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十二月三十日。
テニス場の受付のアルバイトは、年末年始でも関係なく出なければならない。流石に元旦だけは休みだが。今日は午後から仕事。日がな一日、椅子に座って入場者のチケットを受け取ったり、テニスコートの貸し出しを行う。電話応対もするが、勝手知ったる客ばかりなので問い合わせのほとんどが、貸し切りの有無を聞いてくるぐらいのもので、施設の使い方などの質問はほとんどない。
九時間勤務で話しかける相手は、バイトの後輩と上司二人と、客が数人といった感じで一日の内に十人と会話すれば多い方だ。
どうして、正社員になれないんだろう、と考えるのは勤続年数五年を超えてからやめた。就職活動をして、ことごとく内定が得られなかった私は、まずは契約社員で入ってのちに正社員にしてくれるようなところで働こうと思った。内定が得られなかったのは、目標が高すぎたせいもあると思う。大学生になってからの私は小説家になりたかったので、ほかに就きたい仕事がこれといってなかった。そうだ、出版社に就職すれば作家になれるのでは? と思って大手出版社にエントリーシートを送るも、学歴が低かったので面接まで行けずに書類選考で落とされた。大手書店チェーンも同じ理由から落とされていると思う。学生時代も、私がなりたかったものは作家だったのだから、就きたい仕事はそれしかなかった。
契約社員のところを転々として、テニス場の受付に落ち着いた。小学生までは獣医さんになりたかったのに、全然違う仕事に就くとは思わなかった。大学の社会学部社会学科、文化・メディア専攻を卒業したのに、そこで学んだ社会のなりたちや、地域に根差したボランティア活動も、仕事に全然活かせていない。受付で、外から聞こえるテニスボールの打ち返される音を聞いて、時間がまだ一時間も経っていないことに絶望する毎日だ。何も起きないまま九時間椅子に座る仕事はそれなりに辛い。まず、腰が痛い。就業時刻の二十一時になるときには、骨盤が岩のようになる。自宅に帰ってから小説を執筆するので、腰への負担は実質十時間以上かかっている。
この暇すぎる仕事にもメリットはある。受付に来訪がないときには、小説のアイデアをメモすることができる。一応、監視カメラがあるので明らかなサボりはできないのだが。監視カメラの向こうの人間だって、セキュリティのために雇われた人間であって、受付の私が小説のために四苦八苦している様子を見ても、何も気にしないだろう。
落選から二ヵ月も経つのに、昨日のことのように虚しくなった。才能のなさを呪いたい。
小説を一作書き上げたことに舞い上がって応募して、自分に自惚れたままサクっと受賞する天才がいる。私ははじめから、無理かもと思いながら書いて、実際無理なのだがそれでもいつかはプロにならないといけないと思っている。そのいつかが、いつ来るのか。
下手の横好きのままではデビューは覚束ない。かといって、一朝一夕で上手くもなりはしない。地道に十五年書いてきた。落選作品数は長編十五作、短編二十作以上ある。そのどれもが、誰にも読まれることなく私のPCとUSBに入っているだけだ。ウェブの小説投稿サイトにも投稿しているけれど。ライトノベルまたは、流行の異世界に転生したようなファンタジーしか読まれないのだから、私の作品はお呼びでない。私の小説は最初から最後まで異世界が舞台で、主人公は日本人ですらないのだから。流行の作品は日本人が異世界に行くことで、日本と比較してファンタジー世界の常識を語ることができるから、書きやすいし、読者も理解しやすいらしい。かといって、私はそれらの作品群がいくら流行っていようと面白いと思えないのだから、書いたところで上手くいくわけがなかったのだ。
最近は、純文学にも興味があり、試しに書いて応募しているので、私は自分がどうなりたいのかよく分かっていない。
高校生の授業で読んだ夏目漱石の『こころ』が好きで、私も純文学を書いてみようと思った。なんとなく、真似してみただけでは書き上げることも難しかった。プロットだけでも何度もやり直して、先に進まない。世の中には私なんかよりも『こころ』が好きな人がたくさんいるだろう。こころファンと比べられたら私はおそらく、知識面で劣るはずだ。なら、私はこころファンではないのか? 今風に言えば推しということになるのだろうか? 夏目漱石を推す? いやいや、私はまだ『三四郎』『それから』『門』の三部作を読んでいない。
だったら、何を推せばいいのか。
テニス場の受付で使用するメモ用紙に、何を推す? と自分宛てに問いを記す。その横に猫の顔を描いてみて、そういえば吾輩は猫であるも読んだことがないと気づいた。
蛍光灯の切れかかった受付の天井ライトを見上げる。私は私の作品を推すに決まっている。落選はするが、世界に一つだけの小説で、本屋には売っていないという付加価値もある。本屋の本棚に置けとは言わないが、学校で使うような机ぐらい一つ借りて、無雑作に本屋の入口に置いて私の作品(家のエプソンで印刷したA四コピー用紙の束を紐で止めたようなもの)を平積みにしてもいいんじゃないだろうか? 本屋を出版社が牛耳っているなんておかしい。もっと開かれたものにするべきだ。個人で本屋の棚を借りることはできないのか? 場所代がかかるのか? 素人の本を並べたら駄目だという出版社のルールがあるのか? テニス場受付の監視カメラを気にしながらスマホで調べる。出た出た。大手書店では厳しいかもしれないが、個人店のような小さい本屋なら営業で回れば自費出版本を置いてもらえるかもしれない。
それって、文学フリマとどう違うんだろう。
いや、小さい本屋さんでも『本屋』なら意味がある。でも、大手じゃないから、並んだうちに入るのかな。一軒の個人経営の書店に私の本(コピー用紙)を置く。もし、それが叶っても誰もお金を払って買ってくれないだろう。そのためには、表紙をプロのイラストレーターまたは、写真家に依頼し、製本しなければならない。だが、それでは自費出版のようだ。
自費出版というのが気に食わない。私は世間に認めさせたいんだ。
ああ、もやもやする。受付に来客だ。適当に愛想笑いをする。
「あなたいつも諦めたような顔をしてるわね」と老婆に言われる。何を言われても何も刺さらない心に、釣り針のようなものが引っかかった。老婆は水曜日に訪れる常連客だ。毎日会っているわけではないのにいつもとは酷い言われようだった。人の人生の浮き沈みなんて、顔色一つで分かるわけがないのに私の顔にマイナスをつけるのはやめて欲しい。私はまだ『小説』だけは握っているのだから。
誰かに教えてもらいたい。どうすればプロになれるのか。かといって、プロの人には聞きづらい。私の作品の良さは結局のところ私にしか分からない気がするから。仮にアドバイスをもらったとしても、私が解釈を間違えてしまう危険もある。作品の良いところを削除して、悪いところを誇張してしまうような改稿をしてしまいそうで怖い。添削サービスはそういう危険が大きいと思う。何度もプロ作家の先生とやり取りをするような小説講座とは違って、一度の赤ペンで終了だ。
小説講座に通えばいいのかもしれないが、お金はないし。そもそも、無料で活動ができるから小説を書いているというのが大きい。絵だったら絵の具、キャンパスといった画材が必用だろう。デジタルでやるにしても、ペンタブなどが必用だ。小説も小説を購入して勉強しないといけないが、そういうときは図書館で済ませることができる。
とにかく、今は耐えるときだ。雌伏のときというやつだ。この前覚えた慣用句だ。
では、継続は力なりなのか。答えは微妙だ。
テニス場の受付の仕事は、六十社以上にエントリーシートを出して、結局大手からも、中小企業からも内定をもらえなかった私が、不器用なりに見つけた『五年以上勤続すれば正社員になれるかも?』という唯一のルートだ。
安月給でも今の仕事を続けることで収支のバランスを取り、ただ今を生きている。だけど、バンドを追いかけるぐらいしかすることがない私に、生きていると言える要素はほかに何かあるのだろうか。
今日の入場者数のカウントをチェックする。たったの八人。私の人件費を削らないと赤字になりそうだ。
契約社員から正社員になるのが先か、私が人件費削減で首を切られるのが先か。それプラス、私がプロデビューして大手を振って、自ら退職願を出すのが先か。いや、プロデビューが決まっても仕事はやめないでとあらゆる小説の指南書に書いてあるから、仕事を辞めるのはなしだが。それでも、脳内でそれを思い描くと、間違った人生に一矢報いるようなカタルシスがある。ということは、私の『今』は間違いと言っていいのかもしれない。
私は間違いの中で息をしている。うん。良い響き。次回作の純文学に応募する原稿にそう書いておこう。ストーリーはまだ全然思いつかないけれど。
じゃあ、落選してから私は一ヵ月の間何をしていたのだろう。無論、それは苦しんでいたのだ。胸を掻きむしるように布団の中でのたうって、呪いの歌を叫ぶ。いや、そこまで過激なことはしていないが、冬布団の中で意図的に寝返りをうちまくると、自身の熱で暑くなる。
それから、読書に励んだ。憧れの作家をどうしても見つけられない。自分の師匠と呼べるような作者の本には出会えていない。自惚れではないが、本屋に自分の思い描く好きな展開の話が見つからないから、自分で作品に落とし込んで書いているのだ。自分の作品が一番好きだという状態が十五年間続いている。
ここ数年は選評や受賞者の言葉も読んでいる。デビューした人は何かに感化されて執筆しているようなのだ。明確な憧れの作家がいると言っても過言ではない。私が好きな話は私の空想だ。頭の中にある。そんな状態だから、アニメもドラマも観ない。最後に観たのは二十年前のロード・オ〇・ザ・リングぐらいかな。いや、友達と一緒に名探偵コ〇ンの映画には行ったが……。
なんでもいいから具体的な指針が必用だと思っている。憧れの作家がいないので、好きな作家を見つけるとか、好きだと思える作品を増やすとか、いっそ誰かをモデルにして書いてみるとか。
真っ先に浮かんだのは、ボナソサのダキさんだ。金持ちで、英才教育を受けて育った。まず最初に開花したのは歌の才能ではなく、ピアノだったらしい。具体的にピアノコンクールを受賞したとか、そういう経歴はないものの、私の中でのダキさんのイメージは日本ジュニアコンクールで受賞しているぐらいの人物に誇大妄想でなっている。とはいえ、根拠がないわけではない。Bonaparte Societyの公式ホームページではなく、ダキさん個人が運営する『愚痴日記』の十年前の日記に書いてあった。〈コンクールで入賞してたころの栄光が懐かしい。五歳だったけど〉という平易な文面だったと思う。
それから、ダキさんは六歳のときアメリカに渡り、英語がぺらぺらになる。ダキさんは英語で苦労したようなことは愚痴日記でも公式ホームページでも、雑誌のインタビューでも書いていない。
日本に帰国したのは、彼が十歳のとき。日本でバンド活動をはじめたのは十七歳。学園祭などで発表したが、カバー曲ではなくいきなり自分たちのグループで作った曲を演奏したので盛り上がらなかったらしい。その最初のメンバーは同じ高校の生徒で、高校卒業と共に受験勉強で解散。ダキさんは高校卒業後、すぐに上京しバンド活動に入る。そのときのバンド名は『いちごなしのショートケーキ』で、メンバーの不仲で一年も経たずにすぐ解散。ダキさんが十八歳のときにできた次のバンドは某少年漫画と同じ名前だったので、出版社から訴えられて変更。現在のBonaparte Societyとなる。
ボナソサのブレイク前日譚として有名な犬の話がある。ダキさんの実家で飼っていた犬が死んだのだ。
ダキさんは翌日東京から地元に帰郷し、バンド活動も休止してしまう。『元々思うように歌詞が書けなかった』とメジャーデビュー後の一番最初のネットインタビュー記事で語っていた。
ダキさんは愛犬のために歌を作った。曲調は変えず、メタルのままで。すると激しいロック調の楽曲なのに歌詞が動物愛に溢れていると話題になりブレイク。といっても、アイドルやダンスユニットに比べると、アニメソングとタイアップしていないただのロックバンドなんて、世間の評価は知れている。音楽番組のエンディング曲に選ばれて、毎週水曜の深夜にテレビで放送されることとなっただけだ。しかも、一曲全部ではなく、サビの部分だけが採用された。
ダキさんの人生は私のような地味な人生を送ってきた人間には、あまり参考にならない。ダキさんのブレイクには愛犬の死が絡んでいる。ならば、私がプロデビューするには身内の死が必用なのかもしれない。おばあちゃんはすでに死んだ。ほかに誰が亡くなれば私はプロになれるのか。




