17、18
十一月七日。
ボナソサのライブツアーの日程が決まった。
私は熱が出ない限りは関西公演は全部行く。今回、出費は四万円近くなりそうだ。
ファンの数が特別多いわけでもないので、チケットはほぼ確実に取れる。それでも抽選結果を、これから二週間楽しみに待つ。
いつの間にか、まるもちがペンネームを『呂畑太郎』に変えていた。二冊目刊行時に変えたらしい。『まるもち』じゃミステリー作家らしくなかったのかもしれない。
ラキは相変わらず元気そうで、過去のツイートを遡って覗いてみると〈まるもちのままの方が良かった〉とぼやいていた。ラキでもまるもちに助言を失敗することがあるのかと少し驚いた。なんだか人間らしくて笑ってしまった。
十二月二十四日。世間はクリスマス一色だ。
ボナソサのライブは最高だった。ライブハウスから吐き出されて駅のホームに着くと、二百人ほどのファンに驚いたホームにいる人々が、誰のライブだったのかと話をする。ライブハウスには千人ほどがいたから、続々とホームにファンが入って来るだろうが、何も知らない人から見れば、そんなに売れていないバンドの謎のファンのことなんか、調べようとも思わないだろう。
それでも、音楽業界はすごい。各都道府県に千人のファンがいるということは、アマチュア物書きの私からすれば、えげつないことだと思う。
小説投稿サイトに、流行にちっとも乗っていない古き良きファンタジー小説を投稿し、一日に一人が小説のあらすじが書いてある表紙部分を開いてくれたら、万々歳だ。PVが十になれば、今週はよくやったというレベルで、三十話もあるが二話まで挫折せずに読んでくれたのなら、それはもう奇跡だ。
ブックマークがファンの数ということになりそうだが、私の駄目駄目な小説では知り合いのよしみでブックマークが一になればいい方だ。もう流行作品に合わせる気はなくなったので、小説投稿サイトからのデビューを狙うより公募でどこかの新人賞に送る方向に切り替える。
ボナソサは路上ライブで声をかけられてデビューに繋がった。
路上ライブは不特定多数の人が聞くことになるが、どうしてそれがデビューに繋がるのだろう。小説ではほとんど奇跡に近いことだと思う。小説投稿サイトもいわば道端で、小説を不特定多数の人に向かって投げるのだが、そのサイトに集まる人の趣味趣向が偏っているから、たぶん声かけの代わりにランキング入りという制度があって、それでデビューしたりする。路上にいる不特定多数の人とはつまり、流行を追いかけるミーハーばかりか。なんせ、小説投稿サイトは年齢層が若い。読者層はこちらでは選ぶことができない。
ホームに電車が入って来た。このまま飛び込めたらどんなにいいだろう。プロにならなくてもいいんじゃないか。私がプロにならなくても、本屋は回る。ガリレオみたいだ。それでも、本屋は回る――。
ホームにラキがいた。
見間違いかもしれない。だが、AIが描いたような小さい口は、現実に存在するには小さすぎる気がする。色白で骨のように細い身体と、遠くからでもはっきりと見えるマスカラ。これだけでラキだと決めつけるには証拠が少なすぎた。
ラキならまるもちと行動を共にしているのではないか?
それでも、一パーセントでもラキだと思えば、もうそれはラキだった。
まるもちを探そうと思って、まるもちの顔を知らないことに気づいた。まるもちはラキにも私にも素顔を晒していない。
ラキは真っ赤なスマホを眺めている。黒のエナメルの手提げバックを持っており、そのバッグにボナソサのバンドマークの入ったキーホルダーがついていた。
いつからファンになったのか。最初に誘ったのは私なのだから、ファンになったのならなったと教えてくれれば良かったのに。
ラキが同じバンドを好きになるなんて思わなかった。ラキにはボナソサの動物愛護の歌を聴いてもらいたくない。
ラキはボナソサの何が好きなの?
ダキさんのことをどう思っているのだろうか。ラキはまるもちのファンでしかない。ダキさんのことは一言も口から聞いていない。
まるもちは? まるもちなしのラキなんて考えられない。
ラキとまるもちなら、SNSで一日だって黙っていられない。今日の出来事の一つや二つは必ず書き込む。私はまるもちのツイートを遡る。〈家最高です〉とのツイート。
まるもちは、家でごろ寝していた。なんでも、朝から晩まで何時間眠れるかを測るらしい。丸一日を無為に過ごしている。こんな人がプロデビューするのかと、ラキとは関係のないことで嫉妬に襲われた。
それでもため息だけついて、今はまるもちのことは置いておく。ラキのツイートを調べる。ラキの方でも、ライブに関することは何一つ書かれていなかった。それでも、毎日何かしら発言しているラキのことだから、隅々までチェックすればそれらしい発言を見つけることができるかもしれない。
三日前に遡ると、その片鱗があった。
〈愛猫踏んじゃった……大切にしなきゃだめだな。モップと同色だから、紛らわしいw〉と、愛猫の写真もアップしていた。ボナソサの代表曲『猫踏んじゃいやん』を想起させるコメントだ。
ボナソサに関するツイートに近しいものはそれだけだった。一週間前のツイートで私の神経を逆なでするような言葉を見つけた。
〈どうせあいつはここ見てるんだし、隠してもしょうがないか。勝手に人間関係自然消滅してくんないかな? てか、普通さ、避けられてるって気づいたら自分から去るよね?〉
もちろん私が名指しされているわけではないし、私ではない第三者の可能性もある。ラキはこつこつフォロワーを増やして今は、九百人いる。ラキの交友関係はまるもちを中心として広がっているようで、まるもちの友はラキの友といった具合だ。私以外の人間ともラキはときどきもめている。原因の大半はラキが無自覚なまるもち信者であるために、小説の読み合いをしたときに、なんでもかんでもまるもちの小説と読み比べて評価をつけていることだ。まるもちと共通の知り合いだった場合は、まだましだ。まるもちのプロの作品と比べられたらラキの批判も最もだと引き下がる。ところが、まるもちを知らないでラキに小説を読んで下さいと頼んだアマチュアは酷い目に遭う。まるもちならこう書くというアドバイスをされるのだ。それに反発する人は多い。ラキに審美眼があるとは思えないのは、私だけでなかった。
ラキは腹を立て〈せっかく読んであげたのに。評価が欲しいっていうから評価したのに、指摘したらキレられたんだけど。まるもちの足元にも及ばない素人が何言ってんだか〉と、次々に人との縁を切っているようだ。
私も素直に人間関係を一刀両断にできたらいいのに、どういうわけか、ラキがボナソサ好きだと分かったら、余計に縁を切るに切れなくなった。
ボナソサだけは、私の中で完結していて欲しかった。誰かにおすすめするんじゃなかった。




