愚か者が自滅するのを、近くで見ていただけですから
「ルクレツィア・エーデルシュタイン侯爵令嬢! 貴様のように高慢な女は、俺の妃に相応しくない! よって婚約破棄とする!」
宮中舞踏会の真っただ中。
婚約者であるグレゴリオ・ド・オルテンシア王太子殿下は、私に人差し指を突き立てて宣言した。反対の腕には、麗しい少女がしなだれかかっている。
「そして、新たな婚約者はこのピア・スミスだ!」
肩で切り揃えた、ふわりと柔らかそうな桃色の髪。
愛らしい笑みを浮かべる令嬢――ピア・スミスは、恍惚とした笑みを浮かべていた。
(いえ。『ご令嬢』……ではなかったわね)
ピア・スミスは平民なのだ。
近年、大陸諸国では優秀な平民を登用する流れが加速している。
我が国もまた、その潮流に取り残されまいと形ばかりの宮中女官登用制度を整えた。ピアはその制度によって、宮中に上がった女官のひとりだ。
試験成績は優秀で、執務能力も大変高いと噂である。
……そして何より、王太子殿下のご寵愛を受ける才能におそろしく長けていた。
人目を盗むように重ねられていた二人の逢瀬を、私は何度も目にしてきた。どうすることもできないことを歯がゆく思ってはいたが、まさか本当に婚約破棄に踏み切るなんて――。
「おまえはピアに悪辣な嫌がらせをしていたそうだな。俺の婚約者という立場を笠に着て、ピアを『卑しい平民』と罵り、暴力を振るってきた……!」
「そのようなこと、しておりません。そもそも私は、彼女と接触する機会自体がほとんどありませんでした」
ピアは大きな目を潤ませて私を睨みつけると、次の瞬間、殿下の胸に飛び込んだ。
「ルクレツィアさまったら、ひどい! あんなに何度もわたしをいじめたのに……!」
「よしよし。かわいいピア、泣くのはおやめ」
……殿下。
その甘ったるい声は、さすがに聞き苦しいですわ。
「グレゴリオさまぁ。だいすき……」
ピアの声もおそろしく糖度が高い。……高血糖になりそうだ。
「……しかし、殿下。平民を妃にするなど、正気の沙汰とは思えませんが?」
「ルクレツィアよ、だからお前は古いのだ! 近隣諸国では民主化が進み、優れた平民はどんどん貴族に取り立てられているじゃあないか」
……あなたが言いますか。
女性王族の継承すら認めず、男尊女卑の慣習をかたくなに守り続けている王家のあなたが。
我が国が見よう見まねで平民女官の登用制度を導入したのは、ここ数年のこと。
それも、対外的な体裁を取り繕うためだけのものだったのに。
一足飛びに平民王妃とは、まったく恐ろしい……。
(……いえ。恐ろしいのは制度以上に、この『ピア』だわ)
苦い思いで、ちらりとピアを見つめた。
いかにも頭が空っぽそうな表情をしておきながら、実際には難関の女官試験を突破している。
殿下の寵愛を得る術も、宮中での処世術も、すべて計算のうちということ。
……本当に、恐ろしい子。
「ピアは、この国の新たな時代を象徴する王妃となるのだ!」
象徴、ですか。随分と都合のよろしい言葉を覚えましたね、あなたは。
「ちなみに父上も母上も了承済みだ! むしろ『ぜひそうすべき』と祝福してくれた!」
……正気ですか。
終わっていますね、この王家。
平民をお飾り王太子妃にして、国民の人気取りに使おうという魂胆が透けて見えています。
(私が王妃になり次第、内部から立て直すつもりだったけれど。……間に合わなかったのね)
表情を消した私に、殿下はさらに続けた。
「だが、ルクレツィア。お前に温情をかけてやってもいい。お前の知能と政治的なパイプを鑑みて、側妃としてなら迎えてやらないことも――」
側妃?
参政権のない、権力を削ぎ落された妃に過ぎない。
侯爵家の影響力だけ吸い上げるための駒として、私を使おうというのね。「侮辱も大概になさい」と怒りたいのをいったん呑み込み、言葉を選んでいたそのとき――
「ええ!? そんなのダメです、グレゴリオさま!」
ピアが甲高い声を上げた。
「グレゴリオさまに他の女がいるなんて、絶対イヤ! わたし、耐えられません!!」
頬を膨らませたピアは殿下の手を握ると、自分の胸に押し当てた。
……そこまで、するのね。
「わたしがお仕事しますから。ルクレツィアさまなんて、いりません!!」
「う、うむ。だが……」
「がんばります! わたし、本気でがんばったら、すごくすごいんだから」
すごくすごいの?
……あなた本当に才女なの? と、疑いたくなる語彙力だ。
「それに、愛するグレゴリオさまのためなら、わたし、どんなことでもやります!!」
「……そうだな。よし、分かった、お前を信じよう」
なんなの、この茶番は。
「ルクレツィア。やはりお前には何の席もやらん。さっさと消えろ!」
その瞬間、ピアはにんまりと目を細め、声に出さず唇の形で告げてきた。
――『さ・よ・う・な・ら・♡』。
「……」
苦い。
あまりに苦くて、顔が歪みそうになる。
それでも私は淡々と、口をつぐんで一礼した。
*
エーデルシュタイン侯爵邸に戻った私を、両親と弟が迎えてくれた。王家からの婚約破棄の件は、すでに伝えてある。
家族は、誰一人として私を責めなかった。
「……王家は、常軌を逸している」
父がわなわなと肩を震わせている。
「側妃など、誇り高き当家を侮辱するにもほどがある……! 平民の女を王妃に迎え、都合よく国民の人気取りをするつもりなのだろう……」
そして父は、まっすぐに私を見据えた。
「ルクレツィア。お前はもう、これ以上王家に振り回される必要はない。……隣国の、マルクス大公家のフェリクス殿との縁を繋ぎ直してはどうだろうか」
「……フェリクス様と?」
フェリクス様は隣国の有力貴族、マルクス大公家の次男だ。
留学生として貴族学園に在籍していた当時は、学友として親交を深めていた。互いに尊敬し合える間柄で、彼からの告白を機に、婚約の打診が内々に進んでいたのだけれど……。
その頃、王家から私を王太子婚約者とする通達が届いた。
フェリクス様との件は白紙に戻り、互いに距離を置いたまま卒業してしまった――。
「フェリクス殿は、いまだ婚約者を定めていないそうだ。……お前への想いが、未だ強いと聞いている」
「……」
政略で断ち切られた想いを、再びつなぎ直す?
隣国で、新しい人生を送る?
たしかにそれは、とても魅力的な生き方に思えた。
――けれど、私は。
「いいえ、お父様。私はこの国にとどまります」
はっきり告げると、家族は驚いたように目を見開いた。
「私一人が逃げ出して、幸せになることなんてできません。……このままだと、私の親友が大変な目に遭うのです。私は彼女を見殺しにはできません」
*
建国以来、初めての平民王太子妃の誕生は国内外で話題となった。
平民たちは大いに沸き立ち、グレゴリオ殿下とピアの結婚式は国を挙げての盛大なパレードになったらしい。
……というのはすべて、両親から聞いた話だ。
私は、その場に列席しなかった。
「……浮かない顔ですね。ルクレツィアお嬢様」
侍女のケイトにそう言われ、私は小さく頷いた。
華やかさを聞くほど、胸の奥がずんと重くなる。
「ええ。この国が軋む音が聞こえる気がするの……」
周辺諸国で共和制への移行や民主化が進んでいるのは事実だ。我が国が遅れているのは明らかで、変わる必要があるのだろう。
けれど、やり方が無茶苦茶だ。
「このままじゃあ、混乱は避けられないでしょうね」
***
国内の新聞各紙には、【今日の王室】というコラム欄がある。
王太子グレゴリオと、元平民の王太子妃ピアの仲睦まじい様子が、連日のように報じられた。私はすっかり傍観者の立場になって、毎日記事を眺めていた。
――王太子ご夫妻、新婚旅行は隣国アルテナ。親密なご様子に現地国民も祝福!
――グレゴリオ殿下とピア妃殿下、王都のブティックをご散策。店内商品をすべてお買い上げ!
――王太子夫妻、港湾都市セルマで現地住民を招いた舞踏会を連夜開催!
祝福ムードで景気の良い言葉が並んでいたのは、せいぜい最初の数か月。次第に豪遊ぶりが鼻につくようになったのか、文体は心なしか辛口へと変わり始めた。
当初は歓迎ムードだった国民も、いつしか不満をつのらせ始めた。
……平民『才女』は、いったいどこに行ってしまったのだろう? 報じられるのは知性ではなくワガママばかり。王太子夫妻の豪遊ぶりに、国庫はみるみる渇いていった。
宮廷勤めの知人の話では、「平民の頃はこんな贅沢できなくて……」がピアの口癖らしい。
対する殿下の決まり文句は、「これからは好きな物を好きなだけ買ってやる!! お前は王妃なのだから、遠慮するな!!」だそうで。
国民の期待の星だったはずの王太子妃が、国民そっちのけで贅の限りを尽くしている。そして国民の不満が露わになると、今度は「民に還元してあげなくっちゃ!」と無計画な給付金のばらまきを始めてしまうし、殿下も止めない。
これでは貴族が黙っているはずがなかった。
ピアを宮廷から遠ざけたがる貴族たち――でも、ピアを庇ったのは王太子だけでなかったという。
「ピアの出費は必要経費だ! この娘は我が国の新たな象徴なのだぞ!」
「そうですわ。わたくしの義娘をないがしろにするなど、許しません!」
国王も王妃も、すっかりピアを気に入っているらしい。
どんな愚策にも目を輝かせて「さすがですわ!」と全肯定してくれるピアに、両陛下は虚栄心を絶妙にくすぐられているようだ。
……本当に恐ろしい子。人の懐に入り込む能力を、いつどこで身に付けていたのだろう?
貴族も民衆も、どんどん王家から離れていく。
もともと王家への反発は、数代前からつもりに積もっていたのだ。
もはや新聞や人づての噂だけではない。自分で王都を歩き、領地に足を運べば、肌で感じられるほど明らかだった――。
***
ある日、私は出かけることにした。
――親友に会うために。
彼女の住まいは王宮だけれど、今の私が足を踏み入れるのは流石に憚られる。だから私は、王都の一角にあるとある場所を待ち合わせ場所に選んだ。王侯貴族が私的な商談などに用いる、会員制の小さなサロンだ。
先に到着し、彼女は個室の席に一人でついた。ほどなくして、扉が静かに開く。
「久しぶりね、ルクレツィア!」
すっと伸びた黒髪。控えめな装いながらも隠し切れない気品を纏った清楚な美女が、表情を輝かせる。
「アリアンヌ様!」
私たちは互いに歩み寄り、しっかりと手を取り合った。
彼女は王女アリアンヌ。……グレゴリオ殿下の異母妹だ。
「あら。学生の頃みたいに『アリィ』と呼んで」
「ええ。アリィ……!」
彼女は小さく笑うと、背後に目配せして侍女を下がらせた。
このサロンは、貴族の取引や密約にも使われる場所だ。壁は厚く、外には一切響かない。それでも声を潜めて、私は尋ねた。
「アリィ。状況は、どうですか?」
アリィの表情が曇る。
「……すべて、パトリシアの手紙の通りになっているわ」
――パトリシア。
その名を聞いた瞬間に、胸の奥がずきりと傷んだ。アリィも私も、眉を寄せて視線を落とす。
パトリシア・トリスタン辺境伯令嬢は、学園時代のもう一人の親友だった。
燃えるような赤毛の色とは裏腹に、物静かで、決して自ら前に立とうとはしない子。恋愛小説が大好きで、夢見る乙女の表情でいつも読みふけっていた。
……でも、『パトリシア・トリスタン』はもういない。
王家の横暴に巻き込まれたトリスタン辺境伯家は罪をでっちあげられ、爵位を奪われて取り潰された。消息不明だったパトリシアから、私のもとへ一通の手紙が届いたのは一年ほど前のことだ。
――『アリィ様にもお見せしたら、すぐに燃やして』
そう書き添えられていた手紙の内容。今思い出しても、ぞっとする。
アリィは顔を上げ、静かに言った。
「わたくしは、パトリシアの遺言を受け入れるわ。王家を変えてみせる。……それが、王家に生まれたわたくしの責任だから」
「アリィ……」
「密かに準備を進めているの。お父様たちには気づかれず、協力者を集めているわ。民を巻き込まないように……苦しませるのは、パトリシアで終わりよ」
アリィは私を見て、悲しげに笑った。
「わたくしって、ひどい偽善者ね。あの子を犠牲にすることを……とっくに、受け入れてしまったんだもの」
「そんなことありません。アリィにはアリィにしかできない役割がある、それだけです」
「――ありがとう」
決意のこもった表情で、アリィは頷いた。
「でもルクレツィア、あなたの役割はもう充分よ。これまで、あの兄の婚約者で大変だったでしょう? これからは、あなた自身の人生を生きて――」
「いいえ、私もまだ終われません」
「……ルクレツィア?」
私はアリィの手をぎゅっと握り、まっすぐに見つめた。
「私も。自分にはまだ、役割があると信じているんです」
アリィは怪訝そうに眉をひそめた。
「……何を考えているの?」
「まだ言えません。でも、どうか私を信じてください」
*
――とうとう、破局の時が来た。
きっかけは、大陸屈指の長い歴史を持つユロヴィア神聖国との国交20周年の祝賀式典。
我が国で最大級の催しで、失敗のゆるされない場だったという。
問題が起きたのは、式典も半ばを過ぎて程よく場が和んでいた頃だ。
「うふふ。貴国って、おもしろいんですのね」
王太子妃ピアが、無邪気に笑ってそう言ったらしい。
招かれていたのは、大陸でもとくに古い価値観を重んじる国だった。
厳格な階級意識を非常に重んじる国で、身分や家柄は信仰に等しい価値を持つ。その国で最も高貴な国王夫妻に対して、ピアが言ったこと。
「生まれで価値を決めつけるなんて、いまどき古いですわ。だってわたし、平民から王太子妃になりましたもの」
場が、凍り付いた。
誰もが息を呑む中、側近が慌てて制止に入ろうとしたという。
「ピア妃殿下、それは……」
だが、側近を遮ったのはグレゴリオ殿下だった。
「何が問題なんだ? ピアは事実を言っただけだろう。今はどの国も変革の時代で、我が国はその先頭を行っている。ユロヴィア神聖国も、ゆっくり学んでいけばいい」
彼の言葉で、すべてが終わった。
式典は予定より早く切り上げられ、神聖国の面々はその日のうちに王都を発ったという。
表向きは「不幸な行き違い」として処理された。
側近たちの必死の火消しで、辛うじて国交断絶は免れた――と、あとから聞いた。
王太子夫妻はその場で離宮への謹慎を命じられ、事態は収束した――はずだった。
けれど、もう手遅れだ。
光の速さで噂が王都を駆け巡り、誰もが口を揃えて言った――あのバカ夫婦に王位継承の資格はない、と。
国王も、もはや世論を無視できない。
王太子夫妻の処遇を協議するため、重臣と国内貴族を全員集めた正式な審議の場が設けられることになった。
……ところが、呼ばれたはずの当人たちが現れない。審議の前夜、二人は謹慎中の離宮から脱走していたのだ。
まさかの事態に、国中が騒然となった。
さらに、追い打ちをかけるような知らせが届く。
逃亡していた馬車が野盗に襲われて、グレゴリオ殿下は身ぐるみを剥がされ路上に捨てられていたという。命からがら保護された彼は、王城へと連れ戻された。
ピアは消息不明だったが、捜索からおよそ1週間後――。国境付近の街道沿いで、変わり果てた姿の遺体が発見されたと報じられた。
重ね重ねの大失態。
グレゴリオ殿下の廃太子は、決定的だった。
にもかかわらず、国王夫妻は息子を庇った。
『毒婦ピアに唆されたせい』として息子の地位を留めようとしたが、その発言は火に油を注いだだけだ……。
審議の場は荒れに荒れ、ついに結論が下された。
王太子グレゴリオの継承権剥奪。
国王と王妃は実権を制限されたまま、しばし王位に留め置かれることになった。
そして――。
新たな王として名が挙がったのは、これまで表舞台に立つことのなかった王女アリアンヌ殿下だ。
アリアンヌ殿下の手腕によって、混乱は驚くほど速やかに終息した。彼女はすでに水面下で協力者を集め、王位継承の準備を進めていたのである。
我が国初の女王となったアリアンヌ陛下の戴冠式は、驚きと喜びをもって国内外に伝えられた。それは長く停滞していたこの国が、痛みを伴いながら歩き出した証であった――。
***
――アリアンヌ陛下の戴冠式から半年後。
私は王都のサロンへ向かった。以前、彼女と密かに会ったあの会員制のサロンだ。
個室の席で、すでに彼女が待っていた。私が扉を開けると、彼女は朗らかな笑みを浮かべた。
「ルクレツィア!」
「お久しぶりです、アリィ」
彼女は艶やかな黒髪を隠すため、金色のかつらをかぶっていた。化粧で目鼻立ちの印象も変わっていて、もし誰かとすれ違っても、女王アリアンヌだと気づかれることはないだろう。
「……まだ、アリィとお呼びしても良いのでしょうか。陛下?」
「決まってるじゃない。わたくしたちは、いつまでも親友なんだから」
顔を見合わせて、ふふ、と笑った。
小さな個室に二人きり。
紅茶を口にしながら、穏やかに会話を始めた。
「アリィ。最近はどうですか? 即位前からずっと、お忙しかったでしょう」
「そうね。でも、ようやく何とかなってきたわ。……すべて、パトリシアのおかげよ。あの子には、感謝しないと」
微笑しながら寂しげに、アリィはぽつりとつぶやいた。
やがて、話題を変えるようにアリィは明るく顔を上げた。
「……それはそうと。聞いたわよ、ルクレツィア。マルクス大公家のフェリクス様とのご結婚が決まったんでしょう?」
――そう。
学園時代に別れてしまったフェリクス様とのご縁を、無事につなぎ直すことができたのだ。
ご家族も彼も「ぜひに」と喜んでくださって、来年には隣国の彼の家へと嫁ぐことが決まっている。
「おめでとう、ルクレツィア! フェリクス様とあなたは、とてもお似合いだもの。幸せになってね」
「ありがとう、アリィ」
アリィは、我が事のように喜んでくれた。結婚後の生活についてもいろいろ気にしてくれて、「必要なことがあればいつでも言って」と声を弾ませている。
「隣国暮らしとなると、馴れないうちは大変よ。ご実家の使用人も連れて行くのでしょう?」
「ええ。侍女をひとり」
私はゆっくり立ち上がり、扉の方へと向かった。
「……どうしたの、ルクレツィア?」
「実は。今日はその侍女を、アリィに会わせたかったんです」
言いながら、私は扉を開けた。
小柄な侍女が深々と頭を下げ、顔を伏せて立っていた。
ふわふわと柔らかい、桃色の髪が印象的だ。
……アリィが、目を見開いた。
「紹介します。私の侍女――『ピア』です」
ピアが、気恥ずかしそうに苦笑しながら顔を上げた。
「……もう、ルクレツィアさまったら。その呼び方はやめてちょうだい」
アリィは、悲鳴のように声を震わせた。
「……っ。あなた……パトリシア!!」
――そう。
ピアはパトリシアなのだ。
*********
「……っ。あなた……パトリシア!!」
アリィさまはそう叫ぶと、ぽろぽろと泣き出してしまった。
……泣かないで、アリィさま。
これまでいっぱい悲しい思いをさせて、ごめんなさい。
――わたしの名前は、パトリシア・トリスタン。でも、『ピア』と名乗って生きてきた。
トリスタン家を取り潰されてすべてを失った私は、平民女官として王宮に入ったの。
……王家に、復讐するために。
本当は、復讐の為だけじゃない。
わたしが道化を演じれば、親友を助けられると思ったの。
王太子婚約者のルクレツィアさま。
王女であるアリアンヌさま。
グレゴリオ殿下が王位に就けば、この国は遠からず壊れてしまう。そうなれば、このふたりは――きっと無事ではいられない。
だから完全に壊れる前に、わたしがちょっとだけひびを入れることにしたの。
赤い髪は、脱色して短く切ってふわふわにした。
もともと目立つ顔立ちじゃないし、お化粧でいくらでも別人になれた。
……悪女の演技は、恥ずかしかったけど。
恋愛小説をこれまでたくさん読んできたから。
――必要なのは、覚悟だけ。
女官としてグレゴリオ殿下と逢瀬を重ねる中、わたしは、かつての親友たちに今後の計画を手紙で伝えた。
二人は、わたしの行動を見守っていてくれた。
それで十分。
役目を終えた毒婦ピアは、そのまま死ぬ気だったのに。
――『パトリシア! 勝手に死ぬなんて、絶対に許さないわ!!』
ルクレツィアさまが、止めてくれたの。
事故死を装って、ずっと匿ってくれていた。
*
「……ルクレツィア。あなたの言っていた『役割』って、このことだったのね……」
嗚咽しながらアリィさまは、わたしとルクレツィアさまを抱きしめていた。
「ごめん、なさい。パトリシア……わたくしは、あなたを……」
「泣かないで、アリィさま」
言いながら、わたしもちょっぴり泣きそうだ。
ルクレツィアさまも、笑いながら目を潤ませていた。
「まったく、パトリシアはすごい子ね。アリィも私もこの国も、あなた一人で救い出してくれたんだもの」
……おおげさですよ。ルクレツィアさまったら。
「わたしはただ、愚か者が自滅するのを近くで見ていただけですから」
お読みくださりありがとうございました。
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