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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
31_Rapid Growth 〈世界を塗り替えていく〉

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136 積まれた小石

「ヤバい、緊張してきた」


 「たかだか緑」の入り口で、こう呟く魔術師がいる。

 仲間たちと一緒に順番を待ちながら、顔を抑えてみたり、足踏みをしてみたりと忙しない。


「大丈夫だよ。出来たんだろう、コルフ」

「そうだ。出来たよ。俺はやれた。あのおっかない『黄』から見事に飛び出したんだ」

「だったら平気さ。もっとリラックスしろよ」

「そうは言うけどねえ、カミル」


 背格好の似通った二人を、残りの三人が見守っている。

 長剣を背負った大男と、鋭い目をした剣士と、子供のように小さな神官。

 カミルと呼ばれた男はおそらくスカウトで、不安で落ち着かないコルフは魔術師。

 全員安っぽい服を着ていておそらくは初心者なのだろうが、理想のパーティを作っているようだ。


 そんな五人組を、同僚が見つめている。

 髪を赤く染めたひょろ長のオーリーが、いつもの騒がしいふりを忘れて初心者たちに目を向けている。


「どうかしたの、オーリー。おなかでも痛い?」

「ん? いいやあ、違うよメハル。俺のおなかはいつだって絶好調だ」

「ぼんやりしてるの見られたら、ルンゲさんはきっと怒るよ」

「わあ、そりゃあ大変。だけど、オーリーだって! たまにゃあぼんやりする日もあるさ!」


 順番が回って来たらしく、五人組は「緑」の中に吸い込まれていった。

 業者が準備を始める時間帯だから、探索者としては遅いスタートだと言える。


 初心者たちが早く行かねばならないのは、大抵の連中が「往復」しなければならないからだ。


 先ほどの話から考えるに、あの魔術師は「脱出」を使えるようになったのだろう。

 行きは地道に歩いていかねばならないが、帰りは一気にひとっとび。

 どれだけ楽になるかわからない。重たい荷物を担いで、怪我の痛みをこらえて、飛び出してくる魔物の影におびえながら歩く疲労困憊の帰り道がなくなるのだから。


 メハルはこう考え、急に調子よくしゃべりだしたオーリーの横顔を見つめた。

 今はいらなくなった草を積み上げたごみ箱の臭いの話に夢中になっているが、彼もまた「脱出」の使い手だ。

 なのに正体は魔術師などではないのだという。戦うための魔術も使えるのに。


 じゃあ何者なの?


 メハルの問いに、ひょろ長の男はうつむくだけで答えなかった。

 オーリーと名乗る男について、知っていることなどほとんどない。

 本当の髪の色は赤茶じゃなくて、探している人が何人かいて、いくつか魔術を使えて、怪我の手当が得意で、メハルよりも薬草に詳しい。そして、鍛冶の神への深い信仰がある。そのくらいだった。


 不思議な出会いがあって、協力することになった。

 出会った時に見たオーリーの瞳は、ひどく悲しげだったけれど、とても強い光を放っていた。

 なにも言わずに自分を助けてくれたから、メハルもオーリーを助けると決めた。


 なんとかミッシュ商会に潜り込んで、二人で揃って働き出して。

「メハルもぼんやりしてるじゃないか」

 急に背中を叩かれて、はっと気が付く。

 準備から戻って来たであろうルンゲがもう目の前にいて、注意されるかと思ったのだが。


「珍しいな、メハルが」

「ごめんなさい、ルンゲさん」

「お前が働き者だからって、みんないろいろ押し付けてるんだろ。疲れてるんじゃねえか?」

「ううん、大丈夫だよ。確かに頼まれごとは多いけど、無理な時はちゃんと断ってるから」

「安請け合いはしないって? 偉いなメハルは、まだ小せえのに」


 ルンゲはご機嫌なようで、珍しく笑顔を浮かべている。

 弟のミンゲから小さな袋を受け取って、中身を取り出すとメハルに差し出してきた。

「うまいぞ。食って、力つけていけ」


 同じものをオーリーにも手渡して、ルンゲは荷物を背負っている。

 準備が終わったから、並ぶのだろう。

 メハルも荷物を背負ってルンゲに続き、並びながらもらった干し肉を齧る。


「あ、ほんとうだ。うまい」

 一番年下の部下が驚いた顔をすると、業者のリーダーは満足そうににやりと笑った。

「最近味付き保存食ってのが流行ってんだとよ」

「保存食って、味はついているよね?」

「ついてるが違うんだ。もっとしっかり味を付けた保存食を作る店が増えたってことさ」

 メハルは素直に頷いて、少し辛い味の肉を噛み締めている。

「でもルンゲさん、これって普通のよりは高いんじゃない?」

「まあな。だがよ、長い探索の時に役に立つ。迷宮の中では食えりゃ御の字だが、似たような味ばかりじゃ飽きるだろ」

「そうだね。いろんな味があるなら良い気分転換になりそう」

「味付き肉は西側で流行り始めたんだが、最近やたらと旨い店が東側に出来たらしいんだ」


 ルンゲの鼻に、ぎゅっと皺が寄っていく。


「その店がどうかしたの?」

「若い女が山のように来てるんだ。それでなかなか入れねえ」

「若い女の子が保存食なんか買うかな」

「なんだか知らねえが女が好きないいモンがあるらしい。俺らが覗きにいくといつもぎゅうぎゅうで、殺気だってるんだよ。店じゃあすまして笑ってる女どもが、おっかねえ顔で奪い合いしてんのさ」


 ルンゲはそれで何度か買い物を諦めたらしい。

 ミンゲはニヤニヤ笑って、メハルにこっそりとこう教えてくれた。


「あまーい菓子が売られてるんだとさ。多分、兄貴はそっちを食いたいんだ」

「おいミンゲ、なにか言ったか?」

「メハルの好きな味付けを聞いてただけだよ。な、メハル!」


 新入りがこくこく頷くと、ルンゲは鼻をふんと鳴らして引っ込んでいった。

 これから「緑」の迷宮に入って、薬草の採集を行っていくのだから。

 そろそろ気を引き締めておかねばならないだろう。


「準備はいいか。忘れモンしてねえだろうな」

「大丈夫だあ、俺はいつでも、すぐにでも行けるぞお!」


 オーリーが腕を振り上げて、薬草業者たちの視線を集めている。

 ミッシュ商会の「緑」担当、リーダーのルンゲは腕がいいのに、毎回阿呆を連れている。

 そんな風に囁かれているのはわかっていた。

 ルンゲはつまらない噂話など気にしないし、ミンゲも兄に倣って聞き流している。

 

 メハルもまた、気にしない。

 むしろ馬鹿だの阿呆だのと噂になった方がいいのだから。

 けれどまったく平気な顔をしていては薄情者に見えるかもしれないから。

 少しだけ膨れて、オーリーは良い奴なのに、と呟いておく。


「優しい子だなあ、メハルは」

 オーリーに頭をくしゃくしゃに撫でられて、やめてよ、と答えるところまでがセットだ。

 

 徹底的に自分を殺して、身を隠したい。

 本当の自分はしまい込んで、別人にならなければいけない。

 そうしなければ、すぐに見つけ出されてしまうから。


「そうなったら、僕は今度こそ終わりなのです」


 あの日聞かされた言葉は、メハルの心の中にずっと残り続けている。

 なにが起きたのかは言わないけれど、間違いなく、相当なことがあったのだろうから。

 だからメハルは、オーリーに力を貸すと決めた。


 人のために働き続けていれば、いつか神の目に留まるだろう。

 よく働き、善行を積んでいけば、人生に幸せが導かれるはずだから。

 故郷の村でいつだか、神官の話を聞いたことがあった。父もそんな風に話していたような気がする。

 これまでは気にしないでいた「与太話」が何故か浮かび上がってきて、メハルの心を整えていく。


 「緑」の道を注意深く歩き、採集のために一生懸命手を動かして。

 ルンゲの指示に従い、ミンゲの注意にも耳を澄ませ。

 調子に乗ったオーリーを諫めたり、笑ったり、手伝ったり、協力してもらったり。

 良き相棒、良き同僚、良いチームの一員として、メハルは「緑」の道を歩いていく。


 正体を隠しているから、「脱出」でひとっとびとはいかない。

 オーリーは我慢強く細い足を動かして、一層ずつ迷宮を上がっていく。

 役立たずのガデンを助けた時、こんなにも楽なものなのかと思い知らされていた。

 ちょっと変わり者のオーリーだけど、なんと「脱出」だけは使えるんだとか。

 そういう設定にするわけにはいかないのかな、とメハルは考えている。


 背負った採集籠は重たい。

 メハルはまだ若くて体が小さいから、他の三人に比べて量は少なくしてもらっているけれど。

 蔦を避けて進むのはもう慣れた。よく歩く道ならば、罠の位置も暗記している。


 草の名前、効能、取り扱い方、売値、組み合わせてできるもの。

 商売人たちの使う業界用語、柔らかな言葉のうちに隠されているもの。

 優しさ、厳しさ、誠実さ。意地の悪い言葉や、侮蔑の視線、暖かな人の心、神が気まぐれに与える慈悲も。


 迷宮都市に来てからたくさん学んだ。

「おい、二層に上がるぞ」

「あいよー!」

 ミッシュ商会に入れて良かった。ルンゲは面倒見が良くて、ミンゲもなにかと気にかけてくれる。

 頑張った分、期待してもらえる。期待に応えたら、評価される。住む場所を与えられ、賃金を支払われる。

 すべての人間が優しいわけではない。けれど、誰もが冷たい心しかもっていないわけでもない。


 世界の在り様を、迷宮都市は少しずつメハルに教えてくれているようだ。


「いい仕事したな、メハル」

「ルンゲさんの指示がいいんだよ」

「いっちょ前に謙遜しやがって。お前はまだ、やったあって喜んでていいんだぜ」


 地上に出るなりルンゲに頭をぽんと撫でられ、四人で店に戻っていった。

 もう十五なんだけどな、とメハルはぼんやりと考える。

 下働きの中には十二歳や十三歳も混じっているし、ミンゲとは三歳しか変わらないのに。

 年よりも幼く見えるのかもしれない。体が小さいし、声も少し高いから。

 ろくに食べていないから小さいままなんだとしょっちゅう言われていた。

 心に浮かび上がって来た嫌な思い出を振り払いながら、今のメハルの居場所であるミッシュ商会へ帰る。


 採集担当は昼に迷宮に入って、真夜中に出てくる。

 倉庫に草をしまったら、体を洗って眠りに就く。

 深夜まで働いた次の日は、昼まで眠って良い。

 体をしっかり休めるように言われて、メハルはオーリーと共に寮へと戻った。


 どんなに眠くても、「緑」と「紫」から戻った後は体を洗うこと。

 採集組の決まりなので、裏庭にまわって水を用意していく。

 暗い裏庭にいるのはオーリーだけだ。男子寮には用心棒が置かれていることは少なく、ここにもいない。


「メハル、今日入る前に見た五人組を覚えていますか」

 誰もいないけれど、声は密やかに抑えられていた。

「入る前……。ああ、うん。ちゃんと揃ってる(・・・・)奴らがいたね」

「もしも見かけたら、どこで暮らしているか確認してほしいんです」

「なにかあるの?」

「悪い話ではないから大丈夫」


 話はここで終わった。今の言い方なら、絶対に見つけ出したいわけでもないのだろう。

 特徴があったのは、剣を背負った大男と、小柄な神官か。

 正式な神官衣を身に着けていなかったから、どこの神殿に仕えているかはわからない。

 けれど柔らかそうな赤毛は特徴的だったから、見かければきっと気付くだろう。

 メハルは心に小石を置いて、五人の初心者たちを記憶に留めた。



 次の日は昼に起きだして、店で草の仕分けの仕事に勤しんだ。

 夜になったら戻って、寮で出される食事をもらう。

 ミッシュ商会で働く男たちが大きな食堂に集まって、ああでもないこうでもないと様々な話に興じている。

 メハルはこの賑やかな雰囲気が好きだった。

 オーリーは大抵みんなの真ん中に座らされて、愉快な話をしたり、馬鹿にされたりしながら笑って過ごす。


「なあメハル、お前さん、よくオーリーと同じ部屋で平気だな」

「平気だよ。オーリーは声が少し大きいだけなんだから」

「心が広いねえ。採集にも一緒に行くんだろう? いや、でも、採集はルンゲが一緒だもんな。厳しいんだろ、あいつは」

「迷宮の中では厳しいくらいがいいんじゃないかな。おっかないところだから」

「はあ、メハルは出来た子供だ! 俺もいつか所帯を持ったら、お前さんみたいな息子に恵まれたいもんだね」


 お前の子供じゃそんな期待はできないだろう。

 ナリクはメハルにしょっちゅう絡んでは同じ言葉を繰り返し、他の連中の反応も毎回同じだ。


 ささやかな嫌味は軽口の範疇に収まっていて、喧嘩などは起きない。

 大人たちは少しだけ酒を飲んでいて、ご機嫌に騒いでいるだけだ。

 本心はどうだかわからなくても、争ったりはしない。

 だから寮は安心できる。

 みんな単純で、稼ぎがあればいいだけだから。


 騒いだ後は片づけて、部屋に帰って眠る。

 日々の仕事をちゃんとやっていれば、追い出される心配はない。

 いくら貯めるか目標を持っている者は、金が貯まれば辞めて出ていく。

 故郷が恋しくなったものは、旅費が足りれば同様に出ていってしまう。


 迷宮都市は大勢が流れ着くけれど、永遠にとどまるところではないから。

 だから従業員はよく入れ替わる。男も女もいつの間にか消えて、いつの間にか増えている。



 次の日、新しく入って来た少年が一人いて、緊張した顔でメハルの隣に座った。

 摘んできた薬草はそれぞれ処理しなければならない。

 一番簡単なものから教えてやってくれと頼まれて、初めての後輩に指導をしていく。

「葉っぱの部分をちぎればいいんだ。この薬草なら破れても平気だから、やってみて」

 新入りのジェールは緊張した面持ちで迷宮産の草を手に取っている。

「他のは破けたらダメってことだよね?」

「そう。だからこれで練習するんだ。破れないように注意してやってみて。破れても平気だから、まずは慣れていこう」


 午前中はジェールに付き合い、昼の休憩を挟んだら、午後は外を走り回る時間だった。

 足が速いとか、物覚えがいいとか、人当たりが良いとか。

 そんな理由でいつもお使いを頼まれ、メハルは快く引き受けている。

 

 迷宮都市を歩き回るのは単純に楽しいことだし、オーリーの手伝いにもなるから。

 少し前までは調査団で働く女性について探っていた。

 彼女のことは気の毒に思っている。

 誰に話を聞いても、悪口しか耳にしなかったから。


 仕事を放り出して行方をくらませた挙句、戻って来てもまともに働かない。

 何故もっと早くクビにならなかったのか、とんでもない女だった。


 もう王都へ送り返されたらしいが、今頃どうしているのだろう。

 穏やかに暮らしていればいいと思うが、確認する術はない。


 薬の配達をいくつか任されて準備をしていると、ミンゲがやってきてメハルの肩を叩いた。

「メハル、お使いに行くのか」

「うん」

「東側には寄る?」

「東側? 特に用はないけど、かまどの神殿までは行くから、ちょっと遅くなってもいいなら東側を回って帰ることはできるよ」

「お前は本当に気が利くやつだな」

 例の旨い保存食を買ってきてくれないかとミンゲは言う。

「メハルならまだ小さいから、女に混じってもいいと思うんだ」

「そうかなあ」

「お前なら隙間になんとか入れるだろう」

 ミンゲはこう話したが、冗談だったらしく、空いていたらでいいからと言って笑った。

「今度、深く潜るんだ。その時に持っていきたくてな」

「そっか」


 貴重な薬草は深く潜らなければ手に入らない。

 希少な薬品は高く売れるが、従業員の危険の上に成り立つものだから、店は気安く注文を受けない。

 けれど時には、引き受けなければならない時がある。

 行ける人員がいて、行ってくれるか問いかけて、店の為ならと答えてもらえれば、深い層への採集計画が立てられる。


「お前、どうだ。メハルならやれるんじゃないかって兄貴は言ってたけど」

「俺が? ルンゲさん、本当にそんなことを言ってたの」

「随分買ってるみたいだぜ。お前とオーリーが良ければ連れていくってさ」

「オーリーも……」

「無理だと思うならいいんだ。その時は他所の業者と組んでいく」

「そうしたら儲けは減っちゃうよね」

「そりゃあそうさ。だけど、深いところに無理矢理連れていくなんてできねえだろ?」


 そのうち正式にルンゲから話があるだろう。

 ミンゲはそれだけ言うと、邪魔したなと言って去って行った。

 手の中には「旨い保存食」の代金を握らされている。

 

 「緑」は地図の完成した場所で、どこになにがあるのかは大体が把握されている。

 迷わなくて済むが、罠だの敵だのとの遭遇は避けられない。

 対処法はすべて理解し、覚えておく必要がある。

 迷宮の中で何度か夜明かしもしなければならないだろう。

 一泊までは経験があるが、それ以上をメハルは知らない。

 いつか試される日が来るとは思っていたが、もう少し先になるだろうと考えていた。


 配達の品を背負って、メハルは歩く。

 店の物を駄目にしないよう、慎重に。

 オーリーの探し人の名前が聞こえてこないか、耳を澄ませながら。

 ダンティン、バルジ、もしくはベリオ。

 あの大柄な戦士と小さな神官の組み合わせも、見かけたら場所を覚えておかなければ。

 

 目を走らせながら、仕事についても考える。

 ルンゲが自分を評価してくれている。

 仕事ができるな、働き者だな、お前はとても、気が利くんだな。

 褒められると、とても嬉しい。心がふわりと持ち上がって、景色が明るく見えてくる。


 明るい気持ちで品物を届けると、訪問先で客にも喜ばれた。

 挨拶ができて偉いだとか、はきはきとしていて気持ちがいいとか。

 世界の新たな側面を知って、メハルはいきいきと足を進めた。

 もちろん、機嫌の悪い人間だっている。ろくに返事もしない客だっているが、それはそれだ。仕方がない。

 そんな客にも明るく声をかけ、品物を届け、頼まれごとは終わった。

 最後にかまどの神殿を訪れ薬を補充して、メハルは大通りを東側に向かった。


 例の旨い店は街の東側、「藍」の入り口の近くにあるらしい。

 配達で通ったことはあるが、詳しくはない地域だ。

 なのでメハルは時々目についた店によっては、女性店員に聞いてまわった。

 最近できた評判の菓子を置いている店を知っているか?

 何人か知っている店員がいて、親切に場所を教えてくれた。

 近づくたびに詳しく聞いて、たどり着いたのは人気のない路地裏で、不安が募る。

 本当にここなのだろうか。

 訝しむメハルの鼻にふわりと届いた香りがあって、業者の少年は奥に進んでいった。


 通りの上に、ふと一人の男が出てくるのが見える。

 小柄な若い男で、看板をしまおうとしているようだ。

「あ、ねえ、ちょっと!」

 メハルは駆け出し、男のもとへと急ぐ。

「そこ、美味しい保存食の店?」

「あはは、嬉しいね。評判になってきたのかな」

 メハルとそう年も変わらないであろう小柄な男は、「ティーオの良品へようこそ」と言って笑った。

「今日はもう店じまいするところだったんだ」

「じゃあ、もう品切れ?」

「いや、保存食はあるよ。どうぞ、見ていって」

「ありがとう」


 中にはいると、カウンター前の箱が空っぽになっているのが見えた。

 奥には革製品があり、入り口すぐの棚には干し肉が並べられている。


「保存食はこの棚に並べているから」

「何種類くらいあるの?」

「品切れしているのもあるから……。今残っているのは、四種類かな」

 店主のティーオは親切に味の説明をしてくれて、メハルはとりあえず一つずつ買うことに決めた。

「良かった、店の人に頼まれたんだ。美味しいらしいから買ってきてって」

「うわあ、ありがたい。その服の感じ、薬草業者かな」

「うん。ミッシュ商会のもんだよ。俺のチームのリーダーが、女の子がいっぱいいて入れなかったって言ってて」

「それは申し訳ない。昼に来たのかな。昼頃が一番混むんだ。休憩時間になった女の子が一斉に来ちゃってね。朝のうちか、昼を過ぎてから来れば混雑はしてないよ」

「なにがそんなに人気なの? 女の子が好きないいものがあるらしいって聞いたけど」

「お菓子を売ってるんだ。他じゃあ扱ってない、南の港町の名物なんだよ」

「そこの箱だよね。全部からっぽになってる」

「カウンターの前に置いているのは焼き菓子で、本当にあっという間に売れちゃうんだ。それと、乾燥果実も売ってるよ」

「乾燥果実?」

「そう、干した果物を甘くしたものがあってさ。これも本当に美味いよ」

「売り切れてる?」

「ああ。いっぺんにたくさんは作れないらしくて、朝持ってくるんだけど一瞬でなくなっちゃうんだよ」


 店主は申し訳なさそうに話し、メハルは感心していた。

 こんなにわかりにくい道の奥にある店なのに、女の子たちが殺到するほどの人気があるのだから。


「それじゃあ明日早く来ても、乾燥果実は買えないのかな」

「ええとね。あ、いや、ごめん。内緒にしなきゃならないんだ。入荷の予定を一人でも教えちゃうと大変なことになるから」


 メハルの脳裏に浮かんだのは、店で一緒に働くシュナという名の少女だった。

 シュナはかなりのおしゃべりで、女子寮で聞いた噂話をメハルに吹き込んでくる。

 誰が性悪だの、どこの店の男とできているだの、どうでもいいことから恐ろしく役に立つ豆知識までしゃべり倒す十六歳だった。


 女子寮は噂のるつぼ。納得がいって、メハルは小さく頷いている。

 そんな客をどう思ったのか、ティーオは腰につけたポーチからなにかを取り出し、差し出してきた。


「これ、試食用の切れ端なんだけど」

「果実?」

「そう、乾燥させたやつ。最後に残ってたんだけど、誰が食べるかで喧嘩が始まりそうだったから回収したんだ」

「あはは」

「みんな店番している時は可愛いのになあ。って、ごめん、人には言わないで」

「大丈夫、言わないよ」

「ありがとうな。小さいかけらだけど、良かったらもっていって。昼だけ混むのはなんとかしようと思ってるんだ。お菓子もなるべく大勢に買ってもらいたいから、どうしたらいいのか考えているから。だから、懲りずにまた買いに来てくれよ」

「わかった。他の味も気になるし、また来る」


 まいどありの声に送られて、メハルはティーオの良品を後にした。


 帰り道の途中でもらったかけらを取り出し、ひとつを口に放り込む。

「うわあ」

 甘酸っぱさが口に溢れて、幸せな気分になっていく。

 渡されたかけらは小さいし、あとふたつしかない。


 ルンゲとミンゲに渡すには、ちょっと貧相すぎるかも。

 メハルはそう考えて、果実のかけらをポーチの奥にしまいこんだ。


 大通りに出たら南に向かい、「赤」を過ぎたら西に向きを変えて、ミッシュ商会へと戻る。

 薬の代金をリーダーに渡したら、持ち場に戻ってみんなに声をかけていく。


「メハル、遅かったじゃないか」

「今日はいっぱい頼まれたんだ」

「ねえメハル、この籠を運ぶの手伝ってくれる?」

「あいよー」

 もう夕方で、仕事はそろそろ終わりの時間だ。

 だから腰を据えてやる作業ではなく、細かな手伝いをした方がいいだろう。


 頼まれた籠の移動をさせると、店の裏にはルンゲとミンゲが揃っていた。

 採集のための装備品を広げて、破損などがないか確認していたようだ。


「メハル、お帰り」

 二人に手を挙げて、所定の位置に籠を重ねていく。

 手早く終わらせ、メバルは装備品の管理を手伝っていった。

 ルンゲはなにも言わず、ミンゲは口に微笑みを浮かべている。

 三人でやれば確認はすぐに終わって、採集用の装備は一人分ずつまとめて所定の位置に置かれている。

「ありがとよ、メハル」

「どういたしまして。ミンゲ、頼まれていたものを買ってきたよ。今持ってきたらいいかな?」

「なんだ、頼まれたモンってのは」

「東にできた新しい店の保存食だよ」

「行ったのか、メハル。女どもにもみくちゃにされなかったか」

「されなかったよ。閉店ぎりぎりに行ったから。あそこが混雑するのはお昼だけなんだって」


 持ってきてくれるかと頼まれ、メハルはひとまず荷物置き場に戻った。

 四種の味の保存食を抱えてまた店の裏に走り、ミンゲに手渡していく。


「とりあえず試しにひとつずつ買ったよ。売り切れている味のもあって、四種類をひとつずつ」

 全部でいくらだったか報告し、預かっていた金の余りも返していく。

「あとで食ってみよう。な、兄貴」

 ミンゲが笑い、ルンゲが近づいてきてなぜかメハルの頭をくしゃくしゃと撫でた。

「メハル、深い層への採集に挑戦してみないか」

「俺?」

「お前は勝手な真似をしないし、体力もありそうだから」

「できるかな」

「心配すんな。本格的な採集の前に、十九層まで行けるか試す」


 「緑」で採れる希少な薬草は、二十層よりも下に生えている。

 そこにたどり着くまでに越えなければならない高い壁が、十八層目なのだとルンゲは話した。


「十七層の白耳(ドニヤ)草集めとは比べモンにならねえくらい、十八層超えは厳しい。だから、十九層まで行けるかどうかを試す」

「十九層から戻るのも大変なんじゃない?」

「それがよ、十九層には十七層まですぐにあがれる階段があるんだ。一方通行なんだがな。すぐに十六層に上がれる位置に出られる階段が隠されてんだよ」


 だからとにかく十九層まで行ければいい。

 十九層に到達できるなら、更に深い層への採集行脚は可能なのだという。


「そこまで深く潜って平気なら、『緑』の耐性もついてるってことだからな」

「耐性って?」

「草の生えてるところは、空気にも妙なモンが混じってるんだ。いきなり深く潜ると息が苦しくなって倒れちまう」

「何度も入っているうちに体が慣れるらしいぜ」

 ミンゲはメハルの背中を叩き、お前ならきっと大丈夫だと笑っている。


「深いところの採集は、できるだけ長い間同じメンバーで行きたいんだ。俺たちと一緒に長く活躍出来そうな奴を探してるんだよ。オーリーにも声をかける。メハル、俺はお前ならやれると思ってる。不安かもしれないが、考えておいてくれ」


 ルンゲはメハルの頭をまたくしゃくしゃと撫でると、買い物の手間賃だと言って小銭を握らせ、去っていった。


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