麻衣。
まるでそのタイミングに合わせたように、彼女を呼ぶ声がする。
「麻衣!」
なつかしい声だ。
メールでやり取りはしていたけど、会うのはもう2年ぶりになる。
「なにしてるんだ、麻衣。君はここにいちゃいけないだろうに」
「パパっ!」
寮さん。菱井寮の姿がそこにあった。
麻衣は飼い慣らされた子犬のように、飛びつくと表現していい勢いで父親の懐に入り込む。
「ごめんね、パパ。私、どうしてもシドとファルコンに会ってみたかったの」
「そのためにも日本まで来たんだから気持ちはわかるが、麻衣はこのチームでは部外者になるからね」
「わかってる。すぐに私のチームのところに行くから」
「そうしなさい」
麻衣は父親から離れると、練習場の出口を目指し駆け出す。
僕らに軽く手を振りながら。
「じゃあね、シド! ファルコン! 試合を楽しみにしてるわ!」
大きな声でその呼び方は恥ずかしかった。
実際、まわりの選抜の選手らから変な目で見られているし。
菱井麻衣の性格が強引なのは原作のままだが、会った人間に次々と変な名前をつける習慣はなかったはずだが。
たまたま今の年齢に訪れたマイブームなのだろうか。
「なんだよあれ」
被害を免れた剛士が呟く。
「よっ。ひさしぶりだな。少し逞しくなったか?」
「お久しぶりです。日本に来るなら、教えておいてくれたらよかったのに」
「うむ。サプライズを狙ったんだ」
幸いなことに娘の麻衣と違い、父親の寮さんとは自然に話せる。
相変わらず渋くて格好いい大人だ。
前に会った時よりもスーツをしっかり着ている感じはある。
「実はこの御覧野市選抜チームの監督を仰せつかってね」
「寮さんが監督ですか」
「まあ、よろしく頼む」
あの菱井寮が監督をする。
原作では伝説的な立ち位置の人なので具体的な活躍が描かれたわけじゃないけど、麻衣が自分は未だ父の域には達していないと卑下していたほどだ。
その手腕がどれほどのものなのか期待してしまう。
「集合時間だ。行こうか」
僕らは寮さんに導かれ選抜チームのミーティングに向かった。
ミーティングでは力石の言ったように、院帝の監督がコーチとして参加すると挨拶があった。
選抜選手18名のうち、院帝からは8人が選ばれている。僕ら御覧野第二が次に多くて4人だ。
院帝の監督はみんなが聞いている前で堂々と、自チームの選手を軸に先発11人を決めるべきだと宣言した。
「菱井監督はあまり、この子らをよく知らないでしょう」
「まあ……そうですね」
「ですので私から意見させてもらうと、うちからの8人に足して、陽狩、田貫、矢吹あたりを先発に、スーパーサブとして足の早い千井田を終盤に投入するのがよろしいかと」
「なるほど、参考にさせてもらいますが……」
寮さんは言葉を濁す。
監督は寮さんなんだから最後に決めるのは寮さんだけど、ああいう言われかたをするとやり難そうだ。
「まあ、せっかく呼んだ選手たちですからチャンスは平等に与えたい。紅白戦をして、実力を見ましょう」
8対8の紅白戦をすることになった。
負傷の力石と、軽い負傷の千井田が外れる。
院帝の残り7人に田貫が加わりAチームを、それ以外のメンバーでBチームを組む。
「さて、どうなりますかな?」
「ちょっと、差がありすぎるかもしれません」
院帝の監督の質問に、寮さんはそんなことを答える。
僕のもとに近づくと寮さんは耳打ちをしてきた。
「いいか、5点差──いや、3点差までに抑えてくれ」
「えっ?」
「あまり大会前に自信を失わせたくない。全員が戦力であることに間違いはないんだ」
真剣に心配する様子で寮さんは言う。
「普通にやったら8-0でBチームが勝つ。君らが勝たないのも不味いが、勝ちすぎるのも選抜チームとしては避けたい」
「そんなに差がつきますか?」
「やればわかるさ。とりあえず君は、同じBチームに入る二野田と湾田の特徴をつかむようにするといい。彼らはいい選手だ」
「はい」
二野田と湾田については原作キャラだから実はよく知っていたりする。
一緒のチームでやるのは初めてには違いないから連携がとれるようにしたいのは確かな事実だ。
それよりも寮さんのほぼ院帝で固められたAチームが弱いみたいな言いかたのほうが気になる。
負ける気はないけど相手は今年の院帝でレギュラーばかりだ。
院帝という時点でサッカー選手としてはもうエリートに入る。
僕らの年代ではトップクラスの実力者ばかりだと思うから、8-0はさすがに無い気はするのだが。
釈然としないが、寮さんが言うようにやってみれば結果は出るだろう。
「まあ、最初のうちは全力でいい。思いっきりやるといいさ」
「そうします」
選抜チームでのレギュラーを掴むための紅白戦だ。
寮さんの見ている前でもある。
空回りしない程度に気合いをいれて立ち向かおうと、僕は心に決めた。




