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五月七日。
まるもちのデビュー作の小説の書影が公開され、発売情報が解禁となった。来月の今頃には晴れてミステリー作家になるまるもちは、身近な友達から『作家先生』へ変貌してしまう。別に先生と呼べと言われたわけでもないし、言う必要も感じないが、私とまるもちは月とすっぽんになってしまう。
SNS上だけのつき合いなのに、私はSNS上においての周囲を気にする。SNS上の知り合いはみんな、ラキ、まるもち、私を三人組だと思っている。ラキに倣ってまるもちに無意識に『よいしょ』するために「おめでとう」をよく言うようになった。ことあるごとに、「発売日が待ち遠しいね」と形だけ発言する。
スペース内でラキと決裂したのは、夕方だ。
新作の宣伝活動やら、編集部によるツイッタースペースでのイベントでまるもちは忙しくなると言ったあとだ。
ラキが「まるもちなら、編集さんもやり込めるでしょ。人前で話すのに今さら緊張するとか、おかしい」と冷やかして、まるもちが歯茎から音を漏らして苦笑いする。
「いや別に編集さんは気にしてないんですよ。僕が困っているのは、リスナーさんが集まるかどうかってことで。誰もいないのに、独り言を話すような状態になったらと思うと不安で」
「集まるでしょ」
私は根拠もなくそう言った。というより、書影が発表されて、宣伝活動も出版社がバックについているのにスペースに人が集まらないはずがなかった。気弱な振りをしているまるもちが許せなかった。私のスペースにはまるもちとラキしか来なくなった。というのも、スペースはリリースされた当初は色んな人がゲリラ的に来訪していたが、仲の良い仲間が固定化されてしまい、参加者がほとんどいつもいっしょという事態がどこのスペースでも起こっていた。
これから、まるもちが活躍するほどに、私たち三人の空間にまるもちのファンがリスナーとして参加してくる可能性があった。
「集まらないかもしれないから、まるもちが心配してんでしょ」
ラキが不服そうに私に言った。
プロデビューが決まっているのに、何を悩む必要があるのか私には分からなかった。私にはないものばかり手に入れて行くまるもちは、私の悩みのお手本にもならない。同じ悩みだなんて言わせない。同じ心配事をしたことがあるとも言わせたくない。
プロとアマチュアの壁には、技術だけでなく、精神面においても隔たりがあるのかもしれない。
プロの悩みはいいなと思う。
「どうせ、中村はまるもちの本、買わないでしょ」
「そんなことないよ。てか、なんでそんなこと言うの」
「ミステリーなんか中村には分からないでしょ」
「まるもちの作品は読むよ。オチさえ先に教えてもらえれば。犯人はどうせ当てられないし」
まるもちの作品を見せてもらえなくなって、何カ月経っただろうか。
「ああ、中村アベレージにはきついかもしれないですよ。どんでん返しが三回あるので、今回頑張って書いたポイントでもあるんですけど、ミステリー初心者には一読しただけではオチが分からないかもしれないですし。あのレーベルだから出させてもらえた感じなんですよね。ファンタジーもOKなノンジャンルのところだったので、トリックは本格ミステリ風なんですが、主要人物がみんな妖怪っていうのがほかのミステリの新人賞では減点されかねないところを上手くすり抜けたというか。それでも、ミステリ好きのために書いてますから、どんでん返しでついていけなくなったら、おしまいです」
私はミステリ書きではないから、特に悔しくはなかった。だが、ラキが「買わなくていいよ。あたしが代わりにまるもちの本買うから」と言ったのがイラっときた。
もういい。なんでこんな人たちとつるんでるんだろう。
「私も買うって言ってるでしょ」
思ってもないことをまた言ってしまう。おそらく実行には移せる。でも、最近の本の値上がりは甚だしい。まるもちの本を買うぐらいなら、ファンタジーの勉強をするために、西洋の歴史入門などの文献を購入した方が有意義な気もする。
「別にいいですよー。本にはターゲットにしている読者層というのがありますから。僕はラキさんに向けて書きました」
ラキは半信半疑のような声で尋ねる。
「本当? まるもちはほんとおだて上手。四十代にもなってどこでそんなこと覚えたの?」
「冗談ですよ。でも、ラキぐらいの三十代、まあ、下はギリギリ二十代後半までなら読めるかなと思うところを狙って書きました。中村アベレージも三十代だから読めるはずなんだけど、まあミステリに縁がない人もいますから。お気になさらず。やなせたかしさん知ってますよね? 絵本書いてた人なんですけど大人の評判は悪かったのに、子供に受けた。そう、アンパンマンです。中村は自分の年齢より下の人に向けて書く方が楽でいいと思うんですけどね。だから、僕のミステリもあと十歳ぐらい年を取ってから読んでいただくと、理解できるかも」
「うわー、まるもち言っちゃったよ。中村がアホだって」
アホだと思っていたのかと私はひたひたと怒りが溜まるのを感じた。
「アホとは言ってないですよ。合う本合わない本がありますよと言いたかったんです。本はターゲット層と合致しないと、どんなにベストセラーの本でも面白くないですから。ベストセラーの本はそういう意味ではターゲット層、間口が広い本でもあるんですけど、たぶんラキさんは偏屈だからベストセラー本も合わないと思います。まずは、自分がどういう本を好きなのか探してみては? 僕の本なんか読まずに。ミステリが合わないと分かっているんですし」
「じゃ、まるもち、うちらのグループから中村抜いてもいいよね? どうせここにいてもまるもちの本読めないし、読んでも酷評しかしないでしょ」
「え? ラキ。それ本気で言ってんの?」
読んでも理解できないことは、あるかもしれない。だが、酷評するときはちゃんと内容を理解した上でやっているつもりだ。
「これって創作グループでしょ? 読めないんじゃ意味ないよね? あんたいつも自分の小説ばっかりあたしらに読ませてんの分かってる?」
「だって、それはまるもちの作品を見せてくれないからで」
「あんたに見せても役に立つアドバイスもらえないからだよ」
まるもちがずずっとお茶をすする音が聞こえた。それから立ち上がるような衣擦れの音がした。
「僕、トイレ行って、風呂も行ってきます。このスペースずっと開けとくので、適当に話していて下さい」
今日のスペースのホストがまるもちだったことをすっかり忘れていた。まるもちのお祝いをしないといけなかったのだ。
どうして、こうなったのか分からない。
ラキは私の普段からの読解力のなさや、会話下手な発言を責めていた。ラキは私を排除したいのだろうか?




