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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
15_Noxious Cuisine 〈サイドビジネス〉

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63 前途多難

 夜遅くなってから幸運の葉っぱに戻ると、部屋にはバルジとデントーがいた。

「よお、ギアノ。今日、かまどの神殿のあたりにいたか?」

「いや、行ってない。そっちはなにしてたんだ。訓練?」


 同室に逗留中の二人は、西側の空き地で剣を振ったり、手合わせをしてみたりしていたという。

 初心者を頑張って鍛えている真っ最中で、最下層へたどり着くにはまだ時間がかかりそうだと笑っている。


「お前はなにしてたんだ、ギアノ」

「生活費稼ぎだよ。調理の仕事がないか探してきたんだ」


 今日あった出来事について、バルディの不貞を除いて話していくと、二人は興味深げに最後まで聞いてくれた。

「薬草を入れるんですか」

「そうしたいんだけど、どれも変な味でさ」

 デントーは最近薬の調合を覚えてきたところらしく、穏やかな顔で頷いている。

「いいんじゃないですか、それで」

「ん? なにが?」

「薬草を使った料理なら、体にいいってことでしょう。薬って苦いものなんだから、薬草入りの料理なら苦くてもいいんじゃないでしょうか」

「そんなの食べたいか? 言っておくけど、結構な味だったよ」

「はは、そうですよね。調合がうまくいかなかった時、ものすごく嫌な味になってしまって驚きました」

 それでも、とデントーは言う。

「薬草の中には、傷をきれいに治す効果のものもあるらしいですよ。傷跡をきれいにするらしいんですけど、傷がないところもよくなるとか」

「傷がないところも?」

「なんともないところも、ふっくらさせるらしいんですよ。ロクなご飯を食べていないと、ガサガサになるでしょう。そういう部分の色つやが良くなるそうです。そういう効果がある食事なら、薬のような味でも欲しがる人はいるかもしれませんよね」


 一体なんという草にその効果があるのか。ギアノが尋ねると、デントーはなぜか首を捻っている。


「すみません、名前はちょっとわからなくて。以前に一緒に探索した人に、そういう効果がある草なんだって教えてもらっただけなんです。休憩した時にたまたま近くに生えていた草で、僕がぼーっと見ていたら教えてくれたんです」

「どっちで採れるんだ、それ。『緑』か『紫』か、どっち?」


 意外なことに、デントーは「緑」だと答えた。それも、低層で見かけたのだと。


「毒ばっかりしか採れないって聞いたんだけど」

「そうなんですか。ああ、そうか、ひょっとしたら秘密なのかもしれませんね」

「秘密? 業者が秘密にしてるってことか」

「肌がきれいになる薬なんて、その辺の探索者はあまり求めていないでしょう? ここではなくて、王都のようなところで、女性向けに高値で売っているとか、そんな風に話していたように思います」

「ラディケンヴィルスでは売ってない?」

「多分ですよ。それに、他の薬草と混ぜなきゃ効果はないらしくて」

「なるほど。なにと混ぜるのかは知ってる?」

強青(ギンド)草と言っていたかな。でも、それは『紫』じゃないと採れないらしいですよ」


 とてつもなくいい話を聞いてしまったと、ギアノは船の神に祈りを捧げた。

 なんという導きか。今日、バルディの店に行きついたのは、あの日見かけたデントーがやたらと気になったことと繋がっていたのだ。


「デントー、明日の予定は?」

「へ? 明日ですか。明日は……、どうでしょう、バルジ」

「別になにも決まっちゃいない。『橙』へ行くのももう少し後だ」

「なにもないみたいです」


 仲の良さに感心ながら、ギアノは二人に向けて手を差し出している。


「明日『緑』に付き合ってくれないか。その草、採りに行きたいんだ」

「ええ、はい。いいですよ、ね、バルジ?」

「いいに決まってるだろ。俺も行こうかな、ダンティンの相手も飽きたし」

「ありがとう、バルジまで。助かるよ」


 昼辺りから「緑」へ挑むことが決まったものの、ギアノは少しだけ悩んだ。

 バルディの店に顔を出すか、出さないか。昼の営業は手伝えないと、わざわざ言いにいく必要があるのかないのか。


 

 結局、ギアノは律儀に朝早くにバルディの店を訪れ、今日の手伝いはできても夜だけだと告げて宿へ戻った。

 ボロ宿の一階でダンティンたちとすれ違い、「よっ」と手を挙げて二階へ戻り、バルジとデントーと連れ立って昼食を共にして、「緑」へ探索に向かう。

 薬草の業者がたくさん集まってくる時間よりも少し早めに迷宮へ入り、最近「緑」がお気に入りなのだと話すデントーの案内で四層目へ降りて、目的の草を採集していった。あっさりと見つかった名を知らぬ草を多めに摘み取り、袋に入れていく。

 肌を美しくする美容の薬について業者たちが秘密にしているというなら、あまり目立たない方がいいだろう。

 そう助言してくれたのはバルジで、採集を済ませた後はしばらく兎狩りを続けた。皮と肉が目的で入っている風を装い、手早く仕事を済ませて袋をいっぱいにしていく。

 今日の収入をしっかり確保して、夕方になる前に地上へ戻った。


「ギアノ、お前、剥ぎ取りの腕がいいんだな」

「言っただろ。叔父さんの猟に付き合ってたんだ」

「魚の料理、時間をかけて仕上げてくれよ。『橙』を踏破したら、本当にお前と組みたいからさ」

「はは、いいぜ。俺もお前たちのことが好きになってきたよ」


 デントーにも礼を言うと、ひょろ長い男は力の抜けた顔で笑って、小声で神に祈りを捧げている。

 ずいぶん信仰の篤い男なんだなと考えつつ、肉の買い取りへ向かって、代金を三等分してわけていく。


「草は俺が全部もらうから、二人は少し多めに取ってくれ」

「はあ? いいよ、そんなの。お前の剥ぎ取りの腕が良かったんだからな」

「それはありがとう。じゃあ、遠慮なく」


 報酬を分ける作業も気持ちよく終わらせて、ギアノは二人と別れて南へと向かった。

 バルディの店による前に、アードウの店へと向かう。


「おう、チャレド、お前どこに行ってたんだ」

 どうしてもここではチャレド扱いされる運命にあるらしい。並べてみたら案外違うところも多いのにとか、中で働いているんじゃないのかとか、そんな思いで名乗って、バリーゼはいないか確認していく。

 対応してくれた男はギアノよりもずいぶん年上のように見える。着ている服の染みのカラフルさからしても、新入りではなさそうだと思えた。

「バリーゼなら、採集に行ってるよ」

「ああ、そうなんだ。昨日、薬草の仕入れで相談に乗ってもらってさ。強青(ギンド)草を譲ってもらいたかったんだけど」

強青(ギンド)草なら、わけてあげられるよ」


 今なら在庫があるから、と男は言う。チャレド疑惑は晴れたようで、籠一杯分の値段を確認していく。

 今日の稼ぎで充分に支払える額で、これならバルディの負担も少ないだろうとギアノは考えた。


「ついでに、これがなんの草か教えてもらえない?」

「どれだい」


 デントーから教えてもらった「緑」で採れた草を差し出すと、男はぎょっとした様子で、落剥(キネス)草だと教えてくれた。


「これは下手に触ると肌が溶けちまうヤツだぞ。早く捨てちまった方がいい」

「えっ、そうなのか。わかった、ありがとう」


 ギアノは慌てて手のひらを確認したが、特に異常は見つからなかった。


「ずっと手に持ち続けてるとヤバいんだ。すぐにしまったんなら大丈夫だろう」

「そうなんだ。やっぱり専門家は違うね。気をつけないといけないんだな、『緑』なんかに行く時は」

「そりゃあそうさ。みんなちゃんと覚えた方がいいんだよ。下層で触っていいものを覚えてから行った方が、毒も食らわずに済むだろうから」


 感心したフリをして、ギアノはまた考える。

 この言い様、アードウの店は美容の薬のレシピを知らないのではないか。

 

「親切に感謝するよ。バリーゼさんが無事に戻るよう祈っておく」

「あんたいい客だな。帰ってきたら伝えておく。ありがとうな」


 譲ってもらった強青(ギンド)草を抱えて、バルディの店へと向かう。

 夕暮れ時の迷宮都市の道は鮮やかなオレンジ色に染まっていて、街の南側は賑わいだしている。


 戻る途中に、「バルメザ・ターズ」が輝いていた。

 噂の超高級店の周辺はたくさんのたいまつが置かれて、どこよりも明るい。

 店の前には背の高い男前が並んでおり、やってきた女性客を丁寧に案内している。

 馬車がひっきりなしにやってきて、迷宮都市では珍しい渋滞を生み出し、御者がイラついた顔をしているのが見えた。


 すぐそこに家があるんだから、歩いてくればいいのに。

 そんな風に考えられるのは、自分がしがない探索者だからなのだろうか。

 富裕層には富裕層の振る舞い方があるのだろう。

 高級店にやってくる奥方たちの子供はみんな、王都で暮らし、学校とやらへ通っているのかな。

 そんなことを考えながら、ギアノは歩く。



「おお、ギアノ、遅かったじゃないか」

 バルディはとうとう新しい仕事仲間の名前を憶えてくれたようだ。

 店に入るなりこう声をかけられて、ギアノの気分は少し上がっている。

「いい話を聞いたんだ。バルディさん、一発逆転できるかもしれないよ」

「いいから、とりあえずこれを運んでくれ。奥のテーブルに」


 夜の営業は「コルディの青空」でも始まっていた。

 どうやら今日はリータすらいないようで、バルディは涙目でトレイをギアノに押し付けてくる。

 荷物を店の隅に放って、仕方なくギアノは給仕の仕事を始めていく。

 その辺によくいる顔の男が運んできたのが不満なようで、テーブルで待っていた客たちの表情は険しい。


「リータちゃんはどうしたんだい」

「どうしちゃったんでしょうね、具合が悪いのかな」


 適当に答えながら皿を並べ、ごゆっくりと微笑みを投げかける。

 ギアノの笑顔で喜ぶ客はいなくて、男たちはつまらなそうにフォークで肉をつついた。


「リータちゃんはどうしちゃったの?」

「いや……。うん」

「そっか」

 

 バルディは落ち込み、客は虚しい顔で食事をとっている。

 活気ゼロの店の様子はすぐに察知されて、何人か入ってきた客は、ギアノが声をかける前にくるりと回ってすぐに出ていってしまった。


「バルディさん、しばらく閉めよう。魚メニューの開発に集中しよう」

「はあ? それじゃあ、儲けが出ないじゃないか」

「開けててもしょうがないだろう、こんな状態じゃあ。最近の客、みんなあの娘が目当てだったんじゃないの?」


 客寄せのためにリータを雇っていたのではないのだろうが、結局はそうなっていたわけで。

 なにがあったのか知らないが、今のバルディの落ち込んだ様子からして、あの給仕係はもう店には来ないのだろう。


「仕入れにもお金がかかるじゃないか。あの店、さっき通りかかって、見たよ。めちゃくちゃ流行ってた」

「そうなんだよ……。ものすごく客が入ってるんだよ……」

「反応が暗すぎ。バルディさん、いい話聞いたから、試そう。今日は魚の仕入れはした?」

「した……」

「元気出しなよ。逆によかったじゃないか、あんな女に入れ込んでも待っているのは破滅だけなんだから」


 ギアノは笑いながら材料置き場へ向かって、魚があるのを確認していく。


「本当にくっせえなあ」


 昨日見たのとは違う形の魚の登場に、ギアノは唸った。

「何種類あるんだ、迷宮の魚」

「さあな」

「元気出しなってば。バルディさん、もう店閉めてくるよ」


 店の外には、あかりがひとつだけ灯されてゆらゆらと揺れている。「バルメザ・ターズ」に比べてあまりにもささやかな景色は涙を誘うものがあるが、ギアノは泣いたりしない。

 あかりを消して扉を閉め、厨房へと戻る。

 バルディは椅子に座って、どんよりとした顔で、ぴくりとも動かなかった。

「生きてるよね?」

「ああ……」


 吐息のようなかすかな返事に、ギアノは鼻で笑う。

 作業台に魚を置き、持ち帰った草を注意深く運んで、そこでようやく、はて、と首を傾げた。


「あ、そうか。まずいな」

「なにがまずいんだ」

「量がわからない。そういや、味もわかんないよなあ」

「なんの話だ、ギアノ」

「ここに草が二種類あるだろ。これで肌がきれいになる薬ができるらしいんだ」

「肌がきれいになるって、なんだ」

「色つやが良くなるんだよ。『バルメザ・ターズ』に来るような奥さんたちなら、飛びつくんじゃないかと思ったんだけど」


 デントーの話ぶりからして、調合のための量まで知っているとは思えない。

 森で採れるごく普通の薬草の扱い方ならわかるのに。ギアノは腕を組んで、どうするのが一番良いのか考え始めた。

 しかし、いい案は浮かばない。粉末にするのか、水分を加えて揉むのか、水に漬けて抽出するのか。スタート地点からしてわからない。いちいち試していってもいいが、万が一があっては困る。一方は毒草なのだから、バルディかギアノが死ぬ可能性だってあるだろう。


「聞くしかないのか」

「なにを、誰に」

「業者にだよ。そうだよな、考えてみればさ、迷宮で採れる草からできたきれいになれる効果なんて、店が評判になれば気づかれるもんな、薬草のプロたちに」


 彼らは店ごとに秘密のレシピをもっているのだろうとギアノは考えていた。

 業者たちに知られないように料理を完成させれば、変な邪魔は入らなくて済むと思っていた。だが、うまくいったらすぐに知られてしまうだろう。大体、素人が一から始めていては、レシピが出来上がるのにも時間がどれだけ必要になるか。

 こんな仕事に何年もかかってしまっては意味がない。

 

「だったら最初から協力してもらった方がいいのかもね」

「そうなのか、ギアノ」

「よく考えたらさ、魚料理だってどこかが真似しだすかもしれないよなあ」

「えっ、そうなのか? ギアノ」

「いやでも、『青』だもんなあ……。そこまで命がけで真似はしないかもしれないか」

「おお、そうなのか、ギアノ」

「魚っていつも何匹仕入れるの、バルディさん」

「ん? そうだな、いつも、三匹か四匹か、そんなもんだが」

「それで全部なのかな、それって。西に住んでる連中が食べる分はわけてから来てるのかな」

「そんなの知らんよ」


 では、魚が獲れる量も確認しなければならない。

 薬草の業者に協力を願い出るなら、やはりバリーゼが一番話が早いだろうか。


「バルディさん、取引のある薬草の店とかはあるの?」

「そんなもんないに決まってるだろう」

「わかった。魚を売りに来る連中って、朝早くに来るの?」


 大体の時間を確認して、ギアノは宿へ戻っていった。

 バルジの姿はなく、デントーだけがいて、同部屋の仲間の帰りを出迎えてくれる。

「おかえりなさい、ギアノ。薬草のことはわかりましたか」

「危なかったよ。ずっと触っていると皮膚が剥がれるっていう毒草だった」

「え! そんな、すみませんでした、知らなかったとはいえ危険なものを……。怪我はしませんでしたか」

 おどおどと何度も頭を下げてくるデントーの姿に、ギアノは思わず笑ってしまう。

「気が弱いってよくバルジが言うけど、本当なんだな」

「はは……、そうですね。僕は本当に気が弱いんです」

「デントーは、もしかして神官なのか?」


 見かけて以来気になっていた疑問をぶつけてみると、ひょろりと背の高い男は明らかに動揺し始め、顔色を青くさせた。


「悪いことを言ったか」

 神官なのかと聞かれて困ることなど、あるのだろうか。

 良い生き方をしているように見えるわけで、誉め言葉になるだろうと思っていたのに、違うのだろうか。

 ギアノのこんな疑問を、デントーは汗をふきふき答えてくれた。

「いえ、とんでもない。悪いだなんて。でも、どうしてそう思ったんですか」

「どうしてって……。よく祈っているだろう。信心深いってレベルじゃないなって思っていたから」

「そうですか」

「そうだよ。飯食って祈って、迷宮入る前に祈って、戦いが終わったら祈って、出口についたら祈ってさ」

 分け前を受け取っても祈っている。はっきりと神の名を称えるわけではないが、祈りの動作がいちいち出ていて、気になっていた。

「ギアノ、あの」

「なんだい。秘密の話なら安心しなよ。俺は口が堅い。誰にも言ったりはしないから」

 デントーは顔をくしゃっとして笑って、何度も何度も頷き、最後は涙を浮かべてため息を吐き出した。

「あなたの言う通り、神官なのです。こんな暮らしをしてはいますが」

「どんな暮らしでも、お前の信仰に変わりはないだろう。そんな言い方をする必要はない」

「そうでしょうか」


 デントーはなにか言いたげな顔をしていたが、結局その後に続く言葉はなかった。

 しばしの沈黙の後になぜかギアノに礼を言うと、ちょっとと言い残して出て行ってしまった。


 ベッドの上に寝そべって魚料理に思いをはせていると、廊下から二人分の足音が聞こえてきて、バルジが部屋へ戻ってきた。

 ギアノを見て手を挙げ、デントーの行先に心当たりがあるのか、不在の理由を問われることはなかった。


「どうだった、薬草料理は」

「魚料理だよ。薬草じゃあない」

 こんな冗談を交わしている間に、ギアノはバルジからほのかな匂いを感じ取っていた。

 ボロ宿は壁が薄い。ドアも当然薄い。なので声をひそめて問いかける。


「バルジ、あのドーンとかいう女とデキてるのか」

 突然こう言われて同室の男は焦ったのか、ベッドの角にぶつかって床に転がった。


「大丈夫か」

「平気だ……」

 この程度でけがなどはしないだろう。が、バルジの顔は相棒とは対照的に真っ赤に染まっていて、ギアノは少しだけ呆れた表情を浮かべた。

「なんだ、ギアノ、お前は」

「なんだってなんだ」

「見たのか」

「どこで盛ってるんだか知らないが、覗きの趣味なんかないぞ」


 五人組の中に、女が一人。バルジたちのパーティはなんだか妙な空気で、男の半分はドーンが女だと気づいていないようである。

 カヌートとかいうスカウトが見ているものはどこか遠くにありそうで、目の前にぶら下げられた肉に気を取られそうにない。

 バルジがすぐに飛びつくと思っていたかというと、それも違う。きっと、それなりの理由が二人の間にできたのだろうとギアノは感じていた。


「無料で済むのは助かるだろうけど。あんまり入れ込まない方がいいんじゃないの」

「入れ込んでなんかいない。成り行きで……だし、そんなに何回もってわけじゃないんだ」

「そう? まあ、俺が口を出すようなことじゃないけど。ごめんなバルジ」

「いや、いいんだ。お前の意見はまっとうだよ。ドーンは追い出して、お前を入れた方がいいんだ。そうに決まってる」

 苦い顔でぼそぼそとつぶやくバルジの姿に、ギアノはにやりと笑った。

「ありがたいね、随分買ってもらってるみたいで」

「ギアノはいつこの街に来たんだ?」

「半年くらい前かな。俺の家は兄弟が多くて、兄貴が六人もいるんだ。みんな順番に嫁をもらって、家に居辛くなって、それでひとつ、迷宮都市とやらに来てみようと思ったのさ」


 義理の姉たちはどんどん子供を産んでおり、もう実家にギアノの居場所はない。兄たちと同じように嫁をもらえばいいのかもしれないし、叔父の家に世話になっても良かったが、そんな穏やかなだけの暮らしは後回しにしてもいいのではないかと、ふと思ったのだ。


「町の酒場に来たんだよ、探索者の話っていうのを謳うやつがね」

「よくある話だ」

「そう。よくいる若者の一人になろうと思ったんだ、俺も」

「お前はこの街によくいる若者だろ。今日、三人は見たぞ、お前と同じ顔の奴を」


 チャレドとピアッチョの他にも、似たような顔の主があと何人いるのだろう。

 ははは、と笑っていると、バルジは額を抑えたまま、小声でギアノにこう打ち明けた。


「お前と出かけたからなんだ」

「え?」

「ドーンだよ。俺たちがお前と出かけたから、あいつは焦ってるんだ。追い出されたくなくて」

「なるほど」


 熱を払おうとしているのか、バルジは両手で頬を何度もこすっている。

 あんなにも貧相な女の色仕掛けで情をかけてやるとは、案外甘いところがあるのだなと、ギアノは思う。

 ダンティンにつきあっている時点で、お人よしなのは間違いないのだろうが。


「最下層に行ってみたいなんて俺は思わないけど、どんな風だったか、見たら教えてくれよな」

「ああ」


 どうでもいい会話をひとつふたつ交わしていると、デントーが戻ってきて、三人は眠りについた。

 歩き回ってへとへとのギアノはすっと眠って、翌朝はすっきりと目覚めている。

 魚の仕入れの話をしなければならず、朝食はバルディに用意してもらおうと決めて、早めに宿を出た。


 西側へ目をやりつつ、ぶらぶらと街を歩く。

 朝早い時間帯は初心者たちが張り切っているが、北東にある安宿が詰まっている通りに比べて、西側は人通りが少ない。ギアノとバルジたちが使っている宿はなかなかのボロさだが、どうやら街ができ始めた頃に作られた古いもののようで、同じ時期にできた宿屋は多くがもう潰れているか、老朽化で取り壊されているかのどちらかという話だった。


 調査団の建物が途中にあり、営業はとうに終わっていてもまだ熱を放っているかのような「バルメザ・ターズ」があり。

 目的地である「コルディの青空」は昨日までのあれこれのせいか、やけに小さく、萎れて縮こまっているかのようで、ひどく貧相に思えた。


「おはようバルディさん」

 扉を勝手に開けて、奥の部屋にいるであろう店主に声をかける。

 元気のない様子ではあったがバルディは姿を現し、ギアノのリクエストに応えて朝食を作ってくれた。


「おう、バルディの旦那。今日も来たよ」

 固いパンでできた兎肉のサンドを頬張っていると、扉が開いて客が現れた。

 汚い身なりの二人組で、今にも崩れそうな籠の中に嫌なにおいの魚を入れている。

「よう、おはよう」

「なんだお前。どこかで見た顔だな」

「魚の調理を任されてるんだ。ギアノだよ、よろしくな」


 真っ黒い爪は正直触れたくないものではあったが、嫌悪感はうまく隠して、ギアノは二人とそれぞれ握手を交わした。

 街の最西端に住み着いている「脱落者」たちは、シシーとランジャと名乗って、どこかで見た覚えのある男の様子をうかがっている。


「確認したいんだけど、いいかい。魚はいつも何匹くらい獲れるのかな」

「なんだお前。なんでそんなことを知りたい?」


 籠の中に、今日は四匹の魚が入っている。まだぴくぴくと動いているものもいて、獲れたてなのだろうと思う。


「料理に使うのに、毎日どれくらい入荷できるか把握しておきたいんだよ。せっかくの珍しいモンを、それなりの値段で買い取るんだからな」

「ああ、そうか。なるほどなあ」

 シシーは口をぽっかりと開けたまま感心し、ランジャは険しい顔をしてそんな相棒を叩いている。

「警戒すんなよ。『青』で捕まえてるんだろう、その魚は。大変だろうと思ってるだけなんだよ。毎日あんなところに入るだけでも恐ろしいだろうし、その魚だって簡単につかまってはくれないんじゃないのか」

「そりゃあそうだ。いつも大変だよ、ふかーくふかあーく潜らないと、魚はいないんだからな」

「潜ったところにたくさんいるのかい、その魚は」

「いいや。そんなにはいない。何匹かちらちらいるだけなのを、俺たちがそりゃあ大変な思いをしてなんとか獲ってるんだ」


 ギアノが下手に出たことに満足したのか、ランジャはすっかり警戒を解いて、ペラペラと魚の捕獲の難しさについて語った。ギアノは感心した顔ですべての話をよく聞き、よく頷いて、そいつはすごい、なかなかできることではないと褒めていく。


「獲った魚は食用にしてるのかい、あんたたちは」

「はは、前はたまには食べてたけどな。ここで買ってもらったり、有名な魔術師に売ってくれって頼まれたりして、金がもらえるようになったから。だから俺らはもう、自分たちで食べないよ。焼いただけじゃ、とても食えたモンじゃないからな!」

「有名な魔術師にも売ってるのか」

「ああ。一回だけだけどな、魚が獲れるなら見せてくれって言うから。獲ってきて、一緒に食ったよ」

「その魔術師の人、文句言わなかったの? あの味で」

「言わなかったよ。顔色ひとつ変えなかったから、魔術でまずさを消してたんじゃないかな」


 そんな便利な魔術があるのなら、ぜひ覚えたいものだとギアノは思う。

 他に定期的に売る相手がいるか確認すると、約束したからここだけにしている、と二人は答えた。

 一日に獲れるのは多くても五匹が限界で、魚は存在するものの、大量に泳いでいるわけではないことがわかった。


「あのさあ、この魚ってどれも形が違うよな。味ってどうなの? どれも同じなのかな」

「ああ、そうだよ。そいつらは形が違うだけで、みんな同じなんだ。大きいのも小さいのも、どれも一緒だよ」


 本当にそうかどうかは、きっとわからないことなのだろう。

 できれば時々ものすごく旨いものが混じっていてくれたらいいのにと思うが、すべては迷宮の主、太古の魔術師たちの思し召しだ。


「ありがとう、これは今日の代金ね」

「ひひ、ありがてえありがてえ」


 シシーとランジャはどこか虚ろな神への感謝を口にして、弾む足取りで去っていった。

 仲間たちに隠れて買い食いでもするのだろうなと考えながら、ギアノは臭い魚を抱えて厨房へと向かう。


「バルディさん、あいつらに新品の籠を用意したらどうかな。あんなんじゃ途中で落としそうだ」

「本当に大丈夫なのか、ギアノ。魚の料理はできるんだろうか……」

「わかるよ。心配だよな。だから、ちゃんとダメだった時の用意もしておこう」


 ギアノとしては精一杯の前向きな言葉を発したつもりだったが、バルディはずーんと落ち込み、また床にうずくまってしまっている。

 魚を涼しいところにしまい、下ごしらえをしておくように言い残し、お次は薬草業者のところへ。

 なんと言えば上手にヒントをもらえるか悩みながら歩いたが、なにも思いつかない。

 アードウの店にたどり着いてしまって、ギアノは仕方ないと覚悟を決めた。

 

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