35 番の気持ち2
「そうなんです! どうしよう……。誤解したまま告白されたら、リーゼルがまた傷ついちゃうよ……」
昨夜は、女装の件で陛下と喧嘩してしまったと、打ち明ける場面もあった。
リーンハルトがアカデミーで受けた屈辱を知ったリーゼルは今、同性愛に対してナーバスになっている。
陛下がリーゼルを男だと思ったまま告白したら、最悪な事態になりかねない。
「なんてことだ……。すべての疑問が解けましたよ」
レオンはため息をつきながらこめかみを押さえる。ディートリヒはずっと同性が運命の番だということに悩んでいたが、そもそもの前提が間違っていたのだ。
「とにかく、馬車で陛下に追いつけるか疑問ですが、私たちも追いかけましょう。お召物もお持ちしないと、リーゼル嬢が大変な目に遭ってしまいます」
さらにディートリヒのイメージが悪くなりそうな事態だ。
青ざめた二人が急いで準備を始めていると、突然に執務室の扉が開いた。
「陛下ぁ~! 次のパーティーのご相談を――」
無礼に入って来るのはレオンを除くとユリアーネしかいない。
彼女は「あら。陛下はどちらに?」と首を傾げながら二人に視線を向ける。
「申し訳ございませんが、今は取り込んでおりまして」
こんなときに厄介な人が。
レオンはユリアーネを追い出そうとしたが、彼女はリーンハルトを見つめたままぴたりと動きを止める。
「あなた。陛下の侍従だったわよね?」
「はっはい……そうですが……」
再び狼族との遭遇で、リーンハルトは震え出す。皇宮は恐ろしい種族ばかりいる。よく妹は、このような環境で楽しく働けたものだ。
「あなたって、こんな人だったかしら……」
まじまじとユリアーネに見つめられて、リーンハルトは心臓がバクバクと動き出す。早速、入れ替わりに気づかれてしまったのだろうか。
「あ……あの……」
「はあ……。なんて可愛い羊ちゃんなのかしら」
頬を真っ赤に染めたユリアーネは、なぜが唐突に狼の姿へと変わると、リーンハルトを愛おしそうに舐め始めた。
レオンはデジャブを感じる。
どうやら狼族は、運命の番に出会うと狼の姿で舐めたくなっちゃうようだ。
「レオン卿ぉ~……。僕、食べられちゃうんですか?」
涙目で助けを求めてくるリーンハルトの肩を、レオンはぽんっと叩いた。
「ご立派ですよリーンハルト卿。リーゼル嬢は気絶しましたから」
検問所の建物で休憩したリーゼルは、先ほどよりは体調が戻ってきていた。ラウレンティウスもほっとしたように笑みを浮かべる。
「良かった。だいぶ顔色が良くなってきましたね」
「皆様にお手間を取らせてしまい申し訳ございません」
ラウレンティウスが気をきかせて馬車酔いに聞くお茶を用意してくれたり、ゆっくり休める部屋を確保してくれたおかげだ。
それとは別に、なぜかずっと陛下に対しての不安や罪悪感があったが、それが徐々に薄れている。
「気にしないでください。では出発しましょうか」
「あの……」
けれど、国を出なければいけないと思うと、やはり気が重くなる。
ラウレンティウスにこれ以上は迷惑をかけたくないと思っているのに、どうしてもここから離れたくないという気持ちがこみ上げてくる。
「やはり、私……」
彼とは一緒に行けない。
再び馬車に乗り込む寸前になって、リーゼルは強く感じる。
それを伝えようとした瞬間に、国境警備隊が慌ただしく動き出した。
「狼だ! 巨大狼が走ってくるぞ!」
「殿下とお嬢様をお守りしろ!」
ラウレンティウス直属の騎士団が二人を取り囲む。ラウレンティウスの緊張した様子でリーゼルの肩を抱く。
「リーゼル嬢。建物の中へ」
けれどリーゼルはここから一歩も動きたくない。心から求めてるものが近づいてきている予感がするから。
「リーゼル嬢……?」
「……陛下です。あちらは陛下です!」
黒い艶やかな毛並みの、大きな狼。
叙任式で初めて見た時は圧倒されたが、今は泣きたいほどあの姿が恋しい。
「リーンハルト行くな!」
ディートリヒはそう叫びながらリーゼルのもとへと駆けてくる。
(私を引き留めにきてくれたの……?)
嬉しい。リーゼルは彼のもとへと歩み寄ろうとしたが、リーゼルの前にラウレンティウスが立ちはだかる。
「皇帝。こちらはリーゼル嬢です。リーンハルト卿は皇宮にいたはずですが?」
「俺に双子の違いが分からないとでも? 匂いが全然違うではないか」
「……獣人とはそういうものなのですか?」
振り返って不思議そうに尋ねるラウレンティウスに、リーゼルも首をかしげる。
「私たちは匂いも同じだとよく言われるのですが……」
双子の匂いをかぎ分けた者など初めてだ。けれどディートリヒは、女性の姿のリーゼルをリーンハルトだと確信している様子。
「リーンハルト。なぜ俺のもとから去ろうとする。昨日のことで、俺が嫌いになったのか?」
「そんな……違います! 昨日は私も感情的になりすぎました……」
嫌いになったわけではない。ただ誤解されたことが悲しくて、気持ちを抑えられなかっただけ。
「ならば、行かないでくれ! ずっと俺のそばにいてくれ! 俺はもうリーンハルトがいない人生なんて考えられない!」
(なぜ……、それほどまで陛下が私を求めるの……?)
「陛下……。それはどういう……」
「あ……。勘違いしないでほしい。俺は男色ではないし、リーンハルトをそのような目で見た事もない。だが……。俺の本能がしきりに伝えてくるんだ。リーンハルトが『運命の番』だと! リーンハルトは何も感じないのか? このまま離れ離れになっても辛くないのか?」
ディートリヒとリーゼルが『運命の番』?
リーゼルは一度も、そんなふうに彼を感じたことはない。
けれど、ここへ来るまでがとてつもなく辛かった。
ディートリヒがいる皇宮から離れれば離れるほど、その気持ちが大きくなっていたのは事実。
「……辛かったです。陛下にお会いできないまま国境を越えるのが辛くて、ここでもたもたしていました」
「それじゃあ……」
リーゼルは自分の気持ちを勘違いしていたことに、やっと気がつく。
ずっと抱いていたあの辛さは、ディートリヒへの罪悪感ではなく、愛しい者と離れ離れになることへの悲しさだったのだと。
「はい。この気持ちはきっと、陛下への想いです。私も陛下と離れたくないです」
「リーンハルト――」
人の姿へと戻ったディートリヒは、愛情に満ちた表情で両手を広げてリーゼルを抱きしめようとした。
しかしリーゼルは全裸のディートリヒに驚いて「きゃっ!」と顔を手で覆い隠す。
近くにいた騎士から微妙な表情でマントを差し出されたディートリヒは、疑問に思いながらも身体を覆い隠す。
「男同士なのに恥ずかしいのか?」
思えば普段からディートリヒが下着を変える際に、リーンハルトはさり気なく見ないようにしていた気がする。そんなところも可愛いが。
「…………」
リーゼルはうつむきながら焦っていた。
(どうしよう……。男装していたと打ち明けないまま、気持ちを伝えてしまったわ)





