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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
31_Rapid Growth 〈世界を塗り替えていく〉

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139 静かな夜と新しい朝

「おはようルンゲさん、ミンゲも」


 次の日の朝、いつも通りの支度や食事の時間を終えて、職場に辿り着く。

 まずは店の裏側へ向かうと、ルンゲとミンゲが揃って並んでいた。


「よお、メハル」

 ミンゲが手を挙げてきたので、メハルも手を振って返す。

「ルンゲさん、十九層に辿り着けるか俺を試してほしいんだ」

「お、その気になったか?」

「うん。みんな俺なら行けるって言ってくれるから」

「いい面構えになったな。昨日なにかあったか?」


 この問いには「ううん」と答えて、メハルはしばらくルンゲたちと話した。

 深い層へ挑む前にも、深い層へ行けるか試すためにも、入念な準備が必要らしい。

 半分よりも下には手強い魔法生物が出てくるから、追い払うための道具を揃え、使い方を覚えなければならない。


「試すだけだから薬草は摘まなくていいんだが、籠は背負っていくんだ。長い時間背負うのに慣れなきゃいけねえからな」

「うん」

「メハル、ありがとうよ」

「なにがありがとう?」

「俺を信じてくれたんだろ」


 ルンゲは店のお偉いさんに報告してくると言って去って行った。

 その後ろ姿を見ながら、メハルは考える。

 先にあなたが信じてくれたんじゃないか、と。


 今日の仕事は延期になったジェールの指導で、加工場へ向かわなければならない。

 移動しようとするメハルを、ミンゲが呼び止めていた。


「メハル、昨日シュナと揉めたんだって?」

 ルンゲたちは加工場へは来ないし、誰から伝わったのだろう。

「そういう話はすぐに広まるよね。嫌だなあ」

「誰にでもどうしても合わない奴っていうのがいるんだよ。職場で一緒にしないように上も気を付けてくれてるのさ。昨日の話を聞いて、兄貴は心配してたぜ」

「心配?」

「お前が一方的に我慢して終わったんだろ。場は収まるかもしれないが、一方だけが嫌な思いして終わるのは良くねえからな」


 ミンゲに頭をよしよしと撫でられて、子供扱いはやめてほしいとメハルは訴える。

 それで笑顔を見せた先輩に、昨日食べた焼き菓子について話しておこうと少年は決めた。


「東側に出来た例のお店に行ったんだ、昨日。それでお菓子を買ってさ」

「おお、噂の。どうだった、メハル」

「甘いパンみたいな焼き菓子はすごく美味しかった。ビックリするくらい。あんなの初めて食べたよ」

「女どもが全部かっさらっちまうヤツか」

「昼になる前に行けば買えるって。一人ひとつまでって決まりはあるけど、どれを食べても絶対に美味しいと思う」

「ほお……。なるほど、昼になる前にだな」


 ミンゲはなんとか時間を捻出できないか考え始めたようだ。

 いつまでも話しているわけにはいかないので、メハルは今日の持ち場へと向かった。

 加工場にはちゃんとジェールが出勤していて、目の下に隈を作っていたものの、元気に挨拶をしてくれた。



 この日は問題なく時が流れていって、いつもの通りに夜を迎え、寮の部屋へと戻る。

 オーリーは昼間の仮面を脱いで、ベッドの上に座り、静かに祈りの時間を過ごしていた。


「メハル」

「なに、オーリー」

 祈りが終わればいつもはすぐにベッドに入るのに、今日は声をかけられている。

「深い層へ挑戦すると聞きました」

「うん、行くよ」

「危険なところですから。少しだけ、メハルを止めたい気持ちがあるんです」

 やめろとか、まだ無理だという言葉を使わない優しさに、少年は思わず笑みをこぼしている。

「ありがとう、オーリー。心配してくれているんだよね」

「そうですね」

「でもさ、俺、行ってみようと思ったんだ。ルンゲさんたちがお前なら行けるって言ってくれたから」

 それに、オーリーも。

 探索者としてもうまくやれると思う。

 そう言ってくれた。

「俺を信じてくれる人がいるんなら、俺もその人を信じようと思って」

「メハル……」

「オーリーも一緒に行くよね。なら、絶対に大丈夫だって思うからさ」


 オーリーの瞳がわずかに揺れたように見えた。

 唇は微笑んだ形になっているが、どこか寂しげだと感じて、メハルは問いかける。


「どうしたの、オーリー。悲しいの?」

「ええ、少し」

「探している人のことを思いだした?」

「そうです。……信じていますが、でも、死んでしまったのではないかと考えてしまって」

「ダンティンと、バルジだよね。本当の名前はベリオ・アッジ」

「そうです」

「どうして死んだなんて思うの?」

「どう考えてもおかしな状況だったからです。……僕は油断していました。ベリオが盾になって守ってくれていることに、安心しすぎていたんだと思います」

 オーリーと仲間がはぐれた状況について、メハルはなにも聞いていない。

 仲間と一緒に探索をしていたのだろうとは思っている。

「メハル、僕たちは偶然に出会いました。あれから互いに協力し合い、信頼を育んできた。僕にとって、メハルはもうとても大切な存在です」

「オーリー……」

「だから、君を失うのが恐ろしいのです」


 扉の向こうから誰かの足音が聞こえて来て、オーリーは慌ててベッドに入ってしまった。

 喉が渇いたか、用を足しにいったのか。

 廊下を歩く誰かに、話し声や内容を聞きつけられるわけにはいかない。

 だからこの夜の話はこれで終わって、メハルは複雑な気持ちで朝を迎えていた。



「よお、よお、おはようみんな!」

「オーリー、今日も元気だな」

「元気だけが取り柄だもんな、オーリーは」


 着替えて、顔を洗い、食事に向かう。

 探し人の安否についてはまだ不明で、考えても仕方がない。

 いつか無事に出会えることを祈るしかないから、ひとまずは置いておくとして。


 オーリーから告げられた言葉を、メハルは噛み締めていた。

 焼きたてのパンを齧りながら、スープをじっと見つめながら。


 孤独な他人同士で助け合って、ここまで歩いてきた。

 助けてもらえるならなんでも構わないと思っていたのに、いつの間にか、関係は希薄なものではなくなっていたようだ。


 オーリーは強い。迷宮の中では本当は、誰よりも頼りになる存在だろう。

 魔術を使い、神への真摯な信仰を持って、メハルに危機が訪れた時には絶対に救ってくれるだろうと思える。


 ひとりぼっちでいるところに手を差し伸べてくれた。小さな子供が一人で迷い、どこへ向かえばいいのかわからずにいたところに現れ、声をかけてくれた。

 それ以来、同僚であり、秘密を守る協力者になった。

 探してほしい人の名を覚え、耳を澄ましながら街を歩いている。

 調査団に所属している女性についても調べた。

 女性の団員は一人だけだったし、調査団の人間はみんな彼女に不満を持っていたから、事情はいくらでも聞き出せた。

 彼女の提げていた剣は二人で出し合った金で買い取り、今はオーリーのベッドの下に隠されている。


 

「メハル、仕事の前にちょっと来てくれるか?」

「あいよー」


 食事を終えたところでディノンに声をかけられて、メハルは立ち上がった。

 皿を急いで片付けて、作業場の裏へ導かれるまま進んでいく。

 するとそこには、ゾナとシュナが待ち受けていた。

「一昨日のこと、ちゃんとすっきりさせた方がいい」

 メハルは素直に頷き、シュナに近付いていく。

 おしゃべり少女は目を腫らしており、今も肩を震わせていた。

「メハル……」

 声も震えていて、しゃべらせるのが可哀想なほどだ。

 けれどゾナに視線を向けられて、メハルはただ頷き、言葉を待った。


「ごめんなさい」


 しばらく経つと、消え入るような謝罪の言葉が耳に届いた。

 本当に、やっとのことで絞り出したような、かすかな声だった。


「あの時も言ったけど、いいよ。シュナもよっぽど食べたかったんだろ」

「ごめんなさい……」

「わかったよ」


 謝罪の時間はこれで終わった。

 萎れたおしゃべり少女はゾナに抱かれて去って行き、ディノンは肩をすくめている。


「寛大だね、メハルは」

「そうかな」

 寛大もなにも、そもそも怒ってなどいない。

 不当な扱いを受けたのが不本意なだけだ。オーリーに渡したいものがなくなってしまったのは悲しかったけれど、二度と手に入らない物でもないのだから。また買いに行けば済む話で、怒る必要がない。

 メハルはそう考えていたのに、ディノンはなぜか苦笑いを浮かべている。

「案外そういう態度に出られる方がきついのかもしれないな。怒鳴られた方がマシに思えるかも」

「え、そう?」

「俺としてはね。まあそんなことはいいのさ。シュナは相当怒られたみたいだし、さすがに懲りただろう。これで少しくらい大人しくなってくれればいいんだけど」


 謝罪に付き合ったことに礼を言われて、メハルは職場に戻った。

 ディノンの言葉は妙に気になるもので、心の端にひっかかったまま取れない。

 薬草の処理の作業をジェールの隣でこなしながら、しばらく考え続けていた。


 怒られるのは嫌だ。

 自分がされて嫌なことを、他人に対してしたくない。

 心が委縮して淀んでいくのは、とても苦しいことだから。


 昨日はシュナの姿を見かけなかった。

 二人の揉め事についてはみんな知っていて、会わずに済むようにしてくれただけかもしれないが。

 けれどあんなに泣いて震えていたのだから、一日中怒られていたのかもしれない。

 もしかしたら、狭いところに閉じ込められたり、食事を抜きにされていたのかもしれない。

 心がぎゅっと縮んで、痛む。怒る大人にやり込められるのは辛いから。

 だから、できるだけ大事にならないようにと思っていたのに。


「メハル、出来たよ」

「ああ、本当? 早いね」

 ジェールは微笑んでおり、あきらかにほっとした顔だ。

「慣れてきたかな」

「うん」

「じゃあ、他の草の処理もやってみようか」


 二番目に扱いが簡単な草を籠いっぱいに載せて、二人で運ぶ。

 葉っぱを取って、茎は同じ方向に揃えて並べる。

 難しい作業ではなく、ジェールは張り切って仕事を始めている。


 一緒になって作業を進めながら、また思案の中に沈んでいく。

 もしかしたら、考え方が間違っているのかもしれない。

 早く終わらせたくて折れたが、その結果、一方だけが我慢して終わらせる形になってしまった。

 ミンゲの言葉を思い出し、逆だったらどうか考えていく。


 相手がすべて飲み込んで、自分を責めずに終わらせたら?

 明らかに自分が悪いのに、怒られもせず、もういいからと言われたらどう思う?


「メハル、これでいいのかな」

 ジェールに声をかけられて、籠の中を覗き込む。

 丁寧に茎が並べられていて、しっかりと指示通りの仕事ができているようだ。

「うん、大丈夫」

「良かった」


 新人のほっとした顔を見ながら、自分が仕事をし始めたばかりの頃を思い出していた。


 なにもかもが初めてのことだった。

 薬草を扱うのも、店で働くのも、従業員として扱われるのも、可愛いなと褒められるのも。

 自分だけのベッドを与えられたのも初めて。

 自分の分がちゃんと確保されている食事も初めて。

 本当に食べていいのか、一人で足を伸ばして眠っていいのか、清潔な新しい服を着てもいいのか。

 すべての不安がひとつひとつ解消され、メハルの暮らしは豊かなものに変わっていった。

 

 みんな優しく指導してくれた。うまくいけば褒めてくれたし、失敗した時はこうしたらいいと教えてくれた。

 オーリーから教わったことも山のようにある。

 今、メハルがよく誉められ、ルンゲたちから認められているのは、オーリーの力が大きい。


 あの頃、自分に関わる誰かが目を逸らして、「もういい」と呟いていたらどう思っただろう。

 きっとがっかりしただろうけれど、その先については想像がつかなかった。

 様々な諍いについて記憶を掘り起こしてみたけれど、すっきりと納得のいく答えが見つからない。

 小さな争いは食堂でよく起きる。

 バカにされて怒ったり、失敗を笑われて落ち込んだり。

 大抵は笑い声に流されて終わってしまう。互いに深い憎しみを抱くほどの喧嘩にはならない。

 多少の罵り合い程度、仲間内のコミュニケーションだと考えているのだろう。

 シュナのような反応を見せる者はいない。

 大人の男たちばかりで、そもそもシュナのような態度の者がいないから仕方がないのかもしれないが。



「よし、じゃあ今日は準備の準備だ。深い層へ潜るための道具を用意するために、草を採るぞ」

「あいよー」


 午前の仕事を終えて、昼飯を済ませたら「緑」の迷宮へ。

 採集用の装備を身につけて、ルンゲとミンゲ、オーリーと四人で八層まで行って戻る。

 兎や犬、鼠などを追い払ったり、引きつける為の薬を作ってたくさん持っていかねばならないから、こんな風に「準備の準備」が必要だった。


「メハル、オーリー。体調はどうだ?」

「俺は、絶好調だぞおー!」

「俺も元気だよ」

「ちょっとでも問題がある時はすぐに言うんだぞ」

「あいよー」


 探索初心者たちの行列は途切れた後のようで、「緑」の入り口にはもう一組業者がいるだけだ。

 同業者に出会った時は互いに声を掛け合うのが決まりになっている。

 その役はいつもルンゲが引き受けていて、この日も近くで支度をしている五人組に声をかけていた。


「兄貴、初めて見る奴らだな」

「新しい店ができたんだろ」


 真新しい籠を地面に並べて、最後の打ち合わせをしているようだ。

 先に準備が済んだのはメハルたちで、新顔に一声かけ、はしごを降りていく。


「今日は群生地帯にゃいかねえから、『アレ』に遭うことはねえだろう」

「そいつは安心だ」

「だが、バラバラに生えている草を見つけなきゃならねえ。ミンゲ、頼んだぞ」

「任せておけ、兄貴」

「見つからなかったら夜明かしだ。メハル、オーリー、いいな」


 迷宮内の薬草毒草は、まとめて生えているものもあるし、そうでないものもある。

 床を這いまわる蔦の隙間から伸びていたり、行き止まりにバラバラと生えていたり、草ごとに傾向はあるが「採集できるかどうかわからない」ものもたくさんある。

 魔法生物と同じで、見つかる場所は固定されていない。必要な分を揃えられなければ一晩迷宮の中で眠ることになる。

 運が良い日はすいすいと集まり、場合によっては眠らずに探すことになるかもしれない。

 採集をどう進めるのかはそこまでの成果とメンバーの様子を見て、リーダーが決める。

 

 ルンゲの背中を見ながら、メハルは初めて会った日のことを思いだしていた。

 仕事を始めて、手際が良い、覚えが良いと褒められて、採集に行ってみないかと聞かれた。

 戸惑うメハルとオーリーが案内された小部屋に、ルンゲは入って来るなり声をかけてきた。


 お前がメハルか?

 鋭い瞳が自分に向けられて、なにを言われるのか不安だったけれど。


 すぐに二人は「緑」に連れていかれ、採集に向いた人材かどうか試された。

 いつの間にかチームに入れられて、手ほどきを受け、浅い層から仕事を始めて、徐々に深い層へも向かうようになった。


「おう、おう、俺たちはー。ミ、ミ、ミッシュ商会のおー」

「オーリー、やめろ」

「駄目かあ? ルンゲさんの歌だぞお」

「余計に駄目だ。二度と歌うなよ」

「いい歌ができたのに」


 ミンゲはケラケラと笑い、ルンゲに蹴りを入れられている。

 痛いよ兄貴と文句を言ったあと、ミンゲは必ず笑顔を浮かべる。

 実の兄弟の二人にとっては、「いつも通り」のじゃれ合いなのだろう。


 年の近いきょうだいがいれば、人生は少し違うものになっていただろうか。

 そんなことを考えながら、メハルは緑色の迷宮の道を歩いていく。


 目当ての草は三種類。一つ目は三層目でごっそり採れた。二つ目は五層目で探し回り、必要な分を集めるのに時間がかかってしまった。

 最後のひとつが生えているのは、七層目よりも下だと考えられている。

 一番よく見かけるのが八層目か九層目で、効率よく集めたいのなら八層目に向かうのが良い。


「時間がかかっちまったから、夜明かしをするか」

「あいよー」

「泉の近くの行き止まりにしておこう。六層目なら夜明かしも少しは楽になる。でも、訓練だからな。順番に見張りも頼むぞ」

「あいよー」


 回復の泉近くの行き止まりに、今日は他の利用者はいないようだった。

 手早く荷物をまとめ、敵を寄せ付けないような仕掛けを設置していく。

 設置はミンゲとオーリーが担当し、メハルはルンゲと共に食事の支度を進めていった。


「メハル、どうした」

 小さな鍋で湯を沸かす支度をしながら、ルンゲが呟く。

「昨日と違ってシケた顔だな」

「うん。……そうかも」

「怪我はしてないよな?」

「してないよ」

「シュナと揉めたのを気にしてんのか」

「どうしてわかるの?」

「他にねえだろ」


 ルンゲはいつでも率直で、会話はすいすいと進んでいく。

 言葉はストレートで濁されることがないし、隠し事にもきっと、すぐに気が付く。


「揉めごと自体は解決してるんだ。ゾナさんに怒られて、シュナも反省したみたいだし、俺も別に怒ってない」

「ならなんでそんな顔になる?」

「わからないんだ」


 鍋の中に具材を放り込みながら、メハルは複雑な胸のうちを素直に打ち明けていった。

 怒っていないし、気にもしていないのに、なぜかすっきりと解決していない気配がしていて戸惑っているのだと。


「女はわけわかんねえことで拗ねるからな」

「そうなの?」

「ああ。お前がわかんねえのはシュナが女だからだ。あと、シュナはお前を怒らせたり、意地悪しようとしたわけじゃねえってのが難しいところだな」

「わかってるよ。どうしても食べたかったんだろうね」

「うーん。まあ、それもあったのかもしれねえけどな。噂の店の商品なんだろ?」

「うん。びっくりするほど美味しいお菓子なんだ」

「メハルも食ったのか」


 これにも正直に「うん」と答えたメハルに、ルンゲの鋭い瞳が向けられる。

 仕事中に見せるものとは違うし、会話の流れからして、怒っているわけでもないだろう。

 視線にどきりとした後に、理由がわかった気がしてメハルはポーチを探った。

 そういえばまだ、残っていた。小さなかけらがふたつ、入れっぱなしになっていたはずだ。


「これ、店の人がわけてくれたんだ。試食用に切ったかけら」

 残っていた試食品を取り出し、リーダーに差し出していく。

「ちゃんとしたものを買えたから、ルンゲさんたちにもあげようと思ってたんだけど」

「シュナが食っちまったんだな」

「うん。こんなかけらじゃなくて、買ったものをあげたかったな」

「大きさなんか関係ないさ。ありがとよ、メハル」

 貧相な小さなかけらを受け取り、口に含んで、ルンゲは小さく唸り声をあげている。

「なんてこった。シュナのやつ、随分ふざけた真似をしてくれたな」

「あはは。おいしい?」

「うめえ」

 試食用のかけらはあっという間になくなったようで、ルンゲは名残惜しそうに口を動かしている。

 そこに作業を終えたミンゲとオーリーが戻って来て、寛ぐ二人を軽く咎めた。

「なんだよ兄貴、もう食ってんのか?」

「食ってねえ」

「なにか食べてたじゃないか」


 試食のかけらはあとひとつ。

 ミンゲにもオーリーにもわけてあげたいが、割ったらかなり小さくなってしまうだろう。

 

「なにかいいもの持ってんのか、メハル」

 さすがルンゲの兄弟というべきか、ミンゲもまた勘の鋭い男だった。

 そんな風に言われてしまっては仕方がない。かけらを取り出し、正直に事情を話していく。

「兄貴、こういう時は俺たちもちゃんと呼んでくれよ」

「俺とメハルの秘密にする予定だったんだよ」

「実の弟の俺よりメハルの方が可愛いのか?」

「可愛さでいったらメハルの方が上に決まってんだろ」


 オーリーの陽気な笑い声が響く中、メハルはかけらをナイフで半分に割った。

 本当にささやかなサイズになってしまったが、ミンゲもオーリーも受け取り、口に放り込んでいく。


「うめえ! ああ、小さい。なくなる!」

「うるせえぞ、ミンゲ」

 騒いで蹴られて、休憩の時間が騒がしくなっていく。

 けれどさっきまで陽気な笑い声をあげていたはずのオーリーは、急に呆然とした表情を浮かべて黙り込んでいた。


「どうしたの、オーリー」

「ん、いや、……間違えて、飲み込んじゃったんだよ」

「おいおい、オーリー! なんてもったいねえことをするんだ」

「うう、ごめんよメハル」


 また買いに行ってみるから、心配しなくていいから。

 しょんぼりと落ちこんだオーリーの背中を撫でていると、ルンゲがぼそりと呟いた。


「俺の分も頼んでいいか」

「うん。あ、いや、一人ひとつだけって言われるかも」


 あのルールは焼き菓子だけなのか、果実にも適用されるのか。

 なんにせよまたティーオの良品に行って、聞いてみればいいだろう。


「ねえオーリー、保存食もあるんだよ。味のついた干し肉。同じ店のやつを買って来たんだ」

 わけてあげるよと言ってポーチから取り出し、結局ルンゲとミンゲにも振舞っていく。

「これもいいな。俺はこの味が一番好きかもしれねえ」

「全部で何種類あるんだ、メハル」

「さすがに全部はわからないよ」

「これからはそこの店で買おう、ミンゲ」

「そうだな、兄貴」


 ひょっとしたらこれで常連客が二人増えたかもしれない。

 だが、オーリーの様子はまだおかしい。

 保存食もちびちびとかじっていて、細長い体を丸め、しょぼくれ続けている。


「オーリー、落ち込みすぎだぞ」

「大丈夫だよお」

「夜明かしできるか?」

「できるぞお」

「お前がそんなだと調子が出ねえよ。元気だせ」


 ひょろ長の男は徐々に調子を取り戻し、夜明かしの時間は無事に終わった。

 起きたら八層へ向かって、目的の草の採集を進めていく。

 敵との戦いを避けたり、やってきた初心者のグループに譲ったりしながら仕事を進めて、四人は日暮れ前に無事に店に戻っていた。


「お疲れさん、今日はゆっくり休んでくれ。明日は調合をやるからな」

 敵避けの薬のレシピは、店の許可が下りた従業員にしか教えられないものだ。

 管理は厳重にしなければならないので、作業開始時間に遅れないよう伝えられる。

「そうだ、メハル、昨日いいそびれたんだが」

「なに?」

「世の中なんでもかんでもすぐに解決することばかりじゃねえから、あまり考えすぎるなよ」


 試食用の果実のかけらを出したせいで、会話は途中で終わってしまっていた。

 シュナとのいざこざで抱えていた胸のもやもやについて、ルンゲは気にかけてくれているようだ。


 誰との間にも禍根は残したくない。だから、少しの我慢で終われるならそれでいいと思っていた。

 けれど、ルンゲの言う通り。時間をかけなければ解決できないこともある。

 オーリーの抱えた重荷について思い当たり、メハルは納得がいって頷いていく。


「ありがとう、ルンゲさん」

「夜明かししたんだ。ゆっくり休め」


 ひょろ長と一緒に寮へ戻り、まずは体を洗っていく。

 食堂で夕食をとって、一息ついたら部屋へ戻り、早めに寝ようとベッドに入る。

「迷宮で寝ると体が痛くなるね」

 固い床の上で眠るのは慣れていたはずなのに。

 そんなことを考えるメハルへ、囁くような声が届いた。


「メハル」

「どうしたの、オーリー」


 いつになく深刻な響きに、メハルも声を潜めて問いかけていく。

 少し離れたベッドの上には、潤んだ瞳がふたつ輝いていた。


「あの果実のお菓子を作ったのは誰か、知っていますか?」

「作った人? わからないな。ティーオの良品って店で買ったもので、店主の知り合いが作ってるみたいだけど」

「作っている人の名前を確認してほしいんです」

「知り合いかもしれないの?」


 髭のもじゃもじゃに覆われた顔が、こくんと頷く。


「ギアノだと思います」

「ギアノって、ギアノ・グリアド?」

「覚えていてくれたんですね」

「うん。どこかで名前を聞くかもしれないから」

 だからあの時様子がおかしかったのか。

 理由がわかって、メハルは少しほっとしていた。

「飲み込んだわけじゃなかったんだね」

「ええ。一度だけ、あの乾燥果実をもらったことがあったんです。それで、驚いてしまって」

 メハルに見せたくないのか、オーリーは大きな手で顔を覆って隠してしまった。

 涙がこぼれてしまったのかもしれない。

 自分には見せたっていいのに。そう思いつつ、メハルはオーリーへ問いかける。

「なんとか探ってみるよ。で、ギアノだったらどうする?」

「まずは名前を確認するだけにしてください。別人かもしれませんし。それに……」

「それに?」


 会うのならば、絶対に危険のない場所を用意しなければいけません。

 オーリーはこう囁き、頼み事ばかりをしてすまないとメハルに謝ってきた。


「俺はオーリーの助けになりたいんだ。だから、謝らなくていいよ」

「ありがとう、メハル」


 君と出会えて良かった。

 オーリーはゆっくりと指を動かし、祈りを捧げている。


「父なる鍛冶の神の力強い手が、いつまでもメハルをお護り下さいますように」


 神の存在など信じていないのに、オーリーの祈りには力を感じるのは何故なのだろう。


 また廊下を歩く音が聞こえてきて、二人はベッドの上に静かに横たわり、目を閉じていく。

 明日は調合で一日使う。明後日の仕事は、調合の成果次第で変わるだろう。

 おつかいでも頼まれれば、ついでにあの店に行けるかもしれない。

 

 ギアノ・グリアドが見つかれば、会うことができれば、オーリーの心は少しくらい軽くなるだろうか。

 できれば早く確認したい。ティーオに聞いて、すぐに教えてもらえるだろうか?

 それとも、何故そんなことを知りたいのかと怪しまれてしまうだろうか。


 なかなか眠れなくて、メハルはベッドの上でころんとひっくり返っている。

 夜明かしをして疲れたはずなのに。落ち着かなくて、頭が冴えてしまって落ち着かない。

 何度かころんころんと転がっているうちに、ふとルンゲとの会話が思い出されて、メハルはぴたりと動きを止めた。


 なにもかもがすぐに片付くはずがない。

 鋭い眼差しを思い出し、そうだったと心を鎮めていく。

 オーリーはじっと、待ち続けている。

 見失った大切な人たちと再び会うために、息をひそめ、焦らずに。


 今更メハルを急かすはずがない。

 ここで自分が慌てて、失敗してしまっては意味がなくなってしまう。


 機会があればティーオの良品に行って、商品を作っているのが誰か確認しよう。

 カッカーの屋敷に行けば、もしかしたらアデルミラがいるかもしれない。

 この数日で見知った人たちの名前と顔を思い起こし、心に刻みつけていく。

 

 もしもオーリーを護る神がいるのなら、ギアノ・グリアドに道を繋げて下さい。


 誰にともなく、祈りのような言葉を呟いて、メハルはようやく長い一日を終えた。


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