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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
50_Body and Soul 〈宴の後〉

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232 揺らぐ魂

 痩せた男は立ち上がると、まっすぐにニーロを見つめた。

 ゆっくりと一度、二度まばたきをして、掠れた声で問いかけている。


「……ラーデンは?」

 ニーロが瞳を向けてくる。

 世にも珍しい灰色をキーレイに向けて、かすかに表情を曇らせ、ゆっくりとヴィ・ジョンへ視線を戻した。

「ラーデン様を知っているのですか」

「あの夜を忘れることなど、できるはずがない」


 また、ニーロの視線が向けられる。


 かつてこの街で探索をしていた魔術師ラーデンは、「偏屈」の通り名をつけられていた。

 カッカーが変わり者だったと話すくらいで、きっとなんでも弟子に話し聞かせていたわけではないのだろう。

 ニーロの瞳には驚きの色が見え隠れしている。ホーカ・ヒーカムのしもべからこの名が出てきたのは、キーレイにとっても意外な出来事だった。


「あなたの名は?」

 若い魔術師に問われて、男は身をぶるりと揺らした。

「エラン・デラン」

「何故ヴィ・ジョンと名乗っていたのですか」

 エラン・デランと名乗った男は明らかに戸惑い、きょろきょろと目を彷徨わせている。

「ヴィ・ジョン?」

「あなたはホーカ・ヒーカムの屋敷で働いていました」

「ホーカの? 何故……? いや、知っているぞ。私は、確かに、ヴィ・ジョンだ。そうだ。私の名はヴィ・ジョンでございました」

「エラン・デランではなく?」


 ニーロの問いに、答えはしばらくなかった。

 エランだかヴィ・ジョンだか曖昧な男は、落ち着かない様子でぶつぶつとなにか言っている。

 キーレイとニーロが黙ったまま見守っていると、男の動きは突然止まった。

 なにかに気付いたように神官長へ目を向けて、腕につけていたしるしを指さし、問い掛けてくる。


「それは、神官長の証?」

「私の名はキーレイ・リシュラ。樹木の神殿でまとめ役を引き受けています」

「ああ、そうでございました。高名なる探索者であり、樹木の神殿の偉大なる長。キーレイ・リシュラ様!」

 急にしゃっきりと話しだす男に戸惑いながらも、キーレイはここへ来た理由を男に告げた。

「ホーカ・ヒーカムの屋敷について、聞きたいことがあるのですが」

「なんでございましょう、キーレイ・リシュラ様」


 姿はすっかり違っているが、受け答えはヴィ・ジョンのものに戻ったようだ。

 問いたいことは山のようにあるが、先ほどまでの様子を思い出すと、聞いていいのかどうか悩ましい。


「ニーロ」

「聞いてみましょう、キーレイさん」

 相談は一瞬で終わり、神官長は仕方なく、覚悟を決める。

「ホーカ・ヒーカムの屋敷の下にある、地下について」

「地下?」

 笑みすら浮かべていたはずのヴィ・ジョンは一気に顔を青くして、見てわかるほどにガクガクと震え始めていた。

「そんなものが、あったでしょうか?」


 男の異様な様子を見て、キーレイは思い出していた。

 二度目の迷い道が起きて、ニーロと共にあの屋敷に行った時のことを。

 あの時屋敷に居たのは弟子のベルジャン・エルソーで、最初のうちはなにを聞いても曖昧な答えを繰り返していたのに、途中で急にしゃっきりとして、襲撃者をなんとかするよう、まるで命令するかのように頼んできた。


「あの時と似ていないか」

 ニーロにこう囁いてみるが、反応が鈍い。

「そうか、気分を悪くしていたんだったな」

「なんの話ですか、キーレイさん」

「ベルジャン・エルソーだ。迷い道が起きた時、屋敷にいたホーカの弟子が似たような反応をしていた」

 若い魔術師はゆっくりと頷いて、考えを巡らせている。

 顎に手を当てて、目を閉じて。

「あの屋敷では、大勢の若者たちが意思を奪われた状態で暮らしていたのでしょう」


 ニーロもキーレイも実際には目にしていないが、コルフやウィルフレドは見たと話していた。

 誰も彼も薄い布を一枚巻いただけのほとんど裸の状態で、ぼんやりと佇んでいた様を。

 彼らがどこへ行ったかわからないままだが、クリュははっきりとこう証言している。

 一年以上閉じ込められていたが、その間の記憶はなく、今も思い出せないままで困っているのだと。


「マティルデという少女も性格を大きく変えていたと、ウィルフレドが話していました」


 ホーカ・ヒーカムは薬で他人の意識を奪い、自身のいいように操っていたのだろう。

 恐ろしい魔術の可能性にキーレイは身を震わせ、心が強く持てるよう、祈りを捧げた。


 ひそひそと話す二人へ、ヴィ・ジョンが目を向けている。

 屋敷にいた時のように澄ましていたが、額には汗が浮かんでいるし、顔色は青いままだ。


「エラン・デラン」

「……私を、呼ばれましたか? 懐かしい響きです。まるで、自分の名のような気がいたします」

「あなたがそう名乗ったんです。ヴィ・ジョンというのは、ホーカに与えられた仮の名なのではありませんか」

「ホーカ。ホーカ、ヒーカム」

「湧水の壺の造り手で、街の真ん中に大きな屋敷を建てた、女魔術師のホーカ・ヒーカムの行方を探しています」

「壺。湧水の、確かに。術師ホーカは、一体どこへ?」

「死んでしまったのではないかと言う者がいるのです」


 男が今、エラン・デランなのか、ヴィ・ジョンなのか。

 狭間で揺れて定まらないような気配で、どうしたものかとキーレイは考えていた。


「屋敷へ連れて行ってみませんか、キーレイさん」

「行って大丈夫だろうか」

「わかりません。でも、あの屋敷についてなにか知っていそうなのは、もう彼くらいしかいないのでは?」


 ヴィ・ジョンとしての記憶があるなら、なにもかも知っている可能性がある。

 ただ、キーレイたちに素直に協力してくれるかはわからない。

 エラン・デランには何が起きたのだろう? 何故ホーカに仕え、違う名を与えられたのか、聞き出せそうな気はするが。


 ニーロの言う通りだと考え、キーレイは痩せて顔色の悪い男へ向け、こう問いかける。

「ホーカ・ヒーカムの行方とあの屋敷について調べたい。協力してもらえないでしょうか」

「……もちろんでございます。街で最も名高き偉大なる探索者、リシュラ神官長様」


 エランかヴィ・ジョンか、わからないがとにかく男は急にしゃっきりとして、部屋の外に向かって歩き出した。

 体が随分弱っていそうで、屋敷までまともに歩いて行けるかどうか、不安でたまらない。


「リシュラ神官長。……あのう、この方は元気になられたのですか?」

 廊下の途中で車輪の神官に声を掛けられ、キーレイは答えに詰まった。

「そうではなさそうだが、調査に協力する気になってくれたようで」

「戻るところは、あるのですか」

 用が済んだ後、ここに戻って来るかどうか気にしているのだろう。

 確かに、戻る場所があるのなら、神殿で世話になるのはおかしい。

 とはいえ、ホーカの屋敷に戻るのが正解なのかどうかは、今の段階ではわからない。

「後のことは私が引き受ける」

「よろしいのですか。その、どこの誰かははっきりとしたのでしょうか?」

 本人がどう自覚するかはわからない。だが、真実はひとつだけだ。

「ホーカ・ヒーカムの屋敷で働いていた男なのは間違いない」

「そうですか」

 保護された当初、ヴィ・ジョンではないと言っていたから、神官が首を傾げるのも仕方ない。

 今、自分がすべて引き受けるのも決して正解ではないのだろうが、これもまた仕方がないと、心を決める。

 行って問いに答えてくれるのなら、その方が絶対にいいのだから。

 これ以上なにもかもが謎のままにしておくよりも、はっきりとした情報が欲しかった。


 男はふらふらしながらも歩き、明らかに街の中心へ向けて進んでいる。

 キーレイもニーロと共に口を閉ざしたまま、速度を合わせてホーカの屋敷へと向かった。


 よろめく男に手を貸し、支えながら、たっぷりと時間をかけて歩き、目的地にたどり着いた時にはもう街に夕日が差し始めていた。


「ニーロ、もし体調に変化があるようだったら言ってくれ」

「わかりました」

 ホーカがいなくなり、薬の効果もなくなったのなら、前回のような事態にはならないだろうが。

 念のために声をかけると、魔術師は静かに頷いて答えた。

 

 門を開け、庭に向かい、階段を隠す置き物を動かしていく。

 ヴィ・ジョンはおどおどとした顔をしているが、なにも言わない。

「ニーロ、灯りを用意してくれないか」

 おそらくはロウランが放っていった棒が落ちていて、ニーロはそれを拾い上げると、ゆらりと手を振った。

 二人を促し、キーレイから足を踏み入れる。

 足元に気を付けるように、どちらへ曲がるか告げながら、鈍い銀色の人造迷宮を目指した。

 最後に低いところにある小さな穴を潜り抜けると、ニーロは驚いた様子でこう呟いている。


「こんなものが地下にあったのですね」

「ああ。屋敷の中にも入り口が隠されていた」

「何故庭から入ったのです?」

「分厚い絨毯が敷かれているし、かなり重たいタイルで蓋がされているんだ」

「そこを簡単に開ける方法があったのでしょうか」

「どうしてそう思う?」

「庭から出入りしていれば、誰かに見られる可能性があります」

 確かにな、とキーレイは思う。

 これまでに地下の存在を知られずに済んでいたのは、出入りする様子を見た者がいなかったから、なのだろう。

 

「ヴィ・ジョン、あなたはここに来たことがありますか?」

 男は瞳を震わせていて、答えない。

 キーレイが様子を見守っていると、ニーロから声が上がった。

「エラン・デラン。あなたはここへ来たことが?」

 男の首がゆっくりと動いて、傍らに立つ魔術師の方へ向けられる。

 そして今度は、縦に、またゆっくりと動いた。

「ここは一体、誰の家なのでしょう」

 若い魔術師は、銀色のタイルが張り巡らされた秘密の空間を見つめている。

 視線を巡らせて、壁にも床にも、通路の先にかすかに見えている扉にも目を向けているようだ。

「あの扉ですか?」

「ああ」


 強い薬の効果で満たされていた、マティルデを見つけたところ。

 おそらくはあの時、目覚めた瞬間から「ホーカ・ヒーカムになっていた」のだろう。

 そして、壁の向こうには更に大きな秘密が隠されていた。

 朽ちた玉座と誰にも知られずに眠り続けていた男が今も、扉の向こうで待っている。


「行ってみましょう、キーレイさん」

 ニーロが歩き出し、男も何故かついていく。

 なのでキーレイも、二人の後を追って歩いた。

 あの扉の向こうは狭苦しい小さな部屋なのに、途轍もなく大きな秘密が隠されているに違いない。


 胸のうちに、不安ばかりが満ちていく。

 祈りを捧げながら、ゆっくりとした歩みで、扉へ向かって進んでいった。


「気分はどうだ、ニーロ」

「大丈夫です」

「そうか。だが念の為、私が開けよう」

 ここまで来たからには、行ってみるしかない。

 覚悟を決めて扉に手を掛け、開けて、中の様子を灯りで照らした。


 ロウランと共に来た時と、変化はない。

 大きな台があり、壺が置かれていて、その奥の壁が崩れ落ちている。


「ああ」

 急に男が声をあげて、早足で奥に進んでいった。

 床に落ちた瓦礫を踏んで、その先へ。

「彼が誰なのか、知っているのですか」

 椅子に縋り付くようにしている男へ問いかける。

 キーレイもすぐ傍まで進んで、魔術の光で秘密を照らした。

「エラン・デラン」

 あえて「本当の名」で呼びかけてみると、男は膝をついたまま、くるりと振り返った。

「これは、きっと、ガリンダムです」

「ガリンダム? この屋敷の前の住人なのですか」

「いいえ、違います。ガリンダムは私の友人で、共に学ぶ為にここへ来ました」

「なにを学びに?」

「魔術を。誰も知らない、素晴らしい秘術を見出した男がいると、噂に聞いたから」


 後にヴィ・ジョンとなった「エラン・デラン」の友人が、何故こんなところに埋められていたのか。

 キーレイはニーロを振り返ったが、若い魔術師は部屋のあちこちを調べて回っているようだ。


「ここに住んでいたのは誰なのでしょう」


 ホーカ・ヒーカムが屋敷を建てる前。ここに住んでいた魔術師の名を問い掛ける。

 エラン・デランはぽっかりと口を開けたまま、痩せた体を左右へ揺らしている。


「我々は、魔術を学ぶ為にここへ来ました」

「そうなのですね」

「ガリンダムとその弟と共に王都からやって来て、師匠探しをしておりました。最も良き師を探し出す為に、噂話を聞いては訪ねていたのです」

「……もしや、ラーデン様ともその時に?」

「ええ。ラーデンも、それに、ホーカも」

「ホーカ・ヒーカムもですか」

「二人は既に魔術を身に着けていましたが」


 突然言葉が途切れて、どきりとしてしまう。

 エラン・デランは虚空に目を向けたまま動きを止め、顎が外れてしまいそうなほど口を大きく開けている。


「無理に思い出す必要はありません。エラン・デラン、少し休みましょう」

 

 男が口走った「あの夜のこと」。

 この場には死者が隠されていたのだから。

 なにかとんでもないことが起きたのだと考えるしかない。


 キーレイが肩に手を置くと、男は荒々しくそれを払った。

 そんな真似をした癖に、次の瞬間、両腕を強い力で掴まれている。

 指が肉に食い込んで、痛みが走っていく。

 驚きに包まれて動けない神官長へ、エラン・デランは大声で叫んだ。


「恐ろしい魔術師が潜んでいたんだ!」

「落ち着いて下さい、どうか」

「あれは触れてはならぬものだった。だから、ああするしかなかった! あの子はなにも悪くない!」


 声にならない絶叫が部屋中に溢れて、キーレイはひたすらに祈りの言葉を繰り返している。

 枯れ木のようにやせ細っているのに、エラン・デランの力は恐ろしい程強くて、振りほどけない。


「ああ、若き魔術師よ! これは決して、思い出してはならぬことだった!」

「ニーロ」


 絞り出した自分の声のあまりの弱々しさに、キーレイはまた驚いている。

 どうにかしなければと焦っていたが、修羅場は次の瞬間勝手に終わってしまった。


 エラン・デランは叫び声をあげた顔のまま、ゆっくりと背後に倒れていったから。

 目と口を大きく開いたまま、急に力を失い、瓦礫の上にばったりと落ちていった。


「キーレイさん、大丈夫ですか」

「ああ。……いや、わからない」


 ニーロが近付いて来て、倒れた男の首筋に触れる。

 顔の前で手を振り、手首を取って、こう呟いた。


「死んでしまったようです」

「なんだって」


 キーレイは何度か呼吸を繰り返し、気持ちを鎮め、男の様子を確かめていった。

 ニーロの言った通り。もう、こと切れている。勝手に生き返らせるわけにもいかず、見開いていた目を閉じてやることしかできなかった。


「なんてことだ」

 調査の為にやって来たのに、死体を増やしてしまうとは。

 祈りを捧げながら、これからどうすればいいのか、キーレイは途方に暮れている。


「一度ここから出ましょう」

 魔術師に袖を引かれて、秘密の部屋から出た。

 薄暗い迷宮のような通路で、二人は静かに向かい合っている。

「こんなことになるとは思いませんでしたが、落ち着きましょう。僅かですが、新たにわかったこともありました」

「ああ、そうだな」


 ヴィ・ジョンとしてホーカに仕えた日々については聞けなかったが、この屋敷を訪ねた理由はわかった。

 ガリンダムという男の名に、ラーデン、ホーカまで共にやって来たであろうことも聞いた。

 古くから暮らしている者に問えば、なにか聞かせてもらえるかもしれない。

 ゆっくりと呼吸を繰り返しながら、どこまで調べるべきか、キーレイはまた悩んでいた。


「ひとつ、気にかかることがあります」

「なにが気になった?」

「ガリンダムなる人物についてです。弟と共に王都から来た、と言っていましたね」

「心当たりでもあるのか」

 神官長の問いに、ニーロは静かに頷いている。

「勘違いかもしれませんが」

「構わない。教えてくれないか」

 魔術師は再び頷き、こう語った。

 以前、ポンパを訪ねた時に出会った、隣人について。


「ポンパがなかなか出て来なくて待っている間に、グラジラム・ポラーが現れ、声を掛けてきたのです」

「ポラーは確か、私塾を営んでいる魔術師だったか」

「ええ。彼は魔術師らしからぬ欲のなさで知られた人物です。授業料を安く設定し、じっくりと弟子に向き合うのだと。皆、早く魔術を会得したいと考え、他の塾を選んでしまうそうですが」

 ニーロは小さく首を傾げて、これは二年ほど前の出来事だと付け加えている。

「彼は僕の名を呼び、ラーデンの弟子というのは本当なのかと問いかけてきました。僕はそうだと答え、会話は終わってしまったのですが」

「それだけ?」

「ええ。ラーデン様は街に来る前に、知り合いはいない、カッカー様以外には誰もいないと言っていたので、不思議に思ったのです」

「その時にグラジラム・ポラーと話さなかったのか?」

「ポンパが出て来てしまったので」

 なるほどと呟いて、キーレイはニーロを見つめた。

 灰色の瞳に鋭い光を瞬かせており、グラジラムを訪ねるべきだという思いが勝手に湧き上がって来る。

「長くこの街で暮らしているかもしれないし、行ってみるか」

「キーレイさん、もう時間も遅くなりましたし、明日にしておきませんか」

「しかし」

「休んでおくべきです。今はきっと、いつものように冷静ではないでしょうから」


 二人の立つところのすぐ傍に、木の扉がある。

 中に二人の男の屍を抱いた、迷宮都市の中で今最も深い闇に包まれた、秘密の部屋があった。


「あの二人の埋葬をしなければ」

「明日にしましょう。グラジラム・ポラーを訪ねてからの方が良いと思います」

「彼がなにか知っていると思っているんだな」

「わかりません」


 こんな答えを耳にして、キーレイはゆっくりと、細く長く、息を吐きだしていった。

 確かに、いつも通りではない。エラン・デランに掴まれた腕はまだ痛むし、目の前で誰かがあんな死に方をしていったのは、初めての出来事だったから。


「そうだな。わかった。明日にしよう」

 このまま放っておいていいのかわからないが、勝手に片付けるのも違うように思う。

 扉を閉めておけば、二人については誰にも知られることはないだろう。

 

「腕はどうですか。痛むのではありませんか」

「少しな。だが、大丈夫だ」

「屋敷の中に繋がる入り口というのは?」

「あっちだ。まっすぐに進んでいくと、梯子がかかっている」


 念のために見ておきたいと言われて、通路を進んだ。

 銀色の迷宮のような地下を進んで、屋敷の真下へ。


 ニーロは梯子を上って行ったが、開ける方法はわからなかったらしい。

 すぐに戻って来て、小さく首を傾げていた。


「どうやってこの入り口を見つけたのですか」

「調査に来た時に、ロウランが地下があるのではないかと言い出したんだ。屋敷の中になにもなさすぎて、どこかに秘密の空間があると考えたようだった」

「屋根裏などはないのでしょうか」

「上にはなにもなさそうだと言っていたよ」

 どうやって確認したのかはわからないが、ロウランはきっぱりと言い切り、キーレイはそれを信じた。

「地下の入り口がありそうな部屋について、ここだと示してきた。それで業者たちに協力をしてもらって、入口を見つけた」

「庭の出入り口は?」

「あそこは後からわかったんだ。ミッシュ商会のミンゲが、とても鋭くてね。隠されていた入り口を見つけて教えてくれたんだ。屋敷側の入り口を見つけたのもミンゲだよ」

「なるほど。協力してもらって良かったですね、キーレイさん」


 主だった業者から一人ずつ協力してもらったが、誰に来てもらうか選んだのはロウランだった。

 皆経験豊かな採集係ばかりだが、その中でも優秀な者を見抜いていたのかもしれない。


 話を終えて、二人で庭の出入り口へ向かい、置き物の位置を戻した。

 迷宮都市は夜を迎えており、無人になった魔術師の屋敷の庭は闇に包まれている。


「明日の朝のうちに、グラジラム・ポラーを訪ねてみましょう」

「ああ、わかった」

「今日はよく休んでください」


 いつもならば自分が言うような台詞を投げかけられ、キーレイは頷いている。

 朝はロウランとやって来て、謎の死体を見つけた。

 その後再びここへ来て、まさか、もう一人死者を増やしてしまうとは。


 樹木の神殿前でニーロと別れて、キーレイはまっすぐに神像の前に進んだ。

 心を落ち着けなければと考え、跪き、祈りを捧げていく。

 自分の仕える神に、そして、母なる大地の女神に向けて。

 

「リシュラ神官長、お戻りでしたか」

 背後から声がして、キーレイは立ち上がる。

 やって来たのはネイデンで、そろそろ寮へ戻る時間なのだろう。

「随分お疲れのようですが」

「大丈夫だよ」

「明日はどこかへ行かれる予定はございますか」


 朝から魔術師を訪ねる予定だと告げて、神殿のことを任せきりにしていることを詫びる。

 ネイデンは首を振って、街の為に働いているのだからと、穏やかに話した。


「ああ、そうだ。ケルディのことなんだが。夜中に街の北の方に居たと聞いたが、なにがあったのかな」


 ニーロの言葉を思い出し、ネイデンに改めて問いかける。

 ベテランの神官はキーレイを長椅子に招き、自分の聞いた話だがと、ケルディに起きた出来事を話してくれた。


「探索者の為の出会いの酒場で、よからぬ人物に出会ったそうなのです。共に行くと約束をしたら、サークリュードという若者に止められたとか」

「クリュに?」

「ええ。サークリュードの注意を聞いて探索にはいかなかったものの、寮に戻った後、街の北にある店で待っていると言伝があったそうです。これはシュクルが対応したというので、確認しました」

「よからぬ人物というのは?」

「名前は聞いておりません。ケルディがどうしても話したかったのは、その後に起きた出来事のほうでして」

「夜に出かけて、ニーロに会ったことか」

「ええ……。どうも、サークリュード・ルシオだけではなく、他にも会いに行くなと止める者がいたようなのですが、それでも結局、指定された店へ向かってしまい、最終的に無彩の魔術師殿に会って説教されたということでした」

「他にも? 誰に止められたのだろう」

「名前は言いませんでしたが、子供だと口走っておりました」


 迷宮都市に子供は少ない。

 クリュが関わっているのなら、シュヴァルだと考えるのが自然だろうか。


「わかった、ありがとう」

「もうよろしいのですか?」

「まだ他に、聞いておいた方がいいことがあるかな」

「ああ……。いえ、どうしても伝えなければならないほどのことはありません。お隣の住人たちからも少し、敬遠されたようだというくらいで」

「えっ」

「仕方がありません。少しばかり、高圧的でしたから」


 充分に言って聞かせたし、本人も反省しておりますので。

 ネイデンはこう話し、ケルディの教育は任せてほしいと言い出している。


「頼んでいいかな」

「ええ。腹を割って長い時間話しましたので、ケルディも私を信頼してくれていると思います」

「ありがとう、ネイデン」


 二人で礼をしあって、仕事を終える。

 しっかり休むようネイデンにも言われてしまったので、家に戻り、食事をとって、早めに床に就く。


 濃密な一日がやっと終わる。

 まだなにも終わってはいないのに、今こうして自分の部屋で過ごせることがありがたくてたまらない。


 疲れが押し寄せて来て、体は眠りの波に攫われてようとしている。

 けれど一方で、心は不安に捉われたままだった。


 深い眠りの波が打ち寄せる岸辺で、迷宮都市を訪れたばかりの神官の身を案じている。

 衝撃的なことばかり起きたのに、すべてを差し置いて、ケルディに声をかけた男について考えていた。


 明日、ニーロに問わなければならない。

 その男の名を。カッカーの親族であると知って、声をかけたのかを。


 うつらうつらとしながら、明日についても考えが巡っていった。

 グラジラム・ポラーとは、会ったことがない。

 名は聞いたことがある。魔術師にしては珍しく穏やかな人物なのだと。

 

 年齢がどのくらいなのかはわからない。若くはないはずで、キーレイよりは年上だろう。


 勝手に働いてた頭もようやく静まり、いつの間にか眠りについていた。

 働き者の神官長は次の日も早くから起き出して、魔術師との約束の為に準備を進め、自宅を出た。

 


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