表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12 Gates City  作者: 澤群キョウ
37_Recognition 〈剣の示す道〉

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

176/247

169 難題

「僕はピエルナという名の女性を探しています。以前会った時、聞き覚えがないか尋ねた探索者です」

「はい、覚えています」


 ニーロは静かに頷き、少しの沈黙の後にまた口を開いた。


「カッカー・パンラの最後の挑戦である、『赤』の最下層への探索に共に挑んだ戦士です。今から四年ほど前、何度かの失敗の後に挑戦は成功して、僕たちは『赤』の最初の踏破者になりました」


 カッカー・パンラが選んだ探索者は、魔術師のニーロ、戦士のピエルナ、剣士マリート、そしてスカウトのヴァージ。

 皆若く、カッカーが自身の屋敷に滞在させ、手を貸し守り育てていた者ばかりだったとニーロは話す。


「挑戦は終わり、カッカー様は探索者を引退しました。パーティは解散し、僕たちはそれぞれの道に進まねばならなかった」

「四年前では、あなたはまだ幼いと言える年齢だったのでは?」

「そうですね。ですが、僕のことは良いのです。とにかく『赤』への挑戦が終わった後、ピエルナさんは姿を消してしまいました」


 魔術師ニーロは手を尽くし、ピエルナの行方を探った。

 故郷へも何度か人をやり、帰っていないか確認をしたが、消息はまったくわからなかったらしい。


「とても不思議に思いました。ピエルナさんに繋がる情報は少なくて、どれも必ずどこかで途切れて消えてしまったので」

「途切れたとは、どういうことですか」

「これはと思った情報について調査を進めると、ピエルナさんらしき女性と会っていた誰かも消えていなくなっているのです。この街は人の出入りが激しく、命を落とす者も多い。それが探索者ならば猶更です。わからなくとも仕方がないと考えるべきでしょうが」


 けれど、なにかがおかしいと思ったとニーロは言う。

 

「迷宮都市とはいえ、彼らは消えすぎだと感じたのです」


 ふいに隣から大きく息を吐く音が聞こえてきて、デルフィは驚き体をすくませてしまう。

「あ、ごめんなさい」

 ノーアンは慌てて謝って来たが、顔色が冴えない。

 ニーロの語りには不穏な気配が満ちているから、緊張するのも無理はないだろう。


「ピエルナさんを探していたのは僕だけではありません。ピエルナさんを知る人たちすべてが、彼女が黙っていなくなるのはおかしいと考え、行方を気にしていました。僕は大勢に話を聞き、些細なことであっても調べるようにしたのです」

 細い細い糸を辿って、手繰り寄せて。消えそうになる道を、目を凝らして、進んで、諦めずに辿り続けて。

「わかったことはたった一つだけでした」

「なんだったのですか」

「共通点です。ピエルナさんに関わったであろう人物は皆、ジマシュ・カレートと繋がりがある人間と会っていた」

「どういうことですか」

「ピエルナさんと会っていたであろう人物は、皆いなくなりました。けれど彼らは全員、ジマシュ・カレートと繋がりのある人間と関わりがあったようなのです」


 言葉は繰り返されただけで、これ以上説明しようがないのだろう。

 ジマシュと直接繋げるには、随分遠く感じる言い回しだとデルフィは思う。

 ノーアンも同じように感じたのか、首を傾げている。


「単なる偶然だと考えるしかないような、余りにも細い繋がりです。怪しく思う方がどうかしている」

「あなたもそう思うのですか」

 ニーロは頷き、突然デルフィにこんな問いを投げかけて来た。

「ザックレン・カロンという名の魔術師を知っていますか?」

「いいえ。……知りません」

「ジュスタン・ノープは?」

「いいえ」

「オイデ・スローグも知りませんか」

 他に三人の男性らしき名前を挙げられたが、デルフィには心当たりは一切なかった。

「では、あなたが知っているのはヌエルという名のスカウトだけなのでしょうね」


 カヌートと名乗り、チェニー・ダングと共に自分たちを騙していた、ヌエル。

 確かに、ジマシュ以外にわかるのは彼だけだ。

 デルフィの生きた日々を悪い夢だと何度も何度も繰り返していたが、あの時間こそが悪夢だったと思う。


「ジマシュ・カレートには何人も付き従う者がいます。彼らは決して仲間などではないし、手下と呼べるような者でもありません。ジマシュ・カレートに唆されて彼の命令を聞き、機嫌を損ねないよう注意深く働くよう躾けられた存在とでも言えばいいでしょうか」

「なにそれ」

 ノーアンは顔をしかめ、ニーロは首を振る。

「そう表現するしかないのです。彼らは対等とは程遠い立場に落とし込まれている。最初は単純に儲け話を持ち掛けられたり、仲間としてやっていけそうだ、より良い仕事を紹介できると声をかけられるようですが」

「どうやってそんな奴隷みたいにするの?」

「わかりません。けれどとにかく、彼らはそんな扱いをされるようになる。そしていつか、使い捨てられます」

「ヌエルもそうなのですか」

「恐らくは。彼が生きていることを、ジマシュ・カレートは知らないかもしれませんね」


 ヌエルは息も絶え絶えの状態で路地裏に転がされていたところを、運良く救われてなんとか生き延びたらしい。

 怪我をした経緯は謎のままだが、死んでいてもおかしくなかったとギアノは聞かされたと言う。


「彼らは必要な情報を得る為に見張りを置いています。それは決してジマシュ・カレートに命じられたからではありません。ジマシュ・カレートが望むことを考え、やるべきだと判断して、彼らの意思でそうしているのです」

「意味がわかりません。付き従う者だなんて」

「ヌエルというスカウトとチェニー・ダング調査官はあなたをジマシュ・カレートの元へ連れ帰るべきだと考え、その為に計画を立て、実行していった」


 自分を連れ帰ろうとするのは、まだわかる。

 けれどあの「計画」については、わからないことだらけだ。


「僕を連れ戻す為に、何故ベリオたちを殺す必要があるんです」

「知っているでしょう、デルフィ・カージン」

「なにをですか」

「ジマシュ・カレートについてです。彼は自分のもとを離れた『友人』を、ただ連れ戻すだけで満足するような人間ではありません」

「ちょっと待って、あんまり聞きたくないかも」


 ノーアンは耳を抑えながら、二人のそばから離れていく。

 迷宮の中で、そう遠く離れることはできないのだが。

 それでも最も離れた壁際まで下がって行って、背を向けてしまった。


「よく、彼のもとから逃げ出せましたね。それに、随分うまく身を隠していた」

「あの時は、必死で。よく逃げられたと自分でも思います」

「デルフィ・カージン、あなた自身には見張りはついていませんでした。目立つ外見をしていたのに疑われなかったのは、徹底して自分らしさを消していたからでしょう」

「ええ」

「そうしなければならないと理解していたあなたならば、ベリオたちが命を落とした理由がわかるはずです」


 自分の元から黙って去って行った幼馴染。

 脱出の魔術を覚えさせ、探索に必要な人間として傍に置いていた鍛冶の神官がいなくなり、他の探索者と組んで街の端で暮らしていた。

 どうにか自分の元に戻したい。

 ジマシュがそう願ったとして。いや、そう願っていると他人に思わせて、それで?

 ジマシュの為にデルフィを連れ戻そうと考えたヌエルたちが、ベリオを排除するべきだと考えて、わざわざ「橙」の二十一層を目指した理由とは一体、なんなのか。


 起きたこと自体は、理解できているけれど。

 計画については、あまりにも回りくどいと思っていた。


 二十一層目でデルフィは意識を失い、気が付いた時には貸家に戻されていて。

 きっと薬を使われたのだろうと思う。あんな風に突然意識を失わせる方法など、他に思いつかない。

 薬があったのなら、デルフィが一人で行動している時に嗅がせてしまえばいいのに。

 けれと、そうしなかった。そして、チェニー・ダングは自分の犯した罪を悔い、悩み苦しんだ挙句命を絶った。


 すべてが異常だ。

 効率が悪くて、理解し難く、意味がわからない。

 二十一層へ行く必要がない。ダンティンを巻き込む理由もない。

 デルフィと組んでいたベリオが邪魔だと思うのなら、彼を襲えばいいだけなのに。

 ベリオが単独で行動している時間はいくらでもあった。絶対に勝てないほどの強者ではないし、何人か用意できれば襲撃は可能だったはずだ。

 

「すべてを理解していない。……真実などひとつたりとも知らなかった」

「ダング調査官の手紙にそう書かれていましたね」

「はい。僕の真意を確かめなかったと、後悔する言葉もありました」

「彼女が王都に戻った後、噂が出回りました」

「噂?」

「ええ。チェニー・ダングは迷宮都市で大勢の男を誑かし、金品を巻き上げていたというものです」

 

 「ドーン」が女性だとわかったのは、調査団の制服姿を見た時だ。

 共に探索をしていた頃は、小柄な男性だと思っていた。

 いつでも顔が汚れていたし、振る舞いにも女性らしさはなかったし。

 そんな印象しかないチェニー・ダングなので、デルフィは今のニーロの言葉に驚かされていた。


「そんな噂がどうして?」

「ばらまいた人間がいるからです。『高価な剣を奪われ、破滅に追い込まれた男がいる』という噂も流れたそうですよ」


 チェニー・ダングが持っていた、ベリオの美しい剣。

 ベリオはなにも知らないままあの通路で命を落としたのだから、剣は死体から奪われたのだろう。

 確かに、高価な剣を奪われた男はいるし、破滅に追い込まれているのだろうが――。


「ダング調査官が噂通りのことをしていたのなら、この街でも知られていたはず。けれど、この噂が流れたのは王都だけです。噂の内容も、本人の様子とはかけ離れています」

「そうですね」

「何が起きたか知っている者が敢えて流したと考えるべきでしょう」

「どうしてそんな……」

「追いつめる為です。ダング調査官に罪を負わせ、悩み苦しむよう仕向け、自ら命を絶つよう追い込むためにわざわざあのような計画を立てさせたのだと僕は考えています」

「ジマシュが?」

「誰もそう言いはしないでしょうけれど」


 膝の力が抜けて、床に倒れこんでしまう。

 そんなデルフィに構わず、ニーロは続けてこう話した。


「ベリオの死はあなたへのお仕置きでもあり、ダング調査官を苦しめるための材料でもあります。ベリオをどうやってそこまでの極悪人に仕立て上げたのかはわかりませんが、ダンティンなる探索者を巻き込んでもやむを得ないのだと思わせるほど、ヌエルにもダング調査官にも信じ込ませ、何か月もかかるような計画を進めさせた」

 恐ろしい男ですね、と魔術師は呟く。

「なぜ、チェニー・ダングまで死ななければならなかったのですか。彼女はジマシュの為に働いたのに」

 

 ジマシュの傍にいたのはヌエルだけ。

 手を汚したのは、チェニーの方なのに。


「あなたはもう知っているはず」

 ニーロの声はまっすぐに、鍛冶の神官の心へ突き刺さる。

「彼にとって、他人の不幸は娯楽なのです」


 だから、常に不幸の種をまき続ける。ジマシュ・カレートはそういう人間だと、ニーロは顔色ひとつ変えずに言い放った。

「ヌエルというスカウトも、あなたを逃がしたことを責められたでしょう。ジマシュ・カレートに付き従う人間は皆そうなのです。仕事を与えられ、信頼していると言われて彼の為に働くのに、失敗するよう仕向けられたり、些細なことでも責めたてられて、罪を着せられて消えていく」


 ニーロの言葉は重たく心の奥へ響いていった。

 確かに、デルフィは知っている。そしてわかっている。

 ジマシュという名の男について。自身と共に育ってきた幼馴染で、友人で、仲間であった人物のことを。

 けれど、あまりにも酷い。考えていたよりも闇の色が深く暗くて、胸が苦しくなっていく。


「ですから簡単にギアノに会いに行かせるわけには行きません。あなたと明らかに関係があるとわかれば、屋敷で暮らす初心者たちが犠牲になる」

「そんな」

「ギアノ自身は簡単に騙されはしないでしょう。彼は物事をよく考え、悪意を見抜く力に長けた人物ですから」

 けれど、周囲を狙われたら身動きが取れなくなってしまう。

「悪いことが重なり続けていけば、ギアノは理由に気付きます。そしてあなたと同じように考えるでしょう。自分のせいでこんなことが起きたのだと」


 そんなことになっては困ると無彩の魔術師は囁く。

 カッカーの屋敷についての思いが特別にあることは理解できたが、デルフィの心は激しく軋んで、潰れそうになっていた。


「ベリオたちが死んだのは僕のせいです」

「いいえ、違います。あなたの責任ではない。それだけは間違えないで下さい」

「……そうでしょうか?」

「立場が逆なら、あなたも同じことを言うはずです」

 違いますか?

 ニーロの声は冷静で、デルフィの心にひんやりと沁み込んでいく。

「悪いのは、悪事を働く者です」


 魔術師に抱えられて、デルフィは立ち上がった。

 心は混沌としていて、鍛冶の神官はしてきたつもりの覚悟が足りていなかったことを少し後悔している。


「すみません。力を貸すと決めて来たのに」

 自分が情けないと漏らすデルフィへ、ニーロは首を振っている。

「僕からも謝らなければなりません」

「なにをですか」

「ここまでの話のほとんどは、僕の推測でしかないのです。あなたと共に暮らしていたジマシュ・カレートについて、僕は深い疑念を持っていますが、証拠になる物、信頼に足る証言者も存在しません」


 まるで真実のように語ってしまったけれど。

 ニーロは目を伏せて、申し訳ないと小さく呟いている。


「間違いないと言えることは僅かです。ダング調査官が死んだこと。彼女がベリオの剣と『絆の証』を持っていたこと。ギアノや神殿周りに不審な人物が配置されていること」

 明らかなのはこれだけであり、ベリオの生死ですら間違いないとは言い切れない。

 そう話すニーロへ、デルフィはこう答えた。

「僕はジマシュとヌエルに長い間閉じ込められていました。彼らはベリオもダンティンもドーンも存在しないと言っていた。これも、間違いなくあったことです」

 デルフィは首からかけていた神官のしるしを取り出し、偽物を用意されていたことも話した。

「本物は宿に置いていて、ギアノが預かっていてくれました」


 デルフィが逃げ出したのは、友人の心に底知れぬ暗いものを感じたからだ。

 怖れて、片棒を担がされたくなくて迷っていたところで手を差し伸べられ、ベリオと行く道を選んだ。

 推測だというが、ニーロのあの口調、確信がないとは思えない。

 震える体を抑える為に、デルフィは自分の腕を強い力で掴む。


「あなたは、ピエルナという女性がどうなったと考えていますか?」

 神官の問いに、魔術師は目を閉じたままこう答えた。

「ピエルナさんは迷宮の中で置き去りにされて、命を落としました」


 何層目かはわからないが、「赤」で。


 どうしてこんなにもはっきりと言い切れるのか、理由はわからない。

 疑問を口にするかどうか、デルフィは迷った。

 そして、無彩の魔術師には迷いがない。


「ほとんどが推測に基づくものですが、今話した通り、ジマシュ・カレートをとても危険な人物だと考えています」

「あなたはジマシュをどうするつもりなのですか」

「この街から出ていってもらいます。悪意を抱える者にとって、迷宮はあまりにも都合が良すぎる。人から奪わずとも富を得られるのがラディケンヴィルスです。罪を犯した者でも受け入れるのは、争わずとも得られる場所だからであって、どんな犯罪でも許されるからではありません」

「街から出ていくよう、説得すればいいのですか」

 ニーロに冷ややかな視線を向けられて、デルフィは思わず一歩後ずさる。

「できるのならば、そうして下さい」

 神官の返事を待たず、言葉はこう続いた。

「どんな形になっても、彼には絶対に迷宮都市から去ってもらいます」


 誰に止められても、敵対したとしても、絶対に。


「あなたの考えが間違っていたとしてもですか?」

「間違いだと証明されれば、手を引きます。余計な問題が起きた場合は解決するために力を尽くします」

 

 いいですか、デルフィ・カージン。

 答えられない神官に、ニーロは構わずこう続けた。


「見張りの話をしましたが、最近揉め事が起きて、ジマシュ・カレートの周囲にいた人間はかなり数が減りました」

「なにがあったんですか」

「……自分の置かれた状況の異常さに、気付く者もいるのです」

 揉め事についての詳細には触れず、魔術師は静かに語り続ける。

「かなり減ったのは確かですが、全員ではないだろうと考えています。何人残っているかはわかっていませんし、どう行動するかも予測がつきません」

 与えられた仕事をただ続けるだけかもしれないし、異変を察知して去っていくかもしれないし。

「けれど、手薄にはなりました。これまでとは情報の集まり方も違うはずです」

「僕はなにをすればいいのですか」

「ジマシュ・カレートに会って、共に迷宮へ向かって下さい。どこであっても、どんなメンバーであっても構いませんから」

「迷宮へ……」


 今更、ジマシュが自分に会うだろうか。

 迷宮へ探索へ行こうと誘われて、乗ってくるだろうか?


 デルフィのこんな思いを、ニーロは的確に見抜いたようだ。


「ジマシュ・カレートにとって、あなたは特別な存在のように思えます」

「特別?」

「あなたほど彼の傍に長くい続けた者は他にいないのではありませんか。先ほど何人かの名を挙げて、知っているか尋ねたでしょう」

「はい」

「彼らは全員死にました」


 背後からひゃあ、と声が聞こえて、デルフィも驚いて身をすくめた。

 とんだ怪談を聞かされたスカウトは、いやだいやだと耳を塞いでいる。


「あなたにとってジマシュ・カレートは幼い頃からの友人のはず。確たる証拠もない僕の話など、信じられなくても無理はない。やはり協力できないと考えても構いません」

 今聞いた話は、口外してほしくはないけれど。

「友人を守りたい気持ちがあるのなら、警告すればいい。どんな選択をしても咎めないし、責められることもないと約束します」


 そのかわり。ニーロを止めることもできない。

 ジマシュを恐ろしい人間だと判断し、追い出す為に動き出す。


「できれば手を貸して欲しいと思っています。なにか困ったことが起きた時には、力になりますから」

 ニーロは一方的に話を終えると、青い顔をしたノーアンに向けて詫びた。

「長い時間付き合わせてすみませんでした、ノーアン」

「いや、大丈夫。ちょっと驚いちゃったけど」

「では帰りましょう」


 言葉が終わればもう、元通りの魔術師の殺風景な家の中だった。

 ただひとつ違うのは、簡素なテーブルの向こうに一人、世にも美しい女性が立っていたことだけ。

 長いローブをするりと揺らして振り返り、美女はにっこりと笑った。


「そのひょろ長いのが例の神官か」

 艶やかな浅黒い肌に、零れ落ちそうなほどの大きな瞳。

 青紫色の輝きは眩く、吸い込まれてしまいそうだとデルフィは思う。

「鍛冶の神へ仕えています、デルフィ・カージンと申します」

「俺はロウラン。見ての通り魔術師だ」

 細長い指が伸びて来て、握手を交わす。

 デルフィとは身長が随分違って、長いまつ毛が揺れる様がよく見えた。

「ウィルフレドはいないのですか?」

「俺と二人でいるのは嫌なのか、出かけてしまったよ」

 ロウランと名乗った魔術師はニーロに答えながら、ノーアンに近付いて頬に触れている。

 スカウトに触れながら視線は神官へ向けて、麗しい唇を綻ばせてみせた。

「過酷な運命を用意されたようだな、白の神官よ」

「白?」

「ああ、すまんな。これ(・・)の生まれたところでは、戦の神をそう呼ぶのさ」


 見たことのない肌の色は、魔術師が異国からやって来た証なのだろう。

 納得してデルフィは頷き、ロウランはその様子に笑みを浮かべている。


「困った時にはいつでも来ると良い。ここには頼りになる者が暮らしているからな。腕っぷしが必要な時には、ウィルフレド・メティスが力になるだろう」

「噂は聞いています。大変な強さを持つ戦士だと」


 小さく頷きながら、ついさっきまで迷宮にいたのにとデルフィは思った。

 ベリオの言う通り。無彩の魔術師は、どこへでも好きなところへ帰ることができる。


 あの時、あの言葉を聞かなければ、貸家から逃れることはできなかっただろう。

 監禁されていた日々を思えば、ニーロの言葉を疑うことなどできはしない。

 ジマシュが一体なにをしたのか、すべてはわからないけれど。

 ベリオとダンティンが命を落とし、チェニー・ダングは追いつめられて死んだ。


 そんな奴らなどいない。悪い夢を見ていただけ。

 逃げ出した場所に連れ戻され、相棒であったベリオはいないものにされて。


 あれも、デルフィへの「お仕置き」だったのだろうか。


「大丈夫かい、神官さん」

 ノーアンに肩を叩かれ、デルフィははっとして答えた。

「大丈夫です」

「とんでもない話を聞かされたんだ。ゆっくり考えるといいよ」


 




 深刻な顔をした神官が去って行き、小さな黒い家には家主と居候、客の三人が残っていた。


「ノーアン、付き合ってくれてありがとうございました」

「礼を言われるようなことはしてないと思うけど」

「留守番を引き受けてくれたでしょう」

「そうだったね」


 ようやく緊張が解けて来て、スカウトの男は小さく笑った。

 迷宮内への移動に度肝を抜かれ、神官との内緒話に慄かされた一日だった。


「あのデルフィって神官、大丈夫なのかな」

「彼はわかっていたはずです。想像していたよりも、真実が重たかっただけで」

「いや、重たさがちょっと半端ないというか」

「そう思いましたか?」

「うん。ジマシュって男、一体何人殺してるの」

「直接手を下した者はいないと思いますよ」

「そんなことできる?」

「できる人間がいるのさ、ノーアン」


 背後から口を挟んできたのは、今日も麗しい姿をしたロウランだった。

 黒い肌の魔術師はゆっくりと歩み寄って来て、ノーアンの頬をまたふわりと撫でる。

 どうしていちいち触れてくるのかはわからないが、悪い気はしないので、素直に撫でられてしまう。


「お前も迂闊に近寄らん方がいいぞ。まあ、仕掛けてはこんだろうがな」

「どういう意味です」

「ああいう手合いは、自分のやり方が通じる相手かどうかすぐに見抜く」

「通用しない相手には?」

「近寄らない。ニーロがあの神官の手を借りたいのは、逃げられてしまう可能性が高いからだ」

「仕掛けてこないってのは、俺には勝てないって考えていいんですか」

「そう思う。お前には動揺が少ないからな」

「動揺は……しますよ。今日は怖い話を聞かされて、随分みっともないところを見せちゃって」


 見ていないから大丈夫です。

 ニーロの声が聞こえて来て、ノーアンは思わず笑ってしまう。


「あの神官が来るとわかっていたら、留守番を頼んだりしなかったのだがな」

「いいえ。ノーアンに代わってもらって良かったです」

 ロウランは不服なようで口を尖らせ、ノーアンは首を傾げている。

「そうかな。話の邪魔だったんじゃないの。無関係な人間がいたら」

「あなたの話はデルフィ・カージンの役に立ちました」

「なにか話したっけ」

「通路の先で手に入るものについて」

「箱の中身か。もしかして、腕輪を見つけたことがないってやつ?」

 ニーロは頷き、口の端に笑みを浮かべている。

「迷宮の中で、『確実に何かが手に入る場所』はとても珍しい。最下層以外では、今のところ『赤』と『橙』に一箇所ずつだけです」

「他にはないの」

「わかりません。あるかもしれませんが」

「見つかってないんだね」

「そうです。『赤』の宝を手に入れるにはかなりの強さが必要で簡単に挑戦はできませんが、『橙』はそれなりに探索に慣れていれば、誰もが目指せると言っていいでしょう」


 迷宮には気まぐれに「良い物」が落ちていることがある。

 低層で途轍もなく良い物を手に入れられる可能性もあるが、運が悪ければなにも見つからないまま探索は終わってしまう。

 

「確実になにかが手に入る場所はとても貴重です。ですが『橙』のあの通路の先で手に入れられるのは、ほとんどがただの道具に過ぎない。あそこで手に入る腕輪は『はずれ』なのです」

「はずれ?」

「装飾品としても使えず、売ってもたいした額にはなりません」

「でも、絆の証なんでしょ」

「二十一層もの道を進んで、危険な罠の仕掛けを協力して乗り越えて手に入れられるものですから。意味がないと思いたくない人々が、そう名付けたんですよ」

 ロウランが笑い出し、ノーアンもつられて噴き出してしまう。

「確かに。苦労して手に入れたんだから、ガラクタだなんて思いたくはないよね」

「多く出てくるはずのあれを引かなかったのですから、あなたは運が良い」


 腕輪ははずれで、ノーアンは手に入れたことがない。そこまではわかった。

 それがどう神官の役に立ったのか。スカウトが考えていると、勝手に答えが示されていった。


「小さく呟いていたでしょう。自分たちには絆がなかったのかと」

「ああ」

「デルフィ・カージンはあれを聞いて、絆のある仲間と行けば手に入れる物と勘違いしたかもしれません」

「それはなんだか、申し訳ないね」

 ニーロは首を振って、にやりと笑う。

「二人の仲間が手に入れたのは『絆の証』で、今日見つけた物は短剣でした」

「短剣なら見たな、三回」

「言わずにいてくれて良かった」


 仲間たちと築いていた「絆」。

 今日、ニーロと共に手に入れた「短剣」。

 確かに、なんらかの啓示と考えてしまいそうな組み合わせだとノーアンも思う。


「人が悪いところがあるんだね、ニーロ」

「彼の決意をなるべく強く固めたいのです。ジマシュ・カレートと再会した後、揺らぐかもしれませんから」

「犠牲者がいっぱいいるのに?」

「ジマシュ・カレートは直接手を下さないし、指示を出した証拠もありません。今後も出てこないでしょう。どうとでも言い逃れができるのです」


 人は信じたいものを信じるものだから。

 魔術師の言葉は少し重たく、心の中に落ちてくる。


「ノーアン、今日はありがとうございました。近いうちにまた『白』に行きましょう」

「まさか、あそこから?」


 ニーロは微笑むだけで答えなかったが、恐らくは「行きついた最も深いところ」から再開できるのだろうとノーアンは思った。



 奇妙な一日を終える為に、スカウトの男は家へと戻る。

 朝から頼まれて留守番をし、今はもう夕方。

 仲間と共同生活をしていた家は既に引き払い、新たに小さな売家を見つけて暮らし始めたところだ。

 家の中は殺風景だし、誰もいない。どこかで食事を済ませようか、道の途中で立ち止まる。


「あの」


 すると、背後から声が聞こえた。

 魔術師のローブを身に着けた大きな瞳の少女が立っていて、どうやらノーアンに声をかけたらしい。


「俺になにか用?」

「ええ。私、人を探しているの。遠いよその国から来た、黒い肌の神官を知らないかと思って」

「黒い肌の神官?」


 謎の少女は背後から現れた。自分がニーロの家から出て来たと知っているのではないかとノーアンは考える。

 ロウランが出入りしているとわかった上で問いかけているのか。

 確かに、異国からやって来た黒い肌の美女を知っている。

 「白」の探索に行った時、ウィルフレドに「神官の恋人ができた」という発言も耳にしている。

 

「その神官は、男? それとも女?」

「……ラフィ・ルーザ・サロという名前の人よ。黄緑色の瞳に、髪は黒」


 ラフィの名も聞いた覚えがある。キーレイが口にして、ロウランとは別人だとウィルフレドが答えていたはず。

 瞳の色は、探索に共に行った時は黄緑色だった。けれど今は青紫だ。ポンパと揉めた時、家を訪ねた時には色が変わっていて不思議に思ったものだ。


「知らないな」

「本当に?」

「異国から来た人は知っているよ。だけど、そんな名前じゃないし、瞳の色も違う。神官でもない」


 ノーアンにとって、ニーロの家に住み着いている異国からの客はロウランであり、魔術師でしかない。

 神官ラフィとやらがどうなったのかはわからないが、簡単に会えるとは思えなかった。


 スカウトからの答えをどう受け止めたのか、少女はしばらく唇をぎゅっと噛んでいたが、急にくるりと身を翻して去っていってしまった。

 礼も言わずに足早に去って行く少女を追いかける理由はなく、ノーアンはやれやれと肩をすくめるだけだ。


 今日出会ったもう一人の「行方を探されていた神官」について思い出してしまい、ため息が漏れ出ていく。

 迷宮都市には死と別れが溢れているが、それが娯楽になる人間がいるとは思ってもみなかった。


 そして。

 ジマシュ・カレートなる男も恐ろしいが、彼について調べ上げたであろうニーロも少し恐ろしく感じている。

 推測と言うが、なにもかもわかっているとしか思えない。

 どうやって調べ、確信に至ったのやら。

 

 できるだけ平穏に決着がつくようにと、ノーアンは心の中で願う。

 目当ての飲食店に辿り着き、店内から聞こえてくる騒がしさにほっとして。

 途端に心は緩んで、本音がころりと零れ落ちてしまう。


「……無理か」


 スカウトの粗雑な祈りはあっさりと撤回されて、迷宮都市の夕闇に飲まれて消えていった。

 

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ