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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
38_Defender 〈刮目相待〉

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171 差し込む影

「ねえ、シュヴァル」


 何度呼んでも部屋から出てこない親分に痺れを切らせたのか、クリュは勝手に扉を開けて中に入っていく。

 布を買ったはいいが、巻き方を忘れてしまったらしい。

 ティーオやレテウスは頼りにならないと考えているのか、金髪の美青年はシュヴァルを起こそうと躍起になっている。


「巻き方覚えてない? 一緒に見てたでしょ」

「なんだようるせえな、覚えてねえよ」

「子分の人も巻いてたんじゃないの」

「巻いてはいたぜ」


 そっけない返答にいじけながらクリュが出て来て、シュヴァルもあくびをしながらテーブルにつく。

 そんな二人の様子を笑いながら、ティーオは仕事に行く支度を進めている。

 結局クリュは布をうまく巻けなかったらしく、大きなため息をついていた。


「ギアノにもう一回教えてもらいに行ってくる」

「そうか」

「シュヴァル、一緒に来てよ」

「なんで俺が?」

「一緒に教えてもらって、覚えておいて」

「はあ?」

「シュヴァルの方が器用だし、覚えるのも得意そうだから」

 親分はしばらくの間抵抗していたが、何度も頼み込まれて最後には「仕方ねえな」と折れたようだ。

「すぐに戻るから、レテウスはゆっくりしてたらいいよ」

「二人で行くのか」

 

 返事はなく、食事の片づけをしないままクリュたちが去って行く。

 昨日は頼ってきたのに。三男坊は釈然としない気持ちで皿を洗いながら、ため息をついていた。


 一人で家にいても暇なだけで、レテウスは立ち上がる。

 自由気ままに動ける機会はすくないのだから、散歩でもすればいい。

 

 探索者たちが家を出る時間は過ぎたようで、貸家街は静かだった。

 遠くに人影がちらりと見える程度で、通行人もいない。


 大きく伸びをして、レテウスは歩き出した。

 昨日剣の稽古を頼まれた時に思ったが、しっかりと体を動かす時間がすっかり減っている。

 歩くだけでは物足りないが、家の中に閉じこもっているよりはマシだ。

 たまにはあの裏庭を借りて、素振りでもするべきだと三男坊はぼんやりと考える。

 シュヴァルも鍛えてやればいいし、体つくりの基礎を教えれば屋敷の住人たちの役に立てるかもしれない。

 むしろその方が良いのではと思いつき、良い考えなのではないかと足取りは軽くなっていく。


「レテウス・バロット!」


 少し浮かれた気分で進んでいった道の上。今の住処からそう遠くない、そう大きくもない通りの途中で声を掛けられて、レテウスは振り返る。


「やあ、覚えているかな。随分前に声をかけて、一緒に食事をしただろう」


 整った顔は爽やかな笑みを浮かべており、金色の波打った髪は朝日を浴びてきらりと輝いている。

 もちろん、覚えている。忘れようがない相手で、レテウスは胸に鋭い痛みを感じていた。


「ジマシュ、……カレートだったか」

「ああ、覚えていてくれたのか! あの後、訪ねてきてくれたかな。いつでもいる訳ではないから、ひょっとしたら行き違いになっていたのではないか、気にしていたんだ」


 「蛇の目をした男」はにこやかに、はきはきと話した。

 もしかしたら、時間を無駄にさせてしまったのではないか。

 申し訳なさそうに言われて、三男坊は慌てて首を振っている。


「いや、店には行ってはいない」

「……それは残念だな。君となら良い関係が築けると思っていたのに」

「そうかな?」

「それはもう」

 ジマシュは親しげにレテウスの背に手をあてて、迷宮都市には国中どころか隣国から珍しい物がたくさん運ばれてくるところだと語り始めた。

「ところが、どうやら王都の住人たちの元にはあまり届いていないらしい。このままではあまりにも勿体ないと思わないか?」

 王都デルシュレーの流行に詳しい人間がいれば、商売はきっとうまくいく。

 ジマシュの顔は近く、背に当てられた手はひどく熱い。

 さりげなく離れることはできないかとレテウスは足を速めたが、内心をどう読んでいるのか、ジマシュは自然に速度を揃えて離れない。

「君がいれば絶対に信頼してもらえる。なんだってうまくやれるだろう」


 ジマシュの口から出てくるのはごく真っ当な商売の話だけで、レテウスの心はぐらぐらと揺れた。

 新たな名物としていくつか具体的な品物を挙げて、知っているか、食べたことはあるか、問いかけてくる顔はとても穏やかだから。


「ああ。……もしかして、もう良い仕事を見つけてしまったのかな?」


 答えないレテウスの理由を考えたのか、こんな問いが投げかけられる。

 またとない機会だったのに、貴族の三男坊は嘘がつけない。


「そうではないのだが」

「はは、それは良かった。いや、良くはないか。俺にはとても喜ばしいことだけどね。どうだろう、もう少し具体的な話を聞いてほしいんだが」


 波打った金髪の男は微笑みを浮かべて、まっすぐにレテウスを見つめている。

 緑色の輝き。それは、邪悪な蛇の目だとシュヴァルは言った。

 わからない。そうは見えない。常識的な話をしているとしか思えない。

 

「良ければ食事を一緒にどうかな」


 信じるべきなのは、小さな親分と、ブルノー・ルディスの二人だけ。

 迫力に満ちた少年の声を思い出しながら、レテウスは言葉を探す。


「いい店があるんだ。とても旨い料理を出す店があってね。心配は要らないよ、そう高い店ではないから」


 今すぐ会話を打ち切って、誘いを断らなければならない。


「一緒には行けない」

 焦りのまま答えるレテウスに、ジマシュは軽やかに笑った。

「ははは。確かにこんなに急に誘われても困るだろう。明日か、明後日か、都合の良い日で構わない。昼でも夜でも、どちらでも合わせるよ」


 会うな。話すな。――丸め込まれる。


「ぜひ力を貸してほしい。なぜだか迷宮都市で止まっている良い物はとても多くてね。王都に届けられたら、きっと大勢が喜ぶよ。君もそう思わないか?」


 断らなければならないのは、シュヴァルにそう命令されたからだ。

 もちろん、そう言うわけにはいかない。それだけは駄目だとわかっている。

 けれど、馬鹿正直に言う以外に理由を見つけられない。

 額から汗が落ちて、レテウスはからからに乾いた口を小さく開く。


 すると微かに風が吹いてきて、汗の粒をひやりと冷やした。

 はっとして動かした視線の先で、麗しい形の陰が揺れている。

 女。それも、恐ろしいほどに美しい。

 日の光を浴びて艶めかしく輝く浅黒い肌。はためくローブの内にちらりと見える長い手足に、神秘的な紫色の瞳の輝き。

 美しい女と目が合った瞬間、視界の端にきらりと金色の光が差し込んでくる。

 それは隣に居た男の髪の煌めきだったのだが、レテウスの脳裏には同居人のうちの一人の姿がはっきりと浮かびあがっていた。


「すまないが、人を待たせているんだ」


 言い終わると同時に身を翻し、レテウスは駆けだしていた。

 背後から声が聞こえる。それは残念だ、と。

 

「気が向いたら訪ねてくれ! 店の名前は憶えているだろう!」


 レテウスは急いで貸家に戻り、家の中へと入る。

 同居人の姿はなく、まだ一人きりだ。

 汗を拭い、水を一杯飲んで、いつもの席に座って息を整えていく。


 程なくして二人が戻って来て、クリュの頭には無事に布が巻かれていた。

 金色の煌めきは今は見えないが、レテウスの危機をぎりぎりのところで救ってくれた。

 思わず立ち上がると、勘の良い親分は異変に気付いたようで口を開いた。


「どうした、眉毛。なにかあったのか?」


 クリュは自室へ戻ったが、シュヴァルはまっすぐに歩いてきて、レテウスの隣に座る。

 ぐっと身を乗り出すように座る親分にまっすぐに見つめられて、三男坊は自分に起きた出来事を思い出していく。

 余計なことを言わないように気を付けていたつもりだが、うまくやれただろうか。わからなくて、困惑していた。


「誰か来たのか」

「いや、誰も来てはいない」

「じゃあ、外に出たのか。なにがあった?」


 どうしてシュヴァルにはなにもかもわかってしまうのだろう。

 レテウスにはさっぱりわからず、結局正直にすべてを白状していくことになった。


「なんの話をしてるの?」

 クリュが出て来て二人の間に座り、首を傾げる。

「悪い蛇が出たんだよ」

「……それって、前にレテウスを王都に帰らせた時の?」

「そうだ」

「本当にそんなに悪い人なの? シュヴァルは見ただけなんだよね」

 疑問を口にするクリュへ、シュヴァルは鋭い目を向けている。

「お前も見りゃわかると思うぜ」

「俺にはわからないって言わなかったっけ」

「結局はしてやられちまったが、襲ってきた男が危険だってリュードは気付いてたんだろう?」


 嫌な記憶を刺激されたのか、クリュの表情は曇り、首のあたりに手を当てている。

 絞められた痕は随分薄くなったが、白い肌にはまだほんのりと黒ずんだ赤が残っていた。


「とにかく、簡単に騙されなかったことは褒めてやるよ」

 偉そうな言葉に、レテウスはむっとしてシュヴァルを睨んだ。

「ついて行かなくて良かった。偉いぞ、眉毛」

 クリュがクスクスと笑って、三男坊は腹を立てて反論をしようと試みる。

「彼の言葉はまっとうなものだった。話もごく普通の、商売についての相談だった」

「レテウス」


 詳しく説明してやろうと思ったのに、少年の眼光はあまりにも鋭い。

 レテウスが口を閉じると、再び説教が始まってしまった。


「この街じゃ一番有名で、誰もが一目置いてるあの灰色が警戒している男だぞ。お前も聞いていただろう。覚えてねえのか?」

「語れるほどには知らないと言っていたと思うが」

「おめでたいな、眉毛」

「彼が悪事を働いたという明らかな証拠はあるのか」


 力を振り絞って大声をあげたレテウスに対し、シュヴァルの返答は囁くように小さかった。


「蛇は簡単に尻尾を掴ませない」

 ただの蛇ではなく、とても頭の回る悪い蛇だから。

「あいつと会ってもしゃべるなよ」

「シュヴァル」

 反論の言葉は見つからず、レテウスは結局なにも言えない。

 そんな子分に向けて、シュヴァルはこう言い残すと自分の部屋へ戻っていってしまった。 


「お前が選ぶんだ。どんな決断も、常にな」




 放たれた言葉の意味がよくわからず、レテウスは椅子に座ったまま唸っていた。

 テーブルの上には籠が置かれていて、中には二人が持ち帰った「差し入れ」が入っているらしい。

 良い香りが漂っていて、中身が気になる。

 ちらちらと向けた視線に気づいてか、クリュはシュヴァルに声をかけに行ったが、どうやらすぐに昼食を一緒に食べる気はないようだ。


「先に食べよう、レテウス」

「ああ」

「へへ、今日ももらってきたんだよ。ギアノは渋ったけど、シュヴァルがうまく交渉してくれたんだ。ああ、カルレナンってところに一度行ってみたいなあ。海で採れたものを入れたらもっと美味しくなるんだって」


 明るく振舞う同居人のお陰で少しだけ心は軽くなって、レテウスは皿の上に置かれたサンドに手を伸ばした。

 確かに美味い。カッカーの屋敷の管理人が作る料理は、王都で味わったことのないものばかりだ。

 王都に持ち込めばあっという間に評判になって、大流行するに違いない。

 ジマシュの話を思い出し、レテウスは複雑な気分になっていく。


「ねえ、レテウス」


 食事はあっという間に終わり、籠には一人分のサンドが残されている。

「なんだ、サークリュード」

「今日ギアノのところに行った時、レテウスは一緒じゃないのかって聞かれたよ」

「ギアノに?」

「ううん。多分だけど、昨日頼んで来た奴ら」

 クリュが言うには、夜になってから聞きたいことができたらしい。

「次に会った時、話を聞いてあげたら」

「それは構わないが。……私に教えることなど、できるだろうか」


 前日の散々な時間を思い出すと、他人の指導など無理ではないかと思えて、レテウスは萎れていく。

 項垂れているうちに視線を感じて顔をあげると、クリュがじっと三男坊を見つめていた。


「俺、剣の指導をするの、良いんじゃないかって思うよ」

「私のことか?」

「うん。なにかするなら、得意なことを活かした方が良いだろうし」

 慣れない商売に関わるよりも、自信を持っている剣の方がうまくやれるのではないか。

 クリュはそう話し、レテウスに迷宮へ行ってみないかと持ち掛ける。

「一度行ったけど、とりあえず入ってみたってだけだもんな。初心者がよく戦う魔法生物と何度か戦ってみたら、うまく教えられるようになるかもよ」

「サークリュードと私で行くのか?」

「シュヴァルも連れて行けばいいよ」

「しかし」

「この間見つけたスカウト技術の練習用の道具、上手く扱ってたみたいだし」

 ニーロに連れられ難しい迷宮に行って、無事に帰ってきたこともある。

 クリュはそう話し、レテウスよりは確実にやれるから大丈夫だと付け加えた。

「時間はあるし、行ってみない? 初心者に教えてもお金にはならないけど、他の仕事に繋がるかもしれないし」

「他の仕事?」

「うん。ちょっと剣が使える程度じゃ難しい迷宮には行けないんだよ。特に戦士は余ってるから、もっともっと強くなりたいって中級者に指導するとかさ。レテウスが教えるのを上手くなれば、そういう依頼にもこたえられるようになるんじゃないかな」

「中級者か」

「頑張って続けていけば、レテウスはびっくりするくらい強いんだって噂になるかもしれないよ」


 希望のある言葉に、レテウスは心をゆっくりと動かしていく。

 体は動かした方が良いし、頼ってくれる人もいる。

 悪い蛇に怯えているよりは、ずっと有意義な時間の使い方だと思えた。


「俺にも教えてよ。まずは俺に指導してみたら、いい練習になるでしょ」

「わかった」


 クリュはご機嫌な様子で立ち上がり、シュヴァルの部屋の扉を叩いている。

 親分は出てくるとすぐに昼食をとり始め、子分たちの提案を受け入れてくれた。

 




 三人の中で探索の知識を持っているのはクリュだけなので、レテウスたちは導かれるままに「藍」へと向かった。

 地図はあるし、四層へ足を踏み入れなければ恐ろしい仕掛けもないので「安全」らしい。

 

 三層目へ辿り着き、地図に描かれている場所を歩きながら、敵の出現を待つ。

 下層へ続く最短のルートから外れれば他の探索者の姿はなくなり、鼠だの兎だのとの戦いはスムーズに進んだ。


 レテウスとクリュは自前の剣を持ち、シュヴァルは短剣を手下から借りて腰から提げている。

 けれど親分の興味は地図と、仕掛けられた罠にあるようだ。

 実際の迷宮の道を見つめながら地図と比べて、罠の位置を正確に伝えてくれた。


 戦利品を得るための「良い倒し方」を教えられ、出来る限りを心掛けて獣たちと戦う。

 剣の使い手との打ち合いとは戦い方がはっきりと異なり、体の使い方にも工夫が必要だった。

 体の大きいレテウスよりも、小さな獣相手ではクリュの方がうまく立ち回れるとわかる。

 負けたくない一心で剣を振り、足元を走り回る鼠と兎を倒していく。

 一方、毛皮を剥ぎ、肉を切り取る作業は不快極まりなくて、クリュに文句を言われてしまう。

 そんな作業を嫌がらずに引き受ける美青年に、シュヴァルは感心したようで珍しく誉め言葉を口にしていた。


「偉いな、リュード」

「俺だって本当は嫌だよ。でも、これをやらないと探索する意味がないからね」

 目を逸らして直視を避けるレテウスの隣で、シュヴァルの表情は暗い。

「どうかしたの、シュヴァル」

「……オンダもお前みたいに肉を取って、焼いてくれた」

 クリュは目をぱたぱたと瞬かせると、小さく頷いて答えた。

「そう」

 獣の血に塗れながら作業を続けて、クリュは呟く。

「オンダと迷宮に入ったの?」

「ああ」

「どの? もしかして、『紫』?」

「……ああ」

 ただでさえ大きな目をまあるく開いて、クリュは息を小さく吐き出している。

「俺よりずっとやれるんじゃないの、シュヴァルって」

「当たり前だろ」

 美青年は苦笑いしながら切り取った肉を大きな葉で包んで、荷物袋にしまった。

「結構時間が経ったし、そろそろ終わりにしようか。レテウス、どう? ちょっとは感じがわかった?」

「ああ、意識してみると、随分違うものなのだな」

 最下層へ続く道以外はきっちりと描かれていない地図だが、シュヴァルはすいすいと道を進んでいった。

 罠が仕掛けられている場所は指摘して、ひっかからないよう注意してくれる。

「迷宮の歩き方をどこで覚えたんだ?」

「地図があるんだぞ。わかるに決まってる」

 地図があったとしても、同じように歩ける自信はレテウスにはない。

 クリュが感心している通り、シュヴァルには才能があるのだろう。

「店に売っても大して儲からないし、ギアノに渡して美味しくしてもらおうか」

「金の方がいいんじゃねえか?」

 俺が言えば結局飯は出てくるんだから。

 シュヴァルは悪い顔をして笑い、クリュは小さく首を傾げている。

「なにを遠慮してんだよ、リュード」

「さすがにちょっと……」


 頼りすぎていると言おうとしたのかもしれないが、言葉は途切れた。

 クリュは道の上で急に立ち止まって、右手で頭を押さえている。


「外れちゃった。シュヴァル、巻きなおしてよ」

「道端じゃやりにくい。後で直してやるから、少し我慢しろ」

 地面の上に投げ出された荷物を持つように言われ、仕方なくレテウスは肉の入った袋を背負う。

「行くぞ。夜になっちまう」

 クリュは諦めがついたのか、布を外してくるくると巻き、腰のポーチにしまいこんでいる。


 「藍」の迷宮から貸家街へ続く道の上にはぽつぽつと人がいて、皆それぞれのねぐらに向かって歩いているのだろう。

 北へ歩く者が多いが、宿舎へ戻る従業員もいるらしく、道の上には南へ向かう流れもできていた。


 そのどちらでもないレテウスたちが歩き出すと、突然一人の男が飛び出すように現れて三人の前に立ちはだかった。

 みすぼらしい服に品のない顔をした男だった。そう年をとっているわけではないだろうが、若者とは言い難い気配をぷんぷんと放っていて、年齢の見当はつきそうにない。


 男は三人の間で視線を彷徨わせていたが、やがて一人に的を絞るとじわじわと近づいてきた。

「なんだ、お前は」

 シュヴァルが鋭い声を上げたが、男は構わずにクリュの眼前まで進んで、全身を舐めまわすように見つめている。

「なんだよ、じろじろ見るなよ」

 嫌な記憶を刺激されたのだろう、美しい青年は慌てて頼りになる大男の陰に逃げ込んでいく。

 三男坊が前に進み出ようとすると、男は急に振り返り、今度はシュヴァルに迫った。

「なあ。……もう仲間ってことで良いんだよな」

「はあ?」

「はは、そんな返事をしないでくれよ。お前、オイデさんの方だよな?」

 急に声をひそめた男に、シュヴァルはなにも答えない。

「誰もいなくて困ってんだよ。急にさ……。ちょっとばかしサボっちまって、酒をいつもより一杯多く飲んじまってよ。間に合わなかったんだよ。わざとじゃねえんだけどなあ、それで怒らせちまったんだと思うのさ。こんなの些細なモンだろ、だって、失敗したわけじゃねえんだから。それでさ、なんとかしたいんだ。どうしてもだよ。わかるだろ? ……なあ、頼む。今夜の店を教えてくれねえか」


 背後から腕を強く掴まれたまま、レテウスは二人の様子を窺っていた。

 男の言葉の意味はまったくわからない。シュヴァルの知り合いのはずもない。

 人違いをされているのではないかとようやく気付いて、自分が間に入るべきではないかという考えが脳裏に浮かぶ。


「随分若えんだな。よう、こうして大の男が頭下げて頼んでるんだ。頼むよ」

 小さな親分は冷ややかな視線を男に向けたまま、囁くように答えた。

「お前、名前は」

「シンマ。スアリアの手前にあるケチな集落の、ナヤのモンだよ」

 媚びるような笑みを浮かべた不審な男に、なぜかシュヴァルは小声でこう返した。

「駿馬の」

「あっ、あっ、わかった! 知っているぞ! ありがとうな! 恩に着るぜ!」


 何本か歯のないシンマと名乗った男は飛び上がって喜び、あっという間に去って行ってしまった。

 シュヴァルは手でレテウスを制し、シンマの後ろ姿を見送っている。


 「駿馬の蹄」は以前、ジマシュ・カレートに指定された店の名前だ。

 少年は店の名をすべて言わなかったが、恐らくは「蹄」が続いただろうとレテウスは思う。

 

 店の名前について、レテウスはすっかり忘れていた。馬に関する名だという曖昧な記憶しかなかった。

 王都に帰されたあの日、報告したことの一言一句をシュヴァルはしっかりと覚えていたのだろう。

 少年の記憶力の良さに驚かされるが、何故あの男にその名を告げたのかはわからない。

 

 男の姿がすっかり見えなくなるとようやくシュヴァルは振り返り、二人へ「行こう」とだけ告げた。

 

「さっきの変な奴、知り合いじゃないよね」

 クリュの問いに、親分は当たり前だと呟いている。

「誰かと勘違いしたんじゃねえのか」


 では、店の名前も適当に言っただけなのかもしれない。

 ふと思い出して、あの男を追い払う為に口にしただけなのだろう。

 勝手に納得をして、レテウスは二人と共にカッカーの屋敷へと向かい、今日の収穫を管理人へ渡した。

 ギアノは三人が迷宮へ足を踏み入れたと聞いて驚いたようだが、剣の指導の為という説明にすぐに納得し、感心してくれたようだ。

「そこまで考えてくれるなんて、ありがとうレテウスさん。他人への指導なんて最初は慣れないだろうけど、みんなそうだから。教えられる側もね。何度も繰り返していけばお互い慣れて、もっと遠慮なく話もできるようになると思う」

 不慣れな講師であることは先に伝えておくから、とギアノは笑う。

「余裕のある時はいつでも来てほしい。文字の読み書きなんかも、俺のようにできるようになりたい子がいると思うんだ。探索を続けていけなくなった後にも、読み書きは役に立つだろうし。だから剣だけじゃなく、計算なんかも教えてもらえると助かるよ」

 にこやかに話していてなにかに気付いたらしく、管理人は顎に手をあてて首を傾げた。

「ひょっとしたら、そういう需要もあるのかもね。十二とか十三歳でこの街に働きに来る子はたくさんいるから。商店で働いている若い子のための教室を開いたら、生徒は集まるのかも」

 管理人の隣には頭に布を巻きなおしてもらったクリュがいて、にこにこと笑っている。

「いいアイディアだね、それ。授業料もとれるかもよ、レテウス」

「ティーオの店で働いているティッティに聞いてみるといいかもしれない。あの子はいくつかの店が共同でやっている寮で暮らしているから」


 商売をやっている人間に聞き取りができればいいとギアノは言い、なにかいい案が思いついたのか「調べてみるよ」と呟いている。


「そんなことよりも飯だ、ギアノ。さっきの肉、上手い飯に変えてくれ」

 管理人はなにも言わなかったが、シュヴァルと目が合って、諦めがついたようだ。

「わかったよ。ただで受け取るわけにはいかないもんな」

「頼んだぜ」

「本当にかなわないな、親分には……」


 屋敷の中も少しずつ賑わい始めて、厨房周辺には初心者たちが大勢集まり始めている。

 どうやら質問のある若者は今は不在のようで、レテウスはほんのりと遠巻きにされている状態だ。

 

「あれ、レテウスさんたち。来てたの」

 ティーオがやって来て、ギアノとあれこれ会話を交わし、交渉をされたのか貸家の住人の食事を用意することになったようだ。

「クリュ、もたもたしてたら邪魔になるから、手伝って」

「なんで俺に言うの」

「頼みやすいから?」

「なんだよもう。シュヴァル、一緒にやったらすぐに終わるから、来て」


 レテウスへ声をかけないのは、頼りないからなのか、大きな体が邪魔だからなのか。

 わからないが三人は手早く夕食のお裾分けをもらい受け、籠に入れたようだ。


「お菓子もあればいいのになあ」

「贅沢言うなよ。っていうか、あんまり集りに来ないで欲しいんだけど」

「ティーオだって美味しいもの食べたいだろ」

「そりゃあそうだけどね。この屋敷を使ってるのはさあ」


 語らいながら、カッカーの屋敷を出て、家路を急ぐ。

 四人の若者は和気藹々とねぐらに戻ると、にぎやかなまま食事の時間を共に過ごした。


 


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