2話 老犬の牙
ロッコ視点です。
「ク……リフ……聞いて、みな」
隻眼ヘクターはそれだけを言い残し、息絶えた。
それは一時代を代表する冒険者の死であった。
「……強かったです、とても……」
ロッコはポツリと呟き、しばしヘクターの遺体を眺めていた。
死者への世辞ではなく真実、隻眼ヘクターは強かった。
凄まじい腕力に優れた技巧……まともな力比べならば床に転がっていたのは己であったとロッコは思う。
しかし、冒険者の戦いに卑怯は無い。
互いに全力を尽くし、ロッコが勝った。
この結果が重要なのだ。
……クリフさんに聞けって言ったが……
ロッコは少しの間、考え続けた。
クリフは13年前の事件は殆ど知らないであろうし、コリーンとは面識も無かった筈である。
……あの後、何かあったのか? ……まあ、会えば判るか……
ロッコはヘクターの遺体から手裏剣を回収し、血を拭った後に懐に仕舞い込んだ。
この手裏剣は秘中の秘である……決して他者に知られる訳にはいかないロッコの生命線だ。
ロッコは大切なコレットの遺骨を懐に仕舞い、倉庫を出た……夏の日差しが眩しい。
ロッコは夏の暑さでヘクターの遺体が痛むかと心配したが、石造りの倉庫の中の方が涼しく、下手に動かさずとも子分が見つけるだろうと納得した。
倉庫を出たロッコは特に隠れる事は無く町を歩く。
コレットが死んでからロッコは常に死にたいと思いながら生きている。
ロッコにとって、この13年はコレットを守ることが生き甲斐だった。
子供はできなかったが、互いを労り、2人で幸せな時間を過ごした。
しかし、コレットは旅の中で胸を病み、今年の冬に死んでしまった……労咳(結核)だった。
それ以来、ロッコに生きる目的は何も無い。
自ら死を選ぶつもりは無いが、早く死んでしまいたいと思っていた。
故に、堂々と町を歩く。
しかし、世の中とは不思議なもので、隠れずに歩くと誰もロッコのことを気にせずに通り過ぎるのだ。
ロッコは懐かしくも、変わり果てたファロンの町を歩く……そこかしこで空き家が目立ち、市には活気が無い。
クリフの家はすぐに見つかった。
少し古びた気もするが、以前と同じ佇まいだ。
……少し、早すぎたかな……
ロッコはクリフの家の前で少し考えた。
この時間ならばまだクリフはギルドにいる筈だ。
ギルドに乗り込んでもいいが、下手な騒ぎになってコリーンと会えなくなるのは御免である。
ロッコは少し歩いて時間を潰すことにした。
程近い広場では新興宗教が死後の救済について辻説法をしており、興味を惹かれ足を止めた。
説法師は中々の名調子であり、ロッコは話に引き込まれていく。
ロッコにはあまり理解ができなかったが、彼らの教義を信じれば亡き人や己の魂が救済されるらしい。
ロッコが特に心惹かれたのは信仰心があれば、死後の世界で再会できるという部分だ。
……コレットが少しでも救われるなら……
ロッコは彼らの教えをさらに聞きたくなった。
彼らの道場は17番通りにあり、毎日欠かさずに教えを説いているそうだ。
……行ってみたいが、今日は無理だな……
気がつけば、既にかなりの時間が経っていた……ギルドの業務も終わった筈だ。
ロッコは説法師の前にある鉢に小銭をいくらか入れ、立ち去った。
……コレット、君とまた会えるのか……?
ロッコは懐の小壺をギュッと握りしめた。
………………
ロッコがクリフの家の前に立つと、先程まで感じなかった人の気配がある。
クリフは既に帰宅しているようだ。
……たしか、ハンナさんは亡くなったらしいな……エリーちゃんと暮らしているのかな?
ロッコはファロンの事情には疎いが、ハンナが数年前の疫病で死んだことは噂として耳にしていた。
「すいません、よろしいでしょうか!」
ロッコが敷地の前に立ち、吊るしてある木槌で出入り口の金属板をカンカンと叩いた……これは原始的なノッカーである、ファロンで最近流行しているらしい。
「はい、どちらさまでしょうか」
中から使用人と思わしき若い男が現れた。
20代の半ばであろうか、スラリとした美男である。
……ほう、なかなか出来るみたいだ……
ロッコは若い男の身のこなしに武芸の嗜みを感じ取った。
実はロッコはこの若い男とは面識があるのだが、13年前のイメージとは結び付かなかった様だ。
「すみません、私はロッコと申します……こちらの……」
「ロッコ! 今日はどうした!?」
ロッコの言葉を遮るように、初老の男が声を張り上げた……クリフだ。
……クリフさん、老けたな……
これが久しぶりにクリフを目にしたロッコの第一印象だった。
「今日はもう稽古は終わったんだろ? 飯は食ったのか?」
「あ、いえ……まだ……」
クリフは親しげにロッコに話しかける。
しかし、内容がどこかおかしい。
「バーニー、飯を3人分用意してくれ。食っていくだろう? エリーが嫁いでからはハンナと2人だけでな……ハンナも喜ぶ」
ロッコは戸惑ってバーニーと呼ばれた男の方を見た。
バーニーはゆっくりと左右に首を振る。
「旦那様は、奥様が亡くなられてから夢の中で生きておいでなのです」
ロッコは愕然とした。
あの猟犬クリフが、自分の師がこのようになっていることを全く知らなかった。
ロッコはクリフに誘われ、家の中へ向かう。
……右足を、引き摺っているな……
クリフの歩き方を観察し、ロッコはクリフの衰えを痛感した。
……足を痛めてるから、剣を佩いて無いのか……それにしても不用心だが……
ロッコはクリフを観察し、剣もバックラーも無いことに気が付いた。
もちろん、この観察はクリフと戦うことになった時のためである。
「ハンナ、今日はロッコが来てくれたよ」
リビングに入ると、クリフは誰も座っていない椅子に楽しげに声をかけ、微笑んだ。
まるでそこには誰かがいるようだ。
……完全に気が触れている……
ロッコは少しゾッとした。
「あの、クリフさん……剣はどうされたんですか?」
「はは、あんな重いものは物置に入れっぱなしさ」
クリフが事も無げに笑う。
そこにはかつての猟犬クリフの姿は何処にもない。
若い女が給仕を始めたが落ち着かない様子だ……まだ馴れていないのだろうか。
乾燥豆のスープ
魚の塩漬けと根菜の煮物
パンとチーズ
女はクリフとロッコ、そして誰も座っていない席にと料理を並べていく……意外と質素な料理だ。
「足りなかったら言ってくれよ、今日もハンナにしごかれたんだろ?」
「ええ、まあ……」
にこにこと食事を勧めるクリフに適当に合わせながらロッコはスープを啜る。
……クリフさんには俺も若く見えてるのだろうか?
そうなのかも知れない。
クリフは誰も座っていない椅子に話しかけるが、その内容は13年前に時が止まったかのようなことばかりだ。
それはロッコにとっても楽しかった記憶であり、ふと昔に戻ったような……ロッコは不思議な感覚にとらわれた。
……でも、エリーちゃんが嫁いだって言ってたが……はて?
ロッコは内心で首を捻るが、狂人の思考に整合性を求めても仕方ないのかも知れない。
「あの、コリーンって女性を知ってますか?」
ロッコは食事中に然り気なく本題を切り出した。
「ああ、知ってるが……どちらのコリーンさんだろう? 若い女性か?」
「……! ええ、そうです」
ロッコは驚きで身を乗り出した。
「ふふ、そう言うなよハンナ……ロッコだって若いんだ、そんな話もあるさ」
クリフが独り言を繰り返しているが、ロッコにはその時間すらもどかしい。
「8番通りの鍛冶屋に嫁いだはずだが……今さら行っても遅いかもしれんぞ」
クリフがニヤリと笑う。
「相手は鍛冶ギルドの親方の1人さ……稼ぎもいい。今さら昔の男が行っても迷惑がられるかもしれん」
「ええ……まあ、そうでしょうね」
ロッコはいまいち噛み合わない会話の中にもドキリとする所があり動揺した。
……でも、良かった……コリーンは幸せにやってるのか……
ロッコは懐の小壺を服の上からそっと撫でた。
「ふふ、そうだな……ロッコなら大丈夫だよ」
クリフは何やらぶつぶつと呟きながら頷いている。
……これは、幸せなことかもしれない……クリフさんは今でもハンナさんと一緒なんだ……
ロッコはクリフを見て少し羨ましくなった。
己も狂ってしまえば亡き妻と過ごせるのだろうかと考え、無理だと思い直し自嘲した。
食事を終え、帰宅することを告げるとクリフは名残惜しそうにロッコを引き留めた。
見ればクリフは質素な食事も満足に食べていないようだ……どこか悪いのかも知れない。
「また来てくれよ、毎日が退屈でな」
そう言いながらクリフが見送りのために立ち上がり、足を少し引き摺りながら近づいてくる。
「ええ、また……」
ロッコがクリフから視線を切った。
その瞬間
クリフの体が素早く動き、ロッコの体を拘束する。
……なっ、しまった!
ロッコは辛うじて曲刀を抜き、クリフの左手首を切断したが、そこまでであった。
クリフの体はロッコに密着し、絡み付くように自由を奪う。
「殺れっ! バーニーっ!」
クリフは使用人に指示を出し、そして
ロッコは脇腹に強い衝撃を受けた。
金属の冷たい感触が体に侵入するのを感じる。
……しまっ、た……
ロッコは完全に油断していた。
クリフの老いさばらえた演技に、懐かしい記憶に、警戒を忘れた。
首筋に衝撃を感じた……止めの一撃だ。
……コレット、また……会えるのか……
ロッコは暗くなる意識の中でコレットを思い出す……13年前の、少女の姿だった。
……先程の説法師を信ずるならばコレットに会える……ならば信じよう……
ロッコはよく知りもしない説法師に、心の内で帰依をした。
「手の内を知れば、工夫次第さ……教えたろ?」
どこか遠くで師の声が聞こえた。
……完敗だ……
猟犬クリフは老いてなお賞金稼ぎなのだ。
目の前に賞金首がのこのこと現れ、逃すはずがない。
クリフは始めから全力でロッコを倒しに掛かっていたのだ。
ロッコは最後の戦いに満足し、息絶えた。




