47 たったの五層
二十五層で思いがけない強さの魔法生物にあって、慌てて二十四層に戻り、階段そばの癒しの泉へ駆ける。
五人は順番にひしゃくを手に取り、湧き出す水で傷と疲労を癒していく。
ラディケンヴィルスの迷宮に生きる魔法生物は気に入らない探索者を追いかけるが、階段を上らないし、下りもしない。もちろん戻れば次の層で待っているのだが、準備が足りていれば結果は違うだろうし、駄目ならまた泉へ戻ればいい。
キーレイは水を一息に飲み込んで、手足をひらひらと揺らした。待ち受ける魔法生物を粉々に砕く準備のためだ。腰から提げた短い杖に嵌められた宝石を手のひらで撫でまわすと、とたんに楽しくなってきてニヤニヤと笑った。
前列で戦いを引き受けている戦士のアークは、目を合わせるなり嫌そうに顔を歪めている。王都で騎士などをやっていただけあって、アークはいつでも気取っていた。腕はいいがいけすかない男だ。カッカーがなぜ彼を信じるのか、趣味が悪く、理解ができない。
スカウトのゴリューズがそろそろ行こうと声をあげて、五人は再び進み始めた。
「白」の迷宮は天井が低い。真っ白い壁や床はうっすらと輝いていて、境がわかりにくい。もう四度目の挑戦で、少しずつ地図をつなげてここまでたどり着いていた。だが最下層へ続く道かどうかはわからず、敵がなかなか姿を現さないので、ただ歩いているだけでは集中がひどく難しい。普段なら鬱陶しいだけのゴリューズのおしゃべりが、唯一役に立つ場所だといえた。
階段を下りて進むとすぐに、件の魔法生物と遭遇する羽目になった。
アークとカッカーが前に出て、ゴリューズは二人の少し後方からお手製の小さな爆弾を投げつけている。
火花が散り、煙の香りが鼻をくすぐる。「白」ではありがたい色彩や匂いの氾濫にキーレイはまたニヤニヤと笑った。
隣にはいつでも冷静で、まるで女性のような美貌の持ち主である神官のチュールが佇んでいる。
彼の役割は傷の癒しと、仲間たちを落ち着かせることだ。
ゴリューズは騒音で、チュールはその穏やかさで仲間たちに安堵を与えている。とはいえ、自分には関係ない。
カッカーがなにを言おうと、アークがどんな目で自分を見ようと、ただ魔法生物の生態を記憶し、どれもこれも残さずすべて砕き、ひたすらに最下層へ向かって歩くだけだ。
四角い塊が連なっただけの、理不尽な形の生物が暴れまわっている。カッカーは武器で攻撃を受け、アークは床を転がって後ろへ下がる。ゴリューズは爆弾を使い切ったらしく、こちらへ向けて合図を送っている。
前が大きく開けば自分の出番だ。手首、指先を動かし、魔術の形を描いていく。言葉は必要ない。心の中で思い浮かべた「強さ」を具現化して、敵にぶつける準備を進める。早くするよう叫ばれても気にしない。あの岩の塊のような魔物を砕くためには、炎でも氷でもない、純粋で大きな力を当ててやるしかないのだから。だから今、無力な連中はせめて時間稼ぎをしていればいい。
カッカーの巨体が動いて魔物とぶつかる。びくともしない。だが、止まった。未知の力で動く、意地の悪い爺様たちの作った遺物相手にはよくできた方だろう。
邪魔だ、どけ。
このセリフが準備完了の合図で、カッカーは慣れた様子で後ろに下がる。
指先に集った力が渦を巻いて敵へと飛び出し、一行を悩ませた石の魔物はバラバラに崩れさっていった。
そんな光景が次の瞬間にはかき消えて、今はただ静けさと薄闇だけが広がっている。
体が硬くこわばっていてうまく動かない。
ぼんやりと目を瞬かせていくうちに、やっと気が付いた。神殿の椅子の上だ。どうやら居眠りしていたらしく、一番前の長椅子の一番左でキーレイは体を大きく伸ばした。
いつもならばこんなことはしない。どんなに疲れていても、休む時には仮眠のための部屋に戻っていたのに。
「年かな」
神官は小さく呟くと、立ち上がって辺りを見回した。
最後にしたのは祭壇の掃除で、夜に見た時となにもかわりはない。時折ろうそくの炎がゆらりとするだけで、誰の姿もないようだった。
あれこれと山積みになっているものの、「今すぐ」の用事はない。
今日こそちゃんと休もうと決めて、キーレイは歩き出した。もうすぐ朝が訪れる時刻で、本来ならばもう働き始めているはずの当番の者に声をかけ、ゆっくりと自分の家へ向かう。
商人の屋敷に雇われている料理人たちの仕事が始まっていて、ほのかに煮込みの香りが漂ってくる。
母の手料理の味を思い出しながら、神官はふと気づく。
あんなにもはっきりとした夢を見たのは、初めてだったと。
「三人ではうまくいきませんでした」
そうか、とキーレイは答えた。せっかく寝ていたところにやってきたのはニーロで、お疲れでしょうなんて気遣いはもちろんなくて、ただただ「黄」の迷宮に付き合ってほしいと話してくる。
「『黒』にでも行ったらどうだ。ウィルフレドには向いていそうだ」
「もちろん行きます。でも今ではありません」
成功した商人の立派なお屋敷である実家の裏の離れに、キーレイは自分の部屋を持っていた。
屋敷に戻るとどうしても、下働きの者たちが声をかけてくる。お食事は、お着換えは、湯あみはいかがいたしますか、と。
六歳上の探索者もどきのかわりに家業を継いでくれた弟に悪い気がして、住み込みの者たちが使う離れでキーレイは暮らしていた。離れの中で一番出入り口に近くて、ほんの少しだけ広い部屋を一人で使うことで、坊ちゃまがそんなところでと言われないようにバランスをとっていた。
出入りがしやすいせいで、ニーロは気安くこの部屋を訪れる。大抵は神殿で会えるが、いなければすぐにここへやってきて容赦なくキーレイを叩き起こすのが常だ。
ベッドに腰かけて魔術師の一方的なおしゃべりを聞き流しているうちに、朝見た夢について思い出していた。
「そういえばいつもあそこに座っているな」
唐突なセリフに驚いたのか、ニーロは首を傾げた。
「なんの話ですか」
「朝早く神殿に来ることがあるだろう。いつも一番前の左側に座って」
妙な夢を見たと話しているうちに、キーレイはまた新しい事実に気が付いていた。
あれは自分ではなかった。
アーク、ゴリューズ、そしてチュール。
彼らとは何度か会ったし、話したことがある。まだ子供だったキーレイに、みんな親切にしてくれたものだ。
十年以上前にカッカーが組んでいた仲間たちで、全員が優秀な探索者だった。
あの時後列にもう一人いた人物は、自分ではない。彼らと「白」の、しかも二十層以上の深い場所へキーレイが行くはずがない。
自分だと勘違いしていた最後の一人。それはニーロの師、魔術師のラーデンだ。
「まるで私がラーデン様になったような感覚だった」
そう、今ならあの魔術ですら使えるような気がするほどに、生々しい夢だった。
キーレイが語ると、ニーロは様子を伺うような眼をしながら、うれしそうに微笑んでいる。
「なんだその顔は。あの位置で眠ると、あんな夢を見るようになるのか?」
「いいえ、違います。どうやら、聞こえやすい位置のようですけれど」
「聞こえやすい?」
この問いかけに、勝手な若い魔術師は答えなかった。
「キーレイさん、一緒に『黄』に行ってほしいんです」
「下まで?」
「いいえ、浅い層までですからすぐにたどり着けます」
浅い層でも恐ろしい目に遭うのが「黄」の特徴じゃないか。
神官の文句に、魔術師はまったく動じない。
「たったの五層です」
「たったの五層までにどれだけ恐ろしい罠があると思っているんだ」
「キーレイさん」
寝起きで機嫌のよくない神官を、ニーロはただただ見つめた。
いつもは世界のなにをも気にしない世捨て人のようなふるまいをするのに、年齢相応の頼りない表情と祈るような瞳を向けられて、キーレイは思わず唸る。
「誰に教わったんだ、そんなやり方を」
「忙しいのはわかっています。ですが、一番信頼できる相手じゃなければ行く意味がないのです」
だから今度は、ウィルフレドと、マリート、キーレイ、ロビッシュの五人で行くのだとニーロは話した。
この魔術師にもう決めたと宣言されてしまっては、抵抗しても無駄だろう。
「仕方ない。わかったよ」
ニーロの表情はぱっと明るく輝き、キーレイはやれやれとため息をついている。
これも神の用意した試練なのだろうと呟き、神殿の当番を調整するから少し待つように言うと魔術師は帰っていってしまった。
目がすっかり冴えて、キーレイは起き上がるとティーオが助けた少女の様子を見に行った。
昔妹が使っていた愛らしい内装の部屋で、入るたびに懐かしい気持ちがよみがえる。父の仕事の手伝いにあけくれたキーレイとは違い、弟妹たちは幼い頃からずっと王都の親戚のもとで暮らしていた。会うのは年に三回あればいいくらいで、それも成長するにつれて減っていき兄妹として過ごした記憶はほぼないに等しい。弟は戻ってきたが、妹のシーラは王都で出会った男のもとに嫁いでおり、会わないまま何年経っただろうか。両親は時折会いに行っているが、迷宮に潜り続けている兄にはかける言葉がないのか、言伝も土産も他人行儀で無難なものだけになっていた。
「やあ、調子はどうかな」
やせ細っていた少女は随分元気を取り戻したようで、血色も良く、歩けるようになっていた。
しかし、話はしないらしい。頷いたり首を振ったりして意思の表示はするものの、名前などはまだわかっていない。文字も書けないのか書かないのか、ペンを用意しても手にとってくれないのだという。
「坊ちゃま、お帰りでしたか」
長年住みこんでリシュラ家に仕えてくれているファーヤは四十五歳で、キーレイとももう二十年の付き合いになる。
故郷の農村に子供を置いて出稼ぎにきて、今では屋敷の中を取り仕切る存在になっていた。
キーレイが顔を出したからか、少女はどこかに隠れてしまったようで姿は見えない。
「随分回復しましたが、どうしても男の人は怖いみたいで」
「そうか、元気ならいいんだ。邪魔したね」
最近来訪を控えているティーオに伝えてやろうと考え、キーレイは身支度を整えると部屋を出た。
神殿でまず話し合わなければならない。カッカーがこなしていたから自分もと思ってしまったが、探索に付き合いながら神殿の責任を負うのは無理があると。樹木の神殿はカッカーの人徳のお陰で財政状況は悪くない。屋敷を卒業した若者たちが実力をつけて、収入が多くなった時には寄付をしてくれることもある。大抵はカッカーの屋敷へ金は渡っていくのだが、そういえば世話になったし、と神殿にも心を向けてくれる者は時々いる。余裕がある時には、生き返りや傷の癒しを求めてやってくることもある。
なので、地味な位置にある割には、樹木の神殿に仕える者は多くいた。
誰に頼むのが一番いいのか、キーレイは考える。あまり若すぎず、探索の経験もあって、癒しの力が強い者がいい。できれば生き返りも頼めればいいのだが、そこまで望むのは無理な話か。探索の経験がない神官は、生き返りの奇跡の力を持たない。やはりあの過酷な経験があってこそ得られる力なのだろう。
何人かの候補を挙げながら神殿へ戻ると、神像の前に跪いて祈る者がいた。
「熱心ですね」
感心して声をかけると、祈りを捧げていた男が振り返り、立ち上がった。
「君はもしや、アダルツォ?」
「はい、そうです。……俺、そんなにアデルに似ていますかね」
妹と同じ大きな瞳に、キーレイは思わず笑う。顔だけではなく、雰囲気もよく似ていた。小柄で、幼く見える。フェリクスと同じくらいの年なのだろうが、あまりそうは見えなかった。
「あなたがキーレイさん?」
樹木の神官がそうだと答えると、アダルツォは雲の神にささげる祈りの形を指で作り、深く頭を下げた。
「ちびがとても世話になったと聞いています」
「アデルミラはよく働いてくれたよ。いるだけでぱっと空気が明るくなって、皆彼女がいると楽しそうだった」
「あの、それなんですけども」
アダルツォは故郷に戻るらしい。病の母親と、自分を追って迷宮都市を訪れた妹を安心させてやらなければならないからだ。
だがその前に、なぜ自分がこんな風に救われたのか、理由を知りたいらしい。
「アデルがあの髭の大きな人を助けたから、俺のこともって話みたいなんですけど」
「ああ、確かに。アデルミラは咄嗟にウィルフレドを助けたんだ」
迷宮の外で起きた事件と、アデルミラの行動についてキーレイは話した。
アダルツォはすべてを聞いたものの、それにしても、という思いがあるようだ。
「あんな場所まで探し出した上、三万八千ですよ。五千って話だったのに。最後に利子があるだのなんだの、でも釣り上げられた分まで払ってくれたんです」
ウィルフレドがどの程度現金を持っているのか、ニーロから借りたのか、そのあたりの事情をキーレイは聞いていなかった。
だが、今、無事に探索に行けるのはあの時アデルミラが彼の傷を癒したからだ。
やって来た時から謎の多い男ではあるが、今の探索者としての暮らしをとても「楽しんでいる」に違いない。
「ウィルフレドは本当に恩を感じているんだよ。今一緒に探索をしている魔術師と出会えたのも、偶然ではあったがアデルミラを助けたからだ」
「はあ」
「彼はどうやら贅沢をしたくて潜っているわけではないみたいだから。人助けの為に使っても気にしないんだろう」
アダルツォはまた小さく「はあ」と返事をして、首をかしげている。
「帰りの馬車代まで都合してもらっちゃって」
「それで無事に故郷に戻って、手紙を送ってくれ。皆、アデルミラが元気にしているか気にしているから」
迷宮都市で行方がわからなくなった者が無事に見つかり、家族のもとへ帰る。
めったに起きない奇跡だろう。性質の悪い金貸しに捕まって、健康なうちに解放されることも。
「誰も君にあとから請求したりしない。そういった問題が起きたら、私に相談してくれて構わない」
「本当ですか」
「ああ。わざわざ寄ってくれてありがとう。アデルミラのことは私も気になっていた。君が帰ればとても喜ぶだろうから、早く顔を見せてやってほしい」
キーレイの言葉に安心したのか、アダルツォはようやく笑顔を浮かべ、何度も礼を言ってから神殿を出て行った。
樹木の神殿で大勢を集めて、キーレイは自分に集中している仕事を割り振っていった。
そのまままるごと誰かに任せるのではなく、何人かに担当をわけていく。
やたらと任されていた夜勤を若い者を中心に頼んでいくと、一番の新入りのララがぼそっと呟いた。
「キーレイさんはやっぱり、探索者なんですね」
やっぱりとはなにかと問いかけると、聞かれていたことに驚きながらララは答えた。
「いえ、子供の頃からずっと迷宮に入っていると聞いたので」
確かに、迷宮にはずっと通い続けている。両親の手伝いで薬草を摘んでは帰っていた。そのうちカッカーと出会い、話を聞くうちに神官になろうと決めた。でも結局、他の街で生まれ育った者たちとキーレイは違う。修行も鍛錬もすべて迷宮でだった。
仕事の割り振りは済んだので、あとはそれぞれに任せればいい。多少の不満や不安は聞こえたが、自分にできたのだから彼らにだってできるだろう。
その後呼び出されてニーロの家へ向かうと、ウィルフレドとマリートが揃って待ち受けていた。
家主はもう一人を迎えに行っているらしく、三人の大人たちはウィルフレドの買って来たつまみを食べている。
アダルツォが無事に家路についた話や、ティーオの助けた少女が回復していることなどを話しているうちに、慧眼の剣士が唐突に神官の肩を叩いた。
「キーレイ、神殿の当番はいいのか?」
ニーロに誘われてなかなか来られないのは、どこにいるのかわからないことが多いロビッシュと、勤めのあるキーレイの二人で、マリートはいちいち待たされるのが好きではないらしい。
「そもそも私が責任者というのがおかしかったんだ。夜の番ばかり頼まれるし、相談も多いし、家の者もあれこれ報告してくるし、ニーロはちっとも遠慮がないし。やることが多すぎる」
だからとうとう他の者たちにすべての仕事を振ってきたと話すと、マリートは珍しく大きな声で笑った。
「なにがそんなにおかしいんだ。毎回文句を言うくせに」
「別に」
気を悪くするキーレイの背中を、ウィルフレドが優しく叩く。
そこにロビッシュを連れてニーロが戻ってきて、小さな黒い家は一気に狭苦しくなった。
「『黄』の五層で調べたいことがあります。皆さん、術符は持っていますか?」
挨拶もなくニーロが切り出して、全員が「持っている」と答える。
「ないと危険なところなのか?」
「出口がないんです」
長い通路の先の罠の向こうに、閉じ込められる場所がある。どうしてもそこに行って確認したい。ニーロは話し、ウィルフレドとマリートは静かに頷いている。
「三人で行ってたどり着けなかったところ?」
「ええ。やはり罠の解除が難しくて。危うく大きな怪我を負うところでした」
通常の六層までの道のりまでならば大丈夫だとニーロは続けた。だがどうしても、その行きたい部屋へ挑むには力が足りないらしい。
「その部屋にはなにがあるんだ」
「僕が想定しているものがあるかないか、その確認をしたいんです」
あるか、ないか。
「ある」の確認は簡単だが、「ない」を証明するのは難しい。
「明日の朝に出発します。いいですか、ロビッシュさん、キーレイさん」
変人のスカウトは相変わらず背を丸めたまま、お気に入りの魔術師に何度も大きく頷いてみせる。
「大丈夫だ」
神官が返事をすると、この日は解散になった。
ところが勤勉な神官であるキーレイは、戻ってからしばらく経つまで、自分が神殿にいる必要がないことに気が付かないままさまざまな雑事をこなしていた。
ほかの神官たちがいつも通りの風景だからと元責任者の行動を止めなかったからだ。
ランプ用の油をいくつか補充したところでやっと気が付いて、ばかばかしい気分でキーレイは神殿を出る。
そのまま部屋に戻る気にもなれず、キーレイは途中で来た道をぐるりと引き返してそのまま進んだ。
行き着いたのはこの日二度目の無彩の魔術師の部屋で、なぜか戻って来た仲間の姿にニーロも驚いたようだ。
「どうしたんですか、キーレイさん」
「たまには一緒に夕食でもどうだ」
ニーロは食事などどうでもいいと考えていて、なんならなにも食べないのではないかと思えるほどの適当な食生活を送っている。
偏屈な魔術師には似合いの習慣でも、同居の戦士は困るだろう。誘ってみると、ニーロは用事があるからと断り、ウィルフレドだけがやってくることになった。
初心者、中級者たちでは入れない、値段も高い「ナリキエの厨房」へ二人で入り、キーレイは思う。落ち着いている、と。食事の作法も、身のこなしも。ウィルフレドはその辺にいる探索者たちとは明らかに違った。
「高そうな店ですね」
「母の気に入っている店で、私もまけてもらえるのです。アダルツォを助けてくれてありがとう。ここは私が払うので、心配しないでください」
ウィルフレドは眉毛を少しだけあげて、素直に感謝の言葉を返す。
ニーロと探索をするようになって金回りもよくなったのだろうが、着ている物の品が良くなった。ただただ成功しようとギラギラしている探索者たちは、服装が派手になりがちだ。珍しい魔法生物の毛皮をまとったり、見る者を威嚇するような品性のかけらもない格好で街を闊歩する。ウィルフレドはそうではなく、深い青の上等な布で作った服を身にまとっている。
今までに、本当に大勢の探索者と出会った。優秀な者もいたし、どうしようもない若者はもっといた。
誰も彼も迷宮都市に憧れ、過剰な夢を抱いてやって来た者ばかりだ。
彼らはしばしばお互いの出自を気にする。故郷ではろくな仕事がないだとか、都会に出たもののうまくいかなかっただとか。迷宮都市の話をどこかで耳にして、宝や成功を夢見て田舎からやって来たと打ち明けあう。
自分を語らずにいられない若者たちと、ウィルフレドは違った。彼のたどって来た道のりがどれほど濃密だったか、気になって仕方がない。どこでどうしていたのかと、問うたことなど今までになかったのに。
「これは故郷でよく食べたものと似ています」
ふいに、ウィルフレドはそう呟いた。スープを口に運んで、表情を緩めて、キーレイの胸のうちを見透かしたかのように、小声で。
「ここよりもずっと北の、小さな田舎町です。なにもないところですよ」
ラディケンヴィルスで一旗揚げようとやってくる商売人は多い。彼らはあちこちからやって来ては、いろんなものを売ろうと試みる。最近では食堂の種類も増えて、どこの地方の名物だという売り方も増えていた。本当にそれが名物なのかはわからないが、珍しがられたり純粋に味が良かったりして評判になるものもある。
名物が売られる際に語られるその土地の話は、これまでの人生のほとんどを迷宮都市で過ごしているキーレイにとって異国を感じるありがたい機会になっていた。
「北の方なら、雪というものが降ったりするのですか?」
「ええ、一面に。これでもかというほど積もって高い壁を作ります」
ラディケンヴィルスは気候の変化が少ない。多少の変動はあるものの暑くも寒くもならない、雨もあまり降らない場所だった。
なので樹木の神官は、空から降る冷たい氷の類も、嵐も知らない。
ニーロは世間を知らないが、キーレイはそれ以上に世界を知らずに生きている。
知っているのは地下に広がる魔術師たちの遊び場ばかり。
キーレイが呟くと、ウィルフレドは小さく笑ったようだった。




