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猟犬クリフ~とある冒険者の生涯  作者: 小倉ひろあき
3章 中年期

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12話 理不尽な別れ

3章のラストになります。

……これは、一体どうしたことだ……


 ファロンの城壁外に立つクリフには、目の前の光景が信じられなかった。


 ファロンの城壁から程近い場所には深い穴がいくつも掘られ、疫病(えきびょう)で死んだのであろう死体が次々と運ばれてくる。


 穴が死体で埋まれば衛兵によって乱暴に薪が積まれ、油を撒き、焼かれていく。


 その異臭はどれほど離れていても強烈に鼻につき、気分が悪くなる。


 城壁は固く封鎖され、市内に入ることも出ることも許されない。


 クリフは何度も市内に入れないか交渉したが、衛兵たちは全く聞く耳を持たなかった。


「俺はクリフォード・チェンバレン、猟犬クリフだ。市民として市内に入れて貰いたい」

「……申し訳ありませんが、疫病の蔓延(まんえん)を防ぐための処置です。衛兵以外は出入りが禁じられています」


 このやり取りも何度繰り返したのか分からないほどだ。


 衛兵に顔の効くクリフが名乗れば入れそうなものだが、同じ衛兵とは言え城壁の警護と市内の犯罪捜査では管轄が違い、知り合いも居らずコネが使えないのだ。


 衛兵によれば「外から来たものが疫病を持ち込んだ」と言う理由で市内への出入りを禁じているようだ。


 確かに疫病が外から来たのは間違いでは無いだろう。


 実はこの時、北のバッセル伯爵領でも規模は小さいが疫病が発生していた。


 疫病が入る前ならまだしも、蔓延した後に封鎖しても意味はあまり無いだろう。

 しかし、細菌学の無い時代である……それを衛兵に説いたところでどうにもならない。


 クリフはなす術もなく、城壁の外で幾日か過ごした。


 城壁の外にはクリフと同じような境遇の者が集まりキャンプ村のようなものを形成している。


「いつになったら入れるのか」

「家族は無事なのか」


 皆がうわ言のように繰り返すが、答え得るものなどはいない。



 また、穴が埋まり火柱が上がった。




………………




 数日後



 クリフはまだ市内に入れず、外から城壁を眺めるのみだった。


 いかにクリフとは言え、封鎖された城門を(くぐ)る術などは無いし、城壁を越えるわけにはいかない。


 クリフが城壁を(にら)み付けていると、また荷車に積まれた死体が運び出されてきた。


 疫病で死んだ者には全身に膿疱(のうほう)が広がっており、おぞましい姿をしている。


 恐らくは腺ペストか天然痘てんねんとうである。


 両方ともに抗生物質やワクチンの無い時代には致死率の非常に高い伝染病だ。

 感染力が非常に強い上に毒性が強く、感染者の半数以上が死に至る。


 クリフが見ているだけで既に何百という死体が焼かれているだろう。


 おぞましく(ただ)れた死体が積み重なり、異臭を放ちながら燃やされる……この世に地獄が現出したような光景である。


……くそっ、こうしていても……


 クリフは城壁の周囲をぐるぐると何度も回ってみたが、9つある城門は全て閉じられている。


 クリフは城壁の外での滞在を諦め、仕方なしにファロンに程近いアッカンの町で待機することにした……食料が尽きたのだ。


 アッカンの町では疫病の蔓延したファロンからの旅人は非常に嫌われ、宿がとれないため、クリフは「王都から来た」と説明をし、宿をとった。


……別に嘘でもないしな……


 クリフが「王都のほう」から来たのは事実である。


 しばらくクリフはアッカンの町でファロンの様子を探り続けることになる。



 この後、ファロンの封鎖は一月(ひとつき)ほどで解除されることとなった。


 これは疫病が収束したのでは無く、市内の物資を消費し尽くしたためであった。




………………




 クリフがファロン市内に入ると、通りは驚くほどに静まり返っていた。


……人が、殆ど歩いていない……


 賑やかであったファロンの表通りは閑散としており、死体を詰んだ荷車と行き違う程度である。


……ハンナは無事なのか?


 クリフが思うことはそれだけである。


 急いで自宅に戻るが、クリフは強い違和感を感じた。


……何だ? 何かがおかしい……


 恐る恐る玄関を開けようとするが、何故か鍵が懸かっている。


……鍵が!? 何故だ!?


 クリフは半ばパニックになりドアをガチャガチャと動かした。



 しばらくすると、後ろから誰かが近づく気配を感じ、クリフが振り返るとバーニーが立っていた。


「……旦那様……」

「バーニー、何があったんだ!? なぜ鍵が懸かっている!?」


 クリフはバーニーを責めるように問い詰めた……これは八つ当たりである。


「旦那様、奥様が」




『奥様がお亡くなりになりました』



 クリフは、目の前が暗くなり、足元が崩れ落ちるような喪失感に襲われた……




………………




 どれほどの時間が過ぎたであろうか、クリフは時間の感覚を失っていた。



……ハンナが、死んだ……?



 クリフには到底信じることが出来なかった。


 証拠が、何も無いのである。


 疫病で死んだものは貴賤を問わず、城壁の外で焼かれたのだ。

 遺骨の欠片すらクリフの手元には残っていない。


 酷くガランとした室内は石灰が撒かれ清められている……ハンナが寝ていたであろうベッドも処分されており、既に無い。


……ハンナは、全身に膿疱を作り(ただ)れながら死んだのか……?


 クリフにはとても想像が出来ない。クリフの中ではハンナは美しいハンナのままだ。


 この後、クリフは死ぬまでハンナの死というものを受け入れることはできなかった。


 クリフも頭では理解できる、だが「ただいま」と、どこからかハンナがヒョイと戻るのではないかとどこかで思い続け、それが生涯に渡って続いたのだ……1種の現実逃避と言えばそれまでではある。



「旦那様……よろしいでしょうか?」


 バーニーが憔悴(しょうすい)するクリフに声を掛ける。


「ああ……どうした?」


 クリフが問い返すと、バーニーはしばらく沈黙した。


……バーニー、泣いているのか?


 バーニーは黙ったまま立ち尽くしている……クリフは根気強くバーニーの言葉を待った。


「……ルイーザが、死にました」


 バーニーがポツリと呟いた。


 クリフは瞠目どうもくした。

 ある意味、ハンナの死よりも驚いたかもしれない……ハンナの死は実感がまるで無いが、ルイーザの死はバーニーが泣いているだけに本当なのだと理解ができた。


「……残念だ……ジーナは?」


 クリフはジーナを見ていないことに気づき、最悪の事態を想像をした。


「ジーナは……ルイーザの死から(ふさ)ぎ込み、離れに(こも)っています」

「そうか……無理もない」


 クリフはハンナが流産した時を思い出していた……子を失ったジーナの心痛を想像し、胸が痛む。


「ギルドは?」

「開いてはいますが、都市は殆どが麻痺まひしています、業務をしているかは分かりません」


 バーニーの言葉に頷いたクリフは「明日、顔を出そう」と呟いた。




………………




 自由都市ファロンを襲った疫病はこの後、数ヶ月かけて収束した。


 しかし、ファロンの封鎖によって抑えられていた感染の拡大は留まることを知らず、他の都市でも拡がりを見せ、多くの人命を奪った。


 周辺部を含み、18万人弱ほどの人口があったファロンは人口過密地帯であり、感染に歯止めが効かず何万人も罹患し、死者だけで4万人を超える被害を出すこととなる。


 これほどの被害でも、死者を城外へ出すなどの衛生面の努力により、被害は抑えられたと言われているのだ……疫病の猛威は推して知るべしである。


 生き残った人々も疫病を恐れファロンを離れた。

 人口の流出は歯止めが効かず、次の年では人口は6万人を下回ることになる。

 実に3分の2の人々が町から姿を消したのだ。



 また、クリフにとって親しい人々も多くが亡くなり、特にギネスの死はクリフを大いに悲しませた。


 冒険者ギルドではハンナ、ギネス、アーサーが亡くなり、ケーラは一命を取り留めたものの、ギルドの仕事は退職した。

 整っていたケーラの顔には痘痕(あばた)が残り、体にも麻痺が残ったという。


 クリフが目を掛けていたガスも、若きジュードも死に、クリフは肩を落とした。



 ギルドは業務が停滞し、臨時の形でヘクターに復帰してもらうなどの努力の結果、クリフは何とか冒険者ギルドを建て直すことに成功する。


 だが、ファロンの経済が壊滅的な被害を受けたことにより、規模を縮小したのは仕方の無いことであろう。


 ヘクターも次男のバリーを亡くした。


 皆が無関係とはいかない、疫病はある意味で平等であった。


 クリフは何を為すにも気力を失ってしまったが、義務感と惰性のみで仕事をこなしていった。

 食は細くなり、白髪が増え、一気に老け込んだようだ……ハンナが死んで以来、笑うことも無くなった。


 もはやクリフに生きる目的も無く、エリーのもとへ行きたいとも考えたがクロフト村に疫病を入れたくなかったこともあり、クリフはファロンに留まった。



 この時代、疫病(えきびょう)疫病神(やくびょうがみ)の行いと言われており、疫病神は老いも若きも身分の貴賤も差別なく、人の都合などまるで考えぬ理不尽さで命を奪った。



 栄華を誇った自由都市ファロンは、その賑わいを取り戻すことは2度と無かったのである。


疫病については活動報告にて少し触れます

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