『歴史探偵 家康の開国』を見た
大分前の録画だけどね。もう、色々消化しなきゃいけないものが溜まっていて、なかなか見れなかったのだ。要は、徳川幕府と言えば『鎖国』! 国を閉じて、海外貿易なんてあまりしない――みたいなイメージだけど、家康本人は最初はそうでもなかった、という話だ。
面白かったのは、ベトナムに日本人街が昔はあって、ベトナムの紙幣の図案になるような古い橋があるんだけど、実はそれは日本人が建造した、という取材だ。屋根の部分が赤白で派手な中国風の造りだったから一見そうは思えない感じだったが、傍の石碑に建造の記録が記してあるのだね。それで日本人が作ったって書いてある。
そういう日本人街が、東南アジアに6ヶ所あり、それ以外にも日本人が住んでる場所が20ヶ所もあった、という話なのだ。それだけ海外のものを輸入したがってたんだけど主に輸入したかったのは、鉛、硝石、生糸だった。これに対し日本は、銀で支払ってたという。よほど、昔は銀が出たのだろう。当時の国際取引の中でも銀の日本産率は、相当に高かったという話を読んだことがある。
そうして海外、特にスペインとの交流を家康は考えてた。しかし、それが途絶えたのは何故か? キリスト教だ。スペインは布教に熱心で、キリシタンを広めた後で、日本をキリシタンに征服させて支配下に置くという事を考えていた。家康はその危険性に気付き、布教に熱心じゃないオランダとの交流に限定する方に舵を切るわけである。
家康がまだ海外交流を考えてた時は、非常に下手に出た親書などを各地の王に送っていた。これはいきなり武力制圧に乗り出した秀吉とは大きな違い、というわけである。また海外の方も、武力で出てくる秀吉を恐れていたが、家康に変わって安堵したに違いない。
面白かったのは、この回に出てきたゲストの先生が、外人だったんだけど、フレデリック・クレインスという人で、この人ベルギーの先生で、国際日本文化研究センターの副所長という人だった。この人が日本語ペラペラで、しかもなんか徳川家康の外交戦略を評価してる風だった。いやあ、ビックリ。海外の研究者が、徳川家康のことを「ミナモトノ家康」と言ってるのが興味深かった。親書には正式名というか、源氏姓を名乗ってたんだね。面白かった。




