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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
  X10_Fellow Conspirators

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123 新装開店 6

「おはよう、ギアノ。来たよ」


 シュヴァルを連れてカッカーの屋敷へ向かい、厨房を覗く。

 働き者の管理人はいつも通りの穏やかな笑顔でティーオを迎え入れ、少年のことも歓迎してくれた。

「よお、シュヴァル。ティーオの店を手伝うのか」

「仕方なくな」

 可愛くない受け答えにも文句を言わず、ギアノは焼き菓子の並んだ箱を早速運び出している。

 行き来している間にアデルミラにも会って声を交わしたが、こちらはどこか表情が冴えなかった。


 積み込みを終えたら、ギアノと三人で店へと向かう。

 シュヴァルは奥の椅子にどすんと座って知らん顔をしており、声をかけようとしたが管理人に止められてしまった。


「ティーオ、昨日ブラウジが来たって聞いたんだけど」

「ああ」

 そういえばそんなこともあった。

 レテウスとのあれこれの方が記憶を圧迫しており、ギアノの失礼な甥っ子については忘れかけていたようだ。

「その時、ティーオたちもいたんだろう?」

「うん。あの子が来た時、俺が最初に出迎えてね」

「話していたら急に出ていっちゃったって、アデルミラが謝ってきてさ。なにかあったのかな?」

「アデルミラがそう言ってた?」

「いや、自分が失言したのかもってだけ。だけど、言いにくいことがあったんじゃないかって感じがしてたから」


 ティーオかシュヴァルがなにか言ったのかもしれない……。などと、アデルミラは言わないだろう。


「アデルミラが来る前に、シュヴァルがあの子にいろいろ言っちゃって」

「シュヴァルが?」

「うん。まあ、なんていうか……。話自体はアデルミラと同じようなものだったんだけどね」

 二人がブラウジに向けた言葉はほとんど同じだ。

 ギアノを連れ戻す前に、まずは自分でやってみたらどうなのか。

 優しく温かいか、冷たく厳しいか、切り口が違うだけで内容は変わらない。

「ちょっと荒っぽかったんだと思う」

「ははは」

 ちらりと店の奥に目をやると、シュヴァルはじっと二人に目を向けていた。

 話は聞こえているのだろう。だが、少年からの言葉は特にないようだ。

「ごめん、俺がうまく話せれば良かったんだろうけど」

「いいんだティーオ。俺、市場から帰る途中にブラウジに会ったんだよ」

「え、会ったの?」

「ああ。兄貴と一緒に道の先から歩いて来てさ。俺は驚いて立ち止まったんだけど」

「だけど?」

 ティーオの問いに、ギアノは情けない顔をして笑っている。

「兄貴は俺に気付かなかった」

「え?」

 確かにギアノはよくある顔をしていて、大勢に他の誰かに見間違えられているけれど。

「年が離れているからな。ジッド兄は随分年上だし、早いうちに結婚したから。一緒に遊んだりだとか、面倒を見てもらったこともなかったし」

「いや、だけどさ」

「ブラウジは気付いたんだよ。俺を見て、あっ、て顔をしててね」

「そう」

「だけど、兄貴が黙って歩いて行っちゃったからな。何度か振り返ってたけど、結局黙ってついていっちゃったんだ」


 ギアノは笑っているが、かける言葉が見つからない。

 そんな内心もわかったようで、管理人はティーオの肩を優しく叩いてくれた。


「アデルミラは謝ってきたけど、どうやら俺に帰らないでほしいと思ってくれたみたいでさ」

「俺もそう思っているよ」

「はは、そうか? ティーオも俺のこと、好きになってきたのかな」


 そりゃあ好きだよ、とティーオは思う。

 なにも言わなくても悩みを察してくれるし、必要な時には手を差し伸べてくれる。

 誰よりも働き者で、生活力の低い若者たちの良い手本になってくれている。

 みんなに頼られているのにちっとも偉ぶらないし、説教をしてくることもない。

 今日から始める商売にも、ギアノの存在は欠かせない。


「家にいる時と同じことをしていると思ってたんだけど」


 最後の呟きに続く言葉はなく、ギアノは焼き菓子を並べていく。

 ティーオも積極的に動いて、開店準備を進めていった。

 必要そうなものは用意してある。アドバイスを聞き入れた結果、手持ちの資金は底を尽きかけていた。


「よし、これでいい」

「ありがとう、ギアノ。本当にさ、なにからなにまで」

「礼を言うのはうまくいってからだな。さあ、看板を出そう。俺は少し先の通りに出て、客を呼び入れてくるよ」

「いいの?」

「ここは少し奥まっているし、大通りで宣伝した方がいいだろう」

 ギアノはいつものように優しげに笑うと、シュヴァルに一緒に来るかと声をかけた。

 少年は面倒くさそうな顔をしていたが、外の空気を吸ってくるかと、結局ギアノについていってしまった。


 探索者初心者たちはみんな「橙」やら「緑」やらに向かって、町から姿を消した後。

 朝と昼の間の、中途半端な時間帯だ。

 

 ティーオの良品の位置も中途半端で、細い路地裏の隅にある。

 偶然通りかかる者は少ないだろう。

 ギアノはなんでもよく見ているのだとティーオは思った。

 アダルツォの描いてくれた看板を表に出して、扉と窓を大きく開け放っていく。

 外の光だけでは足りないから、店の中を明るく照らしておかなければいけない。

 

 急に一人になったせいか、不安な気持ちが膨れ上がっていった。

 あかりをつけようとする手が震えて、目の前が暗くなっていく。

 店がうまくいかなかったらどうしよう。

 また、探索者暮らしに戻るのか、どこかの店で扱き使われるのか。

 あの貸家も一体どうなるのやら。ウィルフレドが助けてくれるかもしれないが、そんな義務はないだろうし。

 シュヴァルには手を差し伸べるかもしれないが、クリュと自分は自身でどうにかするしかない。

 

 絶対にうまくいくと思った。ギアノの作るものは美味いから。

 キーレイも力を貸してくれたし、あの慧眼の剣士の作る物だと言えばみんな飛びつくのではないかと思っていた。


 でも、そんなになにもかも順調にいくのだろうか。

 ドレーンたちとの探索で手に入れた、帰還の術符。

 あれを独り占めにして売り払った罪に対して、今、罰が下されるかもしれない。

 強欲なティーオ、自分の手についた汚れを見るがいい。

 船の神はすべて見ていて、今こそ青年を責めるのかもしれなかった。

 大きな嘘をついたことも、許されないかもしれない。

 友人の為とはいえ、嘘は嘘だ。勝手に誰かの罪を軽くするなんて、運命を司る神の怒りに触れる行いかもしれないじゃないか。


「もし、お店はもうやっていますか?」


 ふいに声がかけられて、ティーオは慌てて顔をあげた。

 暗がりをのぞき込んで震えていた新米商人を掬い上げてくれたのは品のある若い女性で、背後に使用人らしき連れの姿もある。


「ええ、いらっしゃいませ。ティーオの良品へようこそ!」

 若い女性は口元を抑えて小さく笑い、殺風景な店の中に入ってきて、目を輝かせた。

「まあ、こんなにたくさんあるの?」

「なにをお求めでしょう。こっちの焼き菓子はさっき並べたばかりです。どれも美味しいですよ」

「果実を甘く煮たものが入っている?」

「入ってますとも!」

 初めてのお客様のお陰で体はカッカと熱くなり、ティーオは並んだ商品の紹介をしていった。

 正直、いくつかは間違えただろうと思う。種類別に並べたが、見た目はどれも似通っていて店主には違いがわからないから。

「こんなにあるなんて思わなかったわ。全部、ひとつずつ頂ける?」

「全部?」

 上品な女性は身なりも立派で、柔らかな黄緑色の上着に、同じ色の長いスカートをひらりひらりと揺らしている。

 おっとりとした雰囲気の優しい女性で、裕福な商人の家のお嬢様か、それとも誰かの奥様なのか、ティーオは考えながら商品を包んでいった。

「嬉しいわ、ちゃんと買えて」

「ありがとうございます、初めてのお客様です」

「まあ、そうなの。売り切れてはいけないと思って早く来たのだけど、良かったわ」

 女性は艶やかに笑い、荷物を持たされた使用人に向けて、みんなでいただきましょうね、と囁いている。

「ぜひまたいらして下さい!」

 ティーオの大声でのお見送りにも優雅に一礼して、初めてのお客様が去って行く。

 ティッティが暮らす女子寮の住人ではないだろう。

 どうしてあの女性に店の存在が知られたのか想像がつかず、ティーオはそわそわと店の中へ戻っていく。


 ギアノがうまく声をかけて、誘導してくれたのだろうか。

 いや、いくらなんでもそれはないか。

 想像を巡らせていると、入り口にふっと影が差して、二人目の客が現れていた。


「なんだ、クリュか」

「お客にそんな口を利くの?」

「ごめん。いらっしゃい。ティーオの良品へようこそ」

「良品ね」

 クリュはにこにこと笑いながら店内の様子を窺い、いい匂いがするねと呟いている。

「これ、甘い匂いがする」

「クリュは食べたことないの、ギアノのお菓子は」

「ないよ。あの管理人が作ったの?」

「うん。めっちゃくちゃ美味いよ」

「お菓子なの? パンじゃなくて?」

 説明を聞いて興味が湧いたらしく、クリュは財布を取り出し、どれにしようか悩み始めた。

「おすすめは?」

「難しいな。どれも美味しいし、これは新しいやつで俺もまだ食べたことがないんだ」

「へえ。じゃあ、ティーオの食べたことのないやつにしようっと」

 クリュはいたずらっぽく笑い、新作のお菓子の代金を支払ってくれた。

「クリュ、それ、できたばっかりなんだ。早く食べた方が絶対に美味しいんだよね」

「へえ、そうなの」

「でも店の中で食べるのはちょっと困る。出たとこで食べて、良かったら感想を聞かせてくれない?」

 参考にしたいから頼むよ。ティーオが頭を下げると、クリュは気を良くしたらしく、わかったと答えてくれた。

「ティーオはまだ食べてないんだもんな。わかったわかった、開店祝いに協力してやるよ」


 一緒に入り口まで出て、金髪の美青年の立ち食いを見守っていく。

 ぱくりと口にすると、クリュは美しい目を閉じ、まつ毛をばさばさとさせて唸った。


「なにこれ」

「どう?」

「おいしい! ええ、こんなにおいしいもの初めて食べた! 甘くてふわふわしててさ。なんだこれ、あの管理人、すごいんだな」


 クリュが騒いで、くねくねと揺れる。

 遠くに見えていた通行人が気づいて、視線を向けているのがティーオにはわかった。


「そうなんだ、ギアノはすごいんだよ」

「なんで教えてくれなかったの? レテウスはたまに差し入れもらってたけど、これももらってたのかな? ズルいよ、俺に黙って! なんでこんなに美味しいのをわけてくれなかったんだ」


 クリュの大騒ぎは案の定集客効果があって、遠くで立ち止まっていた数人が近づいてきた。

 すかさずティーオは声をあげて、美味しいお菓子と保存食があるとアピールしていく。


「美味しい保存食って?」

「迷宮探索に持っていける、味付きの干し肉を何種類も取り揃えているんだ。いつ食べてもいいんだけどね。小腹がすいた時とか、酒のつまみなんかにも持ってこいだからさ」

 初日のサービスで試食もできると口にすると、通行人たちは店に入って来てくれた。

 どさくさに紛れてクリュもやってきて、試食をちょうだい、とティーオにねだる。

「ちょっと待ってくれよ、小さく切るから」

 いくつかの干し肉をカットして、お客に振舞っていく。

 みんなみるみる笑顔になっていき、ティーオのテンションも上がっていく。

「味は何種類あるんだい」

「いくらなのかな」

 客を捌いて、会計をして。ティーオの良品をよろしくと叫んで送り出す。


「ありがとな、クリュ」

「なにが?」

「いい宣伝になったから」

 利用されたと思ったのか、一瞬だけ美しい顔が曇る。

 だが、すぐにぱっと笑顔を作ると、カウンターの中に入って来て、椅子に座った。

「今日からなんだもんな。まあ、いいよ」


 男の客が来たら、きっと可愛い娘が店番をしていると思うであろう光景だった。

 彼らの望むような愛想の良い対応はしてくれないのだが、いてくれるだけでも良いかもとティーオは思う。


「そういえば、シュヴァルとギアノが宣伝してくれてるはずなんだけど、クリュも会った?」

「どこで?」

「この道を出た先だと思ってたんだけど」

「会ってないよ」

「人通りの多いところに行ってるのかな?」

「そうかもね。俺、ひとりの時は人がぞろぞろいるところは避けてるから」


 のんきに見えても、苦労は多いのだろう。

 看板娘にしてやろうなどと考えてしまって、申し訳ない気分になっていく。


「ここ、一人でやるの? お客がいっぱい来たら大変なんじゃない?」

「昼になったら手伝いの子が来るんだ。ギアノが紹介してくれてさ」

「そうなんだ」

 じゃあ平気だね、とクリュは言う。

 この同居人は勝手にやって来ただけだが、一人でなくなったことにティーオはほっとしていた。

「今日は探索行かなかったの?」  

「ああ、うん。なんか気が乗らなくて」

「そういう日もあるよな」

「家がどうなるかわからなくて、不安なんだ」

「そっか……。そりゃあそうだな。俺もだよ」


 今日は今日で意識が別方向に向いてしまって、昨日起きた怒涛のあれこれについて忘れてしまっている。

 けれど、日常はずっと続いて、繋がっているものだから。

 閉店の時間が迫ってくれば、ああ、そういえばそうだったと不安が湧き出してくるだろう。


「レテウスは」

 クリュがぼそりと呟いたところで、三組目の客が入って来た。

 お次のお客は少女の集団で、みんな質素な服に素朴な顔だが、お財布片手にうきうきとした様子だ。

「ねえ、ここって前にグラッディアのお店で売っていたお菓子を置いているの?」

「グラッディアの盃だね。あそこで試しに売らせてもらっていたのと、新しく作ったものもあるよ」

「わあ、やった! 本当だった!」

「買いそびれたの、あの時! すぐに売り切れちゃったんだもの!」


 うら若い乙女の集団は火が付いたように騒ぎ出し、店の中は華やかな空気で満ちていった。

 最初のお客様のような爆買いはできないらしく、みんな慎重にどの味のものにしようか考えている。

「これが新しいの?」

 並べられた商品を順に説明して、味の詳細を求められたら話していって。

 きゃあきゃあと騒がしい女性客に圧倒されていると、集団の背後からひょいとティッティが顔をのぞかせていた。

「こんにちは、ティーオさん」

「やあティッティ、御覧の通りなんだ。よろしく頼むよ」

 頼もしい助っ人はきびきびと動いてくれた。

 同じ年頃の女性同士だからなのか、やたらと騒がしい女の子を捌くのも上手いらしい。


 この集団の来訪を皮切りに、ひっきりなしに若い女性客が入って来て、ティーオの良品は大賑わいになった。

 用意した焼き菓子は早々になくなってしまい、次は乾燥果実が売れていく。

 ティッティの宣伝活動の効果なのか、若い女の子たちは昼の休憩時間を利用して買い物にきてくれたようだ。

 時間が経つと客足はぱたりと途切れて、乾燥果実の棚もスカスカになってしまっている。


「すごかったね、お客」

 女性客に圧倒されていたのか、クリュは店の奥に引っ込んでいたようだ。

 やれやれといった様子で姿を現し、椅子に腰かけている。

「この人は?」

「こいつはクリュ。同居人なんだ」

「ティーオさんの恋人?」

「いやいやいや、こいつは男だから」

 ティッティはばつの悪そうな顔で謝ったきり、黙ってしまった。

 クリュは口をとがらせていたが、焼き菓子の箱が空っぽになったことに気付き、「なくなっちゃった」と呟いている。

「全部売れちゃったの?」

「ああ。前に何日か試しに売り出していたことがあったから。その時に気に入ってくれた子が来てくれたのかな」

「女だらけだったね」

「こういう甘いのはやっぱり、女の子の方が好きなんじゃない?」

 若い娘たちは干し肉には目もくれなかった。食べれば案外気に入りそうだけど、とティーオは考える。

「仕事の休憩時間はこんな風になるかもしれませんね」

 ティッティの言葉に頷き、店主はまた考えを巡らせる。

 焼き菓子は日持ちしないから、売り切れた方がいい。既に噂になっているようだし、心配しなくて良さそうだと思う。

 お昼のお菓子ラッシュ以外の時間に、探索の準備をする若者がやってくればいいのではないか。

 なにかいい宣伝方法はないか考えるティーオの耳に、低い声が聞こえてくる。


「やあ、ティーオ。開店おめでとう」

 静かになった店に現れたのはウィルフレドで、大柄な戦士が入って来たせいか店が急に狭く見えていた。

 更にその背後には樹木の神官長もいて、生まれ変わった友人の家の様子を見渡している。

「ウィルフレド! キーレイさんも」

「賑わっていたようだね」

「うん、ギアノが宣伝のために試食品を配ってくれていたから」

「あの味を知ったら、ここに来ないわけにはいかないからな」

 キーレイは穏やかな顔で微笑み、妹がやって来たと思うと話した。

「妹さんが?」

「弟の妻で、義理の妹なんだ。前にギアノのお菓子をもらって、また食べたいと言っていてね」

 きっと最初にやって来た麗しい女性客のことだろう。

 人妻だったかと残念に思いつつも、神官長たちに感謝の言葉を伝えていく。

「様子を見に来てくれたんでしょう?」

「それもあるんだが、我々にも買いたいものがあってね」


 二人のお目当ては、マリートが作った革製品なのだという。

 なんでと首を傾げるティーオに、キーレイは苦笑いしながら答えてくれた。

「マリートは我々には自分の作ったものをくれないんだよ。何回頼んでも断られてしまって」

 結局、また「なんで」の疑問が湧き出してしまう。

 マリートの人となりはますますわからなくなったが、二人は「これで手に入れられる」と商品をじっくり眺めている。

「もう少し大きい袋はないのかな」

「確か倉庫にあったから、持ってくるよ」

 ウィルフレドは頷き、それとは別に小物を入れるポーチを購入してくれた。

 キーレイも飾りを三つも買い込んで、満足そうに笑っている。

「ありがとうございます、二人とも」

「うまくいくよう祈っているよ」

 キーレイは手の形を整え、樹木の神に祈りを捧げている。


 ウィルフレドはカウンターに近づいて来て、新米店主をまっすぐに見つめると、こう話した。

「昨日はすまなかった、ティーオ」

「ああ、昨日ね。俺にはなにがなんだかよくわからなかったけど」

「そこの君もすまなかった。これからの暮らしについて、近いうちに話そう」

 クリュにも声をかけ、ウィルフレドが去って行く。

 二人の立派なお客の姿に、ティッティはしばらくぽうっとしたままで、クリュもなぜだか黙ったままだった。


 また客が途切れて、ティッティから一休みしたらどうかと声をかけられ、ティーオは明るく頷いてみたのだが。

「そういやギアノはどうしたんだ。全然戻ってこないな」

 ここに来る途中に見かけたかティッティに問うも、少女は首をふるふると振っている。

「屋敷に戻ったんじゃないの?」

「いや、シュヴァルと一緒なんだ。勝手にそんなことしないと思う」


 いくらなんでも遅すぎる。シュヴァルを連れ歩くような真似を、ギアノはしないだろう。

 様子を見に行くべきか。

 しかし、時間がどのくらいかかるかわからないのに、ティッティとクリュを置いて行っていいのか?

 

 閉店時間はまだ遠い。

 一番忙しい時間帯は、おそらくもう過ぎただろう。

 ティッティの手伝いの時間も、そろそろ終わりだ。

 客の姿は今のところ見えない。革製品と保存食に大勢殺到するような事態はまだ起きないはずだ。

 ギアノ探しを頼むのにちょうどいいのはクリュだが、引き受けてくれるかどうかはわからない。


 ティーオは首を斜めに傾げたまましばらく考え、悩み、結論を出した。

「ティッティ、今日はここまででいいよ。ありがとうな、すごく助かった」

 一日分の賃金を用意して、ひとまず支払いを済ませていく。

「いいんですか?」

「うん。焼き菓子はもう売り切ったし、今日のところは一旦閉めてギアノを探しに行くよ」

 すぐに見つかればまた戻ってくればいい。片付けや明日の準備は、時間を見つけてやればいい。

「わかりました。朝行ったきりなら、確かに遅いですね」

「まあ、ギアノのことだから心配いらないと思うけど。もしかしたら屋敷でなにか緊急の用事ができたのかもしれないし」

 また明日もよろしくと少女を送り出し、ティーオは売上金をまとめてポーチにしまうと、空き箱を台車に載せて戸締りを済ませた。


 台車を引きながら進むティーオの隣に、自然とクリュが並んで歩いている。

「どこを探すの?」

「なにかあったとしたら、屋敷のことだと思うんだ。ひとまず確認しにいこう」

 箱と台車も戻さなければならないので、とにかくカッカーの屋敷に向かって進む。

 そう遠くもない道のりを進んでいって、台車を裏庭に運び、厨房の裏口から中に入るとアデルミラがいた。

「あ、ティーオさん」

「やあアデルミラ。ギアノ、帰ってる?」

「いいえ、まだですけど」

 ギアノが宣伝に出たきり戻らなかったことを話し、今日はもう営業は終了したことも伝えていく。

「どうしたんでしょうね」

 アデルミラはそう呟いて、はっと気づいたように顔を上げた。

「昨日いらした甥っ子さんがまた来たんでしょうか」

「なるほど、その可能性はあるかもね」

 

 だとしたらどこにいるのだろう。

 道端で偶然出会って、どこかで話し合いでもさせられているのだろうか。

 朝聞かされた、昨日の出来事。ギアノは市場へ行って、戻る途中で甥っ子たちとすれ違った。

 だったら南側のどこかに滞在しているのではないか。

 あっちは高い宿しかなさそうなのにと思いつつも、ティーオはまず、店からすぐの大通りに向かう。


「シュヴァルが逃げ出して、追っかけてたりしてね」

 クリュはのんきにこう呟き、その可能性についてティーオは考える。

「あの子、意外とまともだよな」

「そうなんだよね。態度は荒っぽいけど、結構ちゃんとしてるんだよ」

「俺は蹴倒されて金をとられたんだけどさ」

「あはは」

 冗談だと思ったのか、クリュは朗らかに笑った。

 可愛い顔を責められないし、ティーオ自身もシュヴァルはもう二度とあんな真似はしないだろうと思っている。


 不思議な子供だと考えながら進んでいくと、道の向こうに見慣れた顔が二つ現れていた。

「ギアノ!」

 南側からギアノとシュヴァルが並んで歩いてくる。

 少年はにやにやしていて機嫌が良さそうだが、頼もしい管理人は少し疲れた顔をしているように見えた。

「ティーオ、ごめんな。宣伝するつもりが」

「なにがあったの。探しに行くところだった」

「店は?」

「今日はもう閉めたよ」


 迷子の二人と合流して、結局四人でカッカーの屋敷へと戻っていった。

 お茶を用意すると言われたが断り、まずは事情を聞かせてほしいと食堂の隅に座る。


 アデルミラがすぐに気が付いて飲み物を運んできてくれて、クリュだけがふわふわと嬉しそうな顔だ。


「ごめんな、ティーオ。初日だったっていうのに」

「いいんだよ。なにかあったんだろ? あの甥っ子が来たとか?」

「はは、そうなんだ。大通りにいたら、ブラウジと兄貴がちょうど歩いて来てね」

「揉めた?」

「いや……。いや、揉めたか。うん。揉めた」

 事情を詳しく知らないクリュが、空気を読まずに問いかける。

「路上で喧嘩したの?」

「そうしたくないから説得しようとしたんだけどね。話を聞いてもらえなくって」

 甥っ子の態度は高圧的だった。叔父であるギアノに対してもあんな風だったのだろうか。

 一方、修羅場に同席していたであろうシュヴァルは余裕の笑みを浮かべていた。

「シュヴァル、余計なこと言ったんじゃないか?」

「はあ? 片を付けたのは俺だぞ」

「シュヴァルって本当に偉そうだよね」

「いや、クリュ。諍いを収めてくれたのはシュヴァルなんだ」

 ティーオとクリュが絶句していると、ギアノは更にこう続けた。

「俺はシュヴァルの子分になった」

「子分?」

 ギアノは頷き、シュヴァルは満足げににんまりと笑っている。

「こいつは使える男だからな」

「そりゃまあ、ギアノは最高に使えるだろうけどさ」

「ありがとうな、ティーオ。そう言ってもらえて嬉しいよ」


 管理人は珍しく疲れた様子で、小さくため息を漏らした。

 詳しい事情については心の整理がついてから話すと言われては仕方ない。

 この日の売り上げを渡し、焼き菓子も乾燥果実も飛ぶように売れたことを報告し、保存食については宣伝が必要そうだと伝えていく。


「大丈夫、ギアノ」

「ああ、平気だよ。明日も同じだけ用意しよう。乾燥果実も多めに仕込もうかな」

「無理しなくてもいいけど」

「いつもと同じことをした方が落ち着くんだ。今日は早めに休むようにするし、心配いらない」


 事情が語られる気配はなさそうなので、ティーオもわかったと答えて屋敷を出た。

 クリュとシュヴァル、美少年と美青年を連れて、貸家への道を進みながら話していく。


「シュヴァル、子分にしたっていうのは?」

「家に戻って親兄弟に扱き使われるより、俺の子分になった方が条件がいいって話しただけさ」

「意味がわかんない。なにそれ、シュヴァル」

「俺はあいつを買ってるんだ。なんでも器用にやれるみたいだからな。料理の腕があって、どこでも生きていけるってのも頼もしい。食わなきゃみんな生きていけねえんだから、飯を作れる奴は重宝されるだろう」

「それはそうだろうけど」

「優遇してやるし、俺の手下になりゃ、好きな女と自由に会う時間くらいくれてやるって言ったのさ。家に戻っちまったらそんな待遇望めねえだろう?」

 

 少年はガハガハと笑っているが、ティーオとクリュには事情がさっぱりわからない。

 いつかギアノが聞かせてくれると信じて、今は流しておくしかない。

 そんな思いで貸家にたどり着くと、家の前に仁王立ちしている男がいた。


「レテウス!」


 一番初めに気が付いたのはシュヴァルだったようだが、駆けだしたのはクリュの方だった。

 貴族の青年は駆けてくる美青年に気付いて、ほんの少しだけ口元を緩ませているようだ。


「おい、なんで帰ってきやがった」


 怒りをアピールしながら進んでいったのはシュヴァルで、ティーオも慌てて追いかける。

 とりあえず中に入ろうとクリュが言って、四人はど真ん中の部屋の椅子に並んで座った。


 レテウスは持って帰ったよりも荷物が多くなっているようだ。

 大きな鞄が二つあり、どちらも上等な造りだと一目でわかる。

 文句を言おうとしたシュヴァルを、クリュが制していた。

 まずは話を聞こうよという提案に、少年は舌打ちしたものの、乗り出していた体をもとに戻していった。 


「私には、もう帰る家はなかった。勘当されてしまったからな」

「そんな理由で戻ってきやがったのか?」

「いや、そうではない。勘当はされたが話は聞いてもらった。シュヴァルの言う危機について説明をして、理解してもらったのだ」

「え、本当に? どう説明したの」


 レテウスはクリュをじっと見つめたが、結局詳しい話はされなかった。

 家族には自分の所在について定期的に報告し、誰かがレテウスについての情報を持ち込んでも、無視するように頼んだのだという。


「ここまでの経緯についても説明したが、父上には随分怒られた。なにもかもが半端ではないかと」

 バロットの名にかけて引き受けたのなら、責任を持って果たせ。

 ブルノーの行方を追うのはやめろとは言われたが、シュヴァルの引き取りに関してはやり通せと言われたらしい。

「サークリュードにも言われたな。なんでもやらねばならないのだと」

 それに、と青年の言葉は続く。

「私はブルノー様に頼まれたのだ。シュヴァルを決して死なせないでくれと」


 ティーオは思わずシュヴァルに目を向けてしまう。

 少年は強い目でまっすぐにレテウスを見つめており、口を挟む余地はない。


「……私が目を離した隙に、迷宮に行ったのだろう。あの無彩の魔術師とやらは有名な探索者だそうだが、シュヴァル、迷宮は危険だ。決して行くなと言ったのに」

「仕方ねえだろ」

「私がいなければ危険な真似をしてしまうのだとわかった。いろいろと問題はあるが、解決するために考えていくし、ブルノー様との約束を守る。シュヴァル、君が無事に大人になるよう、側にいて見守っていく」

「生意気だな、子分の分際で」


 シュヴァルの返事は鋭かったが、口元には笑みが浮かんでいる。

 その表情を見て、レテウスも笑ったようだった。


「お前にしちゃまともな提案をしたんだな」

「よくわかってもらえたね、レテウス。レテウスの説明でも家族ならわかるのかな」


 こんな会話で、三人の力関係がはっきりと浮き彫りになっていた。

 新入りがどの位置に落ち着くのかは、これから決まっていくのだろう。

 満ちていた緊張が解消されて、ほっと息をつき、ティーオは口を開いた。


「ブルノーっていうのは誰なの?」

 レテウスが探していたのはウィルフレドだけではなかったのか。

 疑問に思って問いかけると、シュヴァルが答えてくれた。

「あのヒゲオヤジのことだ」


 レテウスが探しているのはウィルフレドではなく、ブルノー・ルディスなる人物であることが明かされていく。

 同一人物だと思うが、真相はまだ謎のままだという事情も聞かされて、ティーオは首を捻った。


「本当にウィルフレドで間違いないの?」

「あんな傑物とそっくりな人間が、何人もいると思うか?」

「うーん」

 確かに、ウィルフレドほどの戦士は滅多にいない。

 背格好、年頃、声まで近い人物が存在する可能性などあるのだろうか。

「兄弟だったりとか?」

「それならそう話すのではないか」

「そっか」


 なにを話しても想像の域を出ないし、これ以上思いつくこともない。

 貸家には沈黙が満ちて、会話は終わったかと思われたのだが。


「そのブルノーってのが嘘なんじゃねえのか」


 ぼそりと呟いたのはシュヴァルだった。


「なんだと?」

「ブルノーの名前の方がニセモノかもしれねえぞ」

「そんな馬鹿な。王宮に仕えていた方だぞ」

「だけど誰も詳しく知らねえ、探すのはやめろって言われるような奴なんだろう?」


 レテウスは口をぽかんと開けたまま、黙ってしまった。

 柔軟な考え方に感心して、ティーオはこう呟いている。


「シュヴァルって何者なの?」

「あ?」

「ウィルフレドとどういう関係? お母さんとなにかあったの」

「知るかよ」

 少年の返事はそっけなかったが、ティーオをじっと見つめ、にやりと笑ってこう命令した。

「夜飯の準備をしなきゃならねえな」

「俺?」

「ああ。眉毛やリュードより、お前がやった方がいいもんを食えるだろう」

 反論したいが、納得してしまっている。レテウスは頼りないし、クリュは気まぐれだから。

「おいレテウス、試しの期間なんかいいからティーオはここに住まわせろ。こいつの店はきっとうまくいく。問題も起こさねえだろう」

「ああ、そうか。店を開いたんだったな。うまくいったのだろうか」

「まあね。まだ工夫しなきゃいけないことはあるけど」


 それは良かった。レテウスは微笑み、ティーオに手を差し出している。

 これで、正式に貸家(ここ)で暮らす権利を得られたようだ。

 クリュも安眠できるねぐらを取り戻して、ご機嫌な顔で笑っている。


「二人ももしかしてシュヴァルの子分なの?」

「そうだぜ。お前もだからな、ティーオ」


 本人たちの代わりに、親分がこう答えた。

 怒りよりも先に、やっぱりそうかという思いが胸の中にあるのに気が付いて、ティーオはやれやれと呟きながら夕飯の買い出しに出かけていった。

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