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四月二日。
深夜のスペースにて、とうとうこの日が来た。
まるもちが短編ではなく長編でコンテストを受賞した。昨日だったら、エイプリルフールだって、断罪できたかもしれないが、どうやら本当らしい(まるもちは嘘を吐くような人ではない)。ネット小説のコンテストでは珍く、ミステリーを募集していたので、ここぞとばかりに応募したという。まるもちは長編を二十作品持っていて、受賞したのは二十一作品目だそうだ。
私は十年以上かけてやっと十作ほどしか長編を書けていないのに、たった二年の執筆活動でまるもちは、二十作以上も書くだけの速筆とそれだけのアイデアや書きたいことを持ち合わせていることに私は納得がいかなかった。
納得のいかないものが、認められる世界だ。どれだけ納得できなくても、選考委員を納得させればそれが正解となる。私は認めないだのと心の内で言っていたところで、まるもちの受賞作品は半年から一年後には本屋に並んでいるだろう。
まるもちの受賞に湧いていたのは、本人よりもラキの方で「これから赤飯を炊いて食べる」と言う。「中村にも編集にどんなことを言われたのか教えてあげます」とまるもちは律義に私にDMを送ってきた。ラキにも同じことを言っているのかもしれないが、つぶさに詳細を知りたいと思う気持ちとは裏腹に、余計なお世話だと苛立ちが募った。
編集によるさりげない会話や所感も、受賞者だけに許される権利のように思えてなんだか辛い。一次選考すら通過できない私は、もしまるもちの作品の選評を読ませてもらえても、内容が理解できないかもしれない。そもそも、まるもちの作品はまだ見せてもらっていない。知らない作品の知らない選評が私の作品に活かすことのできる栄養源となるだろうか? そもそも私はミステリーを読まないし、書かない。
まるもちの受賞報告のツイートは、『二百いいね』がついていた。
リプライには、私もたまに話すツイッター仲間がいた。メメちゃんだ。現役女子高校生だ。
〈まるもちさんおめでとうございます。私もまるもちさんみたいな、速筆のプロになりたいです〉
メメちゃんが尊敬しているのは、知り合いのプロ作家さんのはずだ。そうか、メメちゃんが好きなものは『プロ』なんだ。そして、まるもちはもう、ほとんどプロと言って良かった。あとは刊行するかしないかのところまで来ている。
のほほんとしているまるもちを囲うアマチュア作家の輪は、まるもちから何か引き出したいという欲という名の毒も含んでいた。
私の知らない間にまるもちには、そういう作家の集まりができていた。何もSNSはツイッターだけではないのだ。入口はツイッターであったかもしれないが、プライベートな話をするために、別の音声通話アプリ、LINE、ディスコードにグループを作ってやり取りしているのかもしれない。
私とラキ、まるもちはついにLINEを交換した。遅すぎるぐらいだった。まるもちは、私とラキを抜きにして、ほかの仲間を作り始めているのかもしれない。
私のLINEは本名でやっていたので、できればラキとまるもちであっても、教えたくはなかった。だが、LINEはとても使い勝手が良かったし、なんならツイッターのスペースのように音声通話をほかの誰かに聞かれることはなく、グループ三人で会話に集中することができるはずだ。
それでも今さら感があった。ラキとまるもちだけで仲良くしていればいいのだ。実際、普段の会話には混ぜてもらえるが、作家志望者として知り合ったのに執筆の進捗状況や創作の話にはあまり混ぜてもらえない。
ラキはより激しくまるもちに接近するだろう。
受賞したのはまるもちの才能なのだが(私は認めたくない)、ラキは自分の助言に酔っており、「まるもちのためならなんでもする。東京まで家事を手伝いに行くよ」と言う。
もし私たち三人がオフ会でもすることになったらと思うと億劫だ。
SNSは思念みたいなものだ。
ラキがツイッターの独り言で〈あいつをLINEに誘ったのは義理だからなぁ〉とぼやいていた。あいつとは私のことだろう。矢口きざしという私の本名が義理によってラキに知られたのがしゃくに障った。ラキの松井芳江という本名が分かったので、おあいこなのだが。まるもちはLINEでも本名を名乗らず、まるもちのままだった。




