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  作者: アワヨクバ
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 ボナソサことBonaparte Societyは、知る人ぞ知るオルタナティブロックバンドとかメタルバンドと呼ばれている。


 出会ったのは私が二十代のころ。もう十年以上聞き込んでいる。


 ナポレオンのボナパルトから命名されたバンドで、革命を起こしそうな野心を彷彿とさせるバンド名に反して、甘い歌声と動物愛護をテーマにした歌で人気を博している。代表曲は『猫踏んじゃいやん』だけど、私はあまり好きではない。カップリング曲の『犬も踏んじゃだめよ』の方が好き。


 ボーカルで作詞作曲を担当するダキは、もっとかっこいいと言われたいのに何故か声が優しいだとか、癒されると言われて困っているのが常だ。歌詞が動物愛に溢れているから、どれだけヘビーなギターをかき鳴らそうが、デスメタルのような曲調にしようが癒しが提供されてしまうギャップが良い。ダキ本人はそれを納得していないのだが。


 十月十二日。


 私は仕事帰りに大阪ミナミにやってきた。ボナソサのライブに行くのだ。この日を小説の新人賞の一次選考通過発表日より心待ちにしていた。落選はアホみたいに経験しているのに、慣れないし、ボナソサのライブも毎回緊張する。


 ライブハウスはキャパシティ千人ほどで、すでにその入口付近に私と同年代よりもやや年上のファンキーな男女が多く集っている。


 SNSの作家志望者仲間のラキを今回はじめて誘ってみた。


 ラキとは何度もオフ会で会っているが、食事会以外での交流は初めてだ。緊張すると思っていたが、ネット上の態度と現実の態度がお互いに一致していたので、ギャップもなくため口で話すことができる。


 ラキは私よりお姉さんで四十歳。細身の高身長だ。細長い顔と、細い眉(おそらく剃っている)から、妖艶な雰囲気がある。主婦らしい。


「嘘? 絶対夜のお商売をしていると思う」


「見た目で判断するな」と怒られた。


 それでも、私よりファンデーションは白いし、目元にはマスカラをつけているし、私はマスカラをつけたことがないからちょっと気持ち悪さを感じてしまい、それが妖艶さを感じた原因かもしれない。


 それに気になるのは小さい口だった。AI美女とかSNSでよく見かける架空の美女感がある。彼女の小さい口は、するめも、せんべいも食べたことがないように見える。


 黒のノースリーブに、白のAラインスカート、オレンジのサンダルを履いていた。ノースリーブとか大人びた雰囲気が強烈だな。私は絶対着こなせない。それから、強烈なオレンジのサンダルも私には扱えない色だった。


 半年前、いきなりオフ会も挟まずに、ロックバンドのライブに行こうと話がとんとん拍子に進んだのが怖かった。


 物販はいい大人が興奮しているのが、見ていて痛々しくて買う気になれなかった。それに、タオルが二千七百円と高すぎる。安物の洋服が買える。どうせ、生地が悪いのだから、無理に買う必要はない。ライブグッズは、ほかでは売っていない唯一性を売りにしているだけだから、素材の質がおろそかになりがちだ。ファンは文句を言うだけ言いながら、慎ましく買うしかないのだが。


 ラキは物販には興味がない。


「グッズを買わないのに、ファンと言えるのか」とラキが口元を引きつらせるような笑みを浮かべて言う。


「さあ。でも、私は金欠のファンだから。チケット取るだけで精一杯」


 私が誘ったとはいえ、ラキは何を思ってボナソサのライブに来てくれたのだろう。布教したのは私だが、だいたい動物愛護なんて前面に出して歌っても、説教くさいと言われて若者や同年代の女性には刺さらなかった。だから、年上のラキに刺さる要素がないと思っていたのだが、ラキは私が聞くなら聴いてみると言ってついてきた。「まるもちが聞くなら」の間違いじゃないかと思った。


 まるもちも小説家志望者で、私とラキの仲間の男性だ。ラキはことさらまるもちと小説の読み合いを行っている。


 ラキがまだ私に人間的興味を失っていなかったことが嬉しかったので、何がこのライブに来る決め手になったのか聞かないでおいた。


 ラキが大阪在住じゃなかったら、誘っても来なかったと思うのだが。ラキは堺市から来てくれた。大阪市に住む私からしたら遠く感じるのだが、ラキは難波まで近所の公園に来るような気軽さでやってきたのだから、ラキのことが分からなくなる。面と向かって会うことで、余計にラキがつかみどころのない人間に思えた。


 もし、まるもちが東京在住じゃなくて、大阪の人だったらラキは私を理由にやってこなかっただろう。私が誘ったのにも関わらず。


 その場合、ラキとまるもちの距離が接近し、私は後方で二人を見守るが、それでも三人で買わないはずのグッズのために、今頃は物販に並んでいたかもしれない。


 私は純粋にボナソサのライブを楽しみたいのだが、ラキを誘ったことで、普段自分が取る行動が変えられていると気づく。


 ラキと話すことはたくさんある。開場時刻までまだ三十分もあるのだから、ボナソサの話で盛り上がってもいいし、なんなら小説の進捗状況を報告し合ってもいい。本日のメインイベントがこれからはじまろうというときでも、頭の片隅にわずか一パーセントでも『小説』のことを考えておくべきという考えがあって、私たちは物書きだなと誇らしく思う。ただ、物書きであるというだけであって、プロではない。『物書き』という語は不穏だ。アマチュアもプロも内包し、区別がつかない言葉だ。私は物書きという語を自分にとって都合よく使って、落選した惨めな日には使いたくなくなる。


 二時間以上もあるライブは座席なしのスタンディング形式で、運動不足の私はずっと立っていられるのか不安だった。私はテニス場でバイトしている。そう言えば聞こえはいいが、その実受付に座っていることが多いのでテニスプレイヤーたちとは無縁の運動音痴でも受付で働けてしまう。


 二時間以上も立ちっぱなしで誰かを応援するのは、一大イベントだ。クリスマスはぼっちは当たり前、正月のカウントダウンはやらずにすぐに寝る。正月だろうが、良い子は寝るという習慣がそのまま三十代に突入しても続いているので、応援は慣れない。


 作家志望者の仲間の嬉しいお知らせ(受賞とか、書籍化とか)を素直に応援することに抵抗があるのだが、ボナソサは無条件で応援できてしまう。それは、自分とは無関係だから。ファンなのに無関係って味気ないけども。だけど、ファンなんて、そんなものだと思う。私はボナソサのすべてを知りたいと思っているし、雑誌やネットのインタビュー記事で知れることはすべて知ったつもりでいるが、それは情報媒体を通してボーカルのダキさんをろ過したに過ぎない。


 開場してからも、舞台にダキさんが登場するまで一時間はある。私はもっと前の方で見たかったけれど、ラキがのんびりと歩くのでそれにつき従った。私が取ったチケットだから、私がもっとぐいぐい主導権を握っていいはずなのだが、できなかった。


 周囲のファンらが早足に前の方の場所取りに勤しむのを「私たちは後ろでゆっくり見るから平気」という顔で余裕をかますのは、自分を偽りすぎた。


 ラキの隣で私は一人で苛ついた。だが、年上のラキには従うという、謎の年功序列がSNSではない現実世界だからこそ起こってしまう。


 ラキに遠慮することはないと思っていたし、顔の見えないSNSでは、対等な関係だった。それが崩れてしまったので、明日からどんな顔でスマホに文字を入力すればいいのか分からない。


 白い煙幕。舞台上に人が歩いてくる。シルエットで誰が誰か分かる。ホールやドームで開催するバンドなら、登場するのにも、溜めやクールな演出がつくものだが、このシンプルに早く現れてくれるだけでも、私には充分に脈が速くなる要素だ。


 ラキは興味がなさそうだ。煙幕の向こう、すぐそこにダキさんが立っているというのに、ラキはまるでまだ難波行の電車に乗っているような赤の他人感をスマホをいじることで演出している。どうして、目と鼻の先にいるのに、心はスマホに囚われたままなのだろうか。


 私も気になって、隣にいるラキが何を呟いているのかツイッターを開いてみる。ラキはライブとは関係のないことを呟いていた。


〈留守番させた旦那、冷蔵庫に入れておいたケーキ気づいたかな?〉


 なんとも微笑ましい。なんだ、ラキはまるもちラブではなかった。突然、隣のラキが家庭持ちの主婦という感じがした。今さらだが。


 ふと我に返る。ステージ上のダキさんとの距離五メートルのところで、ダキさんは何やら機材の最終チェックをし、私たち二人は俯いて黙々とスマホをいじっている。こんなに近くにいるのに、音楽が奏でられるまではファンとダキさんは赤の他人だと思わされて悲しかった。


 慌ててスマホをしまう。ラキは開始一分前までスマホをいじっていた。


 暗転。ついに来た。


 誰かの黄色い悲鳴で、はじまった! 出遅れた! と喉の奥から普段使わない自分の甲高い声が出た。十代の若い女性ファンと同じ声だったので、自分が三十代だと忘れた。


 突然のライトアップでバンドメンバー四人が青白く浮かび上がる。


 ベースとドラムの爆音。歌が始まる。音圧で胸がつかえそうになる。毎回ライブハウスに入るとこんなに音が大きかったっけ? と思う。


 跳ねるダキ、ステージの端から端まで走るダキ。踊り狂うダキ。私はそれを一秒たりとも見逃さないように目で追う。焼きつくのはたぶん、この動体視力を駆使した時間の一割にも満たないだろう。それでも私は四歳年上のダキさんが、ライブに使う人生の時間を、私の人生の指針となるように目と耳を駆使して追い立てる。


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