『剣術抄 新宿もみじ池』にシビれる!
とみ新蔵さんは、ご自身が新陰流を学び、自ら剣術の真の姿を追求する剣術家である。その人の描く剣術ものは、実際の剣術の要諦をかなり描いており、非常に勉強になるのだ。
そんな訳で、とみ新蔵さんの本を見かけるとつい買ってしまうのだが、最初に買ったのは『柳生連也武芸帖』全五巻だったが、これはコミックスで買った。しかし通常のコミックスで持ってるのは多分これだけで、後はみなコンビニ本で持っている『剣術抄』が主かもしれない。
何故かは判らないが、とみ新蔵さんの本はよくコンビニ本になっている。で、通常のコミックスを本屋にいってわざわざ買わないのに、コンビニで見かけると、つい買ってしまう、この行動はなんだろう? コンビニ本はカバーが無い分、通常より多めの分量で安価で買えるのが魅力だ。
とみ新蔵さんの剣術の極意は、そうは言ってもそれほど作品ごとに変化してるわけではない。まず、力を入れない。力で剣を振らない。これは絶対である。それから腕の力で剣を振らず、体捌きで剣を振るなども共通項か。
この『新宿もみじ池』は、仇討ちの旅に出ていたが、あまりにも仇がいないためにそれをすっかり捨て、新たに剣の道に踏み込もうとしている若い剣士と、釣り場で知り合って剣を教えることになった達人の剣士の物語である。想像通り、その釣りで知り合った師が、仇なのだが。
この作品では「ねばり」というものを非常に強調していて、それは切先の不動性のことだ。互いに同時に斬り込み、「後の先」で相手を斬ろうとする。しかしその際、剣先にねばりがある方は、相手の剣線を逸らして自分の剣だけを相手に斬り込ませることができる。その「ねばり」を生み出す根源は、丹田の力なのだ。その他、目線や腰、意識など色んな部位に、剣術の要諦が語られる。
このリアル感がいい。また画風も、作品世界に合っている。チャンバラを描く漫画家は他にも沢山いるが、ここまで剣術のリアルな極意を身近で判る言葉、表現でもって描く漫画家は他にいない。それだけでも、とみ新蔵さんという漫画家には市場価値があって、存在価値がある。この作品集では『柳生石舟斎』という短編があるが、これが新陰流開祖・上泉伊勢守を描いていて素晴らしい。




