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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
35_Backstay 〈過剰な半身〉

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154 思索の深間

 今日も日が暮れていく。

 作業場の裏で軽口を叩きながら籠を持ち上げ、次々と棚へしまっていく。


 高いところはすっかり自分の担当になった。

 窓を塞がれた貸家から飛び出し、南へ逃げて、身を隠すのだと決めてから、潜り込んだ場所。

 ミッシュ商会での仕事にはもう慣れた。馬鹿なことばかり言う陽気な男になりきって、時は随分流れたと思う。

 誰も来ないのだから、見つかってはいないのだろう。うまく誤魔化せているのだと思いたい。


「オーリー、これで最後だ」

「あいよー!」


 明るく返して仕事を終えたら、男の従業員たちと一緒に寮への道を流れていく。

 大きなテーブルを大勢で囲んで、愚痴や軽口を飛ばし合い、明日の予定を確認して、体を洗う。

 薬草業者の暮らしは穏やかだ。採集班に入れられてからは迷宮に足を踏み入れているが、探索者のそれとは大きく違う。

 戦わず、欲張らない。目指すものだけを手に入れて、トラブルを避けて進んで、安全に戻る。

 誘われた時は迷ったが、メハルにも声がかかったから行くと決めた。


 ひどく冷めた顔で座り込んでいた少年を目にした時、どうしても無視することが出来ずに声をかけ、それからは二人で歩んできた。

 当然のものが与えられて、メハルは息を吹き返したように見える。

 食事や衣服、眠る場所、安全、仕事、それに対する報酬。

 すべて君のものであり、誰にも奪われない。

 そんなことから教えなければならなかったが、メハルはすぐに理解してくれた。

 怯えすぎず、悩みすぎず、思い出しすぎないようにしながら、ごく普通の少年になっていった。


 食堂に置かれた大きなテーブルはいくつもあって、今は斜め向かいに座っている。

 素直で愛らしいので大人たちによく絡まれ、穏やかな反応をするから、メハルは大勢に可愛がられていた。

 

「どうしたメハル、今日はなんだか元気がないな」

「そんなことないよ」

「遠慮しないで、困った時はいつでも言えよ。俺たちはみんなお前の味方なんだから」


 がやがやと騒がしい夕食の合間にかすかにこんな声が聞こえてきて、デルフィは集中して心を静めていった。

 まだいけない。自分に戻るのは部屋に帰ってから、みんなが眠り着く頃だけにしなければいけない。

 いつも通りのオーリーらしさを散々周囲に振りまいて、食事の時間はようやく終わり。

 体を洗う間も馬鹿らしい発言を繰り返して、最後にたらいを片付けたら、二人部屋へ続く階段を上っていく。


「あ、オーリー、お帰り」


 メハルは自分のベッドに腰かけていたが、確かに表情がいつもと違った。

 デルフィを見てあきらかにほっとした様子で息を吐きだし、唇をもう小さく開いている。


 ゆっくりと近づいて、鍛冶の神官はメハルのすぐ傍に膝をついた。

「なにかありましたか?」

「わかるの?」

「夕食の時に元気がないと言われていたのが聞こえて」


 小声で囁くと、メハルはよく聞いていたねと笑った。

 けれどすぐに表情を真剣なものに戻すと、こう話した。


「ギアノ・グリアドが来たんだ」

「ギアノが?」

「今日の昼過ぎに、店に来たんだ。前にも来てたみたいなんだけど、深い層に行っていた日だったから会えなかったって」

「本当ですか」

「それがさ、誰かが来たって話はあったんだ。だけど、ゼトロさんが名前も見た目もでたらめに言ってたんだよ。ちゃんと聞いてなかったみたいで、適当に報告してたんだと思う」


 とにかく、今日、店にギアノがやって来た。

 「ルーレランの店への売却に同行し、女性の迷宮調査団員の剣を預かった、ミッシュ商会の従業員」を訪ねるために来て、メハルが呼ばれたのだという。


「ギアノと話しましたか」

「うん。預かった剣を見せてほしいって頼まれた。剣を探す手伝いをしていて、俺のところに来たって言ってた」

 断る理由はなく、剣を持ち出して見せたとメハルは言う。

 ギアノは探し物を確認すると、チェニーは何故剣を売ろうとしたのか知っているかと尋ねてきたらしい。


 調査団員チェニー・ダングが剣を売ろうとした理由ははっきりしている。

 薬を配達中のメハルとぶつかり、商品を駄目にしてしまったから。その弁償のために金を作る必要があった。


「説明したら、礼を言って帰っていったよ」

「……そうですか」

「それ以上はなにも話してない」

「わかりました。ありがとう、メハル」

「ねえオーリー、どうしてギアノ・グリアドが来たのかな?」


 確かに、何故ギアノがやって来たのかがわからない。

 あの剣について覚えているのではないか、とは思う。ベリオの剣には大きな特徴があるから、気付いたのではないか。

 けれど、そもそもメハルが持っているとわかったのは何故なのだろう? この剣を探す手伝いをしているというが、誰が探しているのだろう?


「少し考えてみます。……メハル、本当にありがとう」

 ギアノについて知っていてはおかしいという前提を忘れず、余計な話はしないで終わらせたのだろう。

 賢い子だと感心しながらベッドに横たわり、デルフィは目を閉じる。


 チェニー・ダング。

 あの日、街の西へ飛び出し、どこを目指したらいいのか、迷っていた日。

 調査団の制服を着て横切って行ったのは、ドーンだった。

 女性だったとは、調査団員だったとは。視界に飛び込んできた情報の異様さにひどく混乱してしまったけれど。

 ベリオの剣を腰から提げていたし、デルフィに呼ばれて逃げ出した。

 それに、メハルが聞いている。彼女の口から「ダンティン」の名が呟かれたのを。


 迷宮調査団員チェニー・ダングは、「橙」を目指していたスカウトの見習い、ドーンと同一人物と考えていいだろう。

 

 ベリオ、ダンティン、ドーン。

 三人の姿は見えなくなって、カヌートだけが目の前にいた。

 不可解な状況の次に現れたヒントが、チェニー・ダングとベリオの剣だった。

 しばらくチェニーについて探ってもらったが、彼女はひどくやつれていて、うつろで、悲しんでいて、深い後悔に捉われていたようだったという。


 もう王都へ戻されたというが、どうしているのだろう。

 ベリオの剣がなぜ彼女のものになっていたのか、想像がつかない。

 記憶に残っている最後の相棒の姿には、あの剣が共にあったはずなのに。

 

 ベリオが無彩の魔術師の家から持ち出したものは、二つだけだった。

 奪われてしまった「白」の地図と、あの美しい剣だけ。

 気に入って使っていると話していたし、簡単に人に譲るとは思えない。



 眠らなければと思うが、頭は冴えていく一方だった。

 寝返りをうち、強く目を閉じるが、思いはぐるぐるとしていて落ち着かない。

 

 ギアノが来た。

 近いところにいたら、気付けたかもしれないのに。

 自分の運の悪さを嘆きながら、ギアノの穏やかな声を思い出す。

 ポーチにそっと入れられていた甘酸っぱい果実の味も。


 あいつが女だったら嫁にしたのに。

 ベリオの声もはっきりと蘇ってきて、共に笑った時間がひどく懐かしかった。


 ベリオは間違いなく、存在している。無彩の魔術師がそう教えてくれた。

 人生の欠けた部分について今は忘れて、記憶を探っていく。


 ギアノとドーンの間に接点があったとは思えない。

 隣の部屋で寝泊まりしていたのだから、顔くらいは知っていただろうが。

 それともデルフィの知らない間に、個人的に深く関わるような出来事があったのだろうか?


 いや、違う。今はただ、事実だけを並べた方がいい。

 わからない部分に推測をいれていては、きりがないのだから。


 ベッドに横たわったまま手で顔を抑えて、デルフィはゆっくりと息を吐き出していった。

 ミッシュ商会に来てから知りえたことは、すべてメハルの目と言葉を通してのものだ。

 自分で動けばすぐに見つかってしまうと考え、協力してもらっている。

 力を貸してくれる少年を信じ、伝えられた言葉を思い出していく。


 調査団に所属している唯一の女性団員の名は、チェニー・ダング。

 「ドーン」の呼びかけに反応し、「ダンティン」の名を口にし、ベリオの剣を持っていた。


 メハルにわざとぶつかってもらい、接点を作った。高価な薬を割らせることで、弁償の話に持ち込む計画だった。

 計画はうまくいって剣は店に持ち込まれたが、売却されず、その場に残された。

 チェニー・ダングは酷く狼狽えた様子で店から飛び出していき、二度と戻らなかった。


 あの剣が店で売られそうになっていたことを知っているのは、チェニーと、メハルと、店主であるルーレラン。

 そしてもう一人。灰色の髪、灰色の瞳の青年魔術師があの場にはいた。


 無彩の魔術師の異名を持つ、ベリオの元相棒。

 彼の発言は重要なものばかりだ。

 親しくはないが、チェニー・ダングとは知り合いだった。

 あの剣は「自分(ニーロ)が見つけた」ものであり、調査団員の出した腕輪は「橙の二十一層」で見つかる珍品だと話したという。

 

 デルフィはゆっくりと、震えながら息を吐き出していった。

 「橙」の二十一層。まさに、なにかが起きたところだ。

 罠の仕掛けを操った先とは、ベリオとダンティンが向かったあの細い通路を指しているのか。

 自分の意識はあそこで途切れた。

 カヌートが靴を脱いで足を見せようとしていたところまでは覚えている。


 そのあと、なにが起きた?


 ベリオとダンティンの行方はわからない。

 カヌートはヌエルに名を変えて、ジマシュと共に自分を閉じ込めていた。

 ドーンは調査団員になった。いや、違う。無彩の魔術師と「久しぶり」に会ったのなら、元からそうだった可能性がある。

 そうなると、ますますわからない。何故名前を偽り、自分たちと「橙」の底などを目指していたのか。


 息をゆっくりと吸って、吐き出して。

 疑念は吹き飛ばして、今は、事実だけ。間違いなく本当だと信じられることだけ残さなくては。


 目の周りがひどく熱くなってきて、デルフィはしばらく呼吸に集中し続けていった。

 もう眠った方がいい。けれど、もう少しだけ、考えをまとめたい。


 今日、ギアノがメハルを訪ねてきた理由。

 ミッシュ商会にやって来たのは、剣がメハルのもとにあると知っていたから。

 剣の所在を確実に知っている可能性があるのは、道具屋の店主ルーレランと、無彩の魔術師ニーロ、チェニー・ダングの三人だけ。

 ギアノは「なぜ剣が売られることになったのか」の確認もしている。

 

 何故そんなことを確認する必要があるのだろう。

 チェニー・ダングに借金でもあって、支払いのあてとして話した?


 ギアノは東側に出来た新しい店で、菓子や干し肉を作っているようなのに。

 それ以外に、借金取りの仕事でもしているのだろうか?

 

 

「オーリー、朝だよ」


 いつの間にやら寝てしまっていたようで、窓から朝日が差し込んでいた。

 メハルに体を揺らされ、ぼんやりとしたまま起き上がる。

「大丈夫?」

「ええ、大丈夫です、メハル」

「駄目じゃないか、全然。今日は具合が悪いって言っておこうか」


 駄目と言われた理由に気付いて、デルフィは慌ててオーリーの仮面を被った。

 へらへらと笑いながら立ち上がり、可愛い協力者の頭をくしゃくしゃと撫でていく。

 メハルはそれでほっとしたようだが、無理しなくてもいいんじゃないの、と小さく呟いている。

「大丈夫、大丈夫!」

 髪をぼさぼさに乱し、髭のもじゃもじゃを広げて、朝の支度を終えて。

 朝食までは一緒だが、探索がない日はメハルとは職場が分かれていた。

 人当たりの良いメハルは、客から見えるところでも働けるが、オーリーは違う。なるべく見えないところ、奥の作業場での仕事を割り振られている。

 

 足が不自由な者、人相の悪い者、嫌な癖がある者などと共に、仕事に励む。

 薬草、毒草の処理をして、籠の中に積んでいく。ごみの処理もして、裏手に運んだり、掃除を引き受けたりもする。


「よお、オーリー。今日ももじゃもじゃしやがって! はははは!」


 何人かが通りかかって、デルフィは愛想笑いをして応えた。

 通りかかった中に、ギアノによく似た顔が混じっている。いや、本当は似ているかどうか、確信はない。けれど目の前を行き過ぎていったソダックの顔を見ると、ギアノもこんな風だったといつも思わされていた。


 飲食店で生き生きと働いていたギアノが、借金取りの仕事に就くとは考えにくい。

 明るくて、軽やかで、親切だった。長い時間を共に過ごしたわけではないのに、最も強く印象に残っているのは彼の人間としての良さだ。

 ベリオと三人で「緑」へ行った時間が懐かしい。ギアノが薬効料理の開発をしていたから、自分も薬草業者で働こうと考えたのではないかと思える。

 

 ギアノは自分たちが戻らなかったことを、どう考えただろう。

 深い層へ挑戦すると行って戻らなかったのだから、「死んだ」と判断するのが普通だろうが。


 メハルに辿り着いた理由はわからないが、昨日、剣についてはベリオの物だと気づいたのではないかと思える。

 いや、逆に、ベリオの剣を探していて辿りついたのだとしたら?

 あれがベリオの持ち物だと、無彩の魔術師は知っている。

 ギアノがベリオたちの行方を探していて、その最中に魔術師ニーロと出会った――。

 こんな考えは、都合が良すぎるだろうか?


 いや、違う。前提が間違っている。


 「剣を探す手伝い」をしているのだから、探し主はギアノではないのだ。

 手伝いを頼んだ人間は誰で、一体なにを探している?


「オーリー、ぼんやりすんなよ」


 通りかかったルンゲが尻を叩いてきて、デルフィは慌ててへらへらと笑った。

 オーリーの仮面を被ったまま、深く考えるのは難しい。

 頭が混乱してきて、デルフィは肩を落としている。

「よお、どうした、元気がないな。もうすぐ飯の時間だぞ。あと少しだから、頑張れオーリー」

 誰かがまた尻を叩いてきて、デルフィは慌てて背すじを伸ばした。

 確かに、辺りにはほのかに料理の匂いが漂っている。

 

 ベリオと共に訪れた「コルディの青空」と、ギアノが運んでくれた食事を思い出す。

 世にも珍しい迷宮魚を食べなくていいのか?

 そう言って笑いながら、オーダー通りのものを持ってきてくれた。


 干した果実の小さなかけらも、メハルがわけてくれた干し肉も、とても美味しかった。

 豊かな味わい以上のものが溢れて、胸が苦しくなったほどだ。

 旨い保存食を作ってくれとベリオが頼んだことを、ギアノは忘れていなかった。


 だったら、自分たちを探している可能性があると考えても、いいのではないだろうか。




 長い一日を終えるまでに思考を散々巡らせて、デルフィはニーロと会って話せないだろうかと考えていた。

 ベリオともチェニーとも接点があるのだから、ニーロに会って確認できれば、疑問のいくつかは解消されるだろう。


 けれど、デルフィは悩んでいた。

 無彩の魔術師の家はわかっている。訪ねたことがあり、特徴のある家をよく覚えている。

 しかし、なんと伝えればいいのかわからない。いきなり会いに行って、留守にしていたらどうするのか?

 まずは手紙などを届けてもいいが、頼れるのはメハルしかいない。

 薬草屋で働く少年がいきなり運んできた手紙を、受け取ってくれるだろうか。


 自分で直接会いに行って、説明した方がいいように思えるが……。


 ベッドの上で体を折り曲げ、デルフィは大きくため息をついた。

 必要だと考えて別人を演じてきたが、やりすぎてしまった。

 中途半端な変装では見抜かれる恐れがあったとはいえ、阿呆のオーリーの印象は強すぎる。


 ここまでしなければならなかったのは、体型に特徴がありすぎたからだ。

 背が高いだけなら、痩せているだけなら、もっとごまかしようがあったのだろうが。

 自分と似たようなシルエットの者を、見た覚えがない。誰よりもひょろ長くて隠しようがない。

 正反対の性格を演じなければ、とっくに見つけ出されていただろう。


 気が付いたら、ジマシュのもとに連れ戻されていた。

 ジマシュはカヌートと一緒になって、デルフィの記憶がおかしいのだと繰り返していた。

 あそこにカヌートがいたのは、自分を連れ戻すための計画があったから。

 ダンティンがどう関わっていたのかはわからないが、彼が現れ、ちょうど良い仲間を探して引き連れてきた時から始まっていたのだろう。


 貸家から逃げ出し、メハルと出会ってから。

 何故そこまでしたのか、震えながら考えた日があった。

 自分を連れ戻したいなら、会いに来て説得すれば良かったのに。

 ジマシュはそうしなかった。「橙」の最下層を目指すダンティンの夢に付き合う五人組の中にカヌートを紛れ込ませて、迷宮の中で意識を失わせ、彼の元へ運ばせた。


 得体の知れない暗いものが自分を許さず、追いかけているのだと知って、オーリーになった。

 必要があって自分とかけ離れた人格を演じているが、オーリーもまた目立つ。

 明るくてばかばかしくて騒がしいひょろ長。

 ほんのかけらでもデルフィが見えてしまったら、誰もが驚き、疑念の目を向けるだろう。


 オーリーとして外に出るのは、必要な買い物がある時だけだ。

 店から配達を頼まれることはないから、売家街の近くを歩く理由がない。

 

 雲の神官長を経由して、頼めるだろうか?

 無彩の魔術師ニーロにすんなりと繋がる、信頼できる人間が誰かいないだろうか?


 樹木の神官長とは共に探索に行く仲だという噂を思い出し、デルフィは唸る。

 ルンゲも世話になっているというし、メハルが訪ねてもおかしくはないか。

 けれど、樹木の神官長は他の大手薬草店の一族でもある。会いに行ったところを見られれば、メハルが余計な詮索をされてしまうかもしれない。


 メハルには安定した暮らしをさせてやりたい。

 帰る場所のないメハルにとって、今の環境は決して悪くないものだから。

 あの賢い子は店に忠実に働き、機転を利かせ、仕事ができると評価されている。

 薬草業者でい続ける必要はないが、将来のために蓄えもできるだろうし、必要な経験を積んでいくためにも、今は危ない橋を渡らせたくはない。

 

 

 無彩の魔術師ニーロ様


 突然、このような便りを送る失礼を許して下さい。

 私は鍛冶の神官、デルフィ・カージンという者です――?



 自分で行くのが無理なら、メハルに頼むしかない。確実に届けるのなら、本人に直接渡してもらった方がいい。

 デルフィはメハルに手紙を託そうと決めたが、なんと書けばいいのかわからなくてまた悩んでいた。


 ニーロはあの剣について知っていて、それどころか元の持ち主で、チェニー・ダングとも知り合いのようだが、今回の件に関わっているかはわからない。

 ベリオが持ち出したであろう剣がなぜか他の知り合いに持ち込まれて、偶然その場に居合わせただけ。

 彼にとっては、ただそれだけの可能性がある。

 そんなニーロになんと伝えるのが適切なのか、考えがまとまらない。


 

 オーリーとして働きながら、小さな隙間を見つけては考えていく。

 ベリオの顔を、ギアノの声を、ダンティンの勢いを思い出しながら、ふさわしい言葉を探し求めた。


 あの日、貸家から逃げ出してから辿った道のり。

 西の空き地から急いで去って、宿もコルディの青空もなくなってしまったと知り、ゲルカのもとを訪れた後。

 小さな雲の神官の兄妹と、彼らが大事に抱えていた赤ん坊と共に歩いた。

 樹木の神殿まで付き添ったから、あの時、ニーロに出会えた。あれはきっと、雲の神の導きだったのだと思う。


 灰色の鋭い瞳は、デルフィの姿をどう捉えただろう。

 雲の神官のケープを身にまとっていたが、髪も髭もぼさぼさで、顔色も悪かったはずだ。

 涙をこらえながら繰り出した問いかけにも、疑問を抱いたことだろう。


 ベリオ・アッジを知っていますか。

 彼はまだ、この街にいますか。


 不審な風体の雲の神官らしき妙な男にこんな問いを投げられたのに。

 けれど、彼はひとつひとつに答えてくれた。そして去り際に一言、残していった。

 

 ――語れるのは生者だけです。


 囁くような小さな声だったのに、記憶の中にはっきりと残っている。


 語れるのは生きている者だけ。

 死者にはもう、なにも伝えられないから。

 彼らの魂は天へ招かれ、体は地に還される。

 彼らの姿は消えて、生き残ったデルフィにはもう見えなくなってしまう。

 

「ベリオ……」


 無彩の魔術師はあの時、なぜああ呟いたのだろう。

 相棒であった戦士の行方を知らないと言っていたけれど。


 本当はわかっていたのではないだろうか?



 それから更に幾夜も悩んで、デルフィはとうとう手紙を書きあげていた。


 ベリオ・アッジと共に探索をしていたが、彼を見失い、はぐれてしまったこと。

 あなたが見つけたものだったというベリオの剣について、話を聞かせてほしいこと。


 自分の名を書くかどうかは、最後まで迷った。

 けれど名乗りもしない人間に会いたいと願われて、承諾してくれるとも思えない。


 無彩の魔術師がどんな人物かも、詳しくはわからない。

 これは賭けだと、デルフィは思う。

 もしかしたら破滅の始まりになるかもしれないが、そうではない方に運命が向かうよう、祈るしかない。

 

「メハル、お願いがあります」


 いつものように仕事を終え、あとは眠るだけになってから。

 ミッシュ商会の男性寮の一室で、デルフィはメハルに手紙を差し出していた。


「街の東側、売家が並んでいる通りに黒い石を積み上げた小さな家があるんです。そこに、無彩の魔術師が住んでいます」


 必ず本人に渡してほしいとデルフィが頼むと、メハルは静かに頷き、必ず渡すと答えてくれた。

 その場で内容を確認してもらって、会ってもらえるかどうか返事を聞いて帰るよう頼む。

 

 次の日、デルフィは仕事だが、メハルは休み。

 今日行ってくると言うルームメイトに手紙を託し、はらはらした気持ちを隠して仕事に励んだ。


 再び相棒の顔を見たのは、夕食の時間になってからだった。

 メハルは離れたところに座っているが、明らかに落ち込んだ様子で、周囲の大人から声をかけられている。


 逸る気持ちを抑えて普段通りに予定をこなし、ようやく二人部屋に戻ると、メハルはベッドの上で膝を抱えて座り込んでいた。


「あ、オーリー」

「どうしたんですか、メハル」

「ごめん、失敗しちゃった」


 無彩の魔術師に会えなかっただけなら、こんな風に落ち込んだりしないだろう。

 なにがあったのか尋ねると、少年は小さなため息をひとつ吐き出して、この日あった出来事を話してくれた。


「黒い石の家はすぐに見つかったんだ。教えてもらった通りのところにあって」

 扉を叩くと、すぐに中から人が出てきた。

 けれどそれは、灰色の髪の魔術師ではなかったという。

「女の人が出てきて、なんの用か聞かれて」

「ええ」

「無彩の魔術師の家はここかって聞いたら、そうだけど今は留守にしているって言われて」


 不在の可能性も高いだろうと思っていた。

 運良く会えたら、手紙を渡す。無理はしなくて良いと伝えていたはずだが……。


「どうしてああなったのかわからないんだ。いないなら出直すって言ったと、思うんだけど」

「なにがあったんですか」

「よくわからない。手紙なら自分が預かるって言われてさ……。俺、断ったはずなのに、なくなっちゃって」


 メハルの瞳から、涙がぽろぽろと落ちていく。

 デルフィは慌てて、小さな少年を抱きしめ、心配しなくていいと囁いていった。


「ごめん、オーリー」

「大丈夫ですから、謝らないで、メハル」

「手紙がなくなっちゃったんだ」

「その女性に渡したのではなく?」

「よくわからない。渡したような気もするけど、でも、断ったんだ、俺」


 本人に手渡すよう言われていたのに。

 メハルはめそめそと泣いていて、デルフィはたまらない気分になっていた。


「すみません、メハル。僕が無茶なお願いをしてしまったから」

「ううん、簡単なおつかいなのに。できなかったんだ」

「大丈夫ですよ、大丈夫」

「ひょっとしたら落としたのかも」

「メハル、泣かないで。なにも君のせいではないんです」


 背中を撫でていると、二人の部屋の扉が叩かれ、声が聞こえた。

「どうした、メハル、オーリー。なにかあったのか?」

 

 サザリの声だと気が付いたようで、メハルは急いで目をこすると、なんでもないと大きな声で答えた。

 返事があったからか、ゆっくりと足音が去っていく。

 

「本当にごめん、オーリー」

「いいんです、メハル。手紙はまた書けばいいんですから」


 声を小さく潜めて、鍛冶の神への祈りを紡いでいく。

 力を貸してくれるメハルへの感謝の言葉に、少年はまた涙をこぼしたようだった。

 

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