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猟犬クリフ~とある冒険者の生涯  作者: 小倉ひろあき
4章 晩年

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3話 一時代の終わり

「旦那様! 大丈夫ですか!」


 ロッコに止めを刺したバーニーがクリフに駆け寄った。


「ああ……肩の辺りと傷の近くを固く縛ってくれ……ジーナは鍋でも包丁でもいいから真っ赤に焼いてくれ……傷を焼きたいんだ、あと強い酒も頼む」


 クリフは手早くバーニーとジーナに指示を出す。


 クリフの左手は前腕の半ば辺りから綺麗に切断されていた。


……あんな体勢から剣を抜くとはな……凄い腕前だぜ……


 クリフは苦痛で顔を(ゆが)めながら、床に倒れるロッコの遺体を眺めた。


……強かった……腕の1本で済めば良しとしなければな……


 クリフは右手で傷口を押さえ、何とか出血を止めようと試みているが無駄のようだ。

 血は心臓の鼓動に合わせ、ドクッドクッと吹き出している。


 今は戦いの余韻(よいん)で痛みを忘れているが、しばらくすれば耐えがたい激痛に襲われる筈だ。


 バーニーが肩の辺りを革紐で縛ると、出血はやや落ち着いた。


 ジーナが強い酒を持ってきてくれたので、クリフはゴブゴブと勢い良くラッパ飲みをする……これは酔って痛みを和らげるためだ。


 そしてジーナが真っ赤に焼けた菜切り包丁を持ってきた……クリフは舌を噛まぬように布を口に含み覚悟を決めた。


 反射的に暴れないようにと椅子に右手を縛り付けて貰う。


 クリフがバーニーに(うなず)くと、熱された包丁がクリフの傷口に押し付けられた。


 ジュウウゥゥ


 クリフの肉を焼く音と、不快な匂いが立ち込めた。


「ぐっぐおぉおぉぉ」


 あまりの苦痛にクリフがくぐもった声を出す……布を噛んでいるために悲鳴も上げられず、クリフは痛みで気を失った。




………………




 ズキン


 クリフは鋭い痛みで意識を取り戻した……見慣れた天井、ここはクリフのベッドの上の様だ。


 ズキン


 左手が痛み、クリフは左手に視線を移した。


 手当が施されている……バーニーが医者を呼んでくれたのだろう。


……何日か、経っているようだが……歩けるか……?


 クリフが身を起こそうと体を動かすと「いけません」と声を掛けられた……ジーナだ。


「……ジーナ、俺はどのくらい寝ていた……?」


 クリフは自分のかすれた声に驚いた……(のど)がガラガラだ。


「あい、前に起きられてから2日経ちました」

「……前に? 俺は起きたのか?」


 クリフには全く記憶に無い。


「あい、2度目を覚ましてます」


 ジーナに嘘をつく理由は無い……恐らくは本当なのだろうとクリフは納得した。


「悪いが水をくれ……ロッコと戦って何日目だ?」


 ジーナが木製のカップに水を注ぎながら「7日目になります」と答えた。


……7日、そんなにか……


 クリフはぼんやりと先の無い左手を眺めた。


「ジーナ……あのさ」


 クリフは身を起こしながら、右手で水を受け取った。


 体を動かすと痛みがある。


「この怪我だし、俺はギルドを引退するつもりだ……クロフト村に行こうと思う」

「あい、わかりました」


 クリフの言葉にジーナが素直に頷く。


 クリフは水を噛むように飲み干すとカップをジーナに手渡した。


「バーニーと一緒によく仕えてくれたな……この家をやろう」


 クリフはゆっくりとした動作でベッドから立ち上がる。

 妙なふらつきを感じる……左手が無くなったことでバランスが取れないのかも知れない。


 ふらつくクリフをジーナが心配げに見つめている。


「旦那様、こんなお屋敷を貰えねえですよ」

「いや、俺はバーニーを息子だと思ってるんだ……エリーとも年が近かったしな……何かのこしてやりたい」


 クリフは玄関に向かい歩き出した。



……ここか……



 クリフはロッコが倒れていた場所を見つけ、立ち止まった。


 さすがに遺体は既に無く、床も清められているが、よく見れば床の隙間に入り込んだ血の跡が見える。


……ロッコが来たと言うことは、ヘクターはやられたと言うことだろう……


 クリフは「ふう」と溜め息をついた。


 ロッコとの戦いを思いだし、切断された左手を見る。


 弟子に対してあの戦い方は卑怯だったとは思う……騙し討ち、しかも2人掛かりだ。


 だが、後悔はない。


 クリフは今のベストを尽くし、そしてロッコを破った。


 この結果が重要なのだ。


……ロッコは強かった……賞金首になどならずに、ギルドに残っていてくれたならば……喜んで支配人(ギルドマスター)を譲ったのに……


 別にロッコを殺して賞金が欲しかった訳ではない、クリフは賞金稼ぎの本能のようなモノに衝き動かされたのだ。


……ロッコも、死んだのか……


 クリフがぼんやりと立ち尽くしていると「旦那様、大丈夫なのですか?」とバーニーが声を掛けてきた。


「ああ、俺もヘクターも抜けてはピートが可愛そうだ……いつまでも寝てはいられない」


 その言葉を聞いたバーニーが不思議そうな顔をする。


「どうした?」

「いえ、ギルドについては人員を補充するように伝言しましたが……その、旦那様のお言いつけで……あと支配人もピートさんに譲られました」


 クリフは驚きで目を見張った。

 いずれも全く記憶に無い。


……これは……本格的に()けたかな?


 先程のジーナの話といい、クリフは少し不安になった。


 これは別にクリフに限ったことでは無く、大怪我をした時や手術の後に記憶が混乱することは誰にでもある。


 しかし、クリフは自分が()けたと思いズンと気分が落ち込んだ。


「バーニー……俺って最近おかしいか? その、()けてきたかな……?」

「は? いえ、別に……そう言えば」


 クリフはバーニーの「そう言えば」という言葉にピクリと反応する。


「ロッコさんと会った時の演技はジーナも戸惑っていましたよ……何の打ち合わせもありませんでしたから」


 バーニーが「はは」と遠慮がちに笑った。


 実は先日の演技はぶっつけ本番であった。

 バーニーも良くぞ合わせたとクリフは感心していた。


「バーニーも良く合わせれたな」

「ええ……まあ、はは、まぐれです」


 クリフが少し疲れを覚え、ふらつくと「まだお休みください」とバーニーに寝室に案内された。


 クリフがベッドに転がると、バーニーが何やら刀と壺をテーブルに並べた。


「それは?」

「遺品です、ロッコさんの……こちらには遺骨が入ってますが、良くわかりません」


 クリフは少し考えたが、遺骨を見ただけで誰のものか分かるはずもない。


「ロッコは賞金首として(さら)されてるんだろ? 骨はディーンに頼んで一緒に埋めて貰うか」


 ロッコとコレットは図らずも共にファロンの刑場隅にある供養塔に葬られた。

 その事実は誰も知らない。


 また、ロッコが編み出した曲がる手裏剣の技も失われた……バーニーも衛兵も不思議な形をした四方手裏剣を特別なものだとは考えなかったためである。


 技術とは生み出すのは難く、失われるのは易い。



 クリフの人生において、最後の戦いは弟子であるロッコであった。

 この後、クリフは完全に冒険者ギルドからは引退し、公に姿を現すことは無くなる。


 この事実は脚色され、老人となった猟犬クリフが最後の力を振り絞り、道を踏み外した弟子と相討ちになるエピソードが誕生した。


 このエピソードを題材とした舞台は「老犬の牙」という名称で親しまれ、爆発的なヒットとなる。


 力に溺れたロッコが悪の限りを尽くし、ヘクターやギネスを次々と殺し、最後にはクリフとの死闘の果てに相討ちとなるのだ。

 ロッコがハンナに横恋慕をし、ハンナを殺害するパターンもある。


 いくつかあるパターンのいずれにも悲劇的な結末が用意され、いかにも庶民が好みそうな安っぽいドラマに満ち(あふ)れている。


 そして、この舞台が生まれると同時にロッコも「剣狼ロッコ」として脚色され、名を残した。




………………




 その後、クリフは一月(ひとつき)ほど療養し、すっかり傷は癒えた。

 これは傷口に(うみ)を持たなかったのが大きい。


 しかし、左手の傷は癒えてもそれで完治とはいかない。

 人体とは絶妙なバランスで成立しており、四肢が欠損すると全体のバランスが失われるのだ。


 このバランス感覚の欠如は、身に付けた技術が高度なものほど影響があり、クリフが今まで築き上げてきた繊細な技術はほぼ失われた。


 剣技も、手裏剣術も、歩法も、今までのようにはいかない。


 クリフは戦う術を永久に失ったのだ。




………………




 クリフはバーニーに「クロフト村で余生を過ごす」と伝え、家を譲りたい旨を伝えたが、バーニーは頑として譲らず「クリフに仕えたい」と言い張った。


 仕方なく、クリフが死んだら遺産として相続する折衷案せっちゅうあんをとり、クリフもバーニーも納得をした。



 ギルドは一時、クリフとヘクターが一気に抜けたことで混乱が生じたが、新しく3名の事務員を雇い建て直したようだ……運営に関しては、引退したクリフが口を出す筋合いは無い。


 ピートは3代目の支配人(ギルドマスター)として8年間勤めあげる事になる……ちなみに支配人の任期を最長で8年と定めたのはピートであった。



 意外な所では秋にトーマスがケーラとジュディの姉妹と結婚した。


 クリフは知らなかったが、元々トーマスとケーラは好きあっていたらしく、疫病えきびょうで容姿がみにくくなったとしてケーラが身を引いていた。

 しかし、トーマスの熱烈なプロポーズを受け入れる形で2人は結婚した……なぜジュディが付いてきたのかは余人には分からない。


 あまり庶民では例がないがマカスキル地方では当人同士が納得していれば重婚は罪では無いのだ。



 少し未来の話になるがマリカは2年後に、ぽっと出の5つも年下の冒険者と結婚したらしい……ゲリーとディーンが泣いたようだ。


 余談だが、クリフの飼い猫はマリカが引き取ってくれた。



 ゲリーは長らく冒険者ギルドのエース格であった。

 また、ヘクターの遺児であるバートの兄貴分としても重要な役割を果たす。


 後にバートは、冒険者として培った勝負勘と、父と母の遺した財産を使い事業家としても大成功をおさめる。

 野心家であったバートは最終的に自由都市ファロンの評議会議員にまで登り詰めた。

 冒険者からの立身出世の代表格となり、猟犬クリフとは違う形の伝説の冒険者と呼ばれる事となる。



 隻眼ヘクターも、雲竜ギネスも死に、猟犬クリフも自由都市ファロンを去る……1つの時代が、終わろうとしていた。


 世の中は移ろうものだ……誰が居なくなろうとも、次の日は昇る。


 冒険者ギルドは草創期を終えたのだ。




 そして、クリフはハンナの遺品を整理した。


 形見である曲刀、クリフが贈った髪飾り、そして結婚前にクリフが書いた下手くそな散文詩……残したのはこの3点のみである。



 屋敷を片付け、出発を待つのみとなった晩秋の頃……




 クリフは脳卒中で倒れることとなる。


次回で完結します。

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