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猟犬クリフ~とある冒険者の生涯  作者: 小倉ひろあき
4章 晩年

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1話 垂柳のロッコ

ヘクター視点です

 自由都市ファロンを襲った疫病の脅威が去り2年ほどが経った。



 あれほど賑やかであったファロンの表通りは閑散とし、広場では新興宗教が死後の救済を説いている。


 疫病で何万人も死んだ後、マカスキル地方では終末思想が流行し、様々な新興宗教がファロンで勢力を延ばしたのだ。


……ふん、2年前のように元通りになるなら幾らでも喜捨(きしゃ)をしてやるがな、死んでから救われてもチト遅いぜ……


 少し足を止めて辻説法を聞いていた隻眼の老人は説法に興味を失ったようで広場から立ち去った。


 別に新興宗教が悪いものと決め付けたモノでもない。

 それで救われる者がいるならば人の世に必要なものであろう。


 科学文明が未熟な時代では、人々の心の安寧には宗教は大切なものなのである。


 しかし、この老人には「死後の救済」という教えはお気に召さなかったようだ。


 老人の名は隻眼ヘクター、かつては伝説的な冒険者であり、冒険者ギルドの支配人(ギルドマスター)であった。


 1度完全引退をしていたが、今の彼は冒険者ギルドに復帰をし、運営を手伝う身である。


……さてと、そろそろ向かうか……


 ヘクターは冒険者ギルドに向かい歩き出した。




………………




 冒険者ギルドではヘクターは運営のほぼ全てを掌握している。


 これはヘクターが元支配人だったこともあるが、彼の優れた知性と教養によるものだ。



 実はヘクターは優れた教育を受けている。


 ヘクターの父は王国に仕える史官であった。


 史官とは歴史の研究者のような存在で、歴史書を編纂し、天体を観測し(こよみ)を作成したりする文官だ。

 特殊な職務には特殊な知識が必要となり、自然と世襲制となった役職である。


 ヘクターは学者肌の父に高度な教育を受けた。

 しかし、父や兄弟たちと違い、ヘクターの肉体には恐るべき力が生まれつきそなわっていたのである。


 7~8才の頃には並の大人よりも腕力があり、走れば誰よりも速かった。


 15才の頃には凄まじい怪力となり、立木を抱え引き抜くことすらできた。


 剣を扱えば小枝を振るうように左右の手で自在に双剣を操り、町の破落戸(ごろつき)などは何人束になっても相手にならない。


 周囲にはヘクターに敵う者など、どこにも居なかった。


 鍛練など必要とせず、生まれつきのままで優れた力を発揮する……人の世には極稀(ごくまれ)にこのような存在が生まれることもある……鬼子である。


 優れた知性と肉体を持つヘクターが家を飛び出し無頼になるのはある意味で必然であっただろう、彼を文官にするなどは無理な相談である。


 彼はやりたい放題に生きた。


 世間の誰もが彼よりも弱く、愚図ばかりであった。


 (たちま)ちに冒険者としても頭角を表し、隻眼ヘクターと言えばいまや冒険者ギルドの初代支配人にして、政治家すら遠慮をするファロンの裏社会の実力者である。


 彼の生まれが武官であったなら、国家の英雄となり貴族に連なったに違いない……それほどの男なのだ。


 ちなみに右目は生まれつき開かなかったらしい。



 冒険者ギルドの事務などはヘクターにすれば難しいことではない。


 先ず、書類の束を流し読みをし、種別に分けた箱に分類をしていく。


 そして各人に得意な仕事を割り振るのだ。


「おら、ピート」

「うへっ、こんなに……」


 ヘクターに依頼関係の書類を渡されたピートの顔がゆがむ。


 ギネスが病死してからはピートがギルドの運営を担当しているが、彼は冒険者としては一流でも文字を読むことすら怪しい程度の教養しか持ち合わせていない。

 計算は指を使い足し算引き算がやっとである。


 これは彼が阿呆なのではなく、受けた教育の差だとヘクターは思う……故に鍛えるために容赦をしない。


「なんだ? おかわりが欲しいのかよ」


 ヘクターがギロリと(にら)むとピートは「いえ、別に」と(うつむ)いた。


……そういや、アイツも事務は苦手だったな……


 ヘクターがチラリと執務室を(のぞ)くと、そこには冒険者ギルドの現支配人が背を丸めモソモソと書き物をしているのが見えた。


 クリフである。


 ヘクターはクリフを眺めると「ふん」と苦笑してマリカに書類を渡した。


 マリカは左手で書類を受け取ると、手早く何かを書き込んでいく。


「おい、ピート、マリカに次の支配人の座を奪われそうだな」

「いえ、私は……その」


 ヘクターの冗談にマリカが困った顔をする。

 生真面目な娘なのだ。


「へっ、出来る奴が上にいくのが冒険者よ」


 ヘクターはそう(うそぶ)くと受付にドンと腰掛けた。


 ヘクターは受付業務担当なのだ……彼が座るカウンターで揉め事が起きたことは1度も無い。


……チッ、今日も時化(しけ)てやがるなあ……


 ヘクターはガランとしたギルドを眺め、舌打ちをした。


 自由都市ファロンが壊滅的な状況に陥り、冒険者の数も激減した。


 冒険者ギルドの運営は仕事が減り、職員の数が減ったが十分に手は足りている状況だ。


 酒場はトーマスとジュディが経営しており、こちらにはまばらだが客はいるようだ。

 いつの世も人は酒を飲む。



 退屈したヘクターが抜いた鼻毛を数えていると、クリフが受付カウンターから出ていき、依頼の掲示板にペタペタと何かを張り足し始めた。


 その姿は衰えきっていて、何の気力も感じられない。


「猫に餌をやってくるよ」

「おう」


 作業を終えたクリフがヘクターに声を掛けると、トボトボと裏口から出ていった。


 ヘクターはクリフにシッシッと手を振り、視界から追い出す。


……チッ、すっかり腑抜けやがってよ……


 ヘクターから見れば今のクリフは廃人である。


 最愛の妻に先立たれ、従者のバーニーが送り迎えしなければギルドへの通勤すらままならない。


 猫の餌やりだけが楽しみの、毎日のルーティンをこなすだけの存在である。


 ヘクターは「娘に世話してもらえ」と何度も勧めたが、クリフは首を横に振るのみだ。


 「クロフト村に疫病をもちこめないし……それにハンナが帰ってくるまでは」などと口走る始末である。


 本当に死んだハンナが帰って来ると信じているのだろうかとヘクターは首を(ひね)る。


 その目は連日の深酒で光を失い、最近ではトレードマークであったミスリルの剣ですら「重い」と言って家に置きっ放しらしい。


……どうも、少しイカれちまってるんだよなあ……


 ヘクターのクリフ評はこれである。


 今では「猟犬クリフ」という名前に価値があるだけの役立たずである。




………………




 昼過ぎまでヘクターが退屈をしていると、顔見知りの冒険者が近づいてきた。

 彼はヘクターの子分であり、古株(ベテラン)の冒険者だ。


「親分、少しお耳に入れたいことが」


 そう言いながら古株の冒険者は右手の人指し指を(かぎ)の形に曲げ、然り気無く示す……これはヘクターの組織内で使うハンドサインだ。

 どうやら内緒話があるようである。


「あん? わかった……おい、チョイと席を外すぜ」


 ヘクターはピートに声をかけ酒場へ移動する。


 酒を注文し「面白い話なら奢ってやるぜ」とヘクターは笑う。


「ロッコが戻りました」


 古株の冒険者は単刀直入にヘクターに用件を告げると、ヘクターの顔に緊張感が走った。


 ロッコとはヘクターの子分でありクリフの弟子であった元冒険者だ。

 10年以上も昔に大きな犯罪を犯し、賞金首として逃亡を続けている。


……ロッコか……随分と懐かしい名だな……30才くらいか?


 ヘクターはロッコの記憶を掘り起こす。


 ロッコはこの13年間に賞金稼ぎを何度も撃退し、旅の中で刺客や用心棒として活躍しているようだ。

 今では66000ダカットの賞金が掛かった大物である。


 その剣捌きから「垂柳(すいりゅう)のロッコ」と呼ばれる凄腕である。

 垂れた柳の枝の様にしなやかで決して折れない、守勢に長けた戦いで知られている。


 英雄的な存在である猟犬クリフや姫剣士ハンナの直弟子であったが、力に溺れ悪の道に進んだその経歴はある種のカリスマ性すら帯びており、多いに畏怖される賞金首だ。


「そうか、コナンに追わせろ……手に余れば数で囲んで殺せ」


 ヘクターは古株の冒険者に少なくない金を報酬として渡し、しばらく考え込む。


 赤熊(しゃぐま)のコナンは現在のギルドでは随一の使い手だ。

 ロッコと対峙してもそうそう負けはしないだろうとヘクターは考えた。


 問題はクリフである。


……クリフには黙っとくか……? まあ、何にせよ見つかってからの話だな。


 ヘクターはクリフには報告をするのを止めた。


 裏の猫にルイーザとかハンナとか名付けて喜んでいるクリフが丸腰でロッコと戦えるとも思えない。



「ロッコか……いまさら何の用だ?」



 ヘクターには分からないが、姿を現したならば捕まえなくてはならない相手だ。


 冒険者ギルド出身の犯罪者は冒険者たちに付け狙われるのが定法じょうほうである。




………………




 3日後、ヘクターの前には子分の死体が並べられていた。

 実に4人も殺られたのだ。


「すまねえ、俺の独断で動かしたらこのザマだ」

「……いや、彼らはヘクターの子分だからな。それにしてもコナンが殺られるとは」


 現在、ヘクターとクリフはギルドの訓練所に並べられた死体の傷を調べている所である。


「いずれも致命傷は切り傷だな……凄い腕前だ……ん?」


 クリフがコナンの死体を引っくり返して背中を調べ始めた。


「どうした?」

「背中に傷があるぞ? ロッコには仲間がいるのか?」


 クリフの疑問に、ヘクターは首を(ひね)る。


「さて、聞いてねえな……背中に傷か、コナンが敵に背を見せるとは思えねえが……」

「……投げナイフか何かだと思うが、浅い刺し傷だな……しかし角度が不自然だ」


 クリフが立ち上がり「恐らくは」とヘクターの後ろに回る。


「後ろからの不意討ち、しかも斜め上からだ……これは少し低いけど」


 クリフは訓練所に転がっていた木箱を重ねて乗る。


「こんな感じだ」


 ヘクターは「なるほど」と(うなず)いた。

 不意討ちならばコナンが殺られたのも納得がいく。


「クリフよ、悪いがロッコは俺が殺るぜ……子分を4人も殺られちゃな」



 ヘクターはそう言い残しギルドを後にした。


 親分であるヘクターは、子分を殺されては黙ってはいない。


 ヘクターの子分は「いざというときに親分が出てくる」からヘクターの傘下にいるのだ……でなければ誰もこのんで子分にはならない。


 ここで見逃してはヘクターの顔が立たないのだ。




………………




 意外なことに、ロッコは直ぐに見つかった。


 隠れる気が無いのだろう……ヘクターの子分が接触し、2日後にはヘクターの組織が管理する空き倉庫に呼び出すことに成功した。



 ヘクターとロッコは正に今、空き倉庫で対峙しているのである。



 30才を超えたロッコの風貌には変化がある……顔に傷があり、人相を隠すためだろうか(ひげ)を生やしている。


「お久しぶりです、親分」

「オメエに親分って呼ばれる(すじ)はもうえけどな……何で帰ってきた?」


 ヘクターとロッコは互いに1人である。


 多人数を潜ませてはロッコに気取(けど)られ逃げられるであろうし、皆が一騎討ちならばヘクターが負けるとは思っていないのだ。


 事実、彼は55才まで負けを知らない。


「女を探しています、名前はコリーン……26才の、黒髪の女です」


 ロッコの言葉にヘクターは眉をしかめた。

 その女には覚えがある、確かベルタの事務所で雇っていた娘だが、疫病で死んだはずだ。


「クックック……女を探しに来たのけえ……それでコナンを殺したか」


 ヘクターからぶわりと殺気が吹き出した。


 しかし、ロッコはヘクターの殺気を受けても平然としている……大した胆力だ。


「コリーンは私の義理の妹になります」


 ロッコは懐から小壺を取り出して空き箱の上に大事そうに置いた。


「妻です、今年の始めに死にました……苦労をかけ通しでした」


 ロッコは壺から少し離れ「コリーンの元で供養してやりたいと思いまして」とヘクターに向き合う。


「なるほどな、だがな……それとこれとは話が別だぜ」


 ヘクターが双剣を抜く。


「抜けよ、俺は丸腰が相手でも躊躇(ためら)いはねえ」


 ヘクターは不適な笑みを見せ、ロッコを(にら)み付ける。


 ロッコが短めの曲刀を抜くと同時に、ヘクターは襲いかかった。


 ヘクターは左右の手に持つ剣を自在に振り回し、回し蹴りを放つ。

 その攻撃は一撃でも当たれば骨を砕き、肉を裂く致命的なものである。


 しかし、ロッコは巧みに()を外しながら()わし、(さば)き続ける。

 (まさ)に柳のような柔らかさでヘクターの攻勢を逸らすのだ。


 ロッコの剣技はハンナに叩きのめされ続けて身に付けたものである……防御のテクニックは一流を超える冴えがあった。


 ヘクターの暴風のような猛攻をロッコは凌ぎきり、両者は距離を保ち睨み合う。


 ロッコの左手がスッとふところに伸び、2枚の手裏剣を取り出した……四方手裏剣のようだ。


……指が欠けているな……


 ヘクターは冷静にロッコの動きを観察する。


 ロッコの左手の指は、人差し指と中指の先が欠けているようだが、手裏剣の扱いには問題は無いらしい。


 じり、じり、と両者は間合いをはかる。


 ロッコの左手が素早く動き、立て続けに2枚の手裏剣が飛んだ。


……どこを狙ってやがる!


 手裏剣は見当違いの方へ飛び、投げ終わりの隙につけ込んでヘクターはロッコに飛び掛かった。


 瞬間、ヘクターは背中に衝撃を感じ、体制を崩す。



 目の前にはロッコが迫り、曲刀を振るった。




………………




「やられたぜ」


 ヘクターは倉庫の床で大の字に転がっていた。


 左の肩口は深々と切り下げられ、胸の辺りまで達している……致命傷だ。


「……どんな、からくり……なんだ?」


 ヘクターの疑問に応え、ロッコが手裏剣を見せた。


「角度がつけてあります。投げ方を工夫すれば自在に曲がるように飛ばせます」


 その四方手裏剣はややたわんだいびつな形をしていた。

 角度をつけた四方手裏剣はブーメランのように弧を描き、ヘクターの背後を襲ったのだ。


 ヘクターは瞠目(どうもく)した。

 投げた手裏剣が曲がるなど聞いたこともない……自らが食らわなければ鼻で笑った筈だ。


……なるほどな、コナンの背中の傷はこれかよ……


 ヒントはあったのだ。

 だが、気づけなかった。


……まさか、あの坊やに俺が殺られるとはな……


 ロッコの成長を感じ、ヘクターがニヤリと笑う。


 初対面のロッコはいかにもひ弱く、とても冒険者としてやっていけないとヘクターは思っていた。


「そ、りゃ……たまげ、た……良いもん、見た、ぜ」


 ヘクターはロッコが取り出した小壺を震える指で示した。


「ク……リフ……聞いて、みな」



 ヘクターはそれだけを言い残し、意識を手放した。

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