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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
40_R.I.D 〈迷宮におけるいくつかの死について〉

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183 すべて流れ去る

 扉を叩く音がする。


 覗き穴の向こうには知らない顔の男が二人いて、家主は即座に無視すると決めた。

 一回、二回、三回強く叩く音がして、時間を空けてもう一回。


「魔術師ポンパ・オーエン!」

 客はよく通る声の持ち主のようで、扉から離れ始めていたポンパにも呼びかけははっきりと聞こえている。

 

 魔術師は廊下で立ち止まり、客がどう動くのか見極める為にじっと待つ。

 大抵の者は応答がなければ帰っていく。どうしてもポンパに会いたい者ならば、なんらかの手段で言伝を残していくはずだ。


 そのくらいの常識や熱意がある客でなければ、会う価値はなし。

 名前と滞在先、会いたい理由をはっきりと書き記した手紙でも置いていくのなら、こちらから訪ねてやってもいいが。


 ポンパはそう考えながら、また小さな穴をそっと覗いた。

 よく見てみれば、一人は制服のようなものを身に着けているようだ。

 袖に入った刺繍の柄を確認しようとしていると、もう一人、見知った顔の男が現れ、客に声をかけるのが見えた。


「出てきませんか?」

「ええ。留守なのでしょうか」


 私塾を経営している隣人、グラジラム・ポラーは穏やかな顔に笑みを浮かべている。

 魔術師にしては随分まともで、良識的だと噂の男であり、ポンパもグラジラムとは近所付き合いをしていた。


「いいえ、居留守です。いつもそうなんですよ」

 グラジラムはにこにこと優しげに微笑んで、持っていた杖を振り上げ、扉に叩きつける。


「ポンパ、お客さんだ」


 客は驚き、ポンパも衝撃で飛びのいていた。

 グラジラムは遠慮なくもう一発杖を振り下ろしたようで、扉は嫌な音を立てて揺れている。


「こら、やめないか!」

 思わず飛び出したポンパを、グラジラムは指をさして笑った。

「はは、やっぱり居た」


 顔を合わせてしまっては仕方がない。

 グラジラムは帰っていき、ポンパは二人の男と向かい合っていた。

 今ならば、一方が着ている制服が迷宮調査団のものだとわかる。

 王都から来た騎士だか兵士だかの集団が何故自分を訪ねてきたのかは、まだわからない。


「魔術師のポンパ・オーエンで間違いありませんか」

「うむ。間違いはないが……、調査団の人間がどんな用なのだろうか」


 制服を着た男の目は鋭く、もう一方もやたらとまっすぐで、魔術師を観察しているように思えた。

 

「私の名はヘイリー・ダング。こちらは助手のガランです」

 名乗った調査団員たちは、ポンパに確かめたいことがあって来たという。

 

 今は形だけとはいえ、迷宮の調査を担当する機関であり、新たな報告が寄せられることがあると聞いている。

 そんな調査団がわざわざポンパ・オーエンを訪ねに来たのなら、罠に関する質問があるのかもしれない。


 慄きながらもふむふむと頷き、確かめたいこととはなにか問いかける。


「スウェン・クルーグという名の探索者を探しています」

「なぬ」

「あなたと共にいたと証言する者がいたのですが、知っておられますか」


 口調は丁寧だが、視線は無遠慮に向けられ、有無を言わさぬ圧を放っている。

「いや……、そんな名の男は知らない。初めて聞いた」

 平静を装って答えたつもりだが、調査官は更に強く魔術師を見据えた。

「男、ですか」


 確かに探索者のほとんどは男のようですが。

 ヘイリー・ダングの隣で、ガランという名の助手も鋭い視線を向けていた。


「御存知なら教えていただけませんか。スウェン・クルーグの滞在しているところ、よく行く場所など。大体でも構いません」

「いや、知らない。ポンパは知らないと言った」


 冷静に答えようとしているのに、声は震え、動揺がちっとも隠しきれないままだ。

 ポンパはあわあわしながらも調査団員たちの様子を窺い、次の言い訳を必死で考えている。


「我々が探しているのは、スウェン・クルーグではありません。彼と共にいたシンマという男です。彼は凶悪な事件を起こした犯人で、どうしても見つけたいのです」

「はあ。スウェンではないのか、探しているのは」


 ポンパの問いに、ヘイリーは深く頷いている。

 シンマという男はスウェンと共にいたところが目撃されており、有力な手掛かりは他にないのだという。


 ほっとしていられたのはほんの一瞬だけ。

 こんな受け答えでは、ポンパがスウェンを知っていると白状したようなものだ。

 またもどつぼに嵌る魔術師に、ガランが問いかけてくる。


「念のためにお尋ねしますが、シンマという男には心当たりはありませんか」

「知らない。シンマなど聞いた覚えがない」

「背が低くて、年はおそらく二十代後半。正確な年齢はわかりませんが、とにかく、若くは見えないそうです」


 スアリア王国手前の集落ナヤの出身で、落ち着きがない、歯の抜け具合が目立つ男なのですが。


 シンマの名は知らない。本当に知らないのに。

 次々に伝えられた情報は記憶の中の一点をはっきりと指し示している。

 できれば消してしまいたい、最近あった一番嫌な出来事。

 最低最悪の体験で見た景色の中に、調査団員の探す男は間違いなく、二人とも、存在していた。


「しししししし知らない」


 きっぱりはっきり答える予定の心を、体が裏切っていた。

 勝手に震えて疑わしい答えを吐き出した口を、ポンパは慌てて塞いだが。

 

「できれば詳しく話を伺いたい」


 もう遅い。自分だけでは誤魔化しきれない。

 ヘイリー・ダングは獲物を狙う猛獣の目をしており、逃れられると思えなかった。

 二人は目を合わせ、小さく頷いている。揃って魔術師へ目を向け、ガランが口を開き、伝える。

 

「調査団まで同行願えますか」


 こんな短い台詞を助手が言い終える前に、ポンパは勢いよく扉を閉め、鍵をかけた。


「ポンパ・オーエン!」


 ついでに罠の仕掛けも動かし、走り出す。

 裏口とは違う秘密の三つ目の小さな出入り口から飛び出すと、ポンパ・オーエンは東に向かって一目散に走った。




 ◇



「では行きましょう」


 その涼しげな声は途中で途切れて、細身の魔術師の体は吹っ飛び、スカウトの前に落ちた。


 支度を終えて家を出るところだったのに、突然飛び込んで来た者がいたようだ。

 家主を思い切り突き飛ばして入って来たのは頭の半分が禿げた馴染みの魔術師で、ニーロを助け起こしながら抗議の声を上げていく。


「おい、ポンパ! なんなんだ、いきなり」


 怒るのは嫌だ。誰に対しても大声を上げるのはノーアンにとって最も不愉快なことだが、この場合はきっちりと言っておくべきだろう。

 一方、ポンパは頭を真っ赤に染め、ぜえぜえと息を切らせながら扉を閉めている。


「なん……、なんでここに、いるのだ、ノーアンめ」

「そんなことを言える立場じゃないだろう。まずは謝れ、ポンパ」

「それは、確か、にだな。すまない、ニーロちゃん……」


 無彩の魔術師の家には余計なものが置かれていないので、ニーロはただ倒れただけで済んだようだ。

 埃を払い、髪を整え、すぐにいつも通りの姿に戻っている。


「どうしたのですか、ポンパ」

「あらぬ疑いをかけられ……、困っており……」


 まずは落ちつかせた方が良いと言って、ニーロはポンパを奥に通した。

 椅子に座らせ、水を用意して飲ませ、少し待たなければならないだろう。

 ニーロがそれでいいのなら、ノーアンが文句を言う筋合いはない。

 短時間で済むなら予定が撤回されることはないだろうと考え、近くにあった椅子に腰かける。


「あらぬ疑いとはなんでしょう」


 ようやく息切れが収まった来客に、ニーロが問いかける。

 ポンパは長い時間目を泳がせた後、調査団員が家にやって来たことを話した。


「人探しをしていて、ポンパがその男を知っていると決めつけてきたのだ」

「なんという名の人物について聞かれたのですか」

「……ああ、いや、覚えていない。初めて聞く名前で、確か、キンマだったか、ゼンマだか、そんな風なやつだ」


 嘘くさいな、とノーアンは思った。

 ポンパとはそう密な付き合いがあったわけではないが、それなりに時間を共にしてきたから。

 そわそわ、おどおどとしていて、いつもの根拠のない自信のようなものが見えない。

 ポンパのしゃべりはどこか偉そうで、人を苛つかせるのが通常の状態なのに。


「ポンパ」

「なんだ、ニーロちゃん」

「本当に知らないのですね」


 ニーロに問われ、ポンパは身を縮めている。

 知らない知らないと呟いているが、疑わしい。


「知らないのならばそう答えるしかないでしょう」

「そうなのだろうが」

「調査団員は王都から派遣された人員で組織されているはず。手荒な真似などしないでしょうし、行って話すしかないのではありませんか」

「うう、ニーロちゃん。やって来た男は、それはそれはもう、とんでもなく恐ろしい目をしていたのであって」

「身分を騙っていたと?」

「あ! そうだ、そうだ。偽者に違いあるまい。そうだろう、ニーロちゃん!」


 では、自分から訪ねるべきでしょうね。

 無彩の魔術師の声は冷静で、ノーアンはなるほどと納得している。


「やって来た団員の名前や特徴を伝えて、所属しているか確認すれば良いと思います」


 真っ赤だった顔を今度は青く染めて、ポンパは汗を拭き拭きため息を漏らしている。

 

「そうしなよ、ポンパ」

「うるさいぞノーアン!」

「大きな声を出すなよ」

「そもそもだぞ! どうしてノーアンがニーロちゃんの家にいるというのか!」

「一緒に来てくれって頼まれたから」


 昨日の夕方、ニーロはノーアンの家を訪れ、探索に付き合ってほしいと頼んだ。

 二つ返事で了解したスカウトだったが、「藍」に二人で行くという言葉には随分驚かされている。


 いくらニーロが手練れとはいえ、二人きりで行くなんて。

 そんな思いもあるが、心の底には浮き立つような気持ちもはっきりと存在していた。


 無彩の魔術師は一緒にいて嫌な気持ちになる相手ではなく、言動、振る舞い共に興味深いものばかりだから。


 一方、大好きな魔術師といけ好かない元仲間が一緒にお出かけするのが許せないのか、ポンパは恨みがましい視線をノーアンに向けていた。


「ポンパ、それでは」

 ニーロはおもむろに立ち上がり、迷惑な客に簡素な別れの言葉を告げている。

「行きましょうか、ノーアン」

「うん」

 支度は済んでいるのだから、後は戸締りを済ませるだけだ。

 ノーアンはポンパの腕を引き、外へ出るよう促したが、なぜか抵抗して部屋の中で踏ん張っている。

「調査団に向かうんだろ、ポンパは」

「行くとも。当然行くともだが、二人はどこへ?」

「探索だよ」

「まさか、まさか、あの麗しいロウラン殿もご一緒なのでは」


 ニーロは眉をひそめて、いいえとだけ答えた。

 ポンパは明らかにほっとした様子だが、それでも「二人のお出かけ」は許せないらしく、ノーアンの背後にぴたりとくっついてまだぶつぶつと文句を言い続けている。


「あのキーレイ・リシュラは共に行くのだろう。何故だ。何故なのだ。ポンパを差し置いてどうしてノーアンがニーロちゃんたちと共に?」


 答える義理はなくノーアンは黙っていたが、鬱陶しいことこの上ない。

 苛々を募らせるスカウトを気の毒に思ったのか、ニーロは立ち止まると、振り返ってポンパを見つめた。


「僕たちは今から『藍』に向かいます。あなたも一緒に来ますか、ポンパ」

 あれだけぐだぐだと言っていたのに、半分禿げた魔術師は途端に口を噤んで答えない。

「キーレイさんもウィルフレドもいません。マリートさんも呼んではいません」


 じっとりとした視線を感じる。

 ポンパは恨みがましい顔をして、何故二人だけで迷宮へ向かうのか、無彩の魔術師に尋ねた。


「術符を探したいのです」

「術符を? 二人では危険ではあるまいかニーロちゃん」

「僕はできる限り多くの術符を集めたい。ですから、報酬を分ける人員は少ない方が良いのです」


 同行するか否か、どちらの返事もないが、ニーロはまたくるりと振り返って歩き出した。

 進んでいくうちに、背後から呪詛のような言葉が聞こえてくる。


「うう。ついていきたいのはやまやまなのだ。『藍』ではないところでは駄目かニーロちゃん」

「駄目です」


 ニーロの歩みは止まらず、「藍」の入り口に辿り着いていた。

 結局ポンパも同行するつもりのようで、はしごを下りてきている。


「嫌なんじゃないの?」

「うるさいぞノーアン! ええい、憎たらしい奴め!」


 威勢の良い台詞は聞こえるかわからないくらいに小さい声で、ポンパは地面を何度も踏みつけている。

 思わずニーロを見つめると、なにやら意味ありげな視線が返ってきて、ノーアンは苛立ちを鎮めていった。


「術符集めってどうやるの?」

「歩き回って地道に探すだけです」

「そうなんだ」

「『藍』は下層へ続くルート以外にはほとんど人がいません」

「ああ、なるほど。確かにここならそうだよね」


 「橙」や「緑」では人が多い。「赤」や「黒」では敵が強い。

 その隙間の「藍」にもそれなりに探索者はやってくるが、灯りの仕掛けのせいで進む道は限られる。


「それで、あなたはどうするのですか、ポンパ」

 もう迷宮の入り口の前だから、これが最後の確認になるだろう。

 ここまでついて来ておきながら、ポンパ・オーエンは時間をたっぷりかけてからようやく「行く」と答えている。


「いいでしょう。この探索は日帰りで、夜明かしはしません。報酬については終わってから相談させてください」

「わかった」

 

 迷宮都市に来てすぐの頃、四人で探索をしたことはあった。

 三人以下は初めてだし、後ろにいるのは魔術師が二人。

 こんな経験はなかなかできないだろうと、ノーアンは思わず笑っている。


「なにがおかしいのだ、ノーアンめ!」

「もうやめてくれないかな、意味もなく文句を言うのは」


 ぼそぼそとつけられたケチに、ぼやきで返しながら扉を開ける。

 自分が前に立つと思ったのだが、ニーロは隣で並んで歩くようだ。


「まずは四層に向かいましょう」

「三層までだと見つからないの?」

「どうでしょう。浅い階層で見つけたことはありませんが、ないと言い切れるかどうかはわかりません」


 四層以下ならば灯りが消えて、術符が放つ光が目立つからとニーロは話した。

 単純な理由に納得して、歩いていく。

 「藍」の低層は散々歩いた場所で、四層までならば地図はなくとも不安はなかった。


 特に指示を出す必要もないようで、ニーロは無言で歩いている。

 後ろにいる飛び入り参加の魔術師はなにか呟いているようだが、聞こえない。

 しらんぷりして歩き続けていると、二層目に降りたところでポンパが問いかけて来た。


「ノーアンはニーロちゃんの仲間になったのだろうか」


 どちらに聞いているのだろう。

 わからなかったが、自分が答えてもいちゃもんをつけられるのがオチだと考え、ノーアンは黙っている。


「ノーアンは、ニーロちゃんの、仲間になった、の、だろうか」


 もう一度同じ問いが聞こえてきて、ニーロが前を向いたまま答えていく。


「腕の良いスカウトを探していました。『黄』で失敗して以来、見つけられずにいたので」

「ノーアンは腕が良いと?」

「知っているでしょう。特にあなたは罠の研究もしているのですから」

「罠の研究とは関係がないと思う」


 消え入るような反論に、ニーロはもう答えない。

 今度は隣を歩く腕の良いスカウトに視線を投げて、口の端をあげて笑みを浮かべてみせた。


「あなたはロウランに気に入られているようですね」

「そうなのかな。なんでか会うたびにべたべた触られるんだけど」

「なんほぶうぼん!」


 背後から聞こえる謎の文言の意味はさっぱりわからないが、怒っているのだろう。

 荒々しい鼻息がやけにおかしくなってきて、ノーアンは思わず吹き出している。


「もちろん、意味があってああしています」

「そうなの」

「あなたを手なずけようとして触っているのです」

「手なずける……」


 自分を手なずけて、なにがどうなるというのだろう。

 ロウランは大変に美しいが、それ以上に凄まじい力を持った魔術師であり、明らかに名を轟かせるであろう優秀な探索者だ。

 声をかけられればいつだって手を貸すつもりであり、わざわざ手なずける必要はないとノーアンは思う。

 

 もちろん、ポンパに内心が伝わるはずもなく、怒りが収まらなかったのかノーアンの後ろ頭を叩いた。


「なにするんだ、ポンパ」

 禿げた頭を真っ赤に染めた魔術師は怒鳴ろうと息を吸いこんだが、ニーロに鋭い視線を向けられ、しゅんとしぼんでいく。


 再び無言のまま進んで、三層目に辿り着く。

 特別に休憩などは取らないようで、ニーロはすいすいと階段を下りていき、ノーアンも続いた。


「術符が複数見つかった場合、現物が欲しいですか」


 階段の途中でされた問いに、スカウトの男は間髪入れずに答えた。


「いや、いらない」

「では、現金で構いませんね」

「ポンパも構わない! ニーロちゃんに術符を譲る!」

 乱入してきたポンパに、ニーロの返事は簡潔だった。

「そうですか」

「そもそも金もいらない。代わりと言ってはなんだが、ニーロちゃんの仲間に入れてはもらえまいか!」

 背後に迫って喚き散らされるのはかなりのストレスで、さすがに嫌味が出てしまう。

「ロウランもいるのにこれ以上魔術師なんかいらないだろ」

「なにを! この、生意気なノーアンめ! そもそも、ニーロちゃんはポンパの方が先に知り合っていたのだぞ! 罠の研究に興味を持って訪ねてきてくれてだなあ!」


 唾をまき散らす迷惑魔術師は、ニーロが止めてくれた。

 やめてくださいの一言でポンパは引っ込んでいき、冷たい視線を向けられて小さくなっていく。


 三層目の道を、確実に進んで行く。下りの階段を目指して、余計なおしゃべりは封印して歩いていく。

 背後からはきっと恨みの視線を向けられているだろうが、気にせずに。

 

「四層目の三つ目の角を左に曲がります」

「わかった」


 「藍」の最初の罠を避け、階段を下りる途中でようやく初めての指示が出る。

 下層を目指すだけなら、右に行く別れ道だ。


「地図を用意するよ」

「下層へ続く道以外も書かれていますか?」

「六層までは結構ちゃんと調べてあるやつを持っているんだ」


 階段の途中では魔法生物が襲ってこないと言われている。

 真相はわからない。追われている途中で階段に辿り着いたことも、ノーアンにはなかった。

 けれど多くの探索者たちが安全地帯と囁いているのだから、通路の途中よりはずっとマシだろう。

 荷物袋から地図を取り出し、四層目の分を一番上に持って来て、準備を終える。


「よし、いいよ」


 再び歩き始めてから、ポンパがなにも持たずにいるのだとノーアンは気付いていた。

 たとえばロウランがいきなりついていくと言いだしたのなら、水や食料をわけようと思いついていただろう。

 ポンパにはそんな気遣いをする義理はないと思う心を、冷淡と考えるかどうか?


 こんな悩みを抱えて歩いてはいけない。迷宮の中なのだから。

 あっさりと切り捨て、それに少しだけ愉快な気分になって、ノーアンは目を凝らしながら歩く。


「そういえば、ポンパ」

 藍色の迷宮は今のところ静かで、ニーロの声は小さいのにはっきりとスカウトの耳に届いている。

「なんだいニーロちゃん」

「六層の大穴に二人落としたと言っていましたね」

 世間話にしては物騒な内容に、ノーアンは驚き、思わず隣を歩く魔術師を見つめた。

「え、なに?」

 ニーロが答える前に、焦った様子のポンパが二人の間に割って入り、喚き始めている。

「仕方がなかったのだ。あれは、ちゃんと説明したと思うのだがニーロちゃん」

「得体の知れない男たちに追われて、ポンパはこの迷宮に逃げ込み、結局三人の追っ手は全員罠にかかったのです」


 追いかけて来た誰かが迂闊だったのなら、仕方がないことだと思えるが。

 ニーロは「大穴に落とした」とはっきり口にしている。


「ええ……、罠にかけたってことなのか、ポンパ」

「仕方がなかったのだ! ポンパは散々追いかけられた挙句、ナイフを投げつけられた! 奴らはポンパをどうにかする気だったんだ!」

「なんの理由もなく?」


 ぎゃあぎゃあと喚くポンパにうんざりしつつも、ノーアンはふと気づく。


「今日来たっていう調査団が探していた奴とか?」

「いいや、そんなわけはない」

「なんでわかるの」

「だってあ奴は……」


 声はぴたりと止まり、ポンパは両手で自分の口を抑えている。

 明らかに失言したのだろう。つまり、ポンパは探し人について、間違いなくなにかを知っている。

 しかし、追及しようとしたノーアンを、無彩の魔術師の手が制した。


「ポンパが追われていた理由ははっきりとしています。彼らはザックレン・カロンという名の魔術師を探していたのです」

「ザックレン・カロン?」

「ええ。ザックレンはまだ若い魔術師で、探索だけではなく、魔術を利用した薬品の作成もしていました」

「薬品ねえ」


 ザックレン・カロンはなんらかの野望を抱いた男だったようだ、とニーロは語った。

 その野望とやらの内容ははっきりしていないが、双子のスカウト、ソー兄弟を取り込み、事件を起こしたことが説明されていく。


「あの兄弟、死んだのか」

「知っていましたか?」

「うん。何度か見かけたし、白い方とは少しだけど話したこともある」


 道具屋と酒場で数回遭遇し、変わった奴らだと思ったことを覚えていた。

 ファブリンは店にいる間ずっとしゃべり続け、周囲の人間に手当たり次第声をかけていて、驚いたものだった。


「彼らの最期は壮絶なものでした。キーレイさんとマリートさんがあの場にいてくれて良かったと思っています」

「あの二人がどうして一緒に?」

「わかりません。なにか計画をしていたのかもしれませんが」

「あの兄弟が突然来たの?」


 ニーロは小さく首を傾げると、その前にスカウトとして一緒にやれるかどうか試したのだと話した。

 ジャグリンはともかくとして、ファブリンとうまくやれる者などいるのだろうかとノーアンは思う。


「ファブリン・ソーってなんというか、けたたましかったよね。どうだったの、腕は」

「腕は問題ありませんでしたが、探索中の態度は大問題でした」

「ははは、そうだよね」

「キーレイさんが二度と組みたくないと言ったので、彼らと協力するのはやめにしたのです」


 この言い方、ニーロとしては大丈夫と判断したのだろうか。


「キーレイさんが駄目っていったら、駄目なの?」

 興味本位で尋ねたノーアンに、無彩の魔術師は大真面目な顔で頷いてみせた。

「僕は大勢の考える『普通』の感覚がまだよくわかっていません。なので、僕自身以外の人たちにも関わる判断に関しては、キーレイさんの意見に従うと決めています」

「そうなんだ」

「僕にとって、最も信頼の置ける人物ですから」


 確かに、その通り。

 むしろ、神官長という立場になってもまだニーロの仲間として長い探索に挑んでいることの方が不思議だと、ノーアンは改めて思う。


「彼らの思惑はわからないままですが、思いがけない危機が訪れていたことを知れて良かったと考えています」

「あの双子のこと?」

「ええ。同じような最期をあの三人だけの時に迎えていたら、彼らがどこへ消えたのか、なにが起きていたのか、誰にもわからないままになってしまいますから」


 迷宮はすべてを飲み込み、消し去ってしまうから。

 単純なミスも、不幸な偶然も、忌まわしい陰謀も、すべて平等になかったことにしてしまうから。


「恐ろしいと思いませんか、ノーアン、……ポンパ」


 ノーアンは頷いたが、背後を歩く魔術師がどんな反応をしたのかは見えなかった。

 そんな話をしている間に通路の先にほのかな輝きが見えて、ニーロが一歩先に進んでいく。


「今日は短い探索ですから、見つからなくても仕方がないと思っていました」


 地図を確認しなくても、この辺りの地形を把握できているのだろう。

 無彩の魔術師はすたすたと進んで行って、通路の真ん中に落ちていた金色の光を手に取っている。


「術符がありました。幸先が良いですね」

「そうだね」


 これでもう、三万シュレールが確実に手に入る。

 こんな探索をこれまでに何度してきたのだろう。

 ノーアンはまだ若い魔術師に感心しながら、藍色の道を進んでいった。

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