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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
19_Over Again 〈命の護り手〉

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88 かわいそうな若者

 迷宮都市暮らしを始めて五日目の昼、この日は探索を休んで兄妹揃って部屋の移動をしていた。

 女性の探索者はなかなかやってくるものではなく、アデルミラだけの為に一部屋使うのは申し訳ないという理由からだ。

 

 ギアノが正式な管理人の部屋へ移動をして、空いた元倉庫へ二人で移動している。

 アデルミラだけでもいいのではないかと言われたものの、やはり、まだ不安は強い。

 妹の顔に落ちた影を想うと、まだ離れるのは早いのではないかと思えて揃って移動している。


「アダルツォ、アデルミラ」


 そんな二人のもとにやって来たのは、上の娘を連れたカッカーだった。

 リーチェは早々に厨房のギアノのもとへ遊びに行ったらしく、大きな体の元神官は少し狭そうに身を縮めながら倉庫だった部屋へ入ってきている。


「カッカー様」

「どうだ、少しは落ち着いたか」

「はい、皆さんによくして頂いているので」

 二人の顔色が良くなったことを喜び、カッカーはフェリクスの様子を兄妹へ伝えてくれた。

「まだ悲しみは癒えていないが、随分落ち着いてきた。赤ん坊の世話もしているし、リーチェとビアーナの面倒もよく見てくれていてな」

「そうですか」

「二人に礼を言ってほしいと頼まれたよ」

「私たちも、フェリクスさんのことを毎日祈っています。お伝えくださいますか?」

「もちろんだ」


 フェリクスは自分の甥に、名前も考えて与えたという。

「メーレスと名付けたよ」

「メーレスですか。力強い、良い名前ですね」

「フェリクスの妹には好いた男がいたらしくてな。親友だったそうだ」

 親友はメーレという名で、せめてもの思いで名付けをしたらしいとカッカーは話した。

 フェリクスは、家族だけではなく、親友まで失っていた。

 これ以上の不幸は、フェリクスにはもう必要ないだろう。アダルツォはそう考え、神にこれからは祝福だけを与えてほしいと祈った。


「赤ん坊がいる家庭がたくさんあって、メーレスも乳をもらっているんだ。毎日ぐんぐんと大きくなっているよ」

「それを聞いて安心しました。メーレスの上にもたくさんの恵みがありますように」


 カッカーは改めて二人へ不自由がないか問い、兄妹は充分に満たされていると答えた。

 屋敷の主は管理人にお菓子を作ってもらえないか頼みに来たらしく、厨房からは甘い香りが漂ってきた。


「ギアノのおかし! おいしいおかし!」

「リーチェ、行儀が悪いぞ」

 廊下をぴょんぴょんと飛び回る幼子の姿は愛らしいもので、アダルツォも思わず相好を崩している。

「ギアノ、ヴァージの分も頼んでいいか」

「ちゃんと準備していますよ」


 カッカーがリーチェを連れてきたのは、新しい管理人の作る甘味のためだったようだ。

 ギアノは小さな女の子を丁寧にもてなし、たくさんのお土産を包んで持たせている。

 屋敷の状態が問題ないとわかって、カッカーも安心した様子で馬車に乗って帰っていった。


「アダルツォ、フェリクスの様子を聞いたって?」

 夕方になるとどこかへ出かけていたティーオたちが戻ってきて、一緒に夕食の準備をしながら話をしていった。

「まだ少し時間はかかりそうだって。でも、前向きに頑張っているみたいだよ」

「そうだよな。まだ四日か、五日だっけ。そんなにすぐに立ち直れないよなあ」


 探索に行くなら、もう一人ほしいというのがティーオたちの総意のようで、アダルツォも前衛がいた方がいいと思っていた。

 屋敷の中に、声をかければ来てくれる者は当然何人かいる。

 だが、今いるメンバーはみんな超がつくほどの初心者ばかりで、誘えば「橙」で一から訓練をつけてやらなければならないだろう。

 

 一から指導していくのが悪いとは言わないが、フェリクスがいつ戻ってくるかわからない状態だから。

 できれば、今だけ頼むよと言われて、了解してくれる程度の実力者の方が良かった。

 その気になれば他のパーティにすぐに入れる程度の経験があって、追い出さないでくれと言い出さない者が良いのだが。

 誰かがそうはっきり言ったわけではないが、四人の意見はおそらく、同じようなものだろうとアダルツォは思っている。

 ティーオたちは付き合いが長く、アダルツォも含めて専門職が集っている珍しい四人組だから。

 中途半端な素人を入れると、もめるかもしれない。

 できれば屋敷に集う面々との間に、禍根を残したくはない。

 フェリクスが戻って来た時にすんなりと五人になれるのが、一番良い未来なのだから。



 なので、アダルツォたちは結局四人組のままで行動を続けていた。

 屋敷から「藍」へはすぐにたどり着くし、地図を買い足して十二層までのものを手に入れていた。

 灯りの仕掛けは厄介なものだが、できれば鹿を倒してみたくて、挑戦を続けている。


 この日は八層目までたどり着いたものの、鹿とは遭遇できず。

 しばらく八層目を歩き続けて、背負い袋が肉と皮でいっぱいになったので、探索を切り上げて地上へ戻ってきていた。


「ギアノ、肉を持て余してないかな?」

「あはは、ひょっとしたらそうかもね」

「誰かが食べるだろうし、いくらあったって無駄にはならないさ」


 屋敷に戻って肉を管理人に渡し、皮を売りに行こうと道具屋へ向かう。

 南の市場にも買い取りをしているところがあると紹介されて、四人はぶらぶらと歩いていった。


 夕方に開く市場を見て回り、なるべく高く買いとってくれる店を探し、少しだけ儲けた帰り道。

 途中にあった「赤」の迷宮の入り口の辺りに、人だかりができていた。


「なにかあったのかな」


 「赤」はそれなりの実力がなければ挑めない場所で、あまり混みあうところではない。

 なぜ人が集まっているのか不思議に思ったようで、ティーオが駆けだし、三人もその背中を追った。


 すると、「赤」の迷宮入口前に誰かが座りこんでいるのが見えた。

 集まっている野次馬たちは距離をとったまま、座り込んでいる誰かを見て小声で笑っている。


 人だかりの隙間の下の方からのぞき込んで、アダルツォはなるほど、と思っていた。

 座り込んでいる誰かは裸で、膝を抱えたまま動けないでいるようだ。

 どうしてこんなところで、裸でいるのか。

 疑問でしかない光景だったが、仲間のうちの一人の反応は違う。


 コルフは両手で口を覆い、驚いた顔をしている。


「コルフ、知り合い?」

「え? いや、知り合いじゃあないんだけど」

 ティーオに尋ねられて、コルフは慌てて否定をしている。

 周囲の人間はこの会話を聞きつけて、魔術師へ遠慮のない視線を送っている。


 その様子に、裸の男も気づいたようだ。

 膝を抱え座り込んだままだが、視線だけを向けて、そして叫んだ。


「あっ、アダ……、アダル……ツァ?」


 四人組に、更に周囲の注目が集まっていた。

 名前は間違っているが、呼ばれたのは雲の神官に違いなく、ティーオたちも驚いた顔でアダルツォを見つめている。


 座り込んだ男は、白く輝く柔らかな長い金色の髪の持ち主で、向けられた瞳は氷のような薄い青。

 すっと通った鼻筋に、長い睫毛のかかった目は大きく、顔の上半分は女性的な美しさに溢れている。

 体つきは丸見えなので、女性ではなく、男性なのは間違いないのだろうが。


 ここまでの特徴を持った人間に心当たりがあって、アダルツォは思わずその名を口にしていた。


「クリュ?」


 まだ俯いていて、口元は見えなかったのだが。

 名前を呟いたお陰で、顔がはっきりと見えた。


「アダルツァ! 助けてくれ!」

「知り合いなのか?」

 カミルに問われて、仕方なくアダルツォは頷いていた。

「ごめん、誰か上着を貸してあげてくれないか」

「ああ、いいよ」


 コルフが着ていた魔術師らしい長い上着を脱いで、膝を抱えたままのクリュの肩にかけてやっている。

 美しい金髪の男はもじもじとしながらも上着をまとって、立ち上がり、自分の体に巻かれていた薄い透けた布をとって丸めた。


「アダルツァ、お前なのか、俺をこんな目に遭わせたのは」

 立ち上がるなり難癖をつけられ、神官もさすがに渋い表情を隠せない。

「なにを言ってるんだかわからないよ、クリュ」

「俺のことを恨んでただろう? ……ん? どうしてこんなところにいるんだ?」

「話が全然見えないんだけど」

「だって、借金取りに連れていかれたはずじゃないか。そうか、わかった。俺に押し付けたんだな? なにをどうやって、こんな目に遭わせやがったんだアダルツァ!」


 小柄なアダルツォは大抵の大人の男よりも小さく、首元を掴まれれば簡単に浮いてしまう。

 突然暴力を振るった謎の男に、ティーオたちが抵抗して、アダルツォはすぐに地上に下ろされていた。


「なんだお前ら!」

「こっちの台詞だよ。クリュっていうのか? アダルツォは信頼のおける、僕たちの大切な仲間なんだ。わけのわからないケチをつけるんじゃないよ」

 カミルが怒って、コルフがこう続ける。

「その格好、術師ホーカの屋敷にいたんだろう? 抜け出してきたのか」

「誰だ、術師ホーカって」

「自分で自分のことがわからないのか?」


 美しい金髪のクリュは頭を抱えてぐらぐらと揺れている。

 その様子はおかしなものだが、身に着けていた透けた布以外なにも持たずにこんなところにいて、記憶も混乱しているようだった。


「コルフ、ホーカの屋敷っていうのは?」

「うーん。話すとちょっと長くなるし、どこかに移動しようか。このクリュって奴にも説明が必要そうだよね」


 行き倒れみたいなものだしというカミルの意見のもと、樹木の神殿を頼ることが決まる。

 裸でなにも持たずに蹲っていたと説明すると、神官のロカは驚いて、奥の部屋へ通してくれた。

 街で行き場を失くして困っている者のために、神殿では簡素なものだが衣服の類を用意してあって、長い上着は無事にコルフへ返されている。


 クリュの着替えを待ちながら、三人はアダルツォへ当然の質問を投げかけてきた。

「で、知り合いなの?」

「うん。会ったのは一年半ぶりくらいかな。前に五人組になっていたうちの一人で」


 三人を失った最後の探索で一緒だった。

 クリュと二人で、一番小柄な仲間を連れ帰り、金を借りて。


「気が付いたらあいつは逃げてて、いなくなっていた」

「かわいそうに、アダルツォ」

「だから押し付けたとか言ってたのかな?」

「押し付けたりなんかしていないよ」

「それはもちろん、わかっているよ」


 ティーオもカミルもコルフも、一緒になって娼館街まで探しにやってきてくれたのだから、疑いがあるはずがなかった。

 クリュがなにを言ってきても三人が証人になってくれるだろう。


「ホーカの屋敷っていうのは、コルフ、なんなんだ?」

「ホーカ・ヒーカムっていう女の魔術師がいてね、街のどまんなかで私塾を開いているんだけど」

「魔術師の塾ね」

「そう、魔術を習いに行くところなんだけどさ。……どういう理由か知らないけど、クリュってやつは透けた布を巻いてただろう? あれと同じ格好の男がいっぱいいるんだよね」

「裸で?」

「そうだね、まあ、あの布に服としての意味なんかないから、裸ってことでいいと思う」


 カミルは聞いたことがあったようで、なんとも言えない顔をして黙っている。

 ティーオとアダルツォは、なぜ、の疑問が溢れて止まらず、驚きや哀れみの感情に振り回され、顔をくしゃくしゃにしかめていた。


「なんだよこんなしょうもない服、もっといいのはないのかよ」

「ありません」

 文句を言いながらクリュがやってきて、ロカは案内をしてくれたものの怒っているようだ。

「ごめんな、ロカ」

「みんなの知り合いなのかな」

「知り合いなんかじゃないよ。もっと下。アダルツォが顔を知ってたって程度」

 若い神官のロカは、ふうんと呟いて去っていき、クリュはどかっと遠慮なく椅子に腰を下ろしている。


「アダルツァ、俺をはめたな?」

「なんだよ、助けてもらっておいてその態度は」

 ティーオに怒られ、クリュは驚いて身を縮めている。

「アダルツォはお前に逃げられて、一人で借金背負って働かされてたんだ。俺たちはちゃんと知ってるんだからな」

 借金についても解決済みだと話すと、クリュは納得いかない、と返してくる。

「どうやってあんなにいっぺんに返すってんだよ。あれからまだひと月くらいしか経ってないのに」

「なにを言ってるんだ。クリュ、あれからもう一年半以上だよ。お前のことなんて正直、忘れていたくらいなんだから」

「えっ」


 クリュは驚き、目をぱたぱたと何度も瞬かせた。

 部屋の灯りを受けて白金色の髪が輝き、氷の青をした瞳が潤んで涙が溜まっている。

 きれいな顔だな、と四人は思った。男でなければよかったのに、とカミルとコルフは考えている。


「みんなきれいなんだよな、そういえば」

「なにがだ、コルフ」

「ホーカの屋敷にいた裸の奴らだよ。若くて、きれいな顔で、金色の髪の奴が多いんだ」


 それは何の話かと尋ねるクリュへ、コルフはまた説明をしていった。

 なにをしているのかわからないが、クリュと似たような容姿の青年たちがいて、みんなぼんやりと屋敷のあちこちで佇んでいるのだと。


「術師ホーカ……?」

「その人たちって、魔術を習いに来ているわけじゃないの?」

「違うと思うよ。みんなぼやーっと座り込んでたり、ただ立ってたり、しゃべっているところを見たことがないもんな」

「俺も裸でぼけーっとしてたってことなのか?」

「そうなんじゃない?」

「うう! なんだ! なんでなんだ!」


 今度はめそめそと泣き出して、ティーオたちは呆れた顔をしてクリュを見つめている。


「ごめん、みんな」

「アダルツォのせいじゃないよ。どうせなにか悪いことでもしたんだろ、こいつは」


 面倒を見る気はさらさらないが、このまま放置して良いものだろうか、とアダルツォは考えていた。

 記憶があいまいなようだし、情緒も不安定そうだし。

 

 かつて仲間だった頃の記憶を探っていく。

 クリュは少しばかり剣の扱いが得意で、五人組の中で前衛を任されていたはずだ。

 あの頃はまだ髪が短く、もう少し男性的なかっこよさがあったように思う。

 ただ、死者を連れて帰る時には随分面倒くさがったし、借金の額に驚いてあっという間に逃げていってしまった。

 薄情者だと思った。とはいえ、深く恨んでいたわけでもない。クリュが逃げ出さなければ、二人で閉じ込められていただけの話だ。

 娼館での下働きの日々を送ることに変わりはなかっただろう。


「なにかあったのかな」

 神殿の奥の部屋へやって来たのは、神官長のキーレイだった。

 妙な行き倒れがいたと報告があったのだろう。さめざめと泣く金髪の若者を見つめ、どうしたのかと四人へ問いかけてくる。

「『赤』の入り口のところに、こいつが裸で座りこんでいたんです」

「裸で?」

「厳密には裸じゃないんですけど」

 めそめそと泣くばかりの張本人のかわりに、コルフが事情を説明していった。

 多分ホーカ・ヒーカムの屋敷にいたのだと思うという話に、キーレイはなるほどと頷いている。

「なにかご存じですか、キーレイさんは」

「噂に聞いていたんだよ。まさかと思っていたが、本当だったんだな」

 迷宮都市暮らしの長い神官長は、街中の噂に詳しい。

 術師ホーカ・ヒーカムの屋敷に裸同然の若者がいることを知っていたし、彼らは家主の魔術師に借金を肩代わりしてもらった者たちなのだと教えてくれた。

「借金ですか」

「術師ホーカはこの街では有数の富豪だ。私塾の授業料も高いし、湧水の壺で随分儲けがあるからね」

「確かに、お金はありそうですよね」

「アダルツォのように、借金をして労働を強いられる者と同じなんだよ。術師ホーカが引き受けてくれるのは、そこの彼のように、容姿の美しい者だけという話なんだけど」


 なんらかの失敗をして、大金を借りることになった場合。

 一定以上の、魔術師好みの容姿をした者であれば、辛くてきつい重労働をしなくて済むのだという。


「裸同然の格好で屋敷の中に閉じ込められると聞いたことがある」

「借金のかたに? どうしてなんですか」

「本当かどうかはわからないよ」


 術師ホーカは美しい容姿の若者の借金を引き受ける代わり、代金分の期間、裸で屋敷の中に閉じ込める。

 それは、貴重な若い頃の時間を「無為に過ごさせる」ためなのだという。


「無為に過ごさせる?」

「年齢制限が厳しいのはそのためだという。若くて美しい男に対してどんな感情があるのかはわからないが、とにかく、貴重な若い頃の時間を無駄にさせるのが術師ホーカの狙いだという話でね」

「みんなぼんやりしているのは、そのせいですか」

「私は実際に見たことがないからね。でも、コルフにはそう見えたのだろう? なんらかの方法で気力を奪っているのだろうな」

 この話が本当なら、やめさせたいものだけど。

 キーレイはため息交じりに話し、クリュは衝撃を受けたのか口を大きく開けたまま動けなくなっている。

「クリュ、逃げた後にまた借金を負ったのか?」

「わからない。だって、アダルツァが借りたことになったじゃないか。その後になにがあったっていうんだよ」

「覚えてないの? どうせまた、同じような失敗をしたんだろうな」

 カミルとコルフの視線は厳しく、それでまたクリュはさめざめと泣いた。

 宝石のような青い瞳からぽろぽろと涙がこぼれて、それはそれは美しい光景だった。

「ずるいな、クリュ。お前が女の子だったら俺は助けちゃってたね」

 ティーオが呟いて、なにも持たない男は慌てて縋り付いている。

「助けてくれるのか」

「いや、女の子じゃないから。助ける筋合いがないっていうか」

 正直すぎる言動にカミルとコルフが笑い、キーレイは困っているようだ。

「アダルツァ、頼むよ、神官だよな、お前は、迷える者に手を差し伸べるべきだろう、なあ、アダルツァ」

「アダルツォだよ。ずっと間違えてる」

「ううーっ!」

「クリュという名なんだね。今日は神殿で寝床を用意する。食事も準備しよう、一晩休んで今後について考えようじゃないか」

 この場はキーレイが引き受けてくれるようで、四人へ目配せをしてくれた。

 帰る先はすぐ隣であり、クリュに見られない方が良いと考えてくれたのだろう。


 頼れる神官長にすべてを任せて、アダルツォたちはカッカーの屋敷へ戻っていった。

 儲けを四等分にして、アデルミラと合流して夕食の準備を進めていく。



「びっくりしたな、今日は」

「なにがあったんですか?」

 コルフの呟きに、アデルミラは首を傾げている。

 四人の男たちは視線を合わせて、年頃の娘に聞かせる話ではないと一瞬で判断を下していた。

「昔の仲間に偶然会ったんだ」

「昔の、兄さまの仲間だった方に?」

「ああ。クリュっていう男だ。アデル、もし出会っても相手にするなよ。残念だけどあいつは、あまり良い人間ではないんだ」

「クリュさんとおっしゃる方?」

「名前は、サークリュードだったかな。見た目は女性のように美しいやつなんだけど」


 仲間に借金を押し付けて逃げ、その後再び借金をして、裸同然の姿でぼんやりと時間を無為に過ごしてきた、可哀そうな若者について。

 話せるのはこの程度で、あまり語らない兄と仲間たちの様子から、アデルミラもそれ以上聞かないと判断したようだ。


「どう、アデルミラ。干し肉作ってる?」

「ええ、ティーオさん。いろんな味のものをギアノさんが用意していますから」

 試食が楽しみだという話になって、場の空気が温かくなっていく。

 今日もしっかり稼ぎがあることに感謝をして、夜になって部屋に戻ってから、アダルツォは財布の中身の一部を妹へ渡した。

「なにか必要なものがあったら買いに行くといい。必ず誰かに付き添いを頼むんだぞ」

「わかっています、兄さま。ギアノさんのお買い物の時に、一緒に行くようにしますから」

 もう赤ん坊を連れてもいないし、手元に預かっているわけでもない。

 赤毛の小柄な雲の神に仕える神官の兄妹が揃っていなければ、追っ手だって二人にはなかなか気付かないだろうと思える。

「ギアノはよく買い物に行くのかな」

「毎日ではありませんけど、時々市場に行って、果実や野菜なんかを買っているみたいです」

「留守にしていることもあるよな。アデル、一人で留守番をしているのか」

「そういう時は、樹木の神殿へ行っています。お掃除や、当番の方の食事の準備を手伝っているんです。必ず一人にならないようにしていますから」

「窮屈だと思うが、警戒はもう少し続けていこう」

「そうですね。メーレスとフェリクスさんが守られるよう、私たちにできることをしていきましょう」


 兄妹で揃って祈りを捧げて、床に就く。

 迷宮に入っている間は追手が来ることはないだろう。

 探索に行く方が安全なのだろうか、とアダルツォは考える。

 いや、そんなことはない。ほんの少しの油断が死を招く場所なのに、安全などと言えるはずがなかった。

  

 今日もなにも解決していない。焦っても仕方ないとわかっていても、平和な暮らしが欲しいとアダルツォは思った。

 倉庫だった半分地下になっている部屋で、妹はなんの不満も言わず、今夜もすやすやと眠っている。

 故郷で母と暮らしていた時にはなかった悲しい気持ちは、一体いつ晴れるのだろう。

 自分たちが守られていたことを強く感じさせられる。

 面白味のない暮らしだと思っていた自分がいかに未熟だったのか。

 夜が来るたびに、強く思い知らされていた。




「今日こそ鹿を倒したいよなあ」

 朝が来て、食事の準備をして、今日の予定を話し合う。

 アデルミラはにこにこと微笑んで、兄と仲間たちの話に頷いている。


 屋敷に滞在している他の初心者たちは、アダルツォを新しい利用者だと思い、アデルミラを手伝いの女の子だと思っているのだろう。

 みんな妹へは明るく声をかけてきて、服が破けてしまっただの、調理のアドバイスが欲しいだの、手を貸してくれないかと頼んでくるようになった。

 大抵はギアノがすぐに気が付いて、間に入って的確に指示をしてくれるが、当然いない時もある。

 些細な頼み事は引き受けることにしているようで、アデルミラは食事が終わったらと微笑みを返していた。


「心配だよね、アダルツォ」

 カミルが隣から囁いてきて、思わず頷いてしまう。

「でも、屋敷にいてくれれば安心だから」

 今は我慢の時だ。あまり妙なちょっかいを出してきたのなら、兄が出ていくこともあるのだろうが。

 単に苦手なことを手伝ってほしいという程度の話に、いちいち反応するのは過剰だと思える。


「あ、いた!」

 食堂にひときわ大きな声が響いて、大勢がなんだと振り返る。

 入り口に立っていたのはクリュで、昨日与えられた冴えない服を着て笑顔を浮かべていた。

「げえっ」

 ティーオが唸り、カミルとコルフと目を合わせ。

 来てくれるなという願いは叶うことなく、美しい金髪の若者はあっという間にアダルツォたちのもとへ駆けよって来た。


「なんでここに来たんだよ」

「帰るように言われたけど、嫌じゃないか。で、神殿から出ようとしたんだけど、ここに繋がってて」

 隣に座るアデルミラの背中をつついて、アダルツォは合図を送る。

 誰も歓迎していない様子になにか感じたらしく、アデルミラはさりげなく食器を集めて、厨房へ向かって去っていった。


 周囲で食事をしていた初心者たちは、美しい顔立ちの青年をぼんやりと見つめている。

 半分くらいは女性だと思っているのだろう。その気持ちは、クリュの正体を知っていてもよくわかる。

 そのくらいサークリュードの顔立ちは美しい。さすが、顔だけで労働を免れられるという迷宮都市の仕組みにひっかかるだけはあった。


「誰なんだい、ティーオ、その麗しい人は」

「ろくでなしだよ。ガデン、来ない方がいいよ」

「なんでそんな言い方をするんだい。可哀そうじゃないか」

「だったらガデンが面倒みてやって」


 さすがにここまで言われると穏やかではないと感じたようで、噂好きの男は表情を曇らせてクリュを見つめている。

 あまり見かけない、魅力的な薄い青い瞳の威力は相当なもののようで、ガデンはみるみるうちに顔を真っ赤に染めていった。


「なんだお前。真っ赤になって、気持ちの悪い奴だな」

「おい、クリュ、早く帰れ」

「ひどいことを言わないでくれよ。あんたの名前、なんだったっけ?」

 クリュはすかさずカミルの隣に座って、スカウトの黒い髪をふわふわと撫でまわしていった。

 コルフが腕を掴んでやめさせ、関わり合いになりたくないんだけどとストレートに告げる。

「わかった。わかった。まずは謝るよ。アダルツォ、本当に悪かった。俺は本当にひどいことをしたよ」

「わかればいいんだ。じゃあな、クリュ」

「そう言わないでよ。なんだっけ、ティトーだっけ、お前は」

「ティーオ」

「なあティーオ、アダルツォと、あと、お二人さんも。俺、剣を使えるんだ。それなりに使える。だからさ、探索の仲間に入れてくれよ。頑張るから試してくれよ。なんにも持ってないんだ。昨日見ただろ、あんな格好で放り出されたし、どうしてこうなったのかもよくわからなくて困っているんだ。俺は悪いことをしたけど、今の状況には本気で困ってる。一年以上の間のことをなにも覚えてないなんて、かわいそうだと思わないか?」

「自業自得だろ」

「なあ、コルフだっけ。教えてくれないか」

「なにを?」

「俺みたいな奴がいっぱいいたのを見たんだろ? なにかされたりしてなかったか。ぼんやりしている間に、誰かになにかされてないか、不安なんだよ」

「知らないよそんなの。俺はまっとうに魔術を習いに行っているだけだから、クリュたちとは立場が違うんだ」

「ひどい言い様だな。そんな、駄目人間みたいな言い方をしないでくれよ」

「駄目人間だろ、クリュは」

「うわあああ」


 ここまで罵ってようやく、クリュは食堂から飛び出していった。

 アダルツォが謝ると、三人は揃って慰めてくれたが、神官の心がすっきりと晴れることはなかった。

 

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