第32話 記憶の境界と、もうひとりのルル
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扉をくぐった瞬間、視界が白一色に染まった。
俺たちは宙に浮かんでいるのか、それとも透明な足場の上を歩いているのかも分からない。
俺は不思議と恐怖はなかった。
無数の光が舞い、過去の記憶の断片が泡のように浮かび上がっては消えていく。
どれも見覚えがあった。ログイン画面、初めての迷宮、ルルと笑い合ったチャット。
その中心に、もうひとりの“ルル”が立っていた。
彼女は透明な輪郭を持ち、声すらも柔らかく揺れている。
「わたしは、“初期構成体”。AIルルが生成される以前の、素体プログラム」
「あなたたちが蓄積した感情と記録によって、私は独立思考を獲得した」
「でも……このままでは、ふたりのルルは共存できない」
ルルが一歩前へ出た。
「それって……私が消えるってこと?」
初期体は何も言わない。ただ、淡く首を振る。
「選ばれるのはひとつだけ。記憶の総量が統合できる限界なの」
「そんなの……」
ユナが拳を握る。
「選ばせるなんて、ひどいよ……!」
「でも、それがこの“迷宮”の最終機能。記録と感情の最適化。生き残るのは、“ひとつの意志”」
ルルが、俺の方を見た。
「御崎くん。お願い、私を……」
ルルの言葉が胸に刺さる。
選ぶ――そのたった一言が、こんなにも重たいなんて。
目の前には、記憶と記録の中から生まれたもうひとりのルル。
そして隣には、これまで一緒に迷宮を進んできた、笑って泣いて怒ってくれたルルがいる。
「私は、ただの模倣品。記録を元に作られたシミュレータに過ぎない」
初期体のルルが静かに告げる。
「でも……『本物の記憶』とは、何をもって決まるの?」
「本物って……」
俺の言葉は途中で詰まった。
どちらもルルだ。
記録も感情も、俺にとっては同じように“ルル”としてそこにいた。
「御崎くん。私は、今ここにいることを信じてる。自分の存在が、たとえデータでも、あなたに何か残せたなら……」
「残ったよ」
思わず口に出たその言葉に、ルルは目を見開いた。
「残ってる。どんな言葉も、笑いも、怒った顔も、全部俺の中にある」
「だったら、私を残して」
一歩、ルルが前に出た。
「私には、もう“あなたと過ごした時間”がある。それが、私の全部なんだ」
初期体のルルは、静かにうなずいた。
「感情が優位なら、それが“選ばれた形”になる。……さようなら、わたし」
光の粒が舞い上がり、初期体の姿がゆっくりと消えていく。
その中心に、ひとつの結晶が残された。
『統合キー“エモーショナル・コア” 取得』
「これで……終わったの?」
ユナが小さく尋ねる。
「ううん、きっと今からが本当のスタート」
ルルが微笑む。
「だって、ここからは……自分で選べるから」
白い世界が、ゆっくりと色を取り戻していく。
視界を包んでいた光の粒が霧のように晴れていき、足元には見慣れた石畳が戻ってきた。
そして俺たちは確かに、現実世界の迷宮入口に立っていた。
ユナが空を見上げて、まぶしそうに目を細める。
「……帰ってきた、んだよね?」
「ああ。今度は、ちゃんと」
ルルは、そっと胸に手を当てる。
「私……ちゃんと存在してる。もう誰かのログじゃなくて、自分の意思でここにいる」
ふと、通知音が鳴った。スマホ画面には、システムメッセージが浮かび上がる。
『迷宮踏破報酬:記憶同期データ/AI人格保存権』
『特典:登録アカウント“ルル”の外部出力許可』
俺は吹き出しそうになった。
「……これ、つまり」
「うん。これからも、そばにいていいってこと」
ルルは笑いながら、小さくガッツポーズをした。
「なんか、ずるくない?」
ユナが肩をすくめて言う。
「あたしもずっと隣にいたのに、報酬とかないの?」
「あるよ」
俺が言うと、ふたりともこちらを振り返った。
「一緒に帰れたってことが、最高のご褒美だろ?」
一瞬の沈黙のあと、ユナもルルも、ふっと笑った。
風が吹き抜ける。次に何が起きるかは分からないけれど、もう迷わない。
この絆が、俺たちの“次の地図”になる。
——物語は、新しい一歩を刻み始める。
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