時計塔、再び。
よろしくお願いします。
もう直ぐ、夕方の5時を示す鐘が鳴ります。
本日も私は学園内にあります時計塔の一番上におります。
理由はーーー言わずもがな。
私の安息を掻き乱すレダグロッド・ビスデンゼ侯爵令息様の所為ですわっ!
学園復帰をしてからほぼ毎日現れるビスデンゼ様に言葉巧みに誘導され、逃げることもままならず、お茶の席へ連行され、気が付けば寮のベッドで朝を迎え、提出しなくてはいけない課題を忘れ、先生方からお叱りを受け、今日こそはと忍んで寮に戻ろうとするも、私の行動を把握しているかの様に現れたビスデンゼ様に連れ去られるという日々が続いているのでございます。
あり得ません!
私の学園生活が脅かされております!
このままですと、中間キープの成績を保つことができず、両親の元へ学園からブラックメールが届いてしまいますわ!
そのようなことになれば、良縁は見込めません!伯爵家は縁戚から養子をとって私は家を出されてしまう可能性もあります。
最悪なのは、後妻か修道院。
後妻と言っても余程おかしな方で無ければ良いのです。
例えば、借金で首が回らないだとか、奥様が三人も四人も五人もお亡くなりだとか、愛人が三人も四人も五人も囲っているだとか、ご病気で寝たきりだとか、おかしな趣味や怪しい噂がある様な方だとか、私のお父様よりもお年を召していらっしゃるとかーーー。
でも、私にも未来の展望がありますの。
ええ、贅沢など望みませんわ。真面目な旦那様と可愛い子供が三人。優しく穏やかな暮らしであれば良いのです。
と、頭を過ったのは、揺れる真っ赤な髪と、柔らかく細めた金色の瞳。
『フィル!』
耳に残るヴィの声が私の胸に小さな痛みを生み出します。
あの頃のこと思い出して、思わず顔が綻ぶのは、あの頃がとても幸せだったと思えるから。
大好きなヴィとダグとローズとゴディアスと緑に囲まれた優しいレジュレ。
変わっていたのでしょうか?ヴィが………笑って、私の隣に居てくれたなら。
ーーーダメですわ。まったくらしくないんですもの。ローズ様に笑われてしまいます。
今日はお家の御用でお休みされると、昨日ビスデンゼ様が仰ってました。
ですから本日は待ちに待った絶好の発散日なんですの!
最後にもう一度耳チェックをいたします。
耳栓良しっ!ですわっ。
イヤーマフ良しっ!ですわ。
マフラー良しっ!ですわ。
マフラーは厚手の物で、三重ぐらい巻ける長さを少しきつめにイヤーマフの上から巻きます。この場合、髪は結い上げないようにしておくことがポイントですわね。頭が物凄いことになりますから、侍女に怒られます。
時計の大きな針がカチッと鳴ったと同時に鐘が鳴り出します。
鐘は大きさの違う物が三個吊るされております。それが交互に動き音を奏でます。
大きく深呼吸を二回程したところで、針がカチッと音を立て鐘が前後に大きく揺れ出し、音が街中に響き渡ります。
私も鐘の音に負けずに叫びますわっ!
ゴォーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン
『いい加減にしてくださいましぃぃぃぃぃぃっ!』
ゴォーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン
『私はすっっごぉくぅ迷惑なんですのぉぉぉぉ!』
ゴォーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン
『あなたのせいで、不幸の手紙が届きますし、部屋の前の廊下や教室の机の上にはゴミが散乱しておりますし、食堂ではお水も紅茶も降ってきますのよ!どうしてくれますのぉ!』
ゴォーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン
『穏やかな学園生活だったはずが、スリルとサスペンスで殺伐としておりますのよ!どうして放っておいて下さいませんのぉ!構わないで下さいませぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!』
ゴォーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン
『私のささやかな未来をぶち壊さないで下さいませぇぇぇぇぇぇ!』
久しぶりの発散に気持ちがスッキリいたします。来て良かったですわ。後でちゃんと喉に良いお茶をいただきましょう。
螺旋階段をゆっくりと降りながら、マフラーを取り、イヤーマフを取り、耳栓を取ります。
そうそう、耳栓は新しく改良いたしましたの。何でも新素材で遮音性に優れていて、弾力性が良く耳の内側にフィットしますの。
実際頭に響く鐘の音は更に軽減されてましたわ。着け心地は申し分なしですし、外した後の違和感も前の物よりも気になりません。
さすが職人さんですわ。改良を重ねる度に良い物と成るんですもの。私だけが独占するのはもったいないと、これは売れると進言させていただきました。
髪を手で梳き、危ないので途中立ち止まり持って来た手鏡でお顔をチェックいたします。
この街一番の高さの時計塔ですから、毎回登るのも降りるのも大変ですけど、これも達成感を得るための試練だと思っておりますの。
そう言えば、この時計塔を管理するデルクさんに久しぶりに鍵を借りに行きましたら、以前は申告だけででしたのに、今回からチェックシートに記入することになりましたの。
何故?とデルクさんに聞きましたら、
『信望者達がうるさくてほとほと参りましてなぁ。』
と、前歯の抜けたデルクさんが、カッカッカッと笑って申しておりました。
……信望者?とはどういうことなのでしょう?
つらつら考えて階段を降りていると、エントランスが眼下に見えてきました。
今日も気持ちよく鐘と同調することができました。お腹も空きましたから、部屋に荷物を置いて食堂に向かうことにいたしましょう。
時計塔でのストレス発散は頻繁にはできませんけど、前日から体調をベストな状態に保ち全力で挑んでおりますの!
などと思っておりましたら、階下のエントランスに到着いたしましたわ。
扉の取っ手に手を掛け薄く開けて外を伺います。見られてはいけませんから!
夕方ですから時計塔の辺りをウロつく方はそんなにはおりませんわ。
人がいないことを確認して素早く扉を抜けると、近くの大きな木の陰に隠れます!
息を調えて、大きな仕事をやり終えた達成感に鼓動が幾分早く打ちますが、これがまた何とも言い難い気持ちの良さなのです。
と、ここまではいつも通り順調に進みましたが、前回はソレを打ち破るようなーーー
「ぶーーーーーーっっっ‼︎ 」
吹き出す笑い声、再び⁈
「……ホラ、また見つかってしまったではありませんか。」
「今回はソッとしておいてあげようって、言ったのに。」
「ビスデンゼ様ご自身でマールから嫌われようとしていらっしゃるとしか思えませんわね。」
なっ……なっ……なっっっ⁈
「パティ、思っても言葉に出さないの。」
どっ……どっ……どっっっ⁈
「ぶっ‼︎ ダメだ!腹がよじれる‼︎ 」
「……笑い過ぎだ、レダ。」
こっ……こっ……こっっっ⁈
「マール、私は嫌だって断ったのよ。だってここはマールの聖域なんですもの。マールが知られたくないって知ってるから。なのにリューが、」
いっ……いっ……いっっっ ⁈
「思った通りのリアクションをするフィルマール様が尊い!」
「なんで僕の所為にするの⁈」
「本当のことでしょ?貴方達だけで行かせて、魂が抜けて暫く放心状態になったマールをどうするつもりなの?」
ーー私の目の前で、お腹を抱えて木にもたれ掛かるビスデンゼ様。そして立ち尽くす私をがっしりと抱き締めて慰めるパティと、それからオロオロするリュー。
……だって、今日はお休みだって………
「マール、マール!大丈夫?私の声ちゃんと聞こえる?」
ーーー久しぶりに時計塔に来れると思って、昨日は早くベットに入ったのに嬉しくて、なかなか寝付けなかったのよ?
「先週から、今日は絶対にマールが時計塔に行くからマールの驚く姿をもう一度見たいから一緒に行ってくれって、レダがしつこくて………ごめん、マール。」
ーーーまさかこんな悲劇が二度もあるだなんて、この先に絶望しか見えませんわ。
「マール、私が着いてるわ。大丈夫よ、あの二人は当分マールに近づけないようにするから。」
ーーーここ以上の発散場所が思い浮かびませんもの。
「本当に行動が突飛で、これほど私の気持ちを掻き立てるとは、やはり貴方は素晴らしい!」
目に涙を溜めて、胸とお腹に手を当てて跪くビスデンゼ様のお顔は真っ赤で、笑いを耐えていらっしゃるのでしょう、頬がヒクヒクしております。
………ふつふつと再び湧き上がった殺意で、視界が真っ白になるなんて、生まれて初めてですわ。
頭の中であれもコレもととっ散らかるモノを、呻いてかためることの尊さ。
そろそろ曾じいちゃんかな?
今回も読んで下さりありがとうございました。




