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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
51_Fortuitous Encounters 〈ありふれた冒険譚〉

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237 凶変死地

「まずは下に続く階段までいかないとね」


 地図を担当する二人に声をかけ、返事を待つ。

 地図を指さして、ナッコは今いる位置を教えているようだ。


「三層まではほとんど敵も出ないから、とにかく三層目を目指すよ」

「敵がいなきゃ手に入るもんもないからな」

「そっか。戦わなきゃなにも得られないんだね」

「そうそう。でも、戦いになったら後ろに下がるんだよ。危ない時は俺の陰に」

 ナッコがこう言い出し、ターレンも自分の陰に隠れるといいと口を出している。

「ちょっと、いいとこ見せようとしてヘマしないでよ」

「そんなこと言わなくてもいいじゃないか」

 ナッコが情けない声をあげて、笑いが起きる。

 シェリアの笑った顔は愛らしく、エルンも思わず吹き出していた。


 入ってしばらくは、迷宮に慣れる為の時間だ。

 通路の形と地図を見比べ、広さを確認し、五人で歩く感覚を掴んでいく。


「ねえ、ここって花も咲いてるの」

 歩いていくうちに壁沿いに白い花が見えてきて、シェリアは驚きの声をあげた。

「あれは毒だから、触っちゃ駄目だよ」

「そうなんだ」

「地上にあるのと似た草は、全部毒だって思った方がいいから。触った時には必ず言ってね」


 解毒の薬も用意して、鞄にいくつか詰めてある。

 昨日の買い物でシェリアも買い込んでいたから、用心して進めば問題はおきないはずだ。


「慣れているみたいだな」

 ターレンにこう声を掛けられて、エルンは口をへの字にしてみせた。

「ううん。まだまだ」

「はは。頼りにしているぜ」


 肩をぽんと叩かれて、唇が緩んでいく。

 五人組に流れる空気は穏やかだし、明るい。一緒に良い経験を積めればと、エルンは思う。


「そろそろ三層に続く階段が見えて来るはずだ」

 ナッコが言った通り、通路の先に階段が見えていた。

 その手前に、赤い小さな水たまりがいくつか広がっている。床を覆う蔦の陰には、探索者を襲う鼠の形をした魔法生物の死骸がいくつも転がり、嫌な臭いを放っていた。


「わあ……。そうか、こういう感じか」

 シェリアは鼻を抑えたまま、くぐもった声をあげている。

「初めて見たよね」

「うん。これ、皮を獲った後?」

「そうだよ。っていっても、そんなにうまくいかなかったみたいだけど」


 初心者だけでは倒すだけで精一杯になってしまい、戦利品も僅かになってしまう。

 良い倒し方、上手な剥ぎ取り方を知っていても、実際にやれるかどうかは別の話だ。


「苦手なんだよな、俺」

「気味悪がってやろうとしないからだろ」

 オーレンのぼやきに、ラディエルが釘を刺している。

 同じ町からやってきた幼馴染同士で、遠慮なく言い合える関係ができているのだろう。

 遠慮して言い出せないとか、些細な文句で喧嘩になってしまっては困る。

 もともとの友人同士という間柄は、探索の仲間にするのにちょうど良いかもしれない。

 そんなことを考えている間に階段に辿り着いて、五人は一度足を止め、互いの様子を確認し合っていた。


「ここを下りたら本格的に戦いが始まるぞ。覚悟はいいか」

 偉そうに言い出したのはターレンで、ナッコとシェリアは不敵な笑みを浮かべている。

「もちろんだ」

「わたしも大丈夫。想像していたよりも怖くなかったし」

「すごいな、シェリア。初めての探索でそう言えるなんて、たいしたものだと思うよ」

 ターレンがすかさず褒めて、ナッコもなんとか言葉を捻りだそうとし、ラディエルが止めて、意思の確認は終わった。

 この五人で更に進む。「緑」の迷宮探索を続けて、三層目へ降りる。

 

「行こう、エルン」

 シェリアの生き生きとした顔に、エルンは頷いて返した。

 剣の柄に手をかけて、いつでも抜けると気合いを入れて。


「できることなら、六層の泉には辿り着きたいよな」

 ターレンの言葉に、皆が頷いている。

「回復の泉ってやつね」

「そうさ。あれを飲んだらきっと驚くよ」

「エルンは飲んだことある?」

 シェリアの問いに、前を向いたまま「もちろん」と答えた。

 もう三層目におりてしまったから、いつでも臨戦態勢でいなければならない。


「しばらくはまっすぐ」

 後ろに並んだ地図の担当の声を聞きながら、迷宮を進む。

 二人の指示は正確なものだと、エルンは思っていた。

 「緑」の迷宮の通路には誰かが戦った痕跡が残っていたから。


「人が多い迷宮ってこうなるんだね」

「そうなんだよ。最初に入る連中って、大変なんだろうな」

 後ろの二人のこんな会話に、ターレンは頷きながら歩いている。

「楽と言えば楽だけど、張り合いがないとも言えるか」

「あ、あそこ、誰かいる……」


 シェリアの言う通り、通路の先に人影が見えている。

 近付いてきたのは顔色の悪い五人組で、黙ったまますれ違い、しばらく進んだところでナッコがこう呟いた。


「先頭にいた連中だったのかも。浅い層はたいした敵はいないって言うけど、何度も戦ったらそりゃあ消耗するだろうな」

「回復の泉に行けたら、疲れも取れる?」

「ああ。飲んだら一瞬で元気になるよ。傷も治るし」

「へえ、すごいのねえ」

「気をつけろよ、シェリア。何杯も飲むと腹を壊すらしいから」

「そうなの?」

「持ち帰るのも駄目なんだ。水袋なんかに入れておいても、迷宮を出るまでに消えてしまうんだって」


 感心する声と、照れたような笑い声が聞こえてくる。

 通路の上には血の跡が残っていて、地図はなくても道はわかる。

 死骸の他にも、ごみや排泄物などが落ちていることもあり、初心者たちの良い目印になっている。

 不気味さや不快な臭いを、少し我慢すればいいだけ。

 時には、六層目までは地図なんてなくても平気だと嘯く者すらいる。

 目の前でそう話されたら、大抵の者は油断するなと注意するだろう。

 今、「緑」を歩いている即席の五人組もそうだ。

 心構えは皆それなりにできているし、あからさまな失敗ならばすぐに気付けるし、遠慮なく告げることもきっと出来る。


「あ、待って。罠があるかも」

 シェリアが声をあげ、五人組の足が止まる。

 「緑」の迷宮の三層目の真ん中辺りで、シェリアは地図につけられたしるしを指さし、ナッコを見上げていた。


「これ、罠のしるしでしょ」

「そうだよシェリア、よく覚えているんだな」 

 がふふと笑いながら、初心者の少女は道の先の一点を示した。

 この先に鋭い刃の飛び出す仕掛けがあると言われて、前衛の三人は目を凝らしている。

「踏んだら出て来るやつ?」

 確かに前回も三層目で、足元に気をつけるように言われた。

 今は蔦がなく、床は剥き出しで、突起があればすぐにわかりそうなものなのに。

「どこだろ。もう少し先かな」


 ナッコとシェリアは地図を覗き込み、周囲へ目を走らせている。

 通路は長くまっすぐ伸びていて、目印になるような別れ道や曲がり角がない。


 次の情報はいつまでも出て来なくて、とうとうターレンが前に進んでいった。

 もう少し先かと、エルンが口に出したからなのかもしれない。いや、間違いなくそのせいだ。迂闊な発言があり、納得して、確認する為に進んでいったのだろう。


 一瞬の出来事だった。

 前へ進むターレンの足元が突然大きく口を開け、悲鳴が上がると同時に姿が消え、今はもうなんの音もしない。


「……ターレン」


 長い静寂の後にようやく声を上げたのはラディエルだった。

 駆け出そうとしたので、エルンは慌てて腕を浮かんで止めた。


「駄目、落とし穴だよ!」


 エルンが必死であげた声を、甲高い悲鳴がかき消していた。

 慌ててシェリアの方へ振り返ると、ナッコがとんでもない勢いで駆けていく姿が見える。


「ナッコ、馬鹿野郎! 待て!」


 友人の呼びかけに構わず、後ろ姿はみるみる遠ざかり、角を曲がって消えてしまう。


 ターレンが落とし穴に落ち、ナッコは逃げた。

 こう理解した瞬間、シェリアがまた叫んだ。さっきは驚いた声だったが、今は違う。目を見開き、明らかに恐怖の表情で、エルンとラディエルの背後を指さし、大声で叫んでいる。


「後ろ! 犬!」

 

 ぎゃあぎゃあ騒いでいなければ、きっと気が付いていただろう。素早く駆ける犬の足音は、それなりに大きく響くものだから。

 エルンが再び振り返るよりも早く、ラディエルが悲鳴をあげていた。

 いつの間にか現れた大きな犬が、鋭い牙を探索者の腕に突き立てている。


「ラディエル!」


 剣を抜いて振り回す。

 苦悶の声をあげて倒れ込んだラディエルに当てないように、犬の背中を狙って切り付けた。

 血しぶきがあがって、シェリアが叫ぶ。犬はまだ、ラディエルを噛んだままだ。だから、もう一度。振り上げて、思いきり。まっぷたつにしてやるつもりで、全力で。

 想像通りにはいかず、剣は途中で止まった。けれど深く犬の体に食い込んで、周囲に血が飛び散り、エルンの着ていた服も赤く染めていく。


「ぐうっ!」


 探索者の男が声をあげ、エルンは思い切り犬を蹴り飛ばした。

 父からもらった剣が食い込んだままで、一緒になって飛んでいってしまう。

 大きな犬は壁に当たって、床に落ち、辺りを赤く染めている。

 びくびくと震えていて、死んだかどうかはわからない。


「ラディエル、大丈夫」


 倒れ込んだ青年の傍らに駆けつけて、エルンは手早く鞄を開いた。

 包帯を巻きつけようと思ったが、噛まれた腕から血が大量に噴き出していて、とても間に合いそうにない。

 念のために入れていた着替えを引き裂き、細くして、強くぐるぐると巻きつけていく。

 気をしっかり持つように、大丈夫だと言いながら、傷口を縛り付けていった。


「ターレン……」

 ラディエルの顔は真っ青で、力なく項垂れている。

 もう、落とし穴に落ちた仲間を探す余裕はない。

 逃げていったもう一人を追いかけることも出来ないだろう。


「エルン……、エルン、ねえ、どうするの」

「戻るしかないよ。ラディエル、肩を貸すから、立って」


 シェリアの顔も真っ青になっていた。

 初めての探索で、順調に進んでいると思っていたのに。急にすべてをひっくり返されて、冷静でいられるはずがない。


「ナッコが、地図を持って行っちゃった」

「……そっか」


 シェリアは涙をぼろぼろと零しながら、エルンの袖をぎゅっと掴んでいる。

 まだたったの三層なのに。初心者が大勢歩いているはずの迷宮なのに。

 どうしてこんなことになってしまったのだろう。

 エルンも動悸が収まらず、脂汗に塗れているが、こんな時こそ落ち着かなければならないと、気持ちを静めていった。


「シェリア、来た通りに道を戻るよ」

「うう」

「泣いてたら駄目。間違えるわけにはいかないから」

 

 ようやく立ち上がったラディエルを支えて、足を動かしていく。

 なんとか歩けるようだが、出血は止まっていない。今もじわじわとにじみ出て、服をじっとりと濡らし、緑の床に赤い点を描いていた。


 たったの三層だが、出口まで歩いて、どこかの神殿へ向かわなければならない。 


「ここまでの道、途中まではあっていたはずでしょ。どこかで間違えたんだろうけど、そう長い距離じゃない。元の道に戻れば、絶対に誰かが歩いているから」

「そんなのできる?」

「できるよ、シェリア。あたしはラディエルを抱えてる。あんただけが頼りだからね」


 エルンがこう声をかけると、ゆっくりとシェリアの手が離れていった。

 涙を拭い、鞄の中からナイフを取り出している。


「焦らないで。落ち着いて歩けば大丈夫」


 無言のまま頷くと、シェリアはゆっくりと歩き出した。

 エルンは女にしては体格が良い方だが、男に肩を貸して歩くのは重労働で、どうしても歩みは遅くなるし、時々よろけてしまいそうになる。


「頑張って、ラディエル」


 無口な青年はなにも言わず、歯を食いしばって足を動かしていた。

 シェリアは一歩進むごとに振り返り、エルンたちの様子を確認している。


 そうやってじわじわと進んでいくと、別れ道が三人を待ち受けていた。

 ナッコが消えたのは右か、左か。

 自分たちがこの分かれ道を、どう曲がって進んできた?


「どっちだったっけ、エルン」

 シェリアの問いに答えられない。ラディエルの目は閉じかけていて、今の状況が理解できているかどうかもわからない。


 右も左も、通路の先はどちらも似たような造りで、判断がつかなかった。

 少し進めば蔦が広がり、同じくらいの距離の先に曲がり角があるのが見える。


「こっちだったと思う」


 シェリアの指は震えている。左の通路を指さしているが、自信がなさそうだった。


「わかった」

「いいの、エルン」


 どうにも答えようがなくて、エルンは静かに頷くと、通路を左に曲がった。

 ラディエルの体が落ちないよう、持ち上げて。

 言えることは「頑張って」くらいで、他になにも浮かんでこない。


「蔦がある」

「転ばないようにしないと」


 蔦には時々棘があって、刺されば毒を受けてしまうから。

 前回の探索で聞いた助言について思い出し、エルンは大きく息を吐きだしている。


 あの時、探索歩きに必要な言葉をいくつも聞いたのに。

 すべて覚えているつもりでいた。でも、そうではなかった。


 甘く考えていたのだと、エルンは深く後悔している。

 シュヴァルのような子供でも読めるのだから、地図を見るのは簡単だと思っていた。

 心のどこかで、侮っていたから。

 レテウスの剣の強さも、自分よりも強いとは思っていても、そこまでの差はないと奢っていた。

 本当に差がなかったのなら、あんな犬程度に苦労せずに済んだだろう。鮮やかに切り捨て――、いや、本当の達人なら、襲い掛かられる前に気付いて当たり前。誰かが大怪我する前に、くるりと振り返って未然に防いでいたはずだ。


 そして、後列からずっと声を掛け続けていた、美しい少女のような探索者についても。


 たいした剣の使い手でもなく、連れて来た二人にも気を遣っていて、時々弱気な姿も見せていたけれど。

 豊富な経験を積んだ上級者などではなくても、エルンよりもずっと迷宮をよく知っていた。

 通路の歩き方、仲間への気の配り方。ミスが起きないように五人を守っていたのだと、今、やっと気が付いていた。


 クリュの注意のほとんどは、隣を歩く神官に向けられたものだった。

 エルンはそれを聞いて、自分の振る舞い方を少しずつ修正していた。

 だから、こまごまと言われずに済んだだけ。


「……馬鹿」


 後悔がぐるぐると渦を巻いて、エルン・アイガートの足元を揺らしていく。

 まっすぐに伸びた通路の硬い床が、急にグニャグニャとし始めたような気がして、不安に包まれていく。


「きゃああ!」


 歪んだ視界の中で、シェリアが突然悲鳴をあげて倒れていった。

 

「シェリア!」

「痛い、痛い!」


 ラディエルを下ろし、シェリアのもとへ駆けつける。

 手に持っていたナイフを落とし、床の上でのたうち回っているのは、蛇に噛みつかれてしまったから。


 ナイフを拾って、蛇に突き立て、シェリアの体を引きずり、ラディエルの傍へと戻る。

 少女の顔色はみるみる悪くなり、青を通り越して、既に紫がかっていた。


「解毒の薬!」


 今必要な物を口に出しているのに、頭にうまく繋がらない。

 鞄に入れてあるものはそう多くないのに、薬はなかなか見つけられなかった。


「エルン、……エルン、寒いよ」

「今、薬を出すから。解毒の薬、あるから、大丈夫」


 結局、床に放り出した物の中に目的の薬は紛れていた。

 いつ出したのかわからないがとにかく、解毒の薬の入った小瓶を開けて、シェリアの唇に当ててやる。


「飲んで」


 エルンがうまくやれずにいた間に時が経って、シェリアは虚ろな目をして動かなくなっていた。

 無理矢理唇の隙間に瓶を押し込んでみたが、口の端からたらりと一筋、薬と同じ色の筋が伸びていくばかりで、飲んだかどうか、わからない。


「シェリア、しっかり」


 念の為にもう一本開けて、同じように押し込んでみる。

 反応はなく、エルンは震えた。今目の前で起きていることが理解できなくて、呆然としてしまう。


「なあ……、おい」

 

 苦しげな小さな声に気付いて、エルンはおそるおそる視線を向ける。

 通路の上に倒れているラディエルが、真っ青になった唇を動かしていた。


「その子……、連れて、いけよ」

「なに言ってんの?」

「そいつなら、小さいから、おぶっていけるだろ」


 ぜえぜえと息を吐きながら、ラディエルはなんとか声を上げている。

 自分を置いて、シェリアを連れていけ。

 そう言っているのだと理解して、エルンは涙をこぼしていた。


「いやだよそんなの」

「だって、無理だろ」

「無理じゃない!」


 シェリアの腕を掴んで、背負っていく。

 自分の胸の前で少女の腕を掴んで、ラディエルを抱えようと、力を込める。


「やめろ。お前まで、死んじまうぞ」

「でも」

「三人とも、死ぬより」


 ラディエルの言葉が聞こえない。続かなかったのか、声が小さかっただけなのか。

 わからないが、まだ息はある。

 このままただ見捨てるなんて、絶対にありえない。


 強くなる為に迷宮都市にやって来た。

 ひとりでも強くなれると証明したくて、反対を押し切ってまで来た。

 父のようになりたかったからだ。人を救う為に走り回る父が好きで、役に立ちたくて、認めて、誇りに思って欲しかったから。


 諦めたくない。

 なのに、ラディエルの体が重たくて、持ち上がらない。

 なんとか引き上げようと足に力を込めたがうまくいかず、エルンはバランスを崩し、シェリアを落としてしまった。


「シェリア!」


 ごめんと謝りながら、傷がないか確認していく。

 背後からは唸り声がして、かすかに言葉が続いた。


「ごめんな……。ナッコの奴が、逃げていかなければ……」

 力のない笑い声は短く、あっさりと途切れて、ラディエルは唸るように声をあげている。

「もし、会ったら、殴っていいから……」


 エルンはシェリアを抱き寄せて、ラディエルの傍へ近付いていく。


「痛み止めの薬、あるの。飲んだら楽になるかも」

「早く、行けよ」


 最後の「良い案」に、返事はたったのこれだけ。


 もう、どちらも見えない。二人の残った仲間たちの瞳が、どちらも見えなくなっていた。

 朝集まって「緑」へ入って、三層目に辿り着いてから、ほんの少ししか経っていないはずなのに。

 なにがいけなかったのか。どうしてこんな酷いことになってしまったのか。

 わからなくて、エルンは震えながら、泣きながら叫んだ。


「父さん」

 

 自分を励まし、力付けてくれるのはいつでも父の言葉だった。

 なのに、なにも思い出せないし、浮かんでこない。

 心と体を支えていた父の教えに頼りたいのに、頭も心もからっぽで、エルンのなにもかもが崩れ落ちていく。


「父さーん!」


 泣きながら絶叫した少女の耳を、なにかが掠めていく。


「エルン」


 自分を呼ぶ声がした気がして、エルンははっと気付いていた。

 

 これはきっと、人生で聞く最期の音なのだろうと。

 仲間を失い無気力になった探索者が迎える運命など、決まっているから。


「父さん……」


 死者の国からの迎えなら、母が来てくれそうなものなのに。

 エルンがこう考えていると、遠くから足音のようなものが聞こえて来て、顔をあげた。


 迷宮の通路の先に、影が浮かび上がっている。


「エルン」

「父さん?」


 違う。父ではない。しばらく聞いていなくても、こんな声でないことはよく知っている。

 姿形もまったく違う。

 では、誰が自分の名を呼んでいるのか?

 影が早足で駆け寄って来て、はっきりと理解できたが、正体は納得のいく人物ではなかった。

 

「……どうして? あたし、あんたを、そんなに特別に思っていたってことなの?」

「なにを言っているのだ。どこを怪我した? そこに倒れているのは、仲間なのか」


 ケルディ・ボルティムはエルンの前に膝をつき、祈りを捧げている。

 神官の力が体を巡ると意識がはっきりとして、エルンは驚き、ケルディの腕を掴んでいた。


「なんで、ここに?」

「悲鳴が聞こえた。聞いた覚えがある声だと思って、皆に断って様子を見に来たんだ」


 よく見てみれば、通路の先には他にも探索者の姿があった。

 三人か四人か、初心者であろう若者たちは神官の様子を窺っている。


「ちょっとケルディ」

 遠くから声をかけられて、ケルディは立ち上がっている。

「本当に知り合いがいた?」


 苛々とした声で問われて、ケルディは視線を彷徨わせている。

 エルンは慌てて神官の手を取り、強く握った。


「お願い、助けて。シェリアが蛇に噛まれて、あっち、ラディエルは犬にやられたの」

「君は?」


 これは返り血を浴びたのだと伝えて、手に力を込めていく。

 ケルディは強く目を閉じていたが、やがて意を決したように仲間に向かって声を上げた。


「すまない、ガスパン。来る前に約束をしたというのに」

「なんだよ、もう、またかよケルディは」

「……探索者失格だと言われても仕方がない。皆、さぞ呆れているだろうが、私は、彼女を救ってやりたい」


 少し待っていてくれと声をあげると、ケルディは倒れた二人の傍に跪いた。

 シェリアの腕に触れ、ラディエルの顔を覗き込み、癒しの力を使い始めている。


「彼女って?」


 ケルディと共にやって来たであろう探索者たちが、ぞろぞろとやって来る。

 四人の探索者の青年は倒れたシェリアの姿に気付くと、一斉に「大変だ」と声をあげ、駆け寄って来た。


「なんてことだ。この子、なにがあったんだい」

「蛇が、そこの蔦の中から出てきて」

「うひゃあ!」


 四人は跳びあがって蔦から離れると、エルンにも手を貸し、立たせてくれた。

 

「ケルディ、早く解毒をしてやらなきゃ!」

「今やっている」


 ケルディ・ボルティムは樹木の神に祈り、シェリアの体から毒を消し去り、傷も癒してくれた。

 ラディエルもまだ息があるとわかり、奇跡の力が分け与えられていく。

 怪我人の顔色は良くなり、危機は去った。

 現れた探索者たちによれば、もう少し進めばすぐに「皆の通り道」らしく、エルンたちはほんの一か所、曲がるポイントを間違えていたらしい。


「ありがと……、本当に。ケルディ、あんたが通りかからなかったら」

「エルン、安心するのはまだ早い。迷宮から脱出しなければ」


 前回の探索でお荷物として扱われていたはずの神官戦士は、力強い瞳でエルンを見つめていた。

 あれからほんの数日しか経っていないのに、面構えが違うように見えて仕方がない。

 命の危機を救われたからそう感じられるのか、それとも、ケルディが急成長でもしているのか。

 わからないがただただ感謝するしかなく、エルンは何度も礼を伝えた。


「ガスパン、エルンだけでこの二人を地上へ連れ帰るのは無理だから」

「まったくさあ、ケルディ、水臭いんじゃないの? ここまで来たら、乗りかかった船ってやつだよ。なあ、皆」


 ケルディの連れの四人は、おうと声をあげると、早速シェリアの周りに集まっていた。

 傷を癒している間に、既に話し合いを済ませていたのかもしれない。

 ガスパンと呼ばれた青年がシェリアをおぶって、他のメンバーは荷物持ちなどを引き受けている。


「エルン、私がその男を背負って行こう」

「え、いいの?」

「いくら君でも、男を背負って歩くのは無理だ。皆、ありがとう。手を差し伸べてくれて」

「いいって、いいって。困っている女の子を見捨てるなんてさ、男のやることじゃないもんなあ」


 現れた時の険悪なムードはどこへやら、三人の初心者は無事に救われ、地上へ戻されていた。

 一行はまっすぐに雲の神殿へ向かい、動けるようになるまで休ませてもらうことが決まる。


「ケルディ、ガスパンたちも、本当にありがとう。あたしたちのせいで、探索できなかったよね」

「いいんだって。すごく貴重な経験させてもらったから!」

「俺たち、樹木の神殿の隣で暮らしているんだ。良ければ遊びに来てよ」

「俺たちで良ければ、いつでも一緒に行くぞ!」


 若者たちはわあわあと好き勝手にまくしたてると、去っていってしまった。


 「緑」の近くの雲の神殿の奥、回復の為の部屋で、エルンは二人に付き添っている。

 怪我も毒も、ケルディが癒してくれたお陰で、支払いの必要もない。


 女の探索者だから、シェリアが共にいたから、手を貸してもらえたのだろうと思える。

 複雑な気分の一方で、この日与えられた幸運に深く感謝をしていた。

 命を救われた。仲間を見捨てずに済んだ。無事に地上にも戻れた。

 借金を負わされるような展開にもならず、感謝の言葉だけで充分と、気の良い初心者たちは笑顔で去って行った。


 しばらくするとシェリアもラディエルも目を覚まし、エルンはこの日起きた奇跡的な救出劇について二人に語った。

 一度共に探索に行ったことのある神官が偶然通りかかり、声を聞きつけ、救いの手を差し伸べてくれたのだと。

 

「嘘……。そんなこと、ある?」

「信じられないよね」

 ラディエルは口を噤んでいたが、やがてぼそりと、こう呟いた。

「あんたのお陰で助かったな」

「すごい偶然が起きただけだよ」

「諦めずにいたから、なんとかなったんだろ」


 青年の手が伸びて来て、エルンの手に触れる。

 ありがとうと言われて、少女は頷き、ラディエルと強く握手を交わした。



 意識を取り戻し、自分の足で歩けるようになったら、神殿から出なければならない。

 世話をしてくれた神官に礼を言って、三人は迷宮都市の道の上に立っていた。


「ラディエルはどうするの?」

「宿に戻るよ。ナッコがいたらぶん殴る」

「そっか」

「ありがとうな、本当に」


 北へ向かうラディエルを見送って、エルンたちもねぐらへと戻った。

 朝とは打って変わって無口になったシェリアと共に道を歩いて、グラッディアの盃についた時にはもう夜になっている。


 稼ぐどころか、失うばかりの散々な探索だった。

 剣も失くしたし、荷物は空っぽ。着ている服も血だらけで、捨てるしかない。

 命があっただけで充分。探索者ならばそう考えなければならないが、隣を歩く少女はどうだろう。

 もう迷宮なんて懲り懲り、故郷へ帰ると言い出しても、仕方がないと思える。


 

 酷い姿で店内を歩くわけにはいかず、裏にある階段を上って二人は部屋へ戻った。

 まずは体を洗いたいが、おなかもすいている。着替えだけして、先に食事を済ませるべきか。

 その前に反省会を開いた方がいいかもしれない。エルンはすっからかんになった鞄をベッド脇の棚に起きながら、ため息をついている。


「ねえ、エルン」

 シェリアはまずは身体を洗おうと言い出し、二人で着替えを持って水場に向かった。

 逗留している者が使いやすいよう、部屋のすぐ隣に狭いながらも洗い場が用意されていて、二人で体についた汚れを落としていった。


 髪も爪の隙間も汚れてしまって、丁寧に洗い流さなければならない。

 エルンが頭から水をかぶっていると、ざぶざぶの隙間から、シェリアの声が聞こえてきていた。


「よく助かったよね」

 

 ぼそりとした呟きに、エルンは頷いている。

 人生に一度起きるか起きないかくらいの、極めて稀有な偶然に命を救われた。


「一度一緒に行っただけなんでしょ?」

「うん。偶然酒場で会って」

「すごいよね。それだけの間柄で、自分の探索を諦めてまで、助けてくれるなんてさ」


 はあ、と大きく息を吐く音が続く。

 今日の経験について問うべきか、もう少し待つか。

 エルンは真剣に悩んでいたのだが、シェリアの声は明るく、こう続いた。


「それってもう運命だよね」

「ん? なに?」

「迷宮でそこまで劇的な再会果たすとか、普通じゃないでしょ」

「普通ではないけど」

「神官の名前、なんだったっけ」

「ケルディ」

「樹木?」

「うん」

「明日、会いに行こ」

「ケルディに? なんで?」

「仲間になってもらうんだよ。これ、運命だからね!」


 シェリアはざぶんと水をかぶると、ルンルンと洗い場から出ていってしまった。

 エルンも慌てて体を洗い、着替えを済ませ、部屋へと戻る。


 シェリアは自分のベッドの上で小さな袋をひっくり返し、中身を出していた。

 じゃらじゃらと出てきたのは現金で、かなりの額があると一目でわかる。


「なにしてんの、シェリア」

「本気出す時が来たってことでしょ。明日ケルディに会いに行ったら、魔術の先生探さなきゃ」

「魔術師になるってこと?」

「そ! 地図の見方、よくわかんなかったから……。スカウトよりは魔術師の方が良さそうじゃない? やっぱりさ、考えていた通り、なにか特技がないと探索に行ったら駄目なんだよ。一つでも身に着けば、わたしも戦えるようになるから。そうしたら今度は、あんな無様にやられなくて済むよね」

「シェリア」

「わたし、滅茶苦茶悔しい。なんにもできずに、ただ助けられただけなんて。今すぐあんたの記憶を消せたらいいのに」

「どの記憶?」

「泣いた顔、見たでしょ」

「仕方ないよ」

「ううん。わたし、二度と泣かない。怖いところだってわかったからね。わかってて行くんだから、もう泣いたりしない。絶対に。エルンが小遣い稼ぎしている間に、あっという間に魔術師になってみせるから。だからちょっと待っててよ。いい?」

「あは。わかった」

「絶対待っててよ。他の誰かと組んで、勝手に行ったりしないでね」


 ベッドの上で金を数えながら、シェリアは目をキラリと輝かせている。

 恐怖や後悔とは無縁の笑みを浮かべており、エルンは嬉しくなって大きく頷いていた。



 次の日の朝、エルンが日課の走り込みをしている間に、シェリアはおめかしをしていたようだ。

 髪をきれいに編み込んで、きれいな赤いスカートを身に着け、出かける準備を済ませていた。


「そんな服持ってたの?」

 エルンは驚き、シェリアは笑う。

「まあね」

「本当に溜め込んでいたってことか」

「しっかり準備しなきゃって思ってたんだよ。塾代はちゃんと払わなきゃいけないし、ボロ着て通うわけにはいかないでしょ」


 想像以上に根性のある少女と共に、樹木の神殿へと向かう。

 朝のやって来た迷宮都市は賑やかで、東側の通りには商売人が多く行き交っている。


 グラッディアの盃から、樹木の神殿まではそう遠くない。

 歩いているとすぐに神像が見えて来て、足が自然と早まっていく。


 辿り着いた樹木の神殿前には、もうひとつの再会が待ち受けていた。


「エルン、シェリア」


 北側から誰かが駆けてきて、二人の前にやって来る。

 現れたのは昨日一緒に散々な目に遭ったラディエルで、何故だか左側の頬に大きな青い痕がついていた。


「良かった、会えて」

「ラディエルもケルディにお礼を言いに来たの?」

「それもあるけど、ここに来たら君に会えるんじゃないかと思ったんだ」

「君って……」


 またもシェリア目当てかと思いきや、ラディエルの視線はエルンに向けられたままだ。


「あたし?」

「ああ。これから一緒に組んでいけたらと思ってさ」

「え……。探索の仲間ってこと?」


 ラディエルは静かに頷くと、昨日宿に戻ってから起きた出来事を教えてくれた。

 ナッコもターレンも宿にいて、喧嘩になってしまったのだと。


「ターレン、無事だったの?」

「落ちたところから彷徨っていたら、運良く他の五人組が通りかかったらしい」


 なんとか地上に戻ったターレンは、ナッコから「ラディエルたちは死んだ」と聞かされていたという。


「二人は俺の荷物を勝手に開けて、形見分けをしていた」

「がふふ……。それは気の毒」


 あっさりと全員を見捨てて逃げたナッコを責めると、ターレンが勝手に進んで落ちたせいだと反論されて、揉めに揉めた末に、三人組は解散になってしまったらしい。


「それで、あたしたちと組みたいの?」

 ラディエルは小さく笑みを浮かべると、ああ、と答えた。

「会ったばっかりの俺を簡単に見捨てなかっただろ」

「自分で言うのもなんだけど、探索者としては間違ってるんだよね、それ」

「そうかもしれないけど、仲間としてこれ以上心強いことなんてないと俺は思う」


 ラディエルはまっすぐにエルンを見つめて、駄目か? と問いかけてきた。

 なんだか気恥ずかしくて、視線を逸らしてしまう。

 そんなエルンの脇腹を、シェリアはにやにやしながら何度もつついてきた。


「やめてよ、シェリア」

「いいじゃない、一緒にやってみれば。ねえラディエル、あんた凄くラッキーよ。わたし、魔術師になっちゃうんだからね」

「……そういうのは本当になってから言うべきじゃないか」


 シェリアが黙り込み、エルンは笑いながら腹の辺りをつつき返してやった。

 こんなやり取りを延々と入口前でやっている三人に痺れを切らしたらしく、神官が声を掛けてくる。


「君たち、樹木の神殿になにか用があるのかな」


 年配の神官の登場に、エルンは焦り、慌ててごめんなさいと頭を下げた。


 ケルディの登場が運命だというのなら、ラディエルとの縁もきっと同じく運命なのだろうとエルンは思う。


 散々な探索で父の剣は失ったが、大切な教えは守ることができた。

 共に乗り越えた危機が、特別な絆になったような気もしている。


「よし、じゃあ四人目の仲間、捕まえに行こうか」


 エルン・アイガートは拳を振り上げると、出来たばかりの二人の仲間と共に、樹木の神殿へ入っていった。

 


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― 新着の感想 ―
ケルディ、君は憧れの聖なる岸壁に1歩ずつ近づいてるよ涙
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