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猟犬クリフ~とある冒険者の生涯  作者: 小倉ひろあき
3章 中年期

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10話 時の流れ 上

 ここ数年、自由都市ファロンの近隣で大規模な戦は無く、産業は発展し、農作物の収穫も激増した。


 人々の生活は激変し、1日の食事も2食から3食になった。


 冒険者のあり方も変化をし、自ら冒険者になりたいと志願する若者が大いに増え、その象徴たる若者たちが今日もギルドに訪れていた。



「はい、こっちの登録証に記入するのよ、字は書ける?」


 ハンナが冒険者志願の3人の若者たちに登録の説明をしている……彼らの身形(みなり)は悪いものではなく、食い詰め者の印象は無い。


 クリフにとって冒険者とは食い詰め者の末路だ。

 食えるだけの生活があるのに、わざわざ冒険者になろうという若者の気持ちが良く分からなかった。  


「なあ、お前さんたちは何で冒険者なんかになるんだ?」


 クリフが若者たちに尋ねると、彼らはキョトンとした顔で互いに頷き合っている。


「男を磨くためですっ!」

「猟犬クリフみてえにでっけえ男になりてえんだ!」

「ああ、絶対有名になって吟遊詩人にうたってもらう」


 若者たちは冒険者という生き方に憧れ、希望を見い出しているらしい。


「へえ、男をね……」


 クリフは少し困惑した。


 ほんの10年前には、冒険者と言えば「他に何もできない者」が仕方無しになるもので、世間からは白い目で見られることも多かった。


 冒険者とは無法者と近い意味を持ち、犯罪を犯す者も大勢いたのである。


 クリフ自身もなりたくて冒険者になった訳ではない……たまたまクリフを拾ったジュードが冒険者だったから冒険者になっただけだ。

 ジュードが鍛冶屋なら鍛冶屋になっていただろう。


……これも時代の流れかね? マスターは偉いやつだったんだな……


 クリフは今は亡きマスターことエイブを思い出す。

 彼は冒険者の社会的な信用を高めるために冒険者ギルドを創設したのだ。


 彼の蒔いた種は確実に芽を出し、根を張りつつある。


「男を磨くのは結構だが、先ずは先輩について簡単な依頼をこなすことだ。訓練も欠かすなよ……後悔するときは死ぬときだ」


 クリフが若者たちに忠告すると、彼らは様々な反応を示した。


 生意気そうな表情で明らかに聞く気の無い者、真剣な表情で頷く者、誰だこいつはと怪訝けげんな顔をする者……三者三様の反応だ。


……はて、どこかで見たような? ああ、あれか。


 クリフはこの3人組に既視感を感じた。

 振り返り、書類を作成している弟分を見ると、更におかしさが込み上げてくる。


「おいギネスよ、若い頃のお前さんたちにそっくりだな、ははっ」


 クリフはつい笑い出してしまった。

 この若者たちは若い頃のギネスの仲間(パーティ)に良く似ていた。


 ギネスが「そうっすか?」と少し不満気な顔を見せる。


「おいっ、ギネスって」

「マジかよ、雲竜のギネスだ」

「スゲエ……本物かよ」


 ひそひそ話を始めた若者たちを見たハンナが、悪戯(いたずら)っぽく笑い、クリフに目配せをしてきた。


「可愛いじゃない、ねえクリフ?」

「そうだなハンナ、先が楽しみだ」


 2人は互いに呼び合いクスリと笑う。



 若者たちは口をあんぐりと開けていた。



「頑張れよ、えーと、ビルにジュードとジェイか……ジュードは誰だ? 」


 クリフは登録証の中で気になる名前を見つけ、訊ねた……クリフの師であるジュードと同名だ。


 「お、俺です」と先程真剣な表情で頷いていた若者が名乗り出た。

 目の前にいるのが憧れの猟犬クリフと知り、急に緊張したのか声が震えているのを感じる。


「そうか、良い名だな。少しサービスしてやろう……おいっ、ゴードン!」


 クリフは依頼の掲示板の前で(うな)っていた中堅冒険者のゴードンに声をかける。

 ゴードンは20代前半で、そこそこキャリアがあり、危険な仕事は受けないタイプだ。


「はいっ、何ですか?」


 慌てて近寄ってきたゴードンは何事かと少し不安気な表情だ。


……ゴードンは少し臆病だが慎重だ、新人の教育には適任だな。


 クリフはゴードンの様子に頷く。


「悪いがこの3人組と2~3回ほど依頼をこなしてくれ」

「は? はい、わかりました」


 ゴードンは少し怪訝そうにしたが、了承した。


「ジュードよ、このゴードンは経験のある冒険者だ、少し学ばせて貰え。このようにギルドは仲間(パーティ)の紹介をすることもある」

「はいっ! ありがとうございますっ!」


 若きジュードは目をキラキラと輝かせながら頭を下げた。

 猟犬クリフから目を掛けて貰えた喜びを全身で表現しているかのようだ。


「ハンナ、何かいい依頼はあるか? 危険が少なくて時間のかからないのだ」

「そうねえ、これかしら?」


 ハンナはすぐに2枚の紙を取り出した。

 クリフは受け取り、離したり近づけたりしながら書類を眺める。

 本人も気づいていないが、これは老眼の仕草である。


……えーと、城壁の拡張工事の日雇いと……肉屋の掃除か……


 冒険者ギルドの依頼には冒険とは程遠い、この手の日雇い労働の(たぐ)いも多い。


 これはこれで、下働きに行ってそのまま就職する者もいたりするので、一概にバカにしたものでもないが、さすがに中堅冒険者含む4人組の仕事では無い。


「新人はまだしも、さすがにゴードンにこれは可愛そうだろ」

「そうね、これはどう?」


 クリフは受け取った何枚かの書類を眺める。


……ふむ、隊商の護衛、キノコや山菜の採取、手紙の配達、モンスター駆除か……


 クリフは納得し、ゴードンに隊商の護衛とキノコの採取の依頼書を渡した。


「どちらにする? 勿論(もちろん)、断ってもいいぞ。」

「そうですね……じゃあこれを」


 ゴードンが選んだのはキノコや山菜の採取であった。


「ほう、理由を彼らに教えてやってくれるか?」

「はい、危険の有無です。護衛の場合は野盗とやりあうことになるかもしれませんが、採取は精々が近場のモンスターくらいです……稼ぎが歩合(ぶあい)なのは辛いですけどね」


 ゴードンが「はは」と笑うと、若者たちの中で生意気そうなビルが不満気に唇を尖らせた。


 ちなみに栽培法が確立していない時代のキノコは高級品であり、日本でも舞茸(マイタケ)などは松茸(マツタケ)などよりも高価で、幻の食材などと呼ばれたほどである。

 キノコは冒険者を雇っても採算の取れる食材なのだ。


 夏の始まりのこの時期は乳茸(チタケ)が採取できるであろう。


「正解だな、ご褒美をやろう……帰ったら1杯飲んでいけ」


 クリフはゴードンに200ダカットほど渡す。

 ゴードンは恐縮しながらも受け取った。


「頑張ってね」


 ハンナが依頼の発注をすませ、ゴードンたちを見送るとニタリと笑って振り向いた。


「えへへ、なんであの子たちを特別扱いしたのよ? 何かあるんでしょ? お小遣いまであげちゃってさ」

「あ、俺も気になりました。ジュードって若いのを気にしてましたよね」


 ギネスまで話題に乗っかり近づいてきた。


「いや、大した理由は無いよ……あのビルって生意気そうなのが若い頃のギネスに似てたのと、ジュードってのは俺の師匠と一緒の名前だからさ」


 クリフが「はは」と笑う。


「へー、クリフのお師匠さんか、どんな人だろ?」

「俺ってあんなんでしたかねぇ」


 クリフの言葉は2人の琴線を大いに刺激したようで、きゃっきゃっと喜んでいる。


「ギネスなんてな、猟犬クリフは噂ほどじゃねえって突っ掛かって来たんだよ、ははっ、トーマスとジョニーが必死で止めてな」

「うわーっ、生意気ねっ!」


 3人が大笑いながら談笑していると、不意に来客があったようだ。


「ふふ、賑やかですね」


 その来客が穏やかにクリフ達に話しかける……その来客はスジラドであった。

 妻のドーラと息子のダリルも一緒だ。


「スジラドさん、お久しぶりです。早かったですね」


 クリフが立ち上がりスジラドを出迎えた。


 ハンナもドーラとダリルに和やかに話しかけ、再会を喜んでいる。


 先日、スジラドから王都のギルドを体調不良で引退し、こちらに顔を出すと手紙で連絡があった。

 それから1週間ほどしか経っていない。


「……ええ、時間が無いものですから」


 そう言うスジラドは見るからに(やつ)れている。


 髪は半ば以上白く、頬はげっそりと()けており、どこか声にも張りが無い。


 スジラドはクリフよりも1才年下のはずだが、その姿は老人の様にも見えた。


「体調が悪いとありましたが……」


 クリフが遠慮がちに尋ねると、スジラドは「ご覧の通りですよ」と薄く笑った。


「腹の中に腫れ物ができましてね、もう食事も満足にとれないのですよ」

「……それは……」


 スジラドがあっさりと口にする病状は深刻なもので、クリフは言葉を失った。


「……少し疲れました、座れると助かるのですが」

「これは気づきませんでした……こちらに」


 クリフが執務室に(いざな)うと、スジラドはドーラに支えられるように椅子に腰かけた。


……これは、かなり悪そうだな……


 クリフにはスジラドの衰弱ぶりが信じられなかった。


 (くちなわ)のスジラドと言えば実力派の冒険者で、その貫禄は猟犬クリフに勝るとも劣るものでは無かったほどだ。


 それが若くして死病に侵され、死に(ひん)している。


 この事実がクリフにはとても信じられなかった。


「……失礼しました、だいぶ楽になりましたよ……改めてお久しぶりです、クリフさん、ハンナさん」


 椅子に座り、人心地ついた様子でスジラドが挨拶をする。


「ええ、5年ほどになりますか」


 クリフが努めて平静に応えた……実はクリフは、父であるサイラス・チェンバレンが亡くなった時に王都へ赴いており、スジラドとも再会していた。

 その時は急ぎ旅であったためハンナは同行しておらず、彼女にとっては10年ぶりの再会となる。


「しかし、スジラドさん……一体何故そんな体で無茶を?」

「はは、温車での移動でしたからね、大したことはありませんよ」


 スジラドは笑うが明らかに無理をしている。


「……私はね、もうだめです……自分でわかります」


 スジラドの言葉にドーラが顔をしかめ、ダリルは(うつむ)いた。


「最期にね……隻眼ヘクター……若い頃には太刀打ちができませんでした……しかし、最期にもう一度、20年掛けて私が強くなったのか、弱くなったのか試したい」


 スジラドは「ふっ」と自嘲(じちょう)の笑みを浮かべた。


「私の傷はね、ヘクターさんにつけられたんですよ」


 スジラドは顔の傷をそっと触れた。


「……ドーラも、好きにさせてくれます……最後の、ままですよ」


 ドーラがクリフを見つめて小さくうなずいた。


……スジラドさんは戦って死にたいのか……ダリルに何かを見せるつもりなのか?


 クリフは少し考えるが、スジラドの願いを叶えない選択は無い。


 スジラドが王都へ行ったのはハンナの病気が原因だった……クリフはスジラドに大きな借りがあるのである。


「わかりました、ヘクターに連絡しましょう。場所はギルドの訓練所でかまいませんか?」


 スジラドはニヤリと笑い頷いた。もはや話すことすら辛いのか無言である。


「日時は?」

「……明日……」


 スジラドが何とか言葉を絞り出すと、ドーラが支えるようにスジラドを立たせた。


「宿はとってるんだ……明日、また来るよ」


 ドーラが言い残し、ダリルと共に左右からスジラドを支えながら執務室を出る。


「私も手伝うわ」


 ハンナがドーラに声をかけるが、ドーラは首を横に振り「私の仕事さ」と寂しげな笑みを見せた。


 スジラドの背中を見つめながらクリフは何とも言えない沈んだ気持ちになっていた。


 自分と同年代の年下が死病に侵され余命いくばくもない……自分もそんな年になったのかと、クリフはしみじみと感じた。


「ねえ、クリフ」

「なんだ?」



 ハンナはクリフをじっと見つめながら「長生きしてね」と笑った。

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