10話 時の流れ 下
その後
クリフはベルタの家を訪れた。
ヘクターは未だにこの家に居座っているのだ。
「あら、クリフさん」
「突然すいません、ヘクターは居ますか?」
クリフがベルタに尋ねると「おう」と野太い声が聞こえた。
「どうぞ、お入りくださいな」
「お邪魔します……あの、これ、良かったら」
クリフは手土産の焼き菓子をベルタに手渡す。
クリフはあまり他人の家に遊びに行かないので、この手のやり取りは不馴れだ。
「あら、お気遣いいただかなくても……」
「いえ、その、大したものでは無いのですが」
クリフが照れながら室内に入る……昔からクリフはベルタが少し苦手である。
これは家を買うときに、ベルタから借金をしたことが影響しているのかもしれない。
「おう、どうした?」
クリフが顔を見せると明らかにホッとした顔でバリーが逃げていく。
恐らくはヘクターが退屈しのぎに息子を苛めていたのだろう。
「いや、少し話をしたい……急で悪いんだが、その」
「まあ座れや」
ヘクターに促され、クリフはリビングのテーブルに着く。
「どうした?」
「今日、スジラドさんが来てさ……」
クリフはヘクターに今日の経緯を説明した。
ヘクターは口下手なクリフの説明に何度か質問を挟みながら根気よく聞いていた。
「……って、ことなんだ」
「ふうん、スジラドがなあ……」
話が一段落着く頃にベルタがお茶を淹れてくれた。
お茶請けはクリフが持参した焼き菓子である。
「ごちになるぜ」
ヘクターはボリボリと焼き菓子を噛じる……ヘクターは酒飲みだが、意外と甘党である。
「スジラドの顔の傷はなあ、俺がつけたのよ」
「そうらしいな」
ヘクターの言葉にクリフが相づちを打つ。
「昔、昔の話さ、あいつも生意気でなあ……俺も若かったし詰まんねえことでやりあったのよ……そん時は俺が勝った」
ヘクターが過ぎた日を懐かしむように遠い目をした。
「あいつは手も足も出なかったと思い込んでるようだが、そうじゃねえ。戦いってのは競れば競るほど一瞬で終わることもある……わかるだろ?」
ヘクターの問いにクリフは頷いた。
真剣勝負で何合も打ち合うような戦いは意外と稀である。
チャンバラのように打ち合っては剣が駄目になってしまうからだ。
ハイレベルな攻防は傍目には理解しがたく、勝負の流れが一方的であっても、内実は五分以上にやりあっている場合もある。
これは戦った本人であるヘクターが言うのだから本当なのだろう。
ヘクターはお世辞を言うタイプでは無い。
「名が売れていた俺とやりあう根性もあったし、実際に強かった……俺は俺を殺せる冒険者は数人しか知らねえが、スジラド坊やはその1人さ」
ヘクターがニヤリと笑ってクリフを見る。
「今となってはお前えさんだけだな」
ヘクターの言葉にクリフは「まさか」と失笑する。
クリフは一騎討ちで強いタイプでは無いと自分で思っている。
ヘクターには敵わないだろうとも。
「いや、お前えはいざとなれば俺の首を掻くはずだぜ……猟犬クリフの恐ろしさは忍耐強く、執拗な追跡よ。いつかは的の方が疲れ果てて殺られるのさ」
ヘクターの分析は的確である。
実際にクリフとヘクターが戦うとなればクリフは姿を隠し、不意打ちを狙い続けるはずだ。
クリフは忍耐強く、必要とあれば手段は選ばない……実に恐ろしい暗殺者となるだろう。
「まあ、それは置いといてだ、スジラド坊やが俺に仕返しをしてえなら受けて立たねばならんだろうさ、痩せても枯れても隻眼ヘクターは男だからな」
ヘクターが「くかか」と奇妙な笑い声をたてている。
「そうだな、明日……何時になるかは良く分からんが、ギルドの訓練所に来てくれ」
「おう、ギルドが開いたらすぐに行くぜ」
クリフはヘクターの了承をとりつけて、ほっと胸を撫で下ろした。
ベルタに挨拶をし退出すると、外は既に真っ暗だった。
……少し、話し込んでしまったな……
クリフはヘクターと長話をしたことを軽く後悔しながら家路につく。
自由都市ファロンは大都会だ……日が沈めど行き交う人々の数は多く、表通りは賑やかである。
クリフは雑踏を避け、裏通りを使って歩く。
なんとなく、賑やかな表通りを歩く気にならなかったのである。
………………
クリフが帰宅すると、ハンナが飛び出してきた。
「クリフっ! スジラドさんがっ!」
ハンナは取り乱しながらクリフに何かを伝えようとしている。
「ハンナ、落ち着いて、どこで、何があった?」
クリフがハンナを落ち着かせるためにゆっくりと話し掛ける。
ハンナは頷き、目を瞑って数秒間深呼吸した。
「スジラドさんが宿で亡くなったわ……宿の人が伝えてくれたの」
クリフは目を大きく開き「まさか」と呟いた。
……そこまで悪かったのか……
クリフは強い衝撃を感じた。
「明日の夕方、郊外で焼くから来てほしいって」
ハンナの声がどこか遠くに聞こえた。
………………
翌日の夕方
ファロンの市外にある火葬場でスジラドのささやかな葬儀が営まれた。
マカスキル地方では土葬が多いが、都市部では土地の関係や衛生のために火葬が一般的である。
葬儀の参列者はベテラン冒険者ばかりである……今のファロンでスジラドと縁のあった者といえば、ある程度のキャリアを持つ者ばかりだ。
スジラドと親交の深かったピートが涙を流している。
……なんだか、現実感が無いな……
クリフはぼんやりと、荼毘の炎を見つめていた。
昨日到着したスジラドが今日燃やされている……クリフにとって夢のような出来事だった。
「こんな時、何て言えばいいんだろうな」
クリフがポツリと独り言を呟いた。
ドーラとダリルは気丈にも涙を見せない……すでに覚悟があったのかもしれない。
炎が消え、集骨した後、ダリルが参列者たちに礼を述べた。
……立派なものだ……
クリフが知るダリルは幼児である。そのダリルが立派に喪主を勤める姿は皆の涙を誘う。
しばし、余韻を感じた後に解散となる。
クリフとハンナは、ドーラに声をかけて帰宅した。
葬儀の後は、身内以外は長居しないのがマナーである。
道すがら、ヘクターが声をかけてきた。
今日はヘクターの家族も総出で参列したようだ。
「なあ、クリフよ、俺はこれで良かった気がするぜ」
ヘクターの言葉が印象的であった。
………………
さらに翌日
クリフがギルドで働いているとドーラが訪ねてきた。
「忙しいとこ、すまないね」
「昨日はお疲れさま……大変だったわね」
ハンナが受付でドーラを招き入れ、執務室に通す。
執務室ではドーラがクリフとハンナに向かい合うように席に着いた。
「改めて、昨日はわざわざ主人のために時間を割いていただき……」
ドーラが淡々と会葬の礼を述べる。
「ねえ、ドーラさん……これからどうするの? ファロンに住むの?」
「いや、王都に帰るよ……あの人と出会ったのも、過ごしたのも王都だからね」
ハンナの質問にドーラが寂しげに答える。
「今回のことは残念だ」
クリフがポツリと呟いた。
そっ気の無い言葉ではあるが、クリフの本心である。
「初めから無理だったのさ……昨日はあれから血を吐いてね……凄い量だったよ」
ドーラがぽろりと涙を溢し、拳で拭った。
「あの人はさ、ベッドで死にたくなかったんだ……ヘクターと戦いたいってのも口実だったと思う……だから、これで良いのさ」
ハンナが咽び泣くドーラに寄り添って慰めている……クリフはそっと、執務室から出た。
……ベッドで死にたくない、か……
ベッドで死にたくないとは冒険者が良く使う言い回しである……旅の空で死ぬのが冒険者とされているのだ。
蛇のスジラドは筋金入りの冒険者だったのだ。
……見事なものだ……
クリフは目を閉じて、しばし自らの死を考えた……しかし、何もイメージできずに考えることを止めた。
「なあ、皆……すまないが俺は王都に行って、向こうのギルドに挨拶に行かなきゃいかん、急ぎで帰るが……二月ほど空けることになるだろう」
クリフの言葉に皆が頷く。
本来ならば交代した王都のギルドから挨拶が来るべきなのかも知れないが、急に交代した王都の支配人にそれを求めるのは酷だろう。
ちなみにヘクターからクリフに支配人を交代したときはピートが名代として王都に向かった。
これは個人的にスジラドとピートが親しかったのと、ヘクターもクリフもスジラドとは顔見知りのために挨拶が必要無かったためだ。
しかし、次の王都の支配人はクリフも知らない王都の冒険者だ。顔見せは必要だろう。
「わかりました、お気を付けて」
マリカが返事をすると、後ろからひそひそ話が聞こえてきた……わざと聞かせたいのか、微妙なボリュームである。
「ね、あの子よ……クリフのお嫁さんにしたいんだけど」
「可愛い娘じゃないか、いいのかい? 旦那さんを盗られちまうよ?」
ハンナとドーラが楽しげに覗き見をしている……マリカは憮然とした表情だ。
「マリカ、すまんな」
「いえ、かまいませんよ」
クリフはマリカに謝るが、微妙な空気になってしまう。
しかし、ハンナがドーラを慰めるために馬鹿話をしているとしたら、そう責めるわけにもいかない……それ故にクリフもマリカもハンナのセクハラめいた発言を黙って聞いているのだ。
ハンナはクリフにどうにかして子供を作らせたいと思っているらしく、お相手のターゲットは何故かマリカなのである。
「ハンナ、俺もドーラたちと王都に行くよ。急ぎになるから留守番しといてくれ」
「うん、わかったわ。ドーラさん、クリフの子供ができたら抱かせてね」
ハンナがとんでもない冗談を言う。
さすがに昨日、夫を亡くした未亡人に言って良いことでは無いだろう。
クリフがハンナを叱ろうと息を吸うと、ドーラが大笑いをした。
その笑いは続き、涙を流しながらドーラは笑う。
「……すまないね、ハンナさん……気を使わせた」
「ううん、逆だったらドーラさんがこうしてくれた筈だもの」
ドーラとハンナが親しげに微笑み合っている……どうやらクリフには分からない機微があったらしい。
……さすがはハンナだな……
クリフは感心してハンナを見つめる。
口下手で陰気なクリフからすれば、ハンナのこのような陽性の笑いは魔法のようにも感じるのだ。
「でもね、ちゃんと返してくれなきゃダメ」
「私が良いって帰って来なくなるかもね」
2人の賑やかなやり取りを聞いていたジュディが「やっぱり支配人って」と何やらブツブツと呟いているが、クリフは気にしないことにした。
クリフはドーラとダリルに同行し、王都を目指す。
クリフがファロンを離れる数ヶ月間に、この大都市は歴史的な不幸に見舞われることになるのだが……この時はまだ、誰も気づいていない。




