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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
30_Imprinting 〈強者には、強者の流儀で〉

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139/247

134 浸透

 三日目の探索が始まっても、夜の神官は姿を現さなかった。

 ロウランと名乗る魔術師の調子は良いようで、今日もニーロやキーレイにちょっかいをかけたり話しながら歩いている。


 魔術師が戦いに加わってから、戦力はかなり上がったと言える。

 そして白いばかりの虚しい景色が続く「白」の迷宮で、ロウランのおしゃべりは気を紛らわせる効果を発揮していた。

 ニーロとの会話は理解できないものばかりだが、気になる言葉がいくつも聞こえてくる。

 キーレイには何故か誉め言葉ばかりがぶつけられ、確かにそうだと納得させられている。

 マリートは魔術師を避けていて、二人の間にはなにも起きない。

 時々前に進んでは地図を覗き、語りかけ、スカウトとの間に流れる空気は穏やかだった。


 ファブリン・ソーを思い出す。この迷宮で死んだという、高揚の中で生きていたスカウトのことを。

 彼のおしゃべりもこの程度だったら、良い仲間が見つかったと歓迎されていただろうに。


 ウィルフレドに向けられる言葉は大体が下世話なもので、ロウランがなにを言い出すか戦士は内心でひやひやとしているが、何度か挑んだ「白」の探索の中では今回が一番楽だと感じていた。

 無言、無音になった瞬間に訪れる精神の揺れが、この旅ではまだ生じていないから。


「ウィルフレド、その剣はお前にあっていないな」

 敵の見えない道を進む途中で、急にこんな声をかけられたりもする。

「もう少し重い方が良い」

 戦士がなにも答えなくても、ロウランは機嫌を損ねたりしないらしい。

 思いついたことがあればそのまま言葉に変えては、一人で納得してしまう。

「イブソルよ、お前はどうして敵の中心がわかる?」

 ウィルフレドの返事がないからか、ロウランは前に進んでいってマリートの隣に並んだ。

「イブソルってのはなんですか」

 前を向いたまま、ノーアンが呟く。

「この摩訶不思議な剣を使う男だよ」

「マリートさんのことか……」

「なあイブソル、どんな相手でも見えるのか?」

 剣士は口を閉ざし、ロウランには一言も答えなかった。

 魔術師は笑いながら後方へ下がっていって、頑固な奴だなとキーレイに囁いている。


「今度は上りか?」

 下って下って、上って、下って。

 「白」の道のりは複雑で、下へ下へと進もうとする探索者を惑わせる。

 単純に下り階段ばかりを辿っていくと、泉のないエリアを散々彷徨う羽目になるらしい。

「次は下りで、二十四層に着きます。回復の泉がありますから、そこで休憩しましょう」

「無彩の魔術師って、地図を暗記しているの?」

「すべてを覚えているわけではありません」

「そうなんだ」

 ちょっと安心したかも、とノーアンが呟いているのが聞こえた。

 初めて組む者と、誰も到達したことのない最下層を目指せるのだから、タフな心の持ち主なのだろう。

 良い意味で力が抜けたところがあり、ここまでの活躍も申し分ない。


 ニーロの言う通り、下り階段の先には泉があった。

 強く頑丈な敵と戦い、挟み撃ちにもあった。誰もが強いが消耗はしていて、泉の存在がありがたい。

 そんな一行とは違って、ロウランには余裕が漂っている。

 浅黒い肌の小柄な魔術師も泉で喉を潤しているが、回復が必要そうにはあまり見えなかった。


「二十四、二十五、二十六、二十五……」

 魔術師は五人の周囲をゆっくりと歩きながら、数を数え上げている。

「二十六、二十七、二十六、二十七……」

 ノーアンがなにかに気付いたようで、地図を取り出し、ニーロに質問をし始めていた。


 仏頂面のマリートには、キーレイが声をかけている。

 背中に手を当て、樹木の神への祈りを捧げているようだ。

 ニーロはスカウトと話しており、だからなのか、ロウランがウィルフレドの前にやってきてにこりと優しい微笑みを浮かべた。

「ウィルフレド」

「ラフィのつもりか?」

「騙されんのだな」

 魔術師は肩をすくめて笑っていて、戦士は夜の神官の声を思い出していた。

 体は同じだから、声も同じではある。けれど違う。ラフィはもっと儚げで、声も憂いを帯びていたように思う。

「あれに会いたいか、ウィルフレド・メティス」

 ウィルフレドはこの問いに答えなかった。

 自分が薄情な人間に思えたが、なんと言えばいいのかわからなかったから。


 魔術師の暇つぶしが終わると、休憩の時間も終わった。

 相変わらず真っ白な道が続いていて、感覚の鋭い仲間がいなければ自分がどちらから来たのかすらわからなくなる。

 指示された通りに並び直したが、ロウランは自由に歩き回り、前に出たり後ろに引っ込んだりと忙しない。

 青紫のローブの端が、視界の隅で踊っている。

 黒い指先がひらりと揺れ、声が聞こえてきて、世界が白で塗り潰されないように抗っているかのようだった。


「魔術師ロウラン、あなたは迷宮を歩いたことがあるのですか」

 キーレイに問われ、ロウランはにやりと笑っている。

「何故そう思う?」

「初めてのように見えないからです」

「少し覗いたからな、ラフィが『黒』を歩くのを。あれが足を踏み入れたのは入り口からすぐの一層、二層程度だが」

「神官ラフィとしての経験が今役にたっていると?」

「いいや、役にたってはおらんな。そもそもの解釈も間違っているが、まあいい。神官の目を通して見たが、どんな場所か少しわかった程度だ」

 ロウランは神官の背中に手を伸ばし、腰の辺りを抱いてぴたりと寄り添っていく。

「こうして実際に歩いた経験と、お前たちに問いかけ、答えをもらって理解を深めている」

「あなたはなにもかもわかっているように思えます」

 魔術師はまた笑って、キーレイの体を強く揺らした。

 背の高い神官がふらりとよろめき、慌てたような声が漏れ聞こえてくる。

「そこまでではない、今はまだな。だが、これを作ったのは人だ。魔術師だ」

 俺もまた魔術を志す者だから、そうではない者よりは理解が深くなる。

 ロウランはそう話すと、ようやくキーレイから離れた。

「ふふ、生まれた地から遠く離れ、こんなところまで流れてきて、どうなることかと思ったがな」

 黒い肌の魔術師は満ち足りた者の表情(かお)をして、麗しい口元に笑みを浮かべている。

「生きていれば出会いは尽きぬものだな、キーレイ・リシュラ」

「……そうかもしれませんね」

「ところで、なにを食ったらそんなに体が大きくなる?」

「さあ、なんでしょうか」

「なにかわかったらニーロに教えてやれ。あのままではたいして大きくはならんだろうから」

「ニーロはまともに物を食べませんから」

「そうなのか? おいニーロ、飯は大事だぞ。それから、寝る時は体を伸ばせ」


 ノーアンがくすくす笑い出し、キーレイも頬を緩めている。

 マリートもちらちらと目を向けているし、六人組に流れる空気は「白」の二十四層にしては随分良かった。


 

 夜の神官ラフィは、目の前に現れた瞬間、ウィルフレドの心を掴んだ。

 強く掴んで離さず、互いを自分のものにさせた。


 魔術師ロウランは不穏な現れ方をしたが、確かな強さで六人組の信頼を得始めている。

 「白」の特異な道を軽やかにして、未踏の道を歩き通す力を分け与えている。


 気が付けば二十八層に辿り着いていた。

 階段を上がり、下がり、進み、戦い、休んで軽口を交わしながら進んで、三日目の終わり。

 

 迷宮を降りる道は、六層ごとに重みを増していく。

 六層までと、十二層まで。

 十八層まで、二十四層まで、そして、三十層まで。

 柄杓を手に取り泉の水を飲み干すと、次の一歩からずしんと足が重くなる。


 更に、その先。

 三十六層までの「最後の六層」は特別だった。

 安心して休める場所などなくなるし、一瞬の油断が死を招くから。

 閉塞感に満ちた迷宮を歩き通してきて、誰であっても心身共に疲れ果てているから。

 


 「赤」の迷宮を歩き通した時、ウィルフレドは落胆していた。

 魔竜と呼ばれる強大な敵との対峙を楽しみにしていたが、姿を見せなかったから。

 たくさんの強敵と渡り合い、切り捨て、進んで来た。

 重たい体に鞭打って進み、とうとうその時が来たと思ったのに、その日の三十六層に魔竜はいなかった。


 仲間の安全を考えれば、幸運であるとも言えるだろう。

 最後の層にはご丁寧に「良い物」が並べられていて、自由に持ち帰れるようになっている。

 ご褒美はもらえたのだから、富を求める者には充分なのかもしれない。

 けれど戦士は胸に燻りを抱えたままで、強敵との邂逅を強く願い続けて来た。


 ロウランの登場は思いがけないものだったし、ラフィがどんな状態なのか心配ではある。

 けれど魔術師のとてつもない強さがもたらす恵みに、心が躍っているのも確かだった。

 初めての迷宮入りという彼の言葉が本当かどうかはわからない。

 けれど魔術に長けたロウランは、おそるべき攻撃力と深い知識で、一行を奥深くに導いてくれそうだと思えた。



 ウィルフレドのこの想像は当たっていた。

 ファブリン・ソーの残した地図の力があったとはいえ、初めてとなる「三十層」へ足を踏み入れることができたのだから。

 最下層へ繋がる「正解」の道かどうかはまだわからない。

 だが、二十九層を歩き通して、下り階段を発見した。

 ここからは一つずつ確認をして、正しい道を探っていく必要がある。

 迷宮に足を踏み入れ、四日が過ぎていた。

 二十八層から二階分降りるのに、たっぷり一日かけて辿り着いた階段を降りていく。

 未知への不安と興奮が混ざり合っていたが、とにかく、ここまで六人に危機が訪れたことはなかった。


「最下層へたどり着けるかはわかりませんが、回復の泉は発見しておきたいですね」

 ニーロの言葉にノーアンは頷き、白紙を広げて地図を描く準備をし始めている。

「僕は地形に集中しますから、戦いはお願いします」


 ノーアンとニーロが罠に対応し、地図を作る為に歩く。

 大型の敵に対応するためにマリートとウィルフレドが入れ替わり、真ん中にロウランとキーレイが入った。

 背後から攻撃をなるべく受けないように、分かれ道では敵が潜んでいないかよく確認するようにと話し合う。


「最後の六層です。敵も強くなっているでしょうから、油断せずに進みましょう」

 階段の途中で立ち止まったまま、キーレイの祈りの言葉に耳を傾けている。

 神官長は六人が護られるよう神に祈ると、それぞれに気力を回復させる力を使ったようだった。


「ほう、こんなことができるのだな、神のしもべというのは」

「あなたにもできるのではありませんか」

 ロウランはキーレイの腰に手をまわして、にやりと笑っている。

「俺は魔術の徒だ。神官ではないよ」


 準備が済んで、六人は三十層目の白い道の上に進んだ。

 また上って、下り直さなければいけないのかもしれない。

 今は入っておそらく五日目、時刻はもう正確にはわからない。

 地図のない迷宮では、休憩をとるにも時間がかかる。

 安全な行き止まりを見つけなければ、立ち止まってはいられない。

 深い層なら突然の襲撃に苦戦するかもしれないし、食事は順番に手早く済ませていかねばならない。


 迷宮の中を長く進むほどに、休む時間は減っていく。

 安全はなくなり、眠る時間も短くなっていく。

 どんなに強い仲間と進んでいても、限界はやってくる。


「術符を用意しておいて下さい、ウィルフレド。マリートさんも」

「わかりました」


 腰のポーチの中に、念の為にと渡された「帰還の術符」が二枚ある。

 一枚を手に取り、すぐに取り出せるよう一番上に移動させておく。


「ニーロ、帰ったら一枚くれ」

「どこかで使いましたか?」

 では戻ったらとニーロが答えて、ノーアンは驚きの表情で二人を見つめている。

 その視線に気が付くと、無彩の魔術師は術符を一枚取り出してスカウトへ手渡した。

「危険だと判断した時には使って下さい」

「何枚持ってるの」

「六人いますから、ウィルフレドと、マリートさんの三人で脱出して下さい」

「えっと?」

「術符で帰れるのは五人までですから、三人ずつ分けておきましょう。ウィルフレド、マリートさんとノーアンで三人。僕とキーレイさん、ロウランで三人。激しい戦闘中に誰かが倒れたり、はぐれた時には迷わず使って下さい。僕が倒れた時には絶対に使うようお願いします」

「わかった」


 ウィルフレドも了承し、マリートも珍しくはっきりと返事をした。

 ロウランはなにも持っておらず、キーレイになにをどうすべきか問いかけている。


「ニーロ、ロウランの分はあるか?」

「必要ありませんよ」


 神官長は戸惑いの表情を見せたが、ロウランは動じないようだ。

 脱出くらい使えると考えられているのだろう。

 ニーロがそう判断するのは理解できるが、謎の魔術師にとって今回は初めての迷宮入りのはずだ。

 キーレイも同じように考えたらしく、自分の術符をポーチから取り出して、いざという時は使うよう魔術師に説明している。


 確認が終わると六人はまた白く長く続く道を歩き出した。

 罠がないかじっくりと見つめ、地図を記しながら。

 進む速度が落ちると、一色で塗り潰された「白」の重みが増していくようだった。

 余計な話に興じる暇もないし、スカウトの邪魔をしてはならないから。

 ロウランもおしゃべりを控えているようで、後ろを振り返っては迷宮の景色を強い目で見つめている。


「足音がする」

 しばらく進んだ先でノーアンが呟き、ウィルフレドは剣を構えた。

「聞いたことがない音だ」

 ニーロが一歩下がって、ウィルフレドの剣に力を分け与えていく。

「違う、後ろからしてる」

 ノーアンの声に反応して、マリートが剣を握る手に力を入れた。

 キーレイも身構え、小声でロウランになにか声をかけている。


 なにが現れるのかわからないという考えが、ウィルフレドをも振り向かせていた。

 何体も一気に現れた場合は手助けをしなければならないと思ったからだ。

 さきほどウィルフレドに分け与えた力をマリートにも使おうとしていたのだろう、ニーロも後ろを向いていた。


「わあ!」

 前を向いていたのはノーアンだけ。

 そのノーアンが大声をあげて、ウィルフレドは慌てて振り返った。


 通路はまっすぐに続いていた。「白」は特別に先の様子がわかりにくいが、近くに分かれ道があるようには見えなかった。

 だから敵が来るとしたら、真ん前からだと思い込んでいた。

 けれどここは迷宮だから。それも、誰も最下層へ辿り着いたことのない、未知未踏のエリアなのだから。

 

 いつの間にか左右の壁にぽっかりと穴が開いており、そこから白く輝く全身鎧が姿を現していた。

 胸の前に剣を掲げて、ゆっくりと。歩いているのに、音はひとつも立てていないようだ。


 左から一体、右から一体。

 ウィルフレドは前に進んで、手早く右側の鎧へ剣を振り下ろしていた。

 背後から声が聞こえる。マリートが戦いを始め、ロウランが魔術を使ったのだろう。ごう、ごうと響く音が耳に届いていた。


「イブソル、右だ」

 ロウランの声をかすかに聞きながら、ウィルフレドは鎧たちの剣を受け止め、払い、なぎ倒していた。

 右側の鎧は蹴り倒して床に這わせ、左から来るもう一体に切り付ける。

 魔術の力を分け与えられているのに、傷はつけられないようだ。

 輝く鎧は攻撃を受けても光を放つだけで、剣の跡は残らない。


 鎧の動きは固い。そして、読めない。

 人の形をしているのは鎧兜が動いているからでしかなく、中に人間が入っているわけではないのだろう。

 奇妙な角度から剣を振り下ろされ、ウィルフレドは身を反らした。

 だが避けきれずに剣先が当たって、金属音が響く。

「ウィルフレド、大丈夫ですか」

 キーレイの声に平気だと答えると、背後から青白い光の矢が飛んできて敵を吹き飛ばしていった。

 ニーロが放ったのか、ロウランの仕業なのか。

 わからないが一体が吹き飛び、マリートが隣に進んできて並んだ。

 ノーアンは戦闘は得意ではないと言っていたので、後ろに下がったのだろう。


 戦いの場をなるべく動かさないようにして戦っていく。

 まだスカウトが調べ終わっていない場所に進むのは危険だから。

 敵が起き上がるのを待ち、引きつけ、剣を叩きこむ。

 吹っ飛んでいった鎧には、魔術の矢が追加で放たれ、激しく音を立ててバウンドしている。

 兜、肩、腕、胸、腰。あらゆるところに攻撃をしてみたが、ウィルフレドの剣は通用しなかった。

 そんな戦士の代わりに飛び出した慧眼の剣士は、やはり特殊な目を持っているのだろう。

 鎧の隙間の小さな小さなポイントに細剣を突き刺す。

 すると左側から出て来た敵は爆発したかのように弾けて、金属の破片を巻き散らした。


「痛え、くそ、キーレイ!」

 敵ははじけたが、破片は剣士の腕を切ったようだ。

 マリートは怪我を抑えたまま下がっていき、できた隙間をウィルフレドが埋める。

 魔術の矢で撃たれた右側の鎧はぎこちない動きで立ち上がって、戦士の前へ進んできた。

 強い力を放たれたのだろう、鎧はあちこちにへこみが出来ており、斜めに傾いだ部分へ打撃を入れていく。

 何度か強く剣を振り下ろすと、一体目と同じように鎧は崩れ落ち、破片を巻き散らして敵は倒れた。


「マリート、腕は動くか?」

「ちょっと待ってくれ」


 背後には敵の死骸、前方には鎧兜の破片が巻き散らされていた。

 ウィルフレドが通路の前方を見張り、ノーアンとニーロが採取できるものがないか探している。

 マリートの手当は終わり、キーレイが近づいてくる。

「ウィルフレド、すごい音がしましたが」

「剣が当たりましたが、傷は受けておりません」

「念のために見せてください。初めて見る敵でしたから」


 ノーアンの仕事が終わったら交代しようと提案したウィルフレドの前に、ロウランが進み出てくる。

「魔術で動くものの攻撃には気をつけた方がいい。妙な仕掛けがあるかもしれないからな」

「そうですよ、ウィルフレド」

「おいイブソル、大丈夫なら変わってやれ」


 マリートは腕を何度も動かし、破れた袖に包帯を巻きつけて準備を終えた。

 ウィルフレドの前にやってくると無言のまま位置を入れ替えて、キーレイのいる方へ戦士を押す。


 鎧を手早く外して、中に傷を受けていないか確かめていく。

 キーレイの隣にはなぜかロウランが並んで、戦士の体をじろじろと見つめている。


「このかけら、なにかに使えるかな」

「持って帰りましょう。素材を調べてみたいので」

「なるほど、素材か。高く売れるかな?」

「初めて見つかったものは調査団に提出する決まりになっています」

「うわ、そうだったっけ」

「提出するのは一部だけでいいのです。大きいかけらはすべて集めていきましょう」


 ノーアンとニーロの話す声と、キーレイの祈りが聞こえていた。

 マリートは通路の先を見ながら、時々背後も振り返って新手が来ないか確認している。

 

 もう三十層目にやって来たというのに、魔術師ロウランは自由だった。

 ウィルフレドの傷の確認が終わるとふらふら歩き出し、マリートに注意をされても辞めない。


「ここの壁が開いていなかったか?」

「開いたよ」

「また開くかもな」

「あれがまた出てくるかもってこと?」


 魔術師のおしゃべりに、作業しながらノーアンが答えている。

 このやりとりを受けてニーロが立ち上がり、鎧の敵が現れた壁の前に進んでいった。


「どこかにこの壁を開く仕掛けがあったのでしょうか」

「どうかな。好き勝手に出てくるのかもしれないし、人の気配で開くようになっているかもしれん」

「まだ出てくると思いますか?」

「ああ」


 戦士が身支度を整えている間にこんな会話が流れていった。

 突然壁が開いて敵が出てくるとなると、警戒の仕方も変わってくる。

 ノーアンの顔は青ざめており、強い不安に陥っているようだった。

 ニーロはそんなスカウトに声を掛け、まだいけるか問いかけている。

 ここで終わったとしても仕方がないだろう。新しい敵と登場の仕方を知っただけでも、大きな収穫があったと考えるべきだから。


「ロウラン、勝手なことはやめてください」

「叩くくらいどうということはない。奴らは奴らのルールで動くのだから」

 キーレイの咎める声がして目を向けると、敵の出て来た壁を魔術師が叩いているところだった。

 諫めても言うことを聞かないロウランに困ったのだろう、ウィルフレドに目で訴えてくる。

「ロウラン」

「ほう、俺の名を初めて呼んだな」


 そうだったか、とウィルフレドは思った。 

 確かに魔術師の名を呼ぶのに抵抗があった。

 美しい夜の神官の体を奪ったと聞いていたから。


 ロウランは微笑みを浮かべていたが、ふいに視線を逸らし、通路の先を見つめた。

 二十九層へ続く階段のある、戻る道の方へ向いて、目を凝らしている。


 キーレイは異変を感じたらしく、魔術師の隣に歩み寄っていく。

 ウィルフレドも胸騒ぎがして、そばへ進んでいった。


「なにかありましたか」

「わからんが……」

 神官長が振り返ったのは、ニーロに伝えようと思ったからなのだろう。

 友人の動きに敏感に気が付いたらしく、マリートが視線を向けてくる。

 剣士の瞳が震え、見開かれていた。だが、これに気付いた者は残念ながらいなかった。

 

 ロウランと、隣にいたキーレイ。そして近づいていたウィルフレド。

 音も立てず、姿も見せずに近付くものがあった。

 ひょっとしたら罠の類だったかもしれないし、敵の攻撃か、敵そのものだった可能性もあるだろう。


 三人は見えない力に押し倒された後に、掬い上げられ、流された。

 そんな力の動きがあったと戦士は思った。

 わけのわからない流れに巻き込まれて、視界を失って。

 白が見えなくなり、激しく揺らされた。

 意識があったかどうかすらわからない。

 そんな瞬間が過ぎ去り、気が付くとまっすぐに立っていた。

 迷宮の中だ。それだけは間違いない。

 空気はしっとりと濡れていて、壁の色は氷のような水色。床には濃淡の青が交互に並んでいる。


 隣にはキーレイとロウランが並んでおり、神官長は驚きで震えていた。

「ここは『青』の迷宮なのでは……?」

 ウィルフレドの意見も同じ。ニーロと共に何度か探り、ギアノの協力を経て進んだ先と同じ光景が広がっていたから。

「『青』とは?」

「入り口が水に閉ざされていて、進むのが最も難しいと考えられている迷宮です」

「そんなところにどうやって来た」

「わかりません。こんなことは初めてです」


 小さな部屋の中にいる。ウィルフレドがたまたま向いていた方向から見て左側に、通路があるようだ。

 何層なのかもわからない。どんな敵が潜んでいるのかも。

 「青」については、水の中に魚が泳いでいることしか知らない。


「すぐに出ましょう」

「歩かんのか」

「『青』に関しては入り口付近しかわからないのです。地図も出てくる敵も、なにもわかってはいません」


 何層目か知るには、上を目指して無事に出口に辿り着く他ないだろう。

 ここが二層程度ならば可能性はあるだろうが、そんな儚い希望にすがるのはあまりにも無謀だった。


「術符を使います」

 キーレイが青い札を取り出すと、ロウランが自分に使わせてくれないかと申し出た。

 魔術師の掌で青い光を放ち、術符は金色の文字を浮かび上がらせている。

「閉ざされた道の果てでは、黄金のみが救いの光となる」


 文字の通りに読み上げられ、三人は「青」の迷宮の入り口に立っていた。

 帰還者の門から見えた空は暗く、太陽は沈んだ後のようだ。


「『白』の入り口に向かいましょう。ニーロたちも出て来ているでしょうから」


 キーレイの提案の通りに、三人は入り口の穴から這い出て南へと向かった。

 「青」から「白」へは、南へまっすぐに進めばいい。

 途中には最近建ち始めた大型の店がいくつかあって、中でも「バルメザ・ターズ」は特に明るく輝き、大勢の客を入れて賑わっているようだった。


「こんなに派手な店があるのか」

「街自体が大きくなってきて、さまざまな店が出来るようになったのです」

 魔術師は西側を歩くのが初めてなのか、きょろきょろと視線を彷徨わせている。

「ここには子供はおらんのだな」

「子供を育てるには向いていないのです。ここは迷宮探索で一山当てようとする者と、探索者を相手に商売をしようとする者ばかりが住んでいるので」

 ロウランは頷き、キーレイにこう問いかけている。

「緑の神官はどこで生まれ、いつここに来た?」

「私はこの街で生まれ育ちました」

「ずっと?」

「ええ」

 魔術師は満足そうに微笑み、同じ質問をウィルフレドにぶつけた。

「私はつい最近この街に流れ着いた。生まれはずっと北の、雪深いところだ」

「それ以上は言いたくない?」

「特別に語るようなことは、私にはない」


 ロウランの緑色の瞳が、きらりと輝いている

 緑の奥に青い輝きが秘められていて、隠し事などできないのではないかと戦士は思った。

  

 重たい足を動かし、ようやく「白」の入り口に辿り着いて三人は穴の中を覗く。

 帰還者の門の辺りにニーロが立っていた。マリートとノーアンはそのすぐそばで腰を下ろしており、上からかけられた声に驚いて立ち上がっている。

 ニーロたちははしごを登ってくると、何故上から姿を現したのか理由を尋ねた。


「私たちは『青』の迷宮に移動していたようなんだ」

「『青』に?」

「ああ。何層かはわからない。通路の造りは完全に『青』だったし、術符を使って出たのも『青』の入り口だったよ」

「あの時なにが起きたのかわかりますか?」

「いや、はっきりとは……。急に押し倒されたような感覚があって、気が付いたら景色が変わっていた」

「ウィルフレドはどうですか」

「キーレイ殿と同じです。強い力で流されたように思います」

「ロウランは」


 ニーロに問われると、魔術師はふむと呟き、目を閉じたまま語り始めた。


「通路になにかが現れた。お前も気付いたな、イブソル」

 ノーアンとキーレイがマリートに目を向けている。

 二人に視線を向けられて、渋々剣士は口を開いた。

「俺の名前はマリートだ」

「ああ、そうか。すまんな」

「確かになにかいたよ。……見えなかったが、あれは『行き止まり』に出て来たのと同じ奴だったように思う」

「黒い珠を残した敵ですか」

「俺はそう思う」

「ロウランも見たのですか」

「見てはおらん」

 だが、感じた。魔術師はニーロを見据えると、見えないなにかの移動に巻き込まれたのだろうとはっきり答えた。

「移動ですか」

「妙な力の動きがあったが、攻撃ではない。結果的には迷宮を歩く者を惑わすのだろうが、肉体にダメージを与えるようなものではなかった」

「迷宮間を移動するような敵がいるのではないかと考えています」

「ああ、いるのだろうよ」


 ロウランはこともなげに答えて、ニーロはそれに頷いている。

 これで、今回の探索は終わりになった。

 「白」の道を三十層も進んで集めたものを道具屋に持ち込んで、売り払って、分ける。

 初めて倒した鎧の敵の破片に関しては、一部を調査団に持ち込むことが決まった。

 ニーロはキーレイに任せようとしたが、これ以上神殿の仕事を休めないと断られている。


「なんだ、持ち込みというのは」

「迷宮の中で初めて見つかったであろうものは、届けるよう決められているのです」

 調査団について簡単に説明されて、ロウランは笑っている。

「ほう、そんな機関が存在しているのだな。面白い、俺もついていっていいか、ニーロ」

「構いません。では、明日行きましょう」

「すまんな、ウィルフレド。お前といてやれなくて」

 魔術師はこんな冗談を言って笑った。

「それとも一緒に来るか?」

「いや」

 

 「白」の探索での稼ぎは上々、ノーアンはこまめに採集物を選別していたらしく、貴重品を大量に持ち帰ることができていたようだ。

 新発見の破片をいくつかもらい受けて、ニーロの取り分は少しだけ五人より少ないらしい。

 

 すべて終わった時には夜も更けていて、六人組はこれで解散することになった。

 

「ニーロ、お前の家で世話になってもいいか」

 飛び入り参加をした魔術師はこう言い出し、家主の許可を得て共に帰路についていた。

 こうなるのではないかという予感はウィルフレドの中に既にあり、意外ではない。

 二階の大きなベッドにまた一緒に並ばれても、やはりとしか思えなかった。


「ラフィは今、どうしている?」

「ふふ、どうして出てこないのだろうな、ウィルフレド」

「どういう意味だ」

「自在に出てこれるはずなのに、わざわざ引っ込んでいるんだよ」

 眉を顰める戦士の頬に触れ、ロウランは優しく手を動かしながらこう話した。

「心配せずともそのうち出てくる。しおらしい態度でお前の気を引くだろうが、騙されるなよ」


 ウィルフレドの強い視線に一切動じることなく、魔術師は目を閉じ、眠ってしまった。

 

 次の日の朝目覚めた時には既に姿はなく、ウィルフレドは悩んだ末に樹木の神殿へ向かった。

 

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