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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
31_Rapid Growth 〈世界を塗り替えていく〉

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137 涙が落ちる時

「ねえねえ、メハル。あんたお金をたっぷり貯め込んでるって本当なの?」


 薬草の処理作業を任されて、午前は店の奥で労働に励む。

 そんなメハルの隣にはおしゃべり少女のシュナが座っていて、唐突に下世話な質問を投げかけて来た。

「迷宮で草を摘むのは大変で、その分たくさんお給料をもらってるって聞いたんだけど」

「お金の話を大声でするのは品がないって、ゾナさんが言っていたよ」

「なによ、ゾナさんの名前を持ち出すなんて。意地悪ね、メハル」

 シュナは唇を尖らせて怒りをアピールしたものの、すぐに引っ込めて葉をちぎりながら、またメハルを見据えた。

「で、いくら持ってるの? ルンゲさんもすごいって聞いたけど」

「たいして持っていないよ」

「嘘」

「嘘じゃない。この間使っちゃったんだ」

「ええ? なににいくら使ったの?」

「シュナには関係ないことだよ」

「なによその言い方は。あーあ、メハルが気前がいい男だったら良かったのに。あたしにきれいな洋服と靴を買ってくれたら、お礼にキスしてあげたのに!」


 周囲に座っていた大人たちがくすくすと笑いだし、シュナは真っ赤になって怒り散らした。

 リーダーがメハルを逃がしてくれて、店の裏口で籠の整理を任される。


「おや、メハルは中で仕事の予定じゃなかったかい?」

 備品の管理を任されているディノンに声をかけられて、メハルは肩をすくめてみせた。

「ちょっとね」

「お前のような働き者なら大歓迎だよ。で、誰かと喧嘩でもしたのかな」

「喧嘩じゃないよ。シュナが勝手に怒っただけで」

「シュナがなにを怒ったんだい」

「うーん。あれは、奢ってほしいってことなのかな」

「はは。シュナは田舎から来たって言ってたからね。欲しい物がたくさん見つかったんだろう」


 きれいに着飾らないと、いい男も落とせないから。

 ディノンはそう呟き、女の子は大変だと笑っている。


「メハルもそのうち狙われるようになるかもな」

「狙われる?」

「この街で働く女の子たちは、結婚相手を探しに来ているんだよ」

「結婚するために来ているの?」

「全員が全員、そうってわけじゃないけどね。田舎じゃ出会いも限られているし、仕事だって多くはないだろう? だからなるべくいい男を見つけようって考えているのさ。仕事が出来て、金を稼げる男をね」

「ふうん。じゃあ、ルンゲさんやミンゲも狙われてるの?」

「そりゃあ、……いや、ルンゲは少し荒っぽいところがあるからなあ。女の子は嫌がるかもしれない」

「オーリーも?」

「えっ、オーリー? うーん、どうかな。あいつ、金を稼げてるのかい?」

「オーリーは働き者だよ」

「優しいんだな、メハル。お前は心が大きい子だ。あと二、三年もしたら、お前目当ての娘がわんさかやってくるだろうよ」


 同じ部屋で暮らす同僚の擬態は、これ以上なくうまくいっているらしい。

 オーリーは面白い奴だが、やかましいばかりの、間抜け、阿呆。狙い通りの印象を周囲の人間に植え付けている。

 今も別の職場でぺらぺらと話し、みんなを笑わせているに違いない。


 昼の店番以外で食事をとって、午後の仕事にとりかかる。

 今日は採集の予定はなく、新入りのジェールの指導を任されていたのだが。


「メハル、お使いを頼んでいいかな」

「ジェールに仕事を教える予定なんだけど」

「そのジェールがなあ。なんだか故郷が恋しくなったみたいで」


 出稼ぎにやって来た少年少女のほとんどが、三日目から七日目の間にふるさとを思い出して落ち込むようになっている。

 大抵は涙を堪えて仕事をこなすが、ジェールには無理だったようで、今日はそっとしておくと決まったらしい。


「サザリが足を挫いたから、代わりに誰か行けないか探していたんだ」

「そうなんだね。いいよ、今日はどこに行ったらいいの?」

「助かるよ、メハル」


 メハルが今働いているのは薬草の収集と精製をする作業所で、小売店は街のあちこちにある。

 売れ筋の品はまとめて運んでおり、個別に配達を頼まれるのは注文を受けて作った薬だ。

 迷宮都市ではあまり使われない、購入者が少ない物は小売店には並べず、直接届ける。

 ミッシュ商会はそういうやり方をしており、配達がひとつもない日は珍しい。


「魔術師街に行ったことはあるか」

「魔術師街って、迷宮の内側のところ? あそこは迷うって聞いたけど」

「最近すっきり通れるようになったんだとさ。リシュラ商店の長男、キーレイさんを知ってるかい」

「聞いたことがあるよ。樹木の神官なんだよね」

「ああ、そうだ。薬草屋のせがれで、神官長で、名うての探索者でもある。街で一番の有名人が魔術師たちを懲らしめて、通れるようにしてくれたんだ」


 そんな説明だけでは不安が残ったが、行ってみれば魔術師たちの住処が並ぶ街のど真ん中は、通りもまっすぐ、家もごく普通で目的の屋敷はすぐに分かった。

 一軒だけやけに悪趣味な豪邸があったが、魔術師は案外普通の家に住んでいるものらしい。

 メハルは感心しながら依頼主のもとを訪ね、無事に配達を済ませている。


「あれ?」


 魔術師たちの住宅街が案外普通だったゆえに、メハルは帰り道を間違えたようだ。

 南に向かっていたつもりだったのに、歩いた先に見えてきたのは誰もいない迷宮入口の穴。

 立て札を確認し、のぞき込んで「黒」の入り口だとわかる。

 薬草業者たちが集まる地区とは真逆の方向で、少年はまだ魔術師たちが迷うよう仕組んでいるのではないかと考えた。


 遠回りになるが、真ん中を避けていこう。

 これ以上の時間の無駄使いはできないと判断して、大通りに向かって歩く。

 北東の大門が遠くに見えて、自分と似たようなサイズの青少年が溢れる景色を眺めながら進んでいった。

 迷宮都市へやってくる若者のうち、半分以上が探索者を目指すと聞く。

 彼らは北側に並ぶ安宿、安食堂に集まって、ちょうどいい仲間を探しては穴に潜っている。


 残りの半分は仕事を探しに来ているので、主に南側に暮らすことになる。

 メハルはこの街に辿り着いた時、どちらでもなかった。

 なんとかして生きていかねばという思いしか持っていなくて、どうしたらいいのかわからず、途方に暮れていた。


 あの時手を差し伸べてくれたのが違う人だったら、今頃この辺りで仲間と一緒に歩いていたのかもしれない。

 剣を振る練習をしていたか、罠について学んでいたか。

 魔術を使うのは無理だろうと思う。神殿に仕えるのも向いていない。

 自分を救う神など、いないと考えていたから。


 いたとしても、困っている子供を救ってくれないような存在なのだから、信じる気にはなれない。

 けれどオーリーは、あんなに辛そうな顔をしているのに鍛冶の神に祈りを捧げている。時々、雲の神にも。


 大通りを南向きに曲がって、まっすぐに進んでいく。

 探索者の格好をした若者が減って来て、街並みも変化していく。

 安いのが売りの小さな店が見えなくなり、大きな家が並ぶ通りが見えていた。

 腕の良い探索者たちが暮らす貸家街なのだろう。

 

 ならば、「藍」の迷宮の入り口も近い。

 美味しい保存食の店に寄って、前回なかったものを購入してもいいのかもしれない。

 小さな果実のかけらは美味しかったので、ルンゲたちの分も手に入れたいとメハルは思った。

 自分は参加するかわからないが、リーダーたちは近いうちに深い層へ挑む予定のようだから。

 甘酸っぱいお菓子は探索の疲労を癒し、憂鬱な気分を晴らしてくれるだろう。


 あたりを見回し、前回辿った道のりを探していく。

 近くに店がないか探し、女性の店員がいるかどうか確認していく。


 雑貨屋の少女に教えられた道を進んでいくと、見覚えのある裏路地の入口に差しかかった。

 奥に進めば「ティーオの良品」があるが、その前に。

 路地から歩いてきた五人組に気が付いて、メハルは思わず立ち止まっていた。


「いや、いい買い物をしたよ。革なんてみんな同じだろうに、マリートさんのはすごく軽く感じる」

「同じじゃねえよ。剥ぎ取りの腕によるぜ。なあ、フェリクスさんよ」

「そうだな。マリートさんに剥ぎ取りを教えてもらった時、状態の善し悪しをとても厳しく選別されたよ」

「そういや行っていたね、フェリクス。あの時、俺たちも教われたら良かったのに」

「断られたのかい、カミル」

「思い切って頼みに行ってみたんだけど、ニーロさんが探索に誘いに来ちゃったんだよね。だけどあの時、ウィルフレドがアダルツォの居場所を教えてくれたんだよ。それで迷宮に入るのは諦めて、みんなで会いに行ったのさ」

「え、あの日の話? そうだったのか、……なんだか懐かしいな。あの時は驚いたけど、みんながいてくれて本当に良かったよ」


 和やかな空気で話しながら、五人組が去って行く。

 「緑」で見かけた「ちゃんと揃っている」連中に違いない。

 大柄な男と、魔術師、小柄な神官。残りの二人にも見覚えがある。


 買い物を諦めて、メハルは路地裏を少しだけ進むと、立ち止まって五人組の動きを見つめた。

 なにかを思い出したようなふりをしながら来た道を戻り、大通りの中に五人の姿を探す。


 あとを追っていくと、大きな屋敷と、樹木の神像が建っているのが見えた。

 樹木の神殿の隣に建つ屋敷に五人が入っていき、メハルも少しずつ近づいていく。

 屋敷の中は見えそうになく、扉が開くことを期待しながら、ゆっくりと。

 樹木の神殿の隣にある大きな屋敷について、誰かから聞いた覚えがあった。

 有名な探索者の家だったような。

 その有名探索者の家に、彼らは何の用があって入って行ったのか。

 残念ながらわからない。


 今日はここで諦めようと決めて、メハルはどちらへ向かえば店に帰り着くか考える。


「樹木の神殿になにか御用ですか」


 考えながら歩いていたせいか、中途半端な位置で立ち止まっていたようだ。

 樹木の神殿入り口のそばにいたメハルを、神官が呼び止めている。


「あ、えと。すみません、帰り道はどっちかなって考えていただけで」

「ああ、それは失礼。その格好、君は薬草業者ではないのかな」

 背の高い神官は穏やかな顔に微笑みを浮かべている。

 メハルは素直にそうだと頷き、ミッシュ商会で働いていることを告げて名乗った。

「ミッシュ商会の。ルンゲとミンゲは元気に……、しているだろうね」

「ルンゲさんたちを知っているんですか」

「ああ。少し前にも『緑』の中で偶然会って、協力してもらったよ」

「薬草採集を一緒にしています」

「君も迷宮に入っているんだね」


 神官は目を閉じると、メハルの身が護られるように祈ってくれた。

 蔦が這い、草花が生える迷宮を歩く者を守るのは、樹木の神なのかもしれない。

 個人的に神官に祈ってもらったのは初めてで、胸のうちがふわりと暖かくなっていくのがわかった。

 初めての経験に感心しながら、メハルは神官の左腕につけられた腕章に気が付いていた。


「それ、もしかして神官長さんのしるし? リシュラ商店の息子だっていう」

「名乗るのが遅れたね。私の名はキーレイ・リシュラ。確かに薬草屋の息子だが、身分はあくまで神官だよ。家業には関わっていないんだ」

「そうなんですね。お隣の立派なお屋敷は神官長さんの家なんですか?」

「いや、違うよ。カッカー・パンラを知っているかな。樹木の神殿の前神官長だった方だ。探索者としてもとても名高い」

「ああ、そうか。聞いたことがあったんだった」

 少年の反応に神官長は優しく笑うと、帰り道を示してくれた。

「ありがとうございます、神官長さん」

「どういたしまして、メハル。ルンゲたちにもよろしく伝えてほしい」

「わかりました」


 オーリーの気にしていた五人組は、樹木の神殿の隣、カッカー・パンラの屋敷に入っていった。

 ティーオの良品で買い物をしていたようだ。食べ物以外にも奥の棚には革の小物が置いてあったのを覚えている。

 何人かの名前もわかった。魔術師のコルフ、スカウトのカミル、多分剣士であろうフェリクス。

 大男と赤毛の神官の名前は不確定だ。

 でも、神官の名はアダルツォかもしれない。


 心に積む小石を増やしながら、道を進んでいく。

 帰り着くと遅かったなと言われたが、魔術師街は初めてで少し迷ったと話すと、責められることはなかった。


 

「樹木の神殿の隣に?」

 夜になってからこの日の出来事を話すと、オーリーははっとした顔をして考えこんでいた。


 どうかしたのか気になって、メハルはひょろ長の同僚の顔を窺っている。

 オーリーはしばらく遠い目をしていたが、協力者の少年に少しだけ事情を語ってくれた。


「小柄な神官がいたでしょう、あの五人組の中に」

「うん。多分、アダルツォって名前だと思う」

「彼は雲の神に仕えていて、小さな妹と赤ん坊を連れて逃げていたんです。無事にしているか気にかかっていました」

「逃げていた? 神官が?」


 オーリーは目を伏せて、どうにもならないこともあるのだと呟いている。

 確かに、あの雲の神官は優しそうな顔をしていて、悪事をはたらきそうな印象などない。

 幼い妹と赤ん坊なら、もっと悪いことなどしないだろう。


「あと一人、大柄な奴の名前はわからなかったんだけど、後の三人はカミルとコルフと、フェリクスだと思うよ」

「フェリクス」

「知り合い?」

 小さくため息を吐き出して、オーリーはこう続ける。

「はっきりとした知り合いではないんです。でも、以前に少し関わったことがあって」


 彼も無事だったのなら良かった。

 オーリーはそう呟くと、メハルに礼を言った。


「人の顔を覚えるのが得意なんですね、メハルは」

「そうかもね。あんまり考えたことはなかったけど」

「『緑』の深い層へ挑戦してみないか、今日言われました」

 メハルも声をかけられただろう。オーリーの問いに、メハルは素直に頷いて答えた。

「迷宮はすべて三十六層だと考えられています。半分を超えると、一気に難度は増していく」

「行ったことがあるの?」

「ええ。底には辿り着いたことはありませんけれど」

 オーリーの瞳には暗い影が落ち、メハルは同僚の表情から深い悲しみを感じている。

「メハル、無理をする必要はありません。君はまだ若い。今でも充分に素晴らしい働きをしているのだから」

「そうかな」

「ええ、みんな褒めているでしょう」

「……ありがとう」


 会話はこれで終わって二人は床に就いた。

 オーリーは目を閉じてじっとしているが、祈りを捧げているのではないかとメハルは思った。



 

 次の日の朝。起きればそこには陽気な薬草屋のオーリーがいて、メハルに明るい顔で声をかけてきた。

 自分に戻るのは夜だけ、眠る前と決めているらしく、日中は穏やかな顔を見ることはできない。


「よお、よお、今日も仕事だあ」

「メハル、オーリー、朝飯に行くぞ」

「あいよー! メハル、大きくなるためにいっぱい食えよお」


 ひょろひょろのがりがりなオーリーこそ、たくさん食べた方がいいのに。

 メハルは思うが口には出さず、にっこりと笑って「そうだね」と答えている。


 他の従業員たちと一緒に食事をとって、片付けて。

 仕事に出かけて、与えられた業務をこなさなければならない。

 薬草の処理や、道具の手入れ、片付け、おつかい。

 働き始めた時よりも、メハルに与えられる仕事は増えた。

 午前は後輩の指導を少しだけしたが、今日のメインの仕事は迷宮行きだ。

 深くない層での採集なので、準備に時間はかからない。

 時間になったら倉庫へ向かって装備を整え、やってきたルンゲとミンゲに挨拶をしていく。


「よお、メハル。調子はどうだ」

「元気だよ、ルンゲさん」

「そいつは良かった」

「昨日、樹木の神官長さんに会って、ルンゲさんたちによろしくって」

「リシュラの坊ちゃんに会ったのか」

 あの人は穏やかな顔して、強えんだ。

 ルンゲの呟きに、ミンゲがにやにやと笑っている。

「なに笑ってんだ、ミンゲ!」

 兄に蹴られながら、弟が叫ぶ。

「痛えよ兄貴、採集の前はやめてくれよ!」

「そうだよルンゲさん。ミンゲが怪我したら大変だよ」

 けらけらと笑うオーリーをじろりと睨み、ルンゲは舌打ちをしたものの、荒ぶるのをやめた。

「メハル、お前もいつか坊ちゃんと歩ければいいな」

「強いから?」

「ああ、そうだ。あの人は『緑』の達人だからな。地図なし、スカウトなしでも一人で底まで行けちまう」

「さすがに一人では無理じゃない?」

「そうかもな。でも、そう思えるほどの強さを持ってる人だ。一度じっくり指導してもらいたいもんだぜ」


 無駄話はこれで終わりになって、粛々と支度を進めていく。

 今日はもう一人、ファッソも一緒に五人で「緑」へ向かうらしい。


「噂は聞いてるよ、メハル。小さいのに良い働きをするって」

「そんなに小さいかなあ」

「あ、ごめん。若いの間違いだ」

「そこまで若くもないと思うんだけど」


 ファッソは苦笑いをしながらオーリーにも声をかけ、こちらにも噂は聞いていると話した。

 ご機嫌なオーリーのノリに戸惑っているようだが、迷宮入りの準備は着々と進んでいく。


 ファッソはルンゲたちと一緒に「緑」の採集をしていたが、最近「紫」のチームに異動するために抜けたらしい。

「ファッソが一緒に行くのは、深い層に挑む為だ。オーリー、メハル。五人で行くぞ」

「ええ、本当にメハルを連れていくのかあ? 可愛いメハルを危ない目に遭わせるのは、いやだなあ」

「わかるよ、オーリー。俺だって少しくらいはそう思ってんだ」


 だが、メハルほど信頼できる奴はいない。

 ルンゲに笑みを投げかけられて、メハルは驚いている。


「今店で働いてる中じゃお前が一番見込みがある。どうしても嫌だってんなら『紫』のチームか、他の店の誰かに来てもらう。けど、前も言った通り、一緒に長く続けていける奴が必要なんだ。メハル、俺はお前を信用してる。言うことをよく聞いて、ルールをしっかり守ってるだろう。しかも、それだけじゃねえ」

「他にもなにか、いいところがある?」

「ああ、あるぜ。言われた通りにするだけじゃなく、それ以上の仕事ができるところがいいんだ」

「そうかな。そんなの、できてるのかな」

「お前はすごく気の利く奴だよ。そういうのは誰かに教わって身に着くもんじゃねえ。生まれつき備わった力だ。だから自分じゃわからねえのさ」


 

 この日の採集は十層までで終わる、日帰りで済む仕事だった。

 ファッソの働きは慣れた者ならではのもので、ルンゲたちとの連携もしっかりととれている。

 草を摘む動きは素早く、すべて正確に籠に投げ入れられていく。

 ファッソはさほど年齢が高いわけではない。ルンゲより少し年上なくらいなのに、見ていてうっとりするほどのスピードでなにもかもをこなしていた。


 目的の草の採集は終わり、一行は迷宮の道を戻っていく。

 一層ずつ階段をのぼり、他の業者と出会った時には声を掛け合い、倒れた探索者は無視して進む。


 迷宮歩きで注意すべきことは山のようにある。

 それらを少しずつ覚えてきたし、歩く度に細かく追加されてきた。

 忘れないように心に小石を積んで、自分のやるべきことを明確にしながら進む。

 そんな少年の隣にファッソがやって来て、並んで歩きながら言葉を交わしていった。


「ルンゲの言う通りだ。メハル、お前はいい働きをしているよ」

 素直に礼を言って、少年は力強い先輩に問いかける。 

「『緑』に慣れたら、次は『紫』のチームに入るものなの?」

「いいや、そうとは限らない。草が生えてるのは一緒だけど、『緑』と『紫』は結構違うんだ。入ってみればわかるよ、向き不向きがある」

「そんなに違うんだ」

「ああ。長く通っていれば、誰なら行けるかなんとなくわかるようになる。ルンゲはまだ若いが、見る目はあるよ。俺はあいつを信じているから、あいつの推すお前を信じてる」


 ファッソの話を胸のうちに受け止めて、メハルは自分の可能性について考え始めていた。

 薬草店で働き始めたのは偶然でしかなく、やっていけるのか不安な気持ちがあったけれど。

 少なくない人数が、誉めてくれている。

 訳も分からずに働く自分を評価して、大きな輪に入れてくれていた。


 ろくでなしだとか、生意気な小僧だとか。

 タダ飯喰らい、陰気なクソガキ、役立たず。

 故郷で散々浴びせられてきた暴言を、ここに来てからは聞いていない。

 不機嫌な客に大声をあげられたことはあるけれど、心を凍らせるような酷い言葉はぶつけられていない。


 言うことを聞き、他人の顔色を窺い、怒らせないよう、機嫌よく過ごしてもらうようにしてきた。

 それは生きるために必要な「最低限」だと思っていたけれど。


 世界はメハルが考えるよりもずっと柔らかで明るいものなのかもしれない。

 そんな可能性を示されて、少年は戸惑いながら歩みを進めている。


 採集した草を倉庫にしまい、装備品の手入れをして、服は丁寧に洗って干しておく。

 オーリーと二人で寮に戻るともう夜は遅く、この日も暗い裏庭で体を清めていった。


「ねえ、オーリー」

「なんですか、メハル」

 ベッドの上に横たわり、天井を見つめたまま少年はこう呟いた。

「ルンゲさんたちと一緒に深い層へ行くの、俺にできると思う?」


 返事はしばらくなかった。

 ひょっとして眠ってしまったのかと思うほど、オーリーからの返事は遅かった。


「……行けると思います」

「本当?」

「メハルは探索者になってもきっと成功しますよ」

 暗い部屋の中で、オーリーの視線が向けられたことに気付く。

 メハルも顔をオーリーに向けて、薄明りの中に輝く瞳を見つめた。

「迷宮は恐ろしいところです。油断をすれば死が訪れ、大切な人と別れなければならない」

「オーリー」

「けれど、鍛えられるところでもあります。あの恐ろしい渦に挑むうちに、本当の仲間との出会いがあるかもしれません」


 言葉には希望が満ちているのに、なぜかオーリーの瞳からは涙がこぼれ落ちていた。


「どうしたの、オーリー」

 骨ばった手がゆっくりと同僚の顔を覆っていく。

「……悲しいことがあったんだね」

「すみません、メハル」

「謝らなくていいよ。辛い時は泣いていいんでしょう?」

 メハルをこう言って慰めてくれたのはオーリー自身なのに。

「僕は泣いてはならないんです」


 そう答えて、ひょろ長の男は「もう寝ましょう」と言ったきり黙ってしまった。

 迷宮を歩いて疲れ果てた体は、じっくりと休めなればならないから。

 これも薬草業者の大切な決まりだ。

 だからメハルはぎゅっと目を閉じて、体を眠りの中に沈めていった。

 迷宮に入った日は特別に疲れてしまうから、いつもすぐに眠ってしまうのに。

 心が揺れ動いて、メハルはなかなか寝付けないままだった。

 そして多分、オーリーも同じだろうと思える。


「やあ、やあ、おはようメハル!」


 なのに、朝を迎えれば明るく笑い出すオーリーに、メハルは思わず涙をこぼしてしまいそうになっていた。

 顔を洗ってくるとか、目にごみがはいったのかもしれないとごまかして、気持ちを抑えていく。


 故郷を飛び出し迷宮都市に辿り着くまで。いや、オーリーに出会って助けられるまで。

 自分が世界で一番不幸なのだと思っていた。

 人生には嫌なことしか起こらず、光が差し込む日など来ないと思い込んでいた。


「どうしたあ、メハル。毒でも受けたのかあ?」

「ううん、大丈夫だよオーリー」

「本当かい。子供は無理をしたり、我慢したらいけないんだぞ」


 やせ細っていても、オーリーの手は大きい。

 肩に置かれた手は熱く、優しさが浸み込んでくるようだった。


「ありがとう」

「どうしたメハル。もしかして、疲れちゃったのか?」


 我慢していた涙がぽろりと落ちたのに、ひょろ長は目ざとく気付いたようだ。

 そのまま少年の小さな体を抱きしめて、背中を撫で、大丈夫だからと囁いてくれる。


「ん、どうしたんだオーリー。メハルがどうかしたのか?」

「毎日みんなが扱き使うから、疲れちゃったんだよお」

「ええ、ああ、そう、……かもな。確かにみんなメハルばっかり頼ってるもんなあ」


 たまたま通りかかったサザリが声をあげると、なんだなんだと従業員が集まってきてメハルを囲んだ。

 真っ赤になった目を見られてしまって、恥ずかしくてたまらない。

 けれどそんなメハルを全員がねぎらい、今日は休みにしてはどうかと話が進んでいく。


「そうだな、そうだ。メハルが休んでいるところなんか、見たことがないような気がするよ」

「俺、休みの日なのにおつかいを頼んだことがある」

「俺も代わりに洗濯をしてもらったよ」

「食事の当番じゃないのに手伝ってくれるよな」


 ごめんな、メハル。

 大人たちの手が伸びて来て、頭をくしゃくしゃと撫でていく。

 謝罪のラッシュに揉まれて、オーリーの抱擁が終わると、リーダーが前に進んできてメハルの手を取った。


「今日はメハルは休みだ。誰の手伝いもしなくていい。ゆっくり休んでくれ」

「でも」

「いいんだ、メハル。俺たちはみんなお前を頼りにしてるから。今日は休んで、明日からまた頼むよ」


 リーダーの冗談にみんなが笑って、メハルもつられて笑顔を作っていた。


「良かった、笑えるなら大丈夫だ。メハル、いつもおつかれさん。本当にありがとうな」


 少年には一日休みが与えられ、大人たちは労働のために去って行く。

 ひとり取り残されたメハルはなにをしようか少し悩んで、身支度を済ませると寮を後にした。

 

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