11話 予兆
ラストに向けて加速します。
クリフはドーラとダリルを伴って王都に向かった。
クリフ自身はこの行程を10日強、ドーラとダリルを伴っても20日程度と考えていたのだが、実際に王都に到着したのは26日後のことであった。
これは旅なれぬダリルが体調を崩したのと、クリフ自身も若い頃のようには動けなかったのも影響している。
彼らが王都に着いたのは日が沈む直前であり、クリフは一晩だけドーラたちの家に泊めて貰った。
クリフは遠慮をしたのだが「この時間に宿は探せない」とドーラに言われ、厄介になることにしたのだ。
ならばせめてとクリフは宿代を払おうとしたが、これはドーラに断られた。
「すみませんでした、クリフさん」
簡単な食事をとりながら、旅の足を遅らせた自覚のあるダリルがクリフに頭を下げる。
「いや、気にするな……色々あって疲れたのさ」
クリフはダリルを慰める。
ダリルはまだ13才である、王都から自由都市ファロンに、そしてまた王都にと旅が続いて疲れが出たのだろうとクリフは思う。
「俺もな、旅の途中で体を壊すことは多かったよ」
「本当ですか? クリフさんでも?」
ダリルは父の跡を継いで冒険者になりたいらしく、クリフの話を熱心に聞く。
クリフは旅の思い出を語るが、若い頃の記憶は辛いものばかりだ。
熱を出してもジュードは旅の行程を緩めなかったし、一人旅の時は道端で踞って病をやり過ごした。
……本当に、思い出すのは辛かったことばかりだ……
クリフは内心で自嘲しながら旅で病に掛かったときの対処法をダリルに伝えた。彼が冒険者になるならばいずれは役立つ日も来るだろう。
それに当時はキツかったがジュードに言われた『体調が悪かろうが賞金首には関係ねえ』と言うのは正しいと今なら思える。
ジュードは理不尽で暴力的はあったが、クリフに仕込んだ冒険者としての心得は間違ってはいないのだ。
「ダリルを冒険者にしてもいいのか?」
クリフがドーラに尋ねると「仕方ないね」と少し困ったような顔をしながら彼女は答えた。
「やりたきゃ止めようも無いよ……自分がそうだったんだから」
「そうか、そうだな。」
ドーラは「ふふ」と何かを思い出したように笑う。
「あの人も……スジラドもそうだったよ、何かを決めたら止めようが無かった。私はついていくだけさ」
クリフは少し意外に思いながらドーラの話を聞いた。
傍目からは勝ち気なドーラが夫婦の主導権を握っているようにも見えたが、内実は違ったらしい。
……そうだな、夫婦にしか分からないこともあるだろうな……
クリフはぼんやりとハンナのことを想う。
「そう言えば、俺がハンナに出会ったのも、俺が病に倒れたのがきっかけだったな」
「へえ、面白そうだね」
クリフたちはこの日、遅くまで語り明かした。
………………
翌日
クリフはドーラたちに別れを告げ、冒険者ギルドや、兄のアイザックを訪ねる事にした。
……先ずは冒険者ギルドか……
王都の冒険者ギルドはファロンのそれよりも落ち着いた雰囲気であり、酒場も訓練所もシックな装いである。
……土地柄ってやつだろうな、万事が気取ってるぜ……
クリフが王都のギルドに来るのは5年ぶりのことである。
王都は貴族が多いためか伝統を重んじる気風があり、落ち着いた風情が好まれる。
新進気鋭の商人の町であり、派手好きな自由都市ファロンとは対照的だ。
ギルドに入ると、見慣れぬ余所者を探るような視線を感じる。
クリフが事務所スペースに進むと、受付嬢が声をかけてきた。
「本日のご用件は?」
「ああ、新しい支配人に挨拶にな。俺はファロンの支配人のクリフォード・チェンバレンだ」
クリフが本名を名乗ると、受付嬢は「はいっ、少々お待ちください」と少し慌てた様子で奥の部屋に向かった。
少し回りがざわつき、先程よりも強い視線を感じる。
「……あれが猟犬クリフか……」
「ほら、支配人が交代したからだろ」
「なるほどな、凄い貫禄だぜ」
ひそひそ話が聞こえてくるが、もはやクリフはこの手の好奇の視線には慣れてしまった。
ほどなくして、30代半ばほどの男が慌てて現れた……恐らくは新しい支配人なのだろう。
「お待たせして申し訳ありません、お久しぶりですチェンバレン卿」
……はて、お久しぶりとは……?
クリフの反応を見た支配人が苦笑いをしながら「無理もありません」と笑った。
「マルゴの町でお会いしたこのは、もう15年……いやもっと前でしょうか?」
クリフはヒントを貰い、少し記憶を掘り起こす。
「……15年……マルゴ……ローナ?」
支配人は「ふふ」と勿体つけたような笑みを見せる。
「はい、ピートと一緒にスジラドさんのお供をしていたウーゴです。」
「ああ……そうだったな、すまない」
クリフは頷いたが、実は全く記憶に無い。
「ふふ、仕方ありませんよ……スジラドさんは?」
「ああ、亡くなったよ。ドーラも戻ってきてるから挨拶に顔を出すだろう……そうだ、未成年者の冒険者登録の用紙をくれるか?」
受付嬢が怪訝そうな顔で用紙を出すと、クリフは推薦人の欄にクリフォード・チェンバレンと記入した。
「ダリルが来たらこれを渡してくれ」
「はい、ありがとうございます……チェンバレン卿の推薦とは励みになるでしょう」
ウーゴが用紙をうけとり、涙ぐんだ。
彼にも様々な思い入れがあるのだろう。
余談だが、クリフは生涯を通して推薦人になったのはダリルのみである。
この1枚は後世において歴史的な資料の1つとして扱われる事になり、歴史家の中には、この事実をもってダリルをクリフの後継者として扱う者もいる……しかし、これ以降クリフとダリルの人生が交わることは無かった。
数十年後の未来の話をすれば、ダリルは一流の冒険者となり、王都冒険者ギルドにおいて7代目の支配人となる。
「チェンバレン卿、今日はレイトンさんが休みなので、また顔を出してください……きっと喜びますよ」
「ああ、近いうちにまた来よう」
クリフは受付嬢からお茶を受け取り、少し驚く。
茶葉は高級品である。
「……ギルドで茶を出すのか」
「はい、貴族のお客様用ですわ、チェンバレン卿」
受付嬢がニコリと愛想笑いをする……なかなか可愛らしい顔だちだが、少し歯が欠けているのが惜しい。
「ローナさんにも声をかけましょうか?」
「……いや、今さら会っても互いに話すことは無いだろうさ……元気ならそれでいい」
ウーゴの言葉にクリフは少し心が動いたが、会わない方が良いだろうと判断した。
……今さら、あの時の恩を着せるような真似はできんだろう……会わないから良い思い出なんだ……
クリフは目を瞑ってローナの面影を思い出し、そして心の引き出しに仕舞い込んだ。
ウーゴが感心したように頷いている。
「やはり粋な方だ……実は王都じゃ有名な話なんですよ、猟犬クリフは亡き妻に似た薄幸の娼婦を無償で助けた男伊達だと」
クリフは苦笑いしてお茶を啜る。
あまり喋ってはボロが出そうで恥ずかしくなったのだ。
「渋くて素敵ね」
「ふふ、芝居の役者さんより男前かも」
受付嬢と事務の女がクリフをチラチラと見ながら聞こえるように品定めをしている。
王都の事情に疎いクリフは知らないが、雄弁な男が好まれるファロンとは違い、王都で男は寡黙が良しとされる。
クリフは王都の女性の好みに叶ったらしい。
「ごちそうさま、旨かったよ……でも次はこんな気は使わないでくれ、俺は冒険者として来たのだから」
クリフは受付嬢に礼を述べて「また来るよ」と退出した。
後ろから「緊張した~」とおどけるウーゴの声と、周囲の笑い声が聞こえた。
……いい職場だな……さすがはスジラドさんだ……
クリフはスジラドの遺徳を偲び、少しセンチな気持ちになった。
………………
その後に兄のアイザックに会いにチェンバレン家の邸宅まで顔を出したが、生憎と出張中で不在であった。
クリフの兄であるアイザック・チェンバレンは王国宰相であり、非常に多忙なのだ。
アイザックの息子たちは以前からクリフと馴染もうとはせず、アイザックが不在であれば長居をする理由も無い。
クリフはチェンバレン家からすぐに立ち去った。
……まあ、仕方ないな……俺はこの家で過ごしたことは無いのだから……
クリフは特に何も思うこともなく宿に向かった。
クリフが泊まる宿は貴族が泊まるような豪奢な宿では無く、冒険者向けの、質素な素泊まりの宿屋である。
クリフは適当に買ったパンを噛じりながらベッドに腰をかける。
……不味いな……いくらなんでも固すぎるぞ、古いんだな……
クリフは固いパンに溜め息を付き、食べるのを諦めた……どうせカチカチになっているのだから保存食で良かろうと、パンを乱暴に道具袋に突っ込む。
王都に住む者はプライドが妙に高く、相手が余所者だと分かるとこのような詰まらぬ真似をする者も珍しくはない。
……さっさと寝るか……なんだか疲れた……
クリフは王都の空気にはどうにも馴染めない……この眠りも妙に寝苦しいものになったようだ。
………………
翌日
この日もクリフはギルドに顔を出す。
「あっ、チェンバレン卿がお見えですよレイトンさん」
ギルドに入るや受付嬢がクリフを見つけ、レイトンを呼びに行く。
クリフが事務スペースに足を踏み入れる頃にはレイトンが受付で出迎えてくれた。
「クリフさん、お久しぶりです」
「やあレイトン、いつ以来だろう?」
レイトンとクリフはにこやかに挨拶をする。
クリフは「良かったらこれ」とレイトンに焼き菓子を渡す。
「そんな、気を使わないで下さい」
「いや……昨日は茶をご馳走になってな、さすがに手ぶらでは来れんよ」
クリフとレイトンが気安げに話す様子を見て、ギルド内の視線がレイトンに集まっているのをクリフは感じる。
レイトンは今となっては数少ないクリフより年上の冒険者だ。
互いに現役は退いているが、そこはやはり親近感がある。
「最近のファロンはどうですか……」
「若い冒険者がな……」
2人が適当に世間話をしていると、外が急に暗くなった。
……これは、荒れそうだな……
クリフは窓を覗いて天気の急変を確認した。
レイトンに挨拶をしたら旅立とうと考えていたが、嵐になりそうな雰囲気である。
「少し、空模様が怪しい、宿に戻って明日王都を発つことにするよ」
「ええ、無理をすることはありませんよ。我々は若くないですからね」
レイトンは苦笑し「この前もね」と自分の衰えを披露する。
彼は腰を悪くし、半月ほど歩けなくなったらしい。
「いや、俺もさ……」
クリフが尿管結石の話をすると、互いに大笑いした。
「さすがの猟犬クリフも年には敵いませんか」
「ああ、殿様レイトンと同じさ」
クリフは不思議であった。
レイトンがファロンにいた頃には特別に親しかった訳でもないのに、久しぶりに顔を見たレイトンには実に親しみを感じるのだ。
これはレイトンも同じかもしれない。
人の心とは不思議なものだとクリフはつくづくと感じる。
「クリフさん、若い衆にもクリフさんを紹介したいと思うのですが」
「ああ、いいよ。この天気で予定は無くなった」
クリフはレイトンと供に併設してある酒場に向かい、王都の若者たちとも交流を持った。
聞けばこの中には「冒険者に憧れて」や「男を磨くため」に冒険者となった者も多く、クリフは時代の流れを感じた。
若い冒険者たちは、猟犬クリフと友人であるレイトンのことを大いに見直したようだ。
……上手く使われたな……
クリフはレイトンと若者たちを見比べて苦笑した。
やはり殿様レイトンは煮ても焼いても食えぬ古株冒険者なのだ。
………………
翌日
クリフは王都を発ち、自由都市ファロンへと向かう。
しかし、その道すがらの様子が明らかにおかしい。
ファロンから出たと思わしき人の流れが多すぎるのである。
この群衆の動きはクリフに記憶があった……疎開である。
……これは、戦でもあったのか……?
クリフは道行く人々に事情を尋ねると、彼らは口々に「疫病だ」と口にした。
どうやら自由都市ファロンで悪疫が流行したらしい。
古くから、城壁の中では疫病が流行りやすいと言われており、それ事態は珍しい事ではない。
城壁の内側は人が密集しており、知らず知らずのうちに病人と接触する機会も多く、感染が拡大しやすいのと、何よりも衛生状態が悪いためである。
……しかし、この人の流れは尋常の事では無いらしいぞ……
群衆は死神から逃れるように懸命に歩き、逆流するクリフは非常に目立つ。
クリフはファロンから続く絶えることの無い人の流れを不安気に眺める。
例えようも無い、悪い予感をクリフは強く感じた。




