表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12 Gates City  作者: 澤群キョウ
51_Fortuitous Encounters 〈ありふれた冒険譚〉

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

245/247

235 劇的邂逅

「たのもう!」


 シュルケーの工房南門店の営業が始まってすぐにこんな声が響いて来て、店員のキャリンは驚いて振り返っていた。

 メインの売り物である女性向け、護身用の短剣を並べている真っ最中で、店の入り口のすぐそばにいたから。


 大声をあげて入店してきた妙な客は、近くにいた店員(キャリン)に目を留めたようだ。

 背は高いし体に厚みはあるが、女性客で間違いない。赤茶色の髪を二つにわけて縛っており、頬にはそばかす、大きな目をぱたぱたと瞬かせて、唇には微笑みを浮かべている。


「すごい数の武器だね!」

「ええ……、いらっしゃいませ」


 棚に並んだナイフやら、壁に飾られた長剣やらを見渡し、お客はるんるんと店内を歩き回っている。

 無邪気に歩き回る様子からかなり若いのだと気が付いて、親切な店員であるキャリンはお客へ声をかけようと決めた。


「なにをお探しですか?」

 お客の少女はくるりと振り返り、白い歯を輝かせて笑っている。

「仲間だよ! 武器の店なんだから、女の探索者も来るよね」


 来ることもあるが、そうしょっちゅうではない。

 返事に最も妥当な言葉を探すキャリンに、お客の少女は目を輝かせ、にやりと笑っている。


「あなたも結構使えたりするんじゃない? 毎日武器を触ってるんでしょ」

「いや、触りはするけど」

「やっぱり! 誰が一番強いのか、教えてよ」


 キャリンは背後へ目を向けたが、同僚たちはさっと目を逸らし、巻き込まれまいと棚の向こうへ消えていく。

 自分もカウンターの向こうに逃げてしまえばいいのだろうが、他にも客はおり、さすがに店員が一人もいないような状況にはしたくない。


「ここはお店なの。お客さんに武器を売ってはいるけど、それだけなんだよ。自分たちで使ったりはしないの」

「そうなの? こんなにたくさんあるのに。使わないの?」


 キャリンも店からナイフを一振りもらっているが、いまだに振るった経験はない。

 よほどの危機に見舞われたらそんな決意もできるのかもしれないが、幸いにもそんなアクシデントが起きたことはなかった。


「前にもあなたと同じ考えで来た子がいたのよ。武器のお店だから、剣が使える女の子がいるだろうって」


 勝手に部屋に入りこまれた挙句、散々振り回された日々について思い出しながら、キャリンはこう話した。

 お客の表情はみるみる曇って、拗ねたような顔に形を変えている。


「売るだけかあ……」

「わかってくれた?」

 ほっとして息を吐くキャリンに、少女はもうひとつ、問いを投げかけて来る。

「女の探索者がいたら、ここを使うのは間違いない?」

「うーん。武器屋は使うだろうけど、絶対にここってわけじゃないと思うよ。うちの本店は街の北側にあって、そっちの方が注文はたくさん受けているし、他にもお店はたくさんあるからね」

「女用の武器はここで買うって言われたんだけど」

 非力な女性でも扱いやすい護身用のナイフなどを多く扱っているだけで、そんな専門店ではない。

 キャリンの丁寧な説明にお客の少女は納得したようだったが、なにか思いついたらしく、とびきりの笑顔で更に質問を投げかけてきた。


「さっきの話さ、前に来たってことだよね、女の探索者が」


 確かに、来た。既に探索者として活躍していたスカウトと、魔術師になると意気込んでいた少女が。

 けれど、もうここにはいない。意気投合して共に暮らしていた賑やかな三人は皆去って行ってしまったと、ララから聞かされている。


「来たけど。でも、もうみんないないの」

「どうして?」


 客からのまっすぐな問いに、キャリンは言葉を詰まらせていた。

 樹木の神官は、あの三人は激しい運命の嵐に飲み込まれたと語っていたから。


「ごめんね、詳しくは知らなくて」

「そっか……。わかった、ありがとね」


 お客の少女は礼を言うと、武器が必要になったらまた来ると言い残して去って行った。


 




「ねえねえリティさん、見てよこれ」


 武器屋訪問を終えてねぐらに帰って来たエルン・アイガートは、厨房で忙しそうに歩き回る店主に財布の中身を見せている。


「もうすぐ空っぽになっちゃう!」

「いやだね、もう。今日の宿代は払ってもらえないってことか」

 そんなつもりではないともごもご言い訳をして、鍋の前に立つリティのそばへ、そろりそろりと寄っていく。

「稼げる仕事ないかなあ。できればがっつり稼いで、探索の仲間探しに集中したいんだけど」

 

 仲間探しには時間がかかる。仕事に励めば探索は遠のく。

 生活をする為には余裕が必要であり、エルンは頼れる先輩であるリティに知恵を貸して欲しいと頼んだ。


「日雇いがいいんだろう? なら、建築がいいかもね。力仕事だし、朝から晩まで扱き使われるらしいけど」

「けんちく……。家を建てる仕事?」

「そう。西側は古い建物が多くて、建て直してるところがたくさんあるんだってさ」


 ちらりと視線を向けられ、エルンは慌てて厨房の手伝いを始めていた。

 昼と夜の営業の前は殺人的な忙しさで、料理に不慣れなエルンであっても手を貸せば喜ばれる。

 野菜の皮を剥き、ごみを運び、食事が終わった客の皿を下げ、洗う。


「ありがとうね、エルン。助かったよ」

「うん。あの、リティさん」


 わかったわかったと手を振り、リティは市場へ出かけていった。

 夜の営業も手伝えば、今日の宿泊料と相殺されるだろう。

 エルンは店主の後ろ姿に感謝を送り、宿を出ると今度は西へ向かった。


 魔術師街を駆け抜けて西側の大きな通りに出ると、少し先に雲の神殿が見えてくる。

 初心者たちが集う北側とも、腕を上げた者が暮らす東側とも、雰囲気は違う。

 やたらと豪華な店があり、入口の前にゴミを積まれたぬけがらのような劇場があり、道の先には調査団の本部が建っている。


 その他はこまごまとした店が並んでいるが、確かに工事をしている箇所も多かった。

 古くなった建物を壊していたり、木や石を運んで積み上げていたり。

 建築の現場はあちこちにあり、若者たちが汗を流して働いている。

 更に歩いていくと西側の門があり、安食堂が軒を連ね、奥にある娼館街の姿を隠していた。


 故郷を出る時に、父に約束させられたことがいくつかある。

 規則正しく暮らし、他人に迷惑をかけない。アイガート家の一員であることを忘れない。

 それに加えて、体を売るのだけは絶対に駄目、というのが迷宮都市行きの条件だった。


 多額の借金を負うような事態になった時は必ず連絡しろ。家族に伝えるまではとにかく抗え。

 父は厳しい顔で何度もこう繰り返し、うんざりした顔に気付くと真剣に考えろと娘に迫った。


 若者たちで賑わう食堂街に隠されて、男の安らぎの為の店は見えない。

 どんな仕事をさせられるのかは懇切丁寧に説明されたが、店がどんな営業の仕方をするのかはまだ知らない。

 あそこに行ってはならぬのだと自分に言い聞かせ、踵を返し、改めて建築の現場を探して回る。


 歩いているときれいに積んだ石の隣で一休みしている男がいて、エルンは意を決して声をかけた。

「ねえ、ちょっと聞きたいんだけど」

「なんだい、お嬢ちゃん」

 上半身裸の屈強な男はかなり大柄で、急に声をかけてきた少女を見下ろしている。

「今、仕事を探してるんだ。ここら辺ではたくさん新しい建物を建ててるんでしょ」

「ここで働きたいってのか?」

 素直にそうだと答えたエルンへ、男は遠慮なく視線を向け、最後に鼻をふんと鳴らした。

「体格は良さそうだが、女がやる仕事じゃないぜ」

「重たいものを運ぶくらいやれるよ。あそこの、やせっぽっちよりは絶対にやれると思う」

 現場の奥でよろよろと木材を抱える若者を指さすエルンへ、男はゆっくりと首を振っている。

「あいつは頼りなく見えても、根性はあるんだよ。あんたと入れ替えたりはしない」

「試しもしないで、そんなこと言う?」

「女は体力がないからな。朝早くに来て、夕暮れまでずーっと重いもんを運び続けなきゃならない仕事だ。途中で泣きだすような奴はお断りだよ」

「泣いたりなんかしないよ。あたしは父さんにみっちり鍛えられてきたんだから! 父さんは街の安全を守る自警団のリーダーを、ずーっと昔からやってるんだ!」

「はいはい、そりゃあご立派なこった。そんな父さんのご立派な娘にゃ、もっと似合いの仕事があるだろ」


 男はしっしと追い払うように手を振って、エルンの文句を無視し続けた。

 少女は怒りのままにどすどす歩いて、資材を運ぶ男たちの一人に狙いを定め、すぐ傍まで進む。


「ねえ、ここで働くにはどうしたらいいの? 朝早くってどのくらい?」

「おい、おい、危ないよ。これ、すごく重たいんだ。邪魔しないでくれ」

「誰に言ったらここで働かせてもらえるの」

「もう……。みんな朝早くここに来て、一日仕事を請け負ってんだよ……」

「じゃあ、あたしも早くに来たらいいのかな」

「おい、お嬢ちゃん! 駄目だって言ったろ。仕事の邪魔するんじゃねえよ」


 容赦ない言葉を浴びせてきた男が近付いて来て、肩を掴まれる。

 エルンはじたばたしてみたが、力では敵わないようだ。


「あなたが教えてくれないからこうなったんでしょ」

「俺はちゃんと教えた、女は使わないってな」

「そんなあ」

「重たいもん運んでる奴の邪魔するような奴はもっと駄目だ。落としたらどうなるか、わからねえのか?」

「それは……、ごめんなさい」


 こんな軽々しい謝罪の言葉では効果がないらしく、現場から放り出されてしまう。

 男は腕組みをして立ち塞がり、睨みつけられており、再び近付くことはできそうにない。

 ここは引くしかなくて、エルンはとぼとぼと南に続く大通りへ向かい、ため息をついていた。


 女に向いている仕事があるのは知っている。同じ年頃の少女たちは皆、街中の店舗で接客をしたり、勘定に追われたりしているとわかっている。

 エルンもグラッディアの盃で料理を運ぶし、時には調理の手伝いだってする。

 みんなみんな金を稼ぐ為、故郷では望めない仕事を求めて、迷宮都市にやって来る。

 そんな少女たちの為に、「安全」な仕事はいくつも用意されている。

 エルンと違って探索には行かないから。体を鍛える必要もないから、寮で暮らし、馬車で移動し、時には恋の話をしながら日々を過ごしている。


「ちぇっ」


 仕方なく現場から遠ざかったものの、次はどこへ行けばいいのやら。

 唇を尖らせて歩いていたエルンは背後から足音が近付いてくるのに気付き、路上で振り返った。


「ねえ、ちょっと」


 服を汗でしっとりと濡らした若い男が小走りで駆け寄って来て、エルンの前で止まる。

 なにごとかと警戒する少女に、人の好さそうな顔をした男はこう話した。


「さっき君を追い出したの、俺の叔父さんなんだ。一緒にここで仕事しててさ。ごめんな、叔父さんはちょっと気難しいところがあって」

「そんなことをわざわざ言いに来たの?」

「いや、うん。君、仕事を探してるんだろ。現場にわざわざ来るなんて、そこらへんの店で働くのは嫌だからなのかと思ったんだけど」


 エルンは頷き、その通りだと素直に認めた。

 すると男は優しげに笑って、こんな話を少女に教えてくれた。


「代わりになるかわからないけど、朝早くても平気なら、市場で荷運びの仕事ができるんじゃないかな」

「荷運び?」

「ああ。南の市場は知ってる? あそこはかなり賑わうんだ。あちこちから商人が来るんだけど、そのせいで馬車もすごい台数になるんだよ。出遅れると離れたところにとめなきゃならないとかで、商品を運ぶのが大変なんだって」

「へえ、そうなの」

「準備に手間取ると出遅れちゃうだろ。君は身軽そうだし、雇ってくれる人がいるんじゃないかな」

「なるほどね。朝早い時間?」

「南の市場は昼も夜も賑わってるから、案外一日中仕事があるのかも」

 リティの手伝いで何度か市場には行ったことがある。店の為に買うのは野菜や調味料ばかりだが、それ以外にも様々な物が並んでおり、いつかゆっくり見てみたいとエルンも思っていた。

「前に近くで露店を開いていた商人が、人手が欲しいって何度も愚痴っていてさ。そういう人を見つけて交渉してみたらどうかな」

 

 商人の手伝いならば、短時間で終わるだろう。朝早くに稼ぎを得れば、探索の仲間探しの時間も取れるようになる。

 良い話をありがとうと告げると、男はほっとしたようで笑みを浮かべていた。


「君は、十四? 十五歳くらいかな」

「うん。あたしは今、十五だよ」

「そうか。叔父さんにも同じ年頃の娘が三人いてさ。女の子に怪我をさせたくなくて、あんな風に断ったんだと思う。嫌な態度を取ったけど、君を心配してのことだからさ」

「そうだったんだね。わかった、いいよ」

「はは、良かった。いい仕事が見つかるよう祈っているよ」


 男は名も名乗らずに去って行き、エルンは少しだけ気を良くしていた。

 重労働に耐えられるわけがないと判断されたのではないとわかったからだ。

 小さな頃から、自警団のメンバーたちと共に訓練を重ねてきた。

 息子が欲しかったが口癖の父に体を鍛えられ、剣の使い方を教わって、実際に扱えるようになった。花畑で恋の話をしながら冠を作る少女たちと同じに扱われてはたまったものじゃない。


 ただ、世の父親は娘の身を心配するものだということはわかっている。

 多くの父親は怪我からは遠ざけ、喧嘩などもってのほかだと考えるものだと知っている。


 エルンの父はそうではなかった。娘の身を案じてくれてはいるが、許せない時には戦い、戦う以上は勝てと言った。

 多少の怪我は仕方ない。体についた傷は勲章であり、そう思ってくれる男と結婚しろと言われてきた。


 自警団の面々を引き連れて歩く父の姿が好きだった。

 悪事を働く者を見つけ、捕らえる父は、戦う術を持たない弱い者たちの守護者だった。

 父は娘に強くあれと言い、娘はそれに応えた。


 同じ年頃の友人たちは誰も戦ったりはしない。すり傷だらけのエルンを可哀想だと言ったり、かっこいいと言ってきたり、さまざまだった。

 娘もさまざまなのだから、父親もさまざまで当たり前だ。

 多分、母親も。


 そんなことを考えながら、南へと向かう。

 夕暮れまでには戻らねばならないが、市場の様子は見ておきたいと考え、エルンは南門を目指して歩いていった。


「やあやあお嬢さん、東にあるデュレッシの村をご存知かい! そこで採れた野菜だよ、新鮮だよ!」


 市場に入るなりこんな声がそこかしこから聞こえてくる。

 野菜や花は迷宮都市では採れない。育てられないから、近隣の農村からたくさんの農作物が運ばれてくる。

 毎日のように若者がやってくる迷宮都市の為に、近隣の村は人を雇って農業に勤しんでいるという。

 他にも、洋服や靴、布、調理器具など。暮らしに必要な物は間違いなく売れるからと、商売人たちはあちこちから迷宮都市にやって来て、市場に品物を並べていた。


「可愛い髪飾りはどうだい。お嬢ちゃん、これをつければお目当ての男もイチコロだよ」

「あはは、そんなわけないでしょ」


 手を差し出してきた商人を軽くあしらい、エルンは市場の奥へと向かう。

 ずらずらと露店が並んでいるが、その先から馬の鳴く声が聞こえていた。

 昼下がりの時間帯で、そろそろ商売には一区切りつく頃だろう。野菜を扱う店にはいくつもからっぽの籠が並んでおり、帰り支度をしている商人がいるかもしれないと考え、足を速めていく。


「あ、ねえ、ちょっと!」

 大きな荷台がいくつも並んだところに辿り着き、ちょうど箱を載せている少女の姿が目に入って、エルンは声をあげた。

「私、今忙しいんだけど」

 そっけなく言い放った少女は小柄で、エルンよりも頭ひとつ分くらい背が低い。

 長い黒髪を三つ編みにしてぶら下げた、胡桃色の大きな瞳が印象的な愛らしい少女だ。

「あたし、仕事を探しててさ。荷物運びの手伝いで雇ってもらいたいんだけど、手は足りてる?」

 少女は小さな箱をいくつか積んで、いっぺんに抱えて持ち上げながら、エルンへ視線を向けた。

「ここは足りてるかな」

「足りてないとこ、ある?」

「それは商人に聞かなきゃわかんないよ」

「……あなたは商人ではないの?」


 背伸びをして台車に箱を積み込み、少女はふうと息を吐いている。

 小柄ではあるが顔立ちは大人びているし、胸はエルンよりも大きく膨らんでいるようだ。

 一方、着ている服はひどく色あせていて、めくった袖の端もほつれている。

 

「商人ではないよ」

「もしかして、荷物運びの仕事をしてる?」

「……まあね」

「あたしもやりたいんだけど、一緒にはやれないかな?」

「それを決めるのは雇い主だから」

「それもそうか。どこにいるの? 教えてくれない?」


 少女はぷいっと振り返り、教える気はないと背中で語ってみせた。

 エルンはほんの少しだけ腹を立てたものの、台車の下に残っている箱がもうないことに気付き、少女がどうするのか、じっと待つ。


「あ」


 荷物を積み終わったことに気付いて、少女はじろりとエルンを睨んだ。

 小柄な女の子は良い。どんな顔をしても迫力はなく、ふくれっ面でも可愛いと思えるから。


 少女はしばらくエルンを見つめていたが、無言のまま市場に向かって歩いていった。

 雇い主のもとに向かうに違いなく、後をついていく。


「もう」


 短い旅の間にちらほらと文句は聞こえたが、結局はエルンが考えた通りにことは進んだ。

 少女は布や糸を並べた露店の前に辿り着き、商人らしき男に声をかけられている。


「シェリア、誰だいその子は」

「あたしはエルン。今、仕事を探してて」

 少女がなにか言う前に、エルンは自ら名乗り、商人に要望を伝えた。

「なるほど、荷運びをね。手伝いを欲しがっている人なら知っているよ」

「教えてもらってもいい?」

「はは。元気の良さそうなお嬢ちゃんだ。重たい物でも運べるかい」

「もちろん。任せといてよ」

「じゃあ、リンジャ婆さんのところに行くといい。あっちにある、籠なんかを売っている店だよ」

「リンジャさんね。わかった、行ってみる。ありがと!」


 商人に教えられた方角に向かい、籠を並べた店を探す。

 それらしき店はすぐに見つかり、座り込んでいる老婆に気付いて、エルンは立ち止まっていた。


「あなたがリンジャさん?」

「誰だい、お嬢ちゃん」

「あたし、エルンっていうの。荷運びの仕事を探しててさ」

「へえ、あんた、重たい物を運べるのかい」

「もちろんよ。毎日鍛えているからね」


 老婆は嬉しそうににんまりと笑うと、やって来た若い娘に次々と作業を命じた。

 大小さまざまな籠を重ねて運ぶように言い、看板などの後片付けもし、すべて台車に乗せるように言われ、従って。

 最後にはリンジャ本人まで台車の隅に乗り込んで、最後に「頼むよ」と告げられる。


「頼むって……。どういうこと?」

「家まで引いていってほしいんだよ」

「え。家? ええ、どこぉ?」


 南門から出て、道をまっすぐ。

 そう遠くないところに家があると老婆は言い、エルンは困惑していた。


「馬車で来たんじゃないの?」

「本当にすぐそこなんだよ。力持ちが引っ張ってくれればすぐに着くのさ」

「ちょっと待ってよ。っていうか、どうやって来たの? 自分でこれ、牽いて来たの?」

「頼める相手は大勢いるのさ。息子やら、隣のせがれやら」

「今日は?」

「あたしの手伝いは早いもん勝ちさね。お駄賃なら弾んであげるから、頼むよお嬢ちゃん」


 本当に弾んでくれるのかの問いに、老婆はもちろんと頷いている。

 ここまで来て投げ出すのは気が引ける。払ってもらえる方に賭けようと決めて、エルンは台車を牽いて南へ向かった。

 どこまで行かされるかと思いきや、しばらく進んだところでいくつか家が並んでいるのが見えた。

 三軒か四軒くらいしか並んでいないが、そのうちのひとつがリンジャの家らしい。


 振り返れば迷宮都市の輪郭がはっきりと見える程度のところまで送ると、老婆は本当に「お駄賃」を弾んでくれた。

 小さな袋はずっしりと重い。中身の確認はできていないが、安くはなさそうで、エルンはついついにやついてしまう。

 荷運びの仕事について教えてもらって、すぐに向かって良かった。

 あとはリンジャに挨拶をして去ればいいだけ。エルンがそう考えていると、リンジャの家の扉が勢いよく開いた。


「ようやく帰って来たのかい、この糞婆は! まったく、凝りもせず、また無駄使いしたようだねえ」

 怒りの形相の中年女が現れ、リンジャに怒鳴り、エルンを睨む。

「たいした儲けもないのに、いちいち他人に金を配るのはやめろって何回言えばわかるのさ!」

「やめな、このお嬢ちゃんは親切に送ってくれたんだ」

「今日はいくら渡したの! あんた、手の中を見せなさい」

「かーっ、この業突く張り! なんであの子はこんな嫁をもらっちまったのかねえ!」


 老婆と女性が取っ組み合いのけんかを始めて、エルンは焦る。


「こら、小娘、今すぐ金を返しな!」

 罵声と共に手が伸びてきたが、老婆が見事にそれを掴み、嫁を地面に組み伏せている。

「お嬢ちゃん、ここはあたしが引き受ける。あんたは帰るんだ!」

「え、でも、……いいの?」

「ああ、今のうちだよ! さあ、早く! 行きな!」


 ごめんなさいと叫びながら、エルンは迷宮都市へ続く道を走って戻った。

 怒鳴り合う二人の声に見送られながら、夕日に照らされて赤く輝く街に向かって、一目散に。


 南門をくぐって再び市場へ向かうと、露天の数は減っていたが、人通りはまだまだ多く、来た時と同じように賑わっていた。

 どうやら夕方から商売を始める者もいるようで、商品を並べている最中の店もちらほらと見受けられる。


「あ、ちょっと、さっきの!」

 馬車が並ぶ辺りの小さな物置の前で、荷運びをしていた少女の姿を見つけ、エルンは慌てて駆けていく。

「ねえ、とんでもない人紹介されたんだけど!」

「いきなりなんの話よ」

「シェリアだっけ? 知ってたんじゃないの、あなたも」

「なにを?」

「リンジャってお婆さんのこと。家まで送らされたし、お嫁さんと取っ組み合いの喧嘩になって大変だったんだから」


 シェリアは澄ました顔をしていたものの、エルンが捲し立てると、堪えきれなくなったのかケラケラと笑い出した。


「うははは! まだやってんだ!」

「やっぱり知ってたんじゃないの」

「まあね、リンジャ婆ちゃんは有名なんだ。ずーっとここで籠を売ってるとかで」

 憮然としたままのエルンの顔を指さし、シェリアはまたケラケラと笑う。

「私は直接見たことないけど、結構やるらしいじゃない、あの婆ちゃん」

「確かにね。お嫁さんの腕を掴んで、一瞬で地面に組み伏せてた」

「わあ、そんなのできるの。結構な年なのに」

「びっくりしたんだけど」

「そりゃあ驚くよね。がふふ。でも、気前はいいって聞いたよ。手間賃はもらった?」

「うん。もらった」


 誰かの馬がひひんと鳴く傍らで、エルンはもらった袋を開き、中身の確認をしていく。

 シェリアは遠慮なくのぞき込んできて、いち、に、とコインの数を数えている。


「うは、五十シュレールも入ってるじゃないの!」

「これって妥当?」

「婆ちゃんの家ってそう遠くないんでしょ? でも、修羅場にも巻き込まれたんなら……」


 かかった時間と労働量と、とんでもない体験と。

 換算するのは難しいが、高くも安くもないのかな、とエルンは思う。


「あなたはいくらくらいもらってるの?」

 問い掛けられたシェリアは、肩をすくめて澄ました顔を見せている。

「そりゃあその時によりけりよ。馬車までやたらと遠い時もあるし、数が多くて何度も行き来することもあるし」

「そっか」


 今日の体験は少し変わったものになったようだが、市場での荷運びの仕事があるのは間違いなさそうだ。


「朝も荷運びの仕事ってある?」

 エルンの問いかけに、シェリアはなぜだか唇を尖らせている。

「教えたくないってこと?」

「えー。どうしよっかなあー」


 ここでようやく、エルンは目の前の少女について考え始めていた。

 市場に店を出している商売人の関係者ではなく、エルンが考えていた荷運びの仕事をしているだけのようだから。

 色褪せたボロを身に纏っており、街中の店で働いているようにも見えない。


「ねえ、あたし、エルンっていうの。エルン・アイガート。十五歳で、三か月くらい前にここに来たんだ」

「なんで、いきなり自己紹介?」

「面白いなって思ってさ。あたし、日雇いのいい仕事がないか探してて、人に教えられて市場に来たの。荷運びの手伝いをしてほしい商人がいると思うよって言われてね。あなたはそれをもうやってたってことでしょ」

 シェリアは今度は腕組みをして、エルンを上から下まで眺めている。

「あんた、女の子なのにでっかいね」

「父さん譲りなの。父さんも大きいから」

「そう。で、あんたはどうして店で働かないの? 女の子なら働き口はいっぱいあるのに」


 エルンも同じことを考えている。シェリアは小柄で愛らしい。胸だって大きい。きれいな服を着れば是非うちで働いてくれと頼まれるであろう容姿をしていて、不思議で仕方がなかった。


「あたし、探索者だから」


 疑問に思いつつ、答えを示す。

 エルンが胸を張ってこう答えると、シェリアの表情はみるみる明るくなっていった。


「嘘でしょ」

「もしかして、あなたも?」


 シェリアは歯を輝かせて、嬉しそうに笑っている。

 辺りはすっかり薄暗くなっていたが、白い歯だけはかがり火の光を受けて、まるで黄金のような色を放ち、エルンの心を照らした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ