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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
45_A Conciliation Board 〈意識改革〉

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203 虚々実々

 魔術師街を進んでいく。

 今回の騒動の原因はまたホーカ・ヒーカムのようなのに、大きな紫色の屋敷とは違う方向へ歩いている。


 目で見える通りに進めなくなっているのだから、方角は違っていて当たり前なのかもしれない。

 前回の迷い道の時は、ここまで目に見えるものは乱れていなかったとキーレイは考えていた。


「この辺りで暮らしている者たちはどうしているだろう」

「そうですね。家の中にまで影響が出ていないか、確認したいところですが」

「家の中にまでか……」


 扉を開いた先が、本来の道に繋がらなくなっているのかもしれない。

 ニーロの言葉はまだ推測に過ぎないのだろうが、キーレイは思わず息を吐きだしている。


「誰かいます」

 少し歩いた先で角を曲がると、魔術師が呟いた通り、誰かが座り込んでいた。

 服装からして、どこかの店で働いている従業員なのだろう。

 大きな包みを抱えるようにして、ぐったりと項垂れている。


「君、大丈夫かな」


 ニーロに頼んで立ち止まり、声をかけていく。

 神官を見上げた顔は涙で濡れている。まだ若い、少年と言っていい年頃のようだった。


「神官様、ここは一体どこなんですか」

「仕事の途中のようだね」

「そうです。早く届けに行かなきゃいけないのに」

 めそめそと泣く少年の背を撫でながら、事情を説明していく。

「どうしたらいいんですか。神官様と一緒なら、店に戻ることはできますか?」

「我々は今、この問題を解決しようとしているところなんだ。どこに原因があるか探している」

「一緒に行くのは」


 それは出来ない。今はなにひとつ、確実にできると言い切れることがない。


 大粒の涙をこぼす少年の背中を抱いて、キーレイは静かに祈りを捧げていった。

 してやれることはたったのこれだけで、自分の無力さが情けない。


「あまり歩き回らない方が良いと思います。心細いでしょうが、じっとしていた方がいい」

 ニーロに声をかけられ、少年はまたしょんぼりと萎れていく。

「どうしよう、クビにされちゃうかも。まだ働き始めたばっかりなのに」

「君はどこの店で働いているのかな。必要なら、君にはなんの落ち度もないと説明しに行こう」

 少年は驚いた顔をしてキーレイを見つめ、それで神官長のしるしに気付いたようだ。

「あ、もしかして、神官長様なんですか? 薬草のお店の偉い人なんですよね」

 そうではないが、今は細かい訂正をする必要もない。

 仕事先と名前を聞き出し、困った時にはいつでも来るように伝え、再び歩き出す。


 ニーロに導かれて進んでいく間に、道に迷い、困り果てている者たちと何度も出会った。

 一人で途方に暮れている者もいたし、彷徨う二人組もいる。

 声をかけ、なるべく動かないように伝え、乱れた道を進んでいく。

 道は長く続いていた。魔術師街はそう広くもないのに、延々と。

 

「大丈夫ですか」


 ニーロに声をかけられ、キーレイは意識を集中していく。

 不安に飲まれそうになっていたと気付き、この道のりが守られるよう樹木の神に祈った。

 魔術師の肩に手を乗せたまま歩くのは難しいが、ここで挫けるわけにはいかない。



 我慢強く歩いていくと、視界の端になにかが飛び込んで来た。

「誰か倒れているみたいだな」

「焦らないで下さい。このままゆっくりです」

 魔術師に歩みを合わせて進んでいくと、頭をそり上げた大男がひっくり返っていた。

 仰向けに倒れていて、白目を剥き、口を大きく開けて。

 キーレイは傍らに膝をつき、男に触れる。

「用心棒だろうか」

 探索者にも、どこかの店で働く従業員にも見えない。

「ノーアンは何人も見かけたと言っていたが」

「他にもいるかもしれませんね」

 キーレイは祈りを捧げたが、男の意識は戻らなかった。

 ひっくり返って、硬直したまま、ぴくりとも動かない。


 思わず見上げた先で、ニーロが静かに頷いていた。

 単純な気絶の状態ではなく、なんらかの力が働いていると考えるべきなのだろう。

「なにが起きていると思う?」

 魔術師は首を傾げ、鋭い目でまっすぐに前を見据えている。

「無理な金の取り立てでもしたのかもしれません」

「え?」

「高額な湧水の壺を売りつける、あくどい商売をしていますからね。相手が逆上してしまって、争いが起きたのではありませんか」

 

 下手な魔術で応戦したせいで、町中に迷惑を振りまく羽目になったのでしょうね。

 言いがかりじみた台詞をわざわざ口にすると、ニーロは右に視線を向けた。

 

「だいぶ近くなってきました」

「本当かい」

「ええ。行きましょう、キーレイさん」


 再び肩に手を乗せて歩いていく。

 こんなやり方でしか辿り着けないなら、優秀な魔術師以外に今回の事態の対応はできないだろう。


「すまない、ニーロ。私は足手まといだな」

「なにを言うのです」

「なんとかしなければと思っていたが……、こんなにわけのわからない状態になっているなんて」

 ニーロがいなければ、道中で出会った迷い人と同じ事態に陥っていただろう。

 いつかどこかで力尽き、祈りを捧げながら、解決される時をただ待つしかなかったはずだ。

「お前ひとりで行った方が早かったんじゃないか」

「僕一人で行くはずがありません。キーレイさんに声をかけられなかったら、様子見をしていたでしょう」

 ニーロは冷めた目で前を見据えたまま、ぼそりと呟く。

「関わりたくないし、面倒なだけですから」

 正直な言葉に、キーレイは思わず笑ってしまう。

「ロウランは、放っておけば元に戻ると言っていたが」

 神官の言葉に、魔術師はゆっくりと頷いている。

「突発的に起きた現象のようですから、持続しないと考えても良いと思います」

「どういう意味だい」

「今回の変化は余りにも突然ですし、ろくに制御できていません。はっきりとした目的があるのなら、計画を立て、準備をして臨むはず」

「そういうものなのか」

「大抵の場合はそうというだけです。僕たちにはわからないやり方も存在しているかもしれませんが」

 けれど恐らく、複雑な企みで起きた出来事ではないだろうとニーロは言う。

「放っておいても収まるとは思いますが、何日かかるかはわかりません。変化が起きたまま戻らない箇所ができる可能性もあります」

「だから一緒に来てくれたのか」

 微笑むキーレイに、ニーロはちらりと視線を向けている。

「キーレイさんを一人で行かせるわけにはいきませんから」

「ありがとう、ニーロ」

 

 奇妙な光景の中に、再び影が見えてくる。

 同じような格好の大男が、また大きく目を開いたまま倒れていた。

 すぐそばに足の先が見える。その先にもぼんやりとした影が見えており、キーレイは息を吐きだしていた。

 ノーアンが見たのは、彼らだろうか。

 ニーロは無言のまま歩いていき、キーレイは黙ってついていく。


「あ……」


 すると唐突に、見覚えのある鉄柵が目の前に現れた。

 ところどころに紫色の石が嵌めてある。魔術師街の真ん中にそびえたつ豪邸を囲んでいるものだろう。


「着いたのか?」

「キーレイさん、これまでと同じにしてください。急いではいけません」

「わかったよ」


 鉄柵の中はまだ見えない。

 今は屋敷の囲いに沿って歩いているようだが、長い。

 いつまで続くのか不思議だったが、しばらく歩くと門が見えてきて、またも大男が二人倒れていた。

「本当に襲撃があったのかな」

 門に辿り着き中を覗くと、記憶通りの大きな屋敷があった。

 あちこちに紫色の柱があるが、一本が折れて破片が散らばっている。

 他の柱も大きく欠けていたり、ヒビが入っているのが見てとれた。

「誰かいないか」

 声をかけてみるが、返事は聞こえない。

 なにが起きたのか解明する為には、進んでみるしかないだろう。


 大きな扉を叩いても、応答はない。

 押してみるとすんなり開いたし、足を踏み入れてみると屋敷の中はごく普通で、歪んだ景色からはようやく解放されている。

 とはいえ、屋敷の中はひどく荒れていた。ベンチはひっくり返っているし、床には傷がつき、なにかの小さなかけらが散らばっている。


「誰か来ます」


 ニーロが指さす方向から、ゆらりと影が現れる。

 心の中で祈りを捧げながら背筋をまっすぐに伸ばすと、怯えた顔をした若者が近づいてきて、声をあげた。


「無彩の魔術師に、……キーレイ・リシュラ!」

 キーレイは頷き、名乗り、まっすぐに若者を見据えた。

 魔術師らしいローブを身に纏った顔色の悪い男で、急にはっとした顔をすると、勢いよく頭を下げた。

「失礼しました、樹木の神官長様を呼び捨てにするなんて」

「そんなことはいい。君はホーカ・ヒーカムの弟子なのかな」

「はい、その通りです。ベルジャン・エルソーと申します」

「今、この辺りにまた迷い道の現象が起きている。我々は原因を調べに来たのだが、ホーカ・ヒーカムには会えるだろうか」

「え? いえ、その……。どうなんでしょう」

「わからない?」

「はい、あの、はい、まあ」

「ヴィ・ジョンは何処にいる?」

 ベルジャンは青白い顔をきょろきょろさせるだけで、なにも答えない。

 青年の様子はあまりも頼りなく、答えは得られなさそうだとキーレイは考えていた。

「ここでなにか起きたようだが」

「……ええ、それはもう」

「誰か来たのかな」

「来ました。大勢。急にやって来て、庭をご覧になられましたか?」


 神官長が答えると、ベルジャンは急激にぼんやりとし始め、表情を虚ろなものに変えていった。

 今も頷いてはいるが、はっきりと意識があるのかどうか疑わしいほどだ。


「誰が来たのかはわかるかい」

 若者はぼんやりと虚空を見つめていたが、やがてはっとした様子でくるりと振り返り、廊下の奥へと進み始めた。

「こちらです」

 こんな声が聞こえてきて、後を追う。

 青年は廊下の途中で立ち止まり、胸元からなにかを取り出して部屋の扉を開けた。

「お願い致します」

 中を覗いてみると、三人の男が呆然とした様子で座り込んでいた。

 二人は外で見かけた大男と体格も服装もよく似ているが、一人だけ、まったく違う。

 年齢はキーレイとそう変わらないだろうか。仕立ての良い服を身に着けているが、今は口の端からよだれを垂らしたまま動かない。

「あの輩どもを今すぐに追い出し、もう二度とここへは来ないようにして頂かなければなりません」

「彼らは何故ここに来た?」

「この屋敷を明け渡せと言って押しかけて来たのです。突然やって来た上、無礼で粗暴な振る舞いの数々……。キーレイ・リシュラ、偉大なるあなたの力で、どうか彼らに制裁を」


 急にぺらぺらとしゃべりだしたが、呆然とした顔のままで、弟子の様子はひどく異様だった。

 キーレイが振り返ると、ニーロの顔色もすっかり青くなっている。


「どうした、ニーロ」

「不快でたまらないのです。入口まで戻って良いですか」

「なんだって。ベルジャン、すまないが少し待っていてくれ」

「お待ちください。解決して頂かなければ!」


 語気の強さの割に、追ってくる気配はない。

 ベルジャンの様子は奇妙だが、キーレイは構わずにニーロを抱えて入口へと戻った。


「ここでは駄目です」

「わかった、外に出よう」

 珍しく弱々しい姿を見せる魔術師を連れて屋敷から出ると、門の傍に人影が見えた。

「ロウラン……」

 黒い影は微笑みながら二人へ近づいてきて、首を傾げている。

「ニーロはどうした。随分顔色が悪いな」

「気分が悪いようです」

 答えてから、どうやってここまでやって来たのかキーレイは問う。

「お前の気配を追った。よく辿り着けたな、この屋敷に」

「ニーロの力です」

 ロウランは頷き、若い魔術師の顔を覗き込んでいる。

 ニーロは力なく地面に座り込み、膝を抱えている。

「おい、ノーアン。ニーロについてやっていてくれ」

 呼びかけに答えて、門の向こうからスカウトが姿を現していた。

 ノーアンはきょろきょろと辺りの様子を窺い、なにがあったのか神官長に尋ねてくる。

「まだわからないが、何者かがホーカの屋敷にやって来て揉めたようだ」

「へえ。魔術師の屋敷を襲うなんて、命知らずな連中ですね」

 スカウトの青年は小さく笑って、座り込んだニーロの様子を窺っている。

「あれ、ニーロはどうしちゃったんです。なにかされたんですか?」

「いや、中に入ったら気分が悪くなったと言い出して」

「横になれたら楽かな。……ああでも、いつもこうして寝てるんだっけ」


 これまでの付き合いの中で、不調を訴えられたことなどなかったと思う。

 記憶の中には見当たらず、キーレイはニーロの背に触れ、癒されるよう祈りを捧げていった。


「行くぞ、キーレイ」

 ロウランに声をかけられ、神官はゆっくりと立ち上がった。

「共に来てくれるのですか、ロウラン」

「気は進まんが、仕方あるまい。こんな馬鹿げた騒動は早く終わりにしたいだろう」


 屋敷の中へ向かって歩きながら、黒い肌の魔術師は神官へ振り返り、にやりと笑っている。


「こういった事態になった時、解決を請け負うのはお前なのだな、キーレイ」

「いつもというわけではないと思いますが」

「この街でお前ほど名の通った者は他におらんだろう。探索者としても神官としても知られておるし、お前に頼ればニーロの力も借りられる」


 なるほど、とキーレイは思う。

 ニーロの助力も込みで当てにする人物も、存在していたのだと。


「まったく、せっかくの楽しい時間を邪魔しおって」

「探索のことですか」

「ああ。つまらん小競り合い程度でいちいち中止にされてはたまらんな」

 

 だからわざわざここまでやって来たのだろうか?

 ロウランの内心は想像がつかず、キーレイは確認の為に問いかける。


「調査団には知らせて頂けましたか」

「ああ、行ったぞ。異常事態だと知らされてはいたが、どうすれば良いかはわからなかったらしい。声掛けは問題なく引き受けてくれた。すぐに何人も飛び出していったよ」

「ありがとうございます」

「礼などいらん。むしろお前が言われるべきだぞ、キーレイ・リシュラ。こんなにも危険なところへ向かったことも、誰が請け負ってくれたかも、町中に知らせてやらねばならん」


 廊下の先にベルジャンの姿が見えてくる。

 青白い顔の若者はやって来た魔術師に気付き、体をぶるりと震わせたようだった。


「あっ、……あなたは」

「やれやれ、また会ってしまったな。愚かな魔術師に従う、間抜けな弟子に」

 

 酷い言葉を投げかけられたからなのか、ベルジャンは急におどおどとし始め、視線をキーレイへ向けた。

 

「リシュラ神官長、あの、押し掛けてきた連中をなんとかして頂けないでしょうか」

「そもそも、彼らは一体誰なのかな」

「なんとかという劇場の支配人だと名乗りました。この屋敷を売れと騒いで、断ったのですが」

「劇場の支配人が? それで、術師ホーカは」

「……わかりません。ヴィ・ジョンもいなくて」


 ニーロと共に来た時と、態度が違っている。

 雰囲気も口調もすっかり変わっていて、これがベルジャン本来の姿なのではないかとキーレイは思った。


「あの小娘はどうした」

 ロウランに問われ、青年は身をすくめている。

「マティルデ・イーデンのことですか」

「そんな名だったな。お前らはこの屋敷で暮らしているのだろう?」

「そうですが」

 ベルジャンは急にきょとんとした顔をして、首を傾げた。

「どうしたんでしたっけ」

「マティルデもここにいたのかな」

「はい。……やって来た男に食ってかかって、ああそうだ、すごい剣幕で怒っていたんです」

 キーレイは続きを待っていたが、ベルジャンは目を泳がせるばかりで、時間だけが経っていく。

「すみません。どうしてか、よくわかりません」

「覚えていない?」

「はい。大男とやり合っていたとは思うんですが」

「まったく、仕方がないな。キーレイ、あの小娘のことは一旦忘れよう。迷い道を解決するのが先だ」


 確かに、マティルデの行方は気になるが、今はそれどころではない。

 迷い道の途中で項垂れていた人々を思い出し、キーレイは魔術師に頷いて答えた。


「今日やって来たという男たちが奥の部屋にいます」

「どこだ」


 慌てて走り出したベルジャンの後を追い、三人の男が閉じ込められた部屋へと向かう。

 そこにいた男たちを見た途端ロウランは大きくため息を吐きだし、魔術師がやって来た瞬間、男らも目を覚ました。


「はっ! あっ! 女神よ、申し訳ない、まだこの屋敷は手に入っていないのです」

「バジムだったか。早くここから出ていけ」

「あなたに名前を覚えて頂けるとは、なんたる幸福! すぐに交渉を済ませますから、どうかお待ちを」

「馬鹿者が、お前には冗談も通じないようだな。条件は変える、いいからここを出て、自分の劇場とやらで待て」

 男は目を輝かせ、うっとりと魔術師を見つめている。

「わが城へ来ていただけるのですか」

「いつか行ってやるから、その時まで余計なことはせず、大人しく待っていろ」


 バジムと呼ばれた男は連れに声をかけもせず、あっという間に屋敷から飛び出していってしまった。

 大男たちはまだぼんやりとしていて、立ち上がったものの戸惑った顔で立ち尽くしている。


「お前らの主はもう帰ったぞ」

「……バジム様が?」

「そうだ。外でひっくり返っている連中もちゃんとつれて行け」


 招かれざる客はあっという間に出て行って、キーレイは思わず大きく息を吐いていた。

「ロウラン、彼らは一体誰だったのですか」

「俺も詳しくは知らん。最近出来た劇場の主だそうだが、人の話を聞かん奴らのようだ」

 先ほどの会話からして、事態の原因はこの魔術師にあるのではないのか。

 神官の視線を受けて、ロウランは小さく肩をすくめている。

「ああ、そうだ。奴らがここへ来たのは俺のせいさ。さっきのバジムとかいう愚か者に付きまとわれて、話を聞いてほしいならこの屋敷を手に入れて寄越せと言ったからな」

「この屋敷とは」

「言葉通りの意味だ。この、ホーカ・ヒーカムなる魔術師の家だよ」


 何故そんなことを?

 言わずともキーレイの疑問は通じたらしく、ロウランは目を伏せ、こう続けた。


「冗談で言ったんだ。底抜けの馬鹿だとわかってはいたが、さすがに本気にするとは思わなかった」

 話がいまひとつ理解できないキーレイに、魔術師はため息を吐いている。

「ウィルフレドに確認してくれ。あの男がどれだけしつこいか、やり取りがどうしようもなかったか、すべて見ていたからな」


 さっきの男はロウランの言う通りに出て行き、あっさりと去って行った。

 ホーカ・ヒーカムとの間に深い因縁などはなく、一方的な襲撃が行われたと考えて良さそうだった。


 では、屋敷を守ろうとして迷い道の現象を起こしたのだろうか。

 一つ目の問題は解決したのだから、詳しい事情を聞けばいい。

 キーレイはそう考えたのだが、次の瞬間大きな声が部屋に響き渡った。


「こっちへ来るんだ!」

 顔を真っ赤にさせたベルジャンが、ロウランの腕を掴んでいる。

「なにをするんだ。やめなさい」

 神官長は慌てて割って入ろうとしたが、ベルジャンは両手でロウランを抱え込み、悲鳴のような声でこう叫んだ。

「来てくれるだけでいい! それですべて解決するんだから!」


 一方、襲われているはずの当事者は涼しい顔のまま。

 余裕たっぷりといった様子で、口元に微笑みを浮かべている。


「ベルジャン・エルソー、手を離せ」

 たったこれだけで、青年はぴたりと動きを止めた。

「言ったはずだぞ。俺はラフィ・ルーザ・サロではない。夜の神に仕えてもおらん」

「いや、でも……」

「愚か者には特別に三度目はないと教えておいてやろう。さあ、手を離せ」


 すべて、魔術師の言う通り。

 ベルジャンは急に腕をだらんと垂らして、その場に立ちすくんでいる。

 

「出るぞ、キーレイ」

 ロウランに促され、屋敷の入口へ戻っていく。


 その途中、美しい魔術師は急に立ち止まると、くるりと振り返って廊下の奥を見据えた。

 キーレイも気付いて振り返ったが、誰の姿もない。


「どうしたのです、ロウラン」

 答えはなく、背中を押され、屋敷の外へ出ていた。

 周囲の様子に変化はない。仲間の二人もそのままで、ニーロはまだ座り込んでいる。


 迷い道がどうなったのか気になるが、見ただけではわかりそうにない。

 随分時間が経ってしまったようで、辺りは既に薄暗くなっていたから。

 

「ニーロ、大丈夫か」

 まずは仲間の様子を確認すべく、キーレイはニーロの傍らに膝をつく。

 すぐ隣にスカウトも座り込んでいて、二人が戻ってきたからかほっとしたような表情で口を開いた。

「あれからずっとこのまんまなんです」

「そうか。ついていてくれてありがとう、ノーアン」

「いやいや、このくらいどうってことはありません。それより、中でなにがあったんです? 何人か走って出て行きましたけど」


 なんと説明したらいいのか、キーレイにはわからない。

 劇場の支配人が屋敷を明け渡せとやって来て、暴れたのは確かなのだろうが。


 迷い道がどうなっているか確認したいが、今はニーロには頼れない。

 ロウランならば状況を把握できるだろうか。

 いや、できる。確信は既に心の内にある。

 だが、七年の付き合いのある魔術師と同じように頼っていいのかどうかは、キーレイにはわからなかった。

 

「迷い道の様子はどうだろう。ノーアン、なにか変化はあったかな」

「うーん、もう随分暗くなっちゃいましたからね。ここから見ただけじゃ、変わりはないように思いますけど」


 ニーロがこの場へ導いたのだから、迷い道の原因はホーカ・ヒーカムの屋敷にあるはずだ。

 解決する為にここへ来たのであり、躊躇っている場合ではない。


「ロウラン、どうなのでしょう。劇場の支配人は追い出せましたが」

 キーレイがすべて言い終わる前に、ロウランはゆっくりと頷いて答えた。

「迷い道ならばもう解消された」

「……そうなのですか?」

「あの男らが入って来れないようにしたかったのだろうな。そもそもの腕が悪い上に慌てていたから、あんな風になってしまったんだ」

「彼らを追い返したから、問題がなくなったのですか」

「魔術はそう単純ではないよ、キーレイ・リシュラ」


 ロウランの微笑みは美しいことこの上ない。

 大きな瞳が瞬きを繰り返しているだけで、大勢の男たちの心を蕩けさせてしまうだろう。


「少し歩けばわかる。もうここに留まる必要はない」


 帰ろうと促され、キーレイは頷き、その場で膝をついた。

 ノーアンに頼んでニーロを背負い、再び立ち上がる。


 カッカーの屋敷にやって来たばかりの頃にも、こんな風におぶってやったことがあった。

 まだ十歳の少年は迷宮に行きたがり、お供によくついて行ったから。

 初めて入ったはずの恐ろしい渦の中でも、ニーロは見事な魔術の腕を示したという。

 しかし、なにもかもがそう簡単にいくわけではなく、何度目かの挑戦で力を使い果たしてしまった。


 大きくなったと、キーレイはしみじみと思う。

 神官長はやたらと背が高いので、成長して十七歳になったニーロも背負って歩いていける。

 ニーロは、同じ年頃の探索をする青年たちよりは少し小柄だから。

 いつどんなペースで食事をしているのかキーレイにはわからないが、ローブの下に隠された体は随分細いようだ。


 ホーカ・ヒーカムの屋敷から出て歩き出すと、夜が訪れた迷宮都市の道はまっすぐに整い、元通りになっているとわかった。


「あなたが元通りにしてくれたのですね」

 キーレイが視線を向けると、ロウランはにっと笑ってこう答えた。

「どうやら俺のせいでもあるようだからな」


 屋敷が破壊されたのは劇場の支配人たちの粗暴さゆえだが、きっかけは自身が放った軽口だから。

 責任を取ろうと考えてやって来たとは思えないが、力を尽くしてくれたことに変わりはない。

 礼を言おうとキーレイが口を開くと、背後から声が聞こえてきた。


「お待ち下さい!」


 振り返らなくてもわかる。声の主はベルジャン・エルソーだ。

 ホーカの弟子は荒く息を吐きながら追いかけてきて、ニーロを背負う神官長に縋り付いて来た。


「異国から来た神官が駄目だというのなら、無彩の魔術師を寄越して頂きたい」

「なにを言っているんだ、君は」


 バランスを崩されそうになり、キーレイの声も大きくなってしまう。

 神官長の怒ったような声に慄いたのか、ベルジャンは体をすくませて下がったものの、恨めしい顔で一行を見つめている。


「駄目ですか」

「それ以前の問題だ。君の要求が理解できない」

「師匠のところに連れていかねばならないのです。無彩の魔術師か、夜の神官を」

「今の状況をわかっているのか。ニーロはこの通り、連れ帰って休ませなければならないんだ」

 ロウランにはさっき断られたばかりで、言及する必要もない。

「意識があったところで応じないだろう。ホーカ・ヒーカムからの招待については聞いたことがあるが、その気はないと話していたからね」

「そんな……、そんな、それじゃあ僕はどうしたらいいのです。朝早くからおかしな連中が押しかけてきたし、誰もいないし」

 ベルジャンは明らかに取り乱した様子で喚いて、サークリュード・ルシオにも会えないと叫ぶように言った。

「どうしてその三人を連れていかねばならないんだ?」


 ニーロを背負ったまま問いかける。

 キーレイがまっすぐに見つめると、ベルジャンはぶるりと大きく震え、視線を落としてしまった。


「言えないようなことなのか」

「それは……」


 青年からの答えは、どれだけ待っても聞こえてこなかった。

 ロウランに腰の辺りを叩かれ、キーレイもここを去ると決めた。


「後日また伺うと、術師ホーカに伝えておいてほしい。今回の件について、はっきりとさせておきたいからね」


 ベルジャンはろくに反応もせず、立ち尽くしたまま。

 返答がないのは気になるが、仕方がない。期待しないでおこうと決めて、キーレイは歩き出す。


 元通りになった道の上に困り果てた通行人の姿はなく、樹木の神殿にもすぐに帰り着くことができた。

 

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